2810年11月25日

はじめに

ここでは、光橋祐希原作のオンラインSF小説である
【The RLight=Bringer -Let bring us the RLights】の
【第二光】(第二部と考えて貰って差し障りありません)を
掲載しております。

量が量になってしまった為の避難的措置であるとご理解を
得られれば助かります。

現在、本編はこの【第二光】の方まで進んでおり、鋭意連載中です。

【第一光】のまとめはこちら
となります。


また、一括ダウンロードをご用意しましたので、持ち帰りを
希望される方はまた、一括ダウンロードをご用意しましたので、持ち帰りを
希望される方は【こちら】からお願いします。
(※一括ダウンロードの内容は全て同じものになっています)

非常な長編小説となっておりますが、訪れて下さった方々が
少しでも楽しんで頂ければこれ以上の幸せはありません。

また、このブログではコメント、トラックバックの類は
張れない仕様となっております。

感想や、ご意見などがある方は、

原作者・光橋の半ばの日記ブログである【みつろぐ!?(仮)】のコメント欄、或いは
小説専用の掲示板【Bourbon House @ETERNAL-2】の方に寄せて頂ければと思います。



小説RLに関する統合情報は以下のブログで行なっております。
連絡であるとか更新情報などは、以下で行なうことになるかと
思いますので、ブックマークはこちらを推奨します。

【FORTUNE C.I.C. -フォーチュン戦闘指揮所】
posted by 光橋祐希 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(5) | はじめに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2710年01月01日

第II光:『光臨』 第一章 驚天動地 - I


「ああ、全くもう――毎日疲れるわねぇ」
 式典用と言う事で着用していたハイヒールを派手に脱ぎ散らかしながら、彼女はソファに大きく崩れ落ちた。マッサージ・サロンを兼ねたエステ・サロンに丸一日、篭もりたいところではあったが、生憎と状況がそれを許してくれない。
「ふう」
 いっそ、このまま眠ってしまおうか、と考えたが、明日からの上院議会は体力が勝負であるとも言える。ここで眠ってしまっては体力の回復もおぼつかない。
「お飲物をお持ちしました――」
 どうやら、重厚な扉に対してノックは行われていたらしい。全く気付かなかったが、まあ、いつものことであるとも言える。現に、そんな主人の生活態度に馴れきっているメイドは当たり前のようにそのテーブルに各種飲料を並べてくれていた。
「今日はお酒は要らないわ――冷えた紅茶だけ、置いといてくれる? マリベル?」
 ソファに寝っ転がったまま、その左手を物ぐさに振りながら、マリベルと呼ばれたメイドに注文を行う。
「――お食事は本当に要らないのですか?」
 頷きながら、マリベルと呼ばれたメイドが尋ねてくる。
「ありがとう。でも、軽く摘んできたから――」
「どうか、お体ご自愛下さい」
 物憂げな表情を一瞬だけその白皙に乗せて、マリベルは退室していった。

 ――体を自愛ねぇ

 全く――この役職に就いてから、全く全く禄なことがない。友達と会える回数は明らかに激減したし、婚約者にも逃げられた。まあ、婚約者に関してはこの程度で逃げ出す男であることが分かって、寧ろ助かった位だけど!

 ああ、でも。

 一日、六時間は睡眠を摂りたい。心無しか、ここ数日は肌の張りが悪くなったような気がする。アイシャドーを引いていないはずなのに、どうも目元に陰が深まったようにも感じられる。いやーん。

 このまま、オバアサンになっていってしまうのだけは勘弁して欲しいなぁ。

 そんな彼女が寝転がったまま、卓上のポットを手に取ったその時だった。


 マリベルが、ノックも行わず、転がるように室内へ飛び込んできた。

「ノックはしてよ、マリベル――」

 悪態を吐いた彼女だったが、その常は沈着冷静なスーパーメイド、マリベルが動揺を極めているのが手に取って見えた為、それ以上は続けなかった。


「だだだだだだだだだだだだだ」

「落ち着きなさい、マリベル。何があったの?」

 彼女がその片手に通信端末を持っていることを、ようやく彼女は知ることができた。


「大統領閣下!! 緊急事態ですぅぅぅぅぅッ!!!!!!」



    ・
    ・
    ・

 話はこれより、一時間ほど遡る。



 とある小型宇宙艇の内部での物語。その船殻には、『エテルナ航宙警察』と、文字が刻まれている。
「なあ…どうだ……そろそろ、僕ら――身を固めないか?」
 操縦席にて操縦桿を握っている男性警官が、隣の副操縦席で計器のチェックを続けていた女性警官に対して口を開いた。
「ああ……ジャン、その言葉を待っていたのよ…」
 プロポーズを受けたその女性は、目元を潤ませながら、深く頷いた。
「キャシー…僕のために味噌汁を作ってくれ」
 ジャンと呼ばれた男性が、艇の航行をオートに設定しつつ、キャシーの手を柔らかく握り込む。
「うわあ、それはベタでちょっと幻滅」
 わざとらしく『引いて』見せるキャシー。
「からかわないでくれ。僕ぁマジなんだ」
「分かっているわよ、ジャン――ちょっと意地悪してみたくなった、だ・け・よ♪」
 暫し、見つめ合う二人。

 やがて、そんな影が重なり、熱いキスへと移行する。

 ――全く、彼ったらグズなんだから

 キャサリン・エッシェンバッハは、恋人と熱いキスを交わしている最中、そんな事を考えていた。全く、いつになったら申し出て貰えるのか、こちらは気が気じゃなかったのよ。

 長い口付けを終え、ジャンことジャン・サオトメはキャサリンの肩を引き寄せつつ、彼等の目の前に広がっている【ネビュラ・リーヌ】を指差した。

「ご覧、リーヌも静かに僕達の未来を祝福してくれているよ――」
「ああ、ジャン――あなたと出会うことが出来て良かった………って――え」

 キャサリンがその身を硬直させた。そんな恋人の動作に困惑し、ジャンはゆっくりとその視線の先に自身の目を向けた。

 朧な光の渦の表面が波立っているように見えた。

「――何ッ!?」

 本来の職種に自分自身の精神を引き戻したサオトメ巡査長は、慌てて自機の端末を操作した。
「――おかしい。船が出てくる予定なんて、登録されていないぞ??」
 これはリーヌ離脱を船舶が試みている前兆現象であることに疑いの余地はない。パトロール艇に備えられている簡易重力波レーダーを巡査長は起動させる。内部深淵までの走査は不可能だが、その表面上で起こっている現象程度であれば充分に調査は可能であった。
「質量――んがっ!?」
 これから飛び出してくる物体の全長900m弱、とパトロール艇の主端末は判断を下していた。
「こっちでも確認したわ。確かに変よ――ッッッキャアアアアアア!?」
 冷静に続いたエッシェンバッハ巡査部長だったが、その次の瞬間には盛大な絶叫を上げることとなってしまった。


 リーヌの表面が細かく泡立った、と彼等二人が揃って認識したその時、そんな対象が一斉にその姿を現したのである。
「は、早いよっ――速度、計測不能――?」
 巡査部長が言葉を抜く暇もなく、そんな対象はあっと言う間に、パトロール艇の至近にまで到達し、『不自然な』減速を開始。
「なななんだよ、これぇ――」
 鼻水を大きく垂らしながら、ジャン・サオトメ巡査長は上司の左肩に縋り付いた。有り得ない――自分達の艇はリーヌ突入面から、かなりの距離が離れていた筈であるのに、一瞬でこの位置にまで飛来して。なおかつ、不気味なほどに急激な減速を行っている。ここに至って、ようやくそんな対象が『船舶』であることを二人の乗員は知ることができた。

 ――900メートルに近い船舶だなんて!?

「本部、本部!! 聞こえますか、こちら巡視艇1057番!」
 頼りのない部下をその右手で押しのけながら、幾分冷静な巡査部長が情報通信衛星【カハヤ】に設置されている本部へと連絡を入れた。
「本部、認識されていますよね、これはなんなんです――ッ!?」
 半ばヒステリーの状態に陥っている上司兼恋人のそんな姿を客観的に見ることで、サオトメ巡査長は自分自身を少しだけ取り戻し――そんな折り、通信端末の一つが着信のある旨を主張してきている事に気付いた。上司の許可を得ようかと考えたが、そんな彼女は本部との通信を行っている最中であった。やむなく、サオトメは自ら通信を開くことにした。本部からの通信コードではなく、送信者はUNKNOWN。恐らく、彼等の前方に突然出現した件の船からの通信であろう。一抹の不安はあったが、巡視艇に於いては通信の無制限受信は規則でもある。サオトメはインカムを確かめながら、そのスイッチを親指で跳ね上げた。
「こちら、エテルナ航宙警察、カハヤ署所属、巡視艇1057番。ジャン・サオトメ巡査長である。オーヴァ?」
 ガリガリ、と言う音しか返ってこない。だが、サオトメがその表情をいよいよ顰(ひそ)め始めた時。

『こちら、元太陽系惑星連合所属、強襲巡洋艦【フォーチュン】よりの通信である。貴国の代表者と話がしたい。こちら、元太陽系惑星連合宇宙軍所属、クリストファ・アレン元大佐! オーヴァ――』

 サオトメは首を大きく捻った。なんだ、この通信は。上司であるエッシェンバッハ巡査部長に目を向けるが、未だに彼女は本部との通信の真っ最中であった。
「こちら、サオトメ巡査長――申し訳ないが、貴船の通信内容の意味を理解できない――今一度、説明を要請する――オーバ」
 一体、何が『元』だってんだ。やたらと繰り返されたそんな『元』だが、何を相手が言いたいのか、全く理解できない。しかも、巡洋艦と言ったか? それは戦闘艦艇と言うことだろうか。馬鹿馬鹿しい。リーヌを抜けて軍艦が来るだなんて話、聞いたこともない。もしや、同僚のドッキリなのではないか、とすら思えてくるサオトメだった。更に『貴国の代表者』と来たものだ。大統領までも巻き込むつもりなのか。それはギャグの範疇を逸脱するぜ――サオトメは一人、苦笑した。恐らく、こちらのデータを弄くりでもして、自分達をからかおうとしている奴等がいるんだろう。自分とキャシーの交際を冷やかしている同僚の心当たりは充分過ぎるほどにある。

『本艦は太陽系惑星連合宇宙軍にて、貴国を侵略するために建造された最新鋭の戦闘艦である。だが、我々はそんな戦闘艦を奪取、逃亡を図って今へと至っている。これは、断じて演劇などではない!! 信用をして貰えないのであれば、本艦をこのまま直進させ、エテルナ本星へと向けるまでである。サオトメ巡査長、それで宜しいのだな!?』

 語尾のオーバーも糞もない。どうやら、元軍人とうそぶくクリストファ・アレン氏はいよいよ、本気になってきたらしい。まあ、こんな見え透いた演技ではこのサオトメさんを騙すことはできない。巡査長は殊更に声を高めながら。
「――演技力に欠けているな。それじゃあブロードウェイは飾れないぜ、アレンさんとやら。オーヴァ」
『――了解した。信用を頂けなかった、と判断をさせて頂く』
「ああ、好きにしな。大体が、そんな図体でエテルナに突っ込めるかってゆーの」
『ご心配いただき、感謝する。貴殿と話す必要はこれ以上は無い。さよなら、サオトメ巡査長』
「それ以上ふざけると、公務執行妨害でしょっ引くぞぅ」
 だが、返信は返ってこない。
「おい、聞いているのか、アレンさんとやら!」
 返信は返ってこない。


 そして。そんなサオトメの目の前から、件の宇宙船は文字通り、消え去った。

「はーっ、良くやるモンだ――」

 サオトメは心から、自分の愛機のプログラムその他を見事に弄くり回した同僚達の腕に感心した。メインディスプレイへの干渉なんてどうすれば果たせるのか、皆目見当も付かなかった。

 だが、そんな感嘆を長く続けることは出来なかった。恋人であるはずの巡査部長から鉄拳が飛んできて、彼の左頬に炸裂した為である。
「――な、何するんですか、巡査ぶちょおおおおおおおおおおおおおっ!!」
 頬を抑え、涙すら浮かべながらサオトメは盛大に抗議した。
 
「この――この――大バカ野郎!!」
 
 恋人の抗議には全く応じることなく、エッシェンバッハ巡査部長は操縦席の通信機の主権を自分の側に移す作業を行った。シート脇に放り込んでおいたインカムの付属したベレー帽を掴み上げて、叫ぶ。

「待って下さい! 部下の非礼をお詫びします!! こちら、巡視艇1075号艇!! キャサリン・エッシェンバッハ巡査部長!! 応答願います!!」

 返答が返ってこない。

 今一度、巡査部長が恋人兼部下に鉄拳を振るい掛けたその時。

『こちら、クリストファ・アレン。貴殿は先のサオトメ巡査長の上司で有ると言うことか』
「如何にも!! 部下の非礼は後程、如何様にでもお詫びさせていただきます! 今一度のお話しを!!」
『了解した。本船は機関を停止する』
「感謝する――え、ええと――貴船の名前は?」
『FORTUNEと言う。以降はその名前でコールをしてくれると助かる』


   ◆ ◆ ◆


『お待たせをした。カハヤ署、第一級署長のキョウジ・ヤザワ警視と申します』
 フォーチュンの正面ディスプレイに、そんなヤザワ警視の上半身が表示された。同時に、クリストファ・アレンとヒムラ・キリオの映像も向こうに送信されている筈である。クリスとキリオは敬礼は行わず、その頭を揃って下げた。
「初めまして、ヤザワ警視。小官は元太陽系惑星連合宇宙軍所属、クリストファ・アレン元大佐であります」
『先立っての部下達の失礼な行動をお詫びさせていただきます、元……で宜しいのですかな――大佐殿?』
 こちらからは確認できないが、そんなヤザワの手元には多くの資料が並べられているのだろう。画面の中で一瞬、その視線を落とすのをクリスの目は捉えた。

「如何様にもお呼び下さって結構です。何せ、私は今や無官の身でありますから」

 顎に手を当て、微苦笑を浮かべているクリストファはフォーチュン内に於いて制作された特殊な軍服を身に纏っている。ベージュが基調となり、その節々に文字が刻まれている。胸元、左腕、そして背中にはミランダとマノアが共同でデザインに当たったフォーチュンのシンボルマークこと『ハイランドの妖精』が強調されており、更にクリストファは特権的にそのノーズ・アート――やはりミランダによって描き起こされたもの――を右腕に飾っている。キリオも原則的にはクリスと同様のフォーチュン制服に身を包んでいる。馴れない軍帽をやや窮屈そうにしつつ、彼の右腕には『鑿(のみ)と木槌』をあしらった図柄がプリントされている。これは、リンダ・フュッセルを除いたアルファの全員に等しく与えられているものでもある。

『宮仕えから解放されたとは羨ましいお話しですな――』
 そう言って、ヤザワは声を立てて笑ったものだった。
「なかなか楽なものです。お薦めしますよ、警視」
 半ばの社交辞令として、クリスはそんな言葉を返す。
『夢としては持ち続けておきましょう――さて』
 ヤザワ警視がその襟を正してきた。クリスとキリオも等しく、その背中を伸ばした。
『――簡単なお話は伺いました。先刻、大統領府には私の名前で連絡を入れさせていただきました』
 クリスは素直に頷いた。
「迅速な行動に感謝します――ヤザワ警視」
『いや、なんのなんの。こちらがしでかした非礼な行動の数々に比べれば――誠に、申し訳ない――該当の巡査長に関しては厳重注意を与えておきます故――』
 卓上に手を突いて謝罪を行ってくる警視だったが、これはなかなか太陽系ではお目に掛かれないことだ。公的機関のトップに位置する人間がこうも簡潔に非を認めるとは。
「確か、サオトメ巡査長でしたか――いや、あまり責めないでやって下さい。気にしていませんから」
 クリスの言葉に、隣のキリオが「うんうん」と相槌を打った。
『お心遣い、ありがとうございます。まあ、減棒一ヶ月程度には留めておきましょう――』
 言いながら、ヤザワが卓上を探る動作を行った。いよいよ、本題に入る腹積もりなのだろう。
『幾つか確認をしておきたい点があるのですが宜しいですか?』
 ヤザワは身長に言葉を選びながら言ってきている。
「無論です。お答えできることであれば、のお話しですが」
 
『まず最初に、貴船――いや、貴艦とお呼びするべきか――には全部で何名の方々が乗り込まれているのでしょうか?』
 ゆっくりと丁寧に、ヤザワが質問を行ってきた。
「62名です。いや、リーヌ航行中に63名になりました」
 これは意識して、クリスは答えた。半ば用意していた回答だ。
『――? 63名に、なった?』
 ペンを片手に持ったヤザワがその太い首を大きく傾ける。
「ええ。リーヌの中で誕生した赤ん坊が一人、おります故」
 淡々としたクリスのその言葉を受け、ヤザワ警視の巨体が目に見えて大きく揺らいだ。
『――なんですと?? あ、赤ん坊??』
「はい」
 クリストファの回答は素っ気がない。
『さ、左様ですか――何と申せばいいのか――めでたいことではありますね』
「ええ。めでたいことです」
『――ごほん。ええと、63名の内訳と申しますか、正規軍人の方は何名いらっしゃるのでしょうか?』
 気を取り直したヤザワが眼鏡の位置を正しながら尋ねてくる。
「正規軍人は一人も居ません」
 ほとんど即答でクリス。
『失礼――これは質問がまずかったですね――ええと、元軍属の方々はどれ位いらっしゃるのでしょうか?』
 クリスは小首を傾げながら、指でカウントを取った。
「――7名、かな」
 ヤザワ警視はやはり、目に見えてたじろいだ。
『は――なななな、7名ですと?』
 不安になったクリスは再度、指折り数えた。今度は胸の前で。自分、ソフィ、フローラ、スコット、リオン、ライル、チャーリィ――
「ええ、やはり7名で間違いありません」
『す、すすすると、他の方々は如何なる――その――』
 どうやらヤザワには理解不能な現実であるらしい。もっとも彼に限ったことでは断じて無いだろうけれど。
「They're all Civilian(彼等はなべて民間人です)、ヤザワ警視」
 クリスはやはり即答。
『民間人!?』
「はい。この船の建造に従事した、ラリー・インダストリーの元社員達です。このヒムラ・キリオもまた、そこの所属でした。現在、本船の副司令官としての位置付けにおります」
 キリオを右手で示しながら、クリスは説明を行った。
「初めまして、ヤザワ警視。紹介に預かったヒムラ・キリオです。私を含め、56名は確かに軍属ではありませんでした」
『ラリー・インダストリー…ですか。そのご高名は存じておりますが――あ、えっとこちらこそ初めまして、ミスター』
 ヤザワは通信の向こう側で大きく肩を落としたように思えた。その体はどうも、最初の印象より小さく見える。
『――副司令、と仰いましたね? すると、アレン殿は』
「私は、司令官と言う位置付けに置かせていただいております」
『司令官――ですか。軍隊用語に私は精通していないのですが、それは艦長職と同義なのでしょうか』
「いいえ。艦長は別におります。紹介しましょう――」
 クリスが二言三言の指示を行い、カメラがズーム・アウト。
「フォーチュン艦長、ソフィ・ムラサメです。お見知り置きを」
『宜しくお願いします――そうですか、女性が艦長を――』
 卒無く、艦橋の構成員を眺め渡したヤザワであった。どの人物も大変に若いように思えてならなかった。
「そう言うわけです」


   ◆ ◆ ◆

「クリストファ・アレン――ですって?」
 秘書官からの報告を受けた大統領が、尋ね返す。
「はい。なんでも太陽系惑星連合宇宙軍所属の元軍人であったそうです」
 直立不動の状態で答える男性秘書官であった。
「事実なの?」
「はい。データ・ベースを検索したところ、該当の人物が確かに存在しました。登録されていた顔写真とも一致している、とカハヤ署のヤザワ警視から報告が上がっております」
 大統領は運ばれてきたばかりの紅茶を一口だけ、含んだ。
「クリストファ・アレン――その資料はこちらで出せる?」
「はい。直ぐに部下が資料を持ってくる手筈になっております」
 壁に掛けられた古時計を一瞥しながら答える秘書官。その部下がファイリングを行っている最中だろう、と言う推察は大統領にも行える。
「ありがとう――ううん」
「どうかなさったのですか? 大統領??」
 語尾を濁らせた大統領の言動に対し、秘書官は速やかに応じた。
「Chricetopher=Allen――これって、昔の友人の名前と同じなのよ」
 再度カップを持ち上げながら、大統領。
「そうですか――しかし、ありふれた名前ではありますね」
「そうでしょうよ。でも、嫌な偶然だわ」
「大統領の知っているクリストファ・アレンとはどのような人物だったのです?」
 自分の部下が資料をまとめて戻ってくるまでの私語であれば問題が無い、と判断した秘書は質問を掘り下げた。
「ミドル・スクール時代に地球に戻って行った子よ。クラスメートであり、大変な美男子だった」
「地球に、ですか――それは珍しい話ですね」
「そうよ。今でも忘れられない。ちょっとだけ、好きだったかも知れないわね、私」
 それはそれは――と、苦笑いを浮かべながら小さく呟いた男性秘書官であった。

 そんな内に、彼の部下である女性職員がファイルを抱えて入室を行ってくる。
「お待たせしました、チャン秘書官」
「ご苦労――大統領に直接、お渡ししてくれ」
 その左手を大統領に向けながら答える秘書官であった。
 
「ありがとう」
 礼を述べながら、大統領は手渡されたファイルを無造作に開いた。次の瞬間、目が点になる。
「フレデリック!! クリストファ・アレンはこの人で間違いないのですかっ!?」
 次席秘書官、フレデリック・チャンと女性職員は突然の大統領の絶叫にその体を大いに硬直させた。
「間違い、ありません――データ・ベースの不具合は検出されておりませんし、それに何より――その写真はつい先程、カハヤ署から送られてきた映像をプリントしたものであり――」

 大統領はフレデリックの言葉が終わるのを悠長に待ちはしない。
「カハヤに命じて、録画している現在の会談のデータを即時、転送させなさい! 前倒しで、私自ら確認します!」

「未だ、情報局がプロファイリングを行っている最中ですが――」
 不可能と悟りつつ、抵抗を試みるフレデリック。

「大統領、ジャニス・ハッシュポピー・シュバリエの名前で命令します! 急ぎなさいッ!!」
いよいよ大統領はバンッ、と卓を大きく叩き付けた。
「わ、わかりましたっ――」
 仰け反ったフレデリックは女性職員と共に、這々(ほうほう)の体(てい)で退室していった。

「まさか、まさか――そんなことが――」
 エテルナ共和自由国大統領、ジャニス・ハッシュポピー・シュバリエは引き出しの中から一つの額縁を取り出した。
 その集合写真の中では十五才だった自分を含め、テリー・ロイスと肩を組んだクリストファ・アレン少年がバレーボールを片手に、にこやかな笑顔を向けてきていた。


 有り得ない。


 彼は。

posted by 光橋祐希 at 00:00| 第一章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2709年01月01日

第II光:『光臨』 第一章 驚天動地 - II


 一連の説明を三十分余りも行い、ヤザワ警視から一時休憩の提案があってから小一時間が経過した。未だ、先方からのコールは無い。休憩とは名ばかりのものであり、先方として、充分な考察を行う時間が欲しかった為の建前であることは明白だ。恐らく今頃はありとあらゆるデータを専門の機関がクリーニングを行っている状態だろう、とクリスは推測していた。
「先方はどうも――太陽系側から我々の情報を受け取っている、と言う事は無さそうだな?」
 軍帽で自分の顔を扇ぎながらキリオ。
「ああ。そんな感じだったね――ヘイスティングめ、何を考えているのやら――」
 リーヌの中で幾度と無く、この件に関しての議論を交わしてきていた彼等であった。クリスの今後予想の中には、自分達がエテルナに到達する前に、太陽系側が自分達を重犯罪人と指定して、エテルナ政府に身柄の拘束要求なりを密かに打診する、と言うものがあった。カハヤの能力をもってすれば、フォーチュンの到着よりも早く、エテルナ側に通信を行うことが出来るのだから。
「でもまあ、どんな思惑にせよ、楽と言えば楽なんじゃ?」
 キリオが軍帽を戻しながら言ってくる。
「――そうとも言えないよ。向こうは平静を装っているだけ、と言う可能性もあるし」
 こちらは少しだけ苦い表情を作りながら、クリストファ。
「そっか――そりゃそうだ」
「まず疑って掛かる、と言うのは好ましいところではないけど……これも、仕方無しさ」
 そんなクリストファの表情は大変に暗いものであった。


   ◆ ◆ ◆

 結局、ヤザワ警視から再度のコールがあったのは一時間半後の事であった。

『クリストファ・アレン司令、大統領が自らお話しを伺いたい、との事ですが宜しいでしょうか?』
 自身も又、状況にその精神が追い付いていないのであろう。ヤザワはその表情の中に強い困惑の色をも含んでいた。
「はい。喜んで――ちなみに、こちらの資料では貴国の大統領はモンド・アバーレスク氏となっておりますが、間違いはないでしょうか?」
 クリスのこの発言はフォーチュンの中にある最新情報に依るものだ。もっとも最新とは言え、一年程も前の情報ではある。無論、エテルナの情報が太陽系に伝わるのに少なくとも数ヶ月を要する、と言う特殊状況がその根底にあるからだ。
 だが、こんなクリスの言葉に対し、ヤザワはその表情を幾分、改めた。
『――えー、実は先月、件の大統領は罷免されており、現在は新しい大統領になっております――ジャニス・ハッシュポピー・シュバリエと言う女性の大統領です』
「変わったお名前ですね――シュバリエとは、しかし?」
 敢えて『罷免』には触れず、クリストファ。
『はい。国民の支持率が90%を越えた場合、『シュバリエ』姓を名乗る事を許される風習が本国にはございまして――』
「なるほど、大シモーヌ・シュバリエに肖(あやか)って、と言うことですね」
『はい、左様です。では、そろそろお繋ぎして宜しいでしょうか?』
 クリスの口から彼等が敬愛して止まないシモーヌ・シュバリエの名前が出たことに歓びを示しながらヤザワが答える。
「宜しくお願いいたします」
 クリスは深く、一礼を行った。

    ・
    ・
    ・

 お繋げします、とフレデリックが述べてくるのに対し、大統領は小さく頷いた。場所は大統領官邸、特殊通信室。その背後に数名のブレーンが待機を行っており、国防委員長のアーサー・ラウンドが大統領の背後に構える。まさか、こんな仕事が発生することになるとは一顧だにしていない国防委員長であり、その背筋には滝の様な汗を掻いてしまっている。着任早々、とんだ貧乏クジを引いてしまった――とさえ。

 メイン・ディスプレイに映像がゆっくりと映し出された。自分の不幸な身の上は取り敢えず忘れ、国防委員長はその背筋を正す。
「こちら、エテルナ共和自由国87代大統領、ジャニス・ハッシュポピー・シュバリエです――」
 画面の人物は、敬礼を行ってきた。なお、大統領の気付くところではなかったが、これは宇宙軍式の最敬礼であった。
『ご丁寧な挨拶、痛み入ります。強襲巡洋艦フォーチュン総司令官、クリストファ・アレンと申します。お目に掛かれて光栄です、大統領閣下』
 その内に様々な感情が溢れ掛ける。ジャニス・シュバリエはその精神を平静に保つのに尋常でない労苦を背負わねばならなかった。
「堅苦しいお話しは後程致しましょう。ざっとの経緯はヤザワ警視からお聞きしました。あなた方の行動に対して、心からの敬意を表させていただきたく思います――アレン司令」
 大統領として当たり前の声を出すことが出来て安心しながら、ジャニス。
『そう言って頂けると、非常に報われる思いが致します、閣下』
 画面の中のクリストファ・アレンは実際に軽く息を吐きながら、答えてくる。
「幾つか確認させていただきたい点が御座いますけど、宜しいかしら」
 ブレーンを含め、自分自身も作成した質問事項を載せられたウィンドウを自端末で立ち上げる。
『ご随意に』

    ・
    ・
    ・

 大統領はクリスの言葉を受ける度に、実に多くの感情を伴わせた反応を返してきた。

 正直、クリスとしてはそんな大統領の所作振る舞いはエテルナと言う大国の長であるにしては、不適切であるようにも感じられたが、個人としては全く、気分を害するところでは有り得なかった。
 実に、そんな大統領に対して強い好感を覚え始めている自分自身であることは自覚している。自分の隣で、時折補足を付け加えているキリオや、艦内全体にてこの会談を見守っている連中も同じ感想を抱いていることだろう。

 大きく相槌を打ち、大口を開けて驚きを表し、その頭部を両の手で抱えて嘆き、時には笑い声まで立てる。

 平時の際の大統領とはこんなものなのか――やや、人が悪いことを考えてしまうクリストファ・アレンでもあったが。

『ふう――どうも、通信越しと言うのも快適じゃありませんね』
 質問の全てが終わったとも思えないが、大統領は些か演技的に手元の書類を集め纏めた。
「同感です」
 大統領が続ける言葉を半ば予測しながらクリス。
『アレン司令、エテルナ本星にいらしていただけませんか? 差し支えなければ、の話ですが。場合によっては私が自らそちらに伺っても宜しいのですが』
 大統領の背後に立っていた国防委員長が、露骨に体を揺るがせるのが目に入った。それはそうだろう――クリスは一瞬、そんな国防委員長に対して同情の念を抱いた。
「いえ、私が伺うべきだと思います」
『そうですか――その場合、こちらから船を出させてもらいましょうか?』
 フォーチュンで突然に降りられてきては堪らない、と言うところであろう。だが、クリスは敢えて言質を与える選択は回避した。
「――お心遣いは有り難いのですが、その点に関してはこちらも部下――達と話を行う時間を頂いて宜しいでしょうか?」
『勿論ですわ』
 にこやかに返してくる大統領の顔を眺め、もしかしたらとんでもなく食えない女史なのではないか、と言う疑念がクリスの心を過ぎる。

    ・
    ・
    ・

『私は反対です!』
 誰の発言かと思いきや、なんと指揮卓上のペット・ロボット(猫型)であった。有志の尽力により、マックスの玩具だったペット・ロボットを改良したものをアテナが遠隔操作をしているのである。そのアイカメラの捉えた映像、センサーの捉えた音などはリアルタイムでアテナへと転送されている。ちなみに、その見た目はネコそのもの――と言うよりはネコをモチーフにしたディフォルメ・マスコットに近い物ではあった。マックスの遊び相手となるか、艦橋の指揮卓上でゴロゴロしているのが通常であり、時には暇を持て余している人間の話し相手を務めることもあった。この時はたまたま、艦橋にその居場所を定めていた、と言う事だ。
 そんなアテナのコントロール下に置かれたネコは器用に直立を果たし、その両腕(前脚?)を大きく挙げながら、反意を示している。
「アテナ、お黙りなさい」
 アテネコ(名前)の頭をクリスはごりごりと撫でた。
『黙りません! ロードをみすみす、得体の知れない地に一人で行かせるなど、到底承服できません!!』
「――得体の知れない地って……」
 腰に手を当て、右手を大きく振りながらのアテナの言葉に苦笑を禁じ得ないクリス。
「司令、それでもアテネコの言い分にも一理ありますよ――危険かも分かりませんし」
 ムラサメ艦長がその艦長席から声を落としてくる。
「いや、あそこまで大統領に言われて断るのは失礼だ。危険は承知の上だが、致し方あるまい」
「俺も一緒に行こう。それと何人か連れて行くか?」
 自分の胸を親指で強く示したキリオは、自分自身の随伴に関しては一歩も引かない構えのようだ。
「――いや、行くとしたら僕とキリオだけで充分だ。確かに、何かが起こらないと言う保障は無い――」
 前髪を撫で付けながら、クリス。
「私もご一緒――」
「ソフィ、君には残ってもらわないと困る。フォーチュンの指揮権を全て、君に一任する。何かがあったら、思うように行動してくれ」
 艦長の言葉に強引に割り込んだ。上級指揮官が三人も抜けるのは論外。
「そんな――」
 尚、言い募ろうとするソフィに対してクリスはその顔を強張らせた。
「もし――何かがあったら――エテルナの深海に潜るなり、アステロイド帯に篭もるなりしてくれ。三年間は問題ないだろう、この船であれば――状況が変わるのを待つのが一番の得策かとは思う」
「――分かりました」
 半ば、泣き出しそうなソフィの顔ではあった。
「整備班に連絡を。練習機のワイヴ79号機に、大気圏突入ユニットの装着を行って貰う――」
「それと――」
 クリスは、アテネコの尻尾を二度、強く引いた。
『ロードッ――』
 主電源をカットされたアテネコは抗議の念を示しつつ、その場で完全に停止した。ふにゃあん――と最後に小さく鳴いて、その場で四肢を折り畳んで目を閉じた。
「――フローラに、ライト=ブリンガのプロペラントを全て、抜いておくようにお願いしてくれ。機動が行えないように徹底してくれ、と。何をするか分からないからな、彼女は」

    ・
    ・
    ・

『お待たせしました、大統領閣下』
 待つことほんの数分、フォーチュンから通信が送られてきた。
「いえいえ、大した事ありませんわよ」
 事実、素早すぎる程の返答でもあったので、この大統領の返答は言葉通りの意味を持っている。その姿勢を戻しながら大統領は目前の書類の束をその脇へ追いやった。
『こちらの専用艇でエテルナ本星へと向かわせていただきたいと思いますが問題はありますか?』
「その専用艇は非武装でしょうか?」
 純粋に如何なる種類の艇なのかを知りたかった大統領であった。
『ええ。原形は航宙戦闘機ですが教習機と言う事で一切の武装はオミットされております』
 問題在りますか、とは付け加えなかったが、その表情が口以上に物を言っている。ジャニスはそんな相手を安心させるために小さく頷いてみせた。
「問題ありません。了解しました。念のため、こちらから護衛機をお出しさせていただきますが」
 国防委員長には彼等の単独でのエテルナ訪問を快く思っていない節が見えたが、ジャニスは彼等の意向に全面的に添うつもりでいた。それでも、護衛機を付けなくてはならないのは大前提ではあった。この申し出を蹴飛ばしてくれるなよ――と心から願いながらの大統領の言葉である。
『構いません。誘導に従えば宜しいのでしょう?』
 即答。

「はい。航宙警察から三機、派遣させていただきますので、指示に従っていただければ幸いです――」

 ジャニス・ハッシュポピー・シュバリエは一つ、大きな息を吐いてから言葉を続ける。
「――そして、これが重要なのですが……貴船フォーチュンはその宙域に留まっていただきたく思いますが宜しいでしょうか――」
『とは――?』
 彼のこの尋ね返しは、事情をおおよそ認識しておきながらの言葉であり、空々しい響きを併せ持っていた。ジャニスは目の前の男がただの軍人では無いことをいよいよ悟りつつあった。
「はい。正直申しまして、現段階で国民に無用の混乱を与えたく無いのが本音でして――」
 型通りの返答を返す。もっとも、それが一番事実に近い。
『心得ました。艦長に命じておきましょう』
 画面の中のクリストファ・アレンは軍帽の鍔に手を掛けつつ、頷いた。

「感謝します、アレン司令」
『こちらこそ、大統領』
 通信越しでの会談はこれにて終了と言う雰囲気が両者の間を等しく流れ始める。先程からタイミングを窺っていた秘書官から差し出された一枚のメモを手に取ってその内容を確認したジャニスは。
「護衛機をこれより向かわせます。以降、パイロット・リーダーの――ええと――リヒャルト・ゾーン警部補の指示に従ってください」

『はい。次はエテルナにてお目に掛かることになりますな。しばしの間だとは思いますが、ご機嫌よう、大統領閣下』

「お待ち申し上げます」


    ・
    ・
    ・

『それじゃあみんな、行ってくるよ。オミヤゲ、期待してろよ』
 ワイヴァーン79号機(複座仕様)のコックピットに乗り込んだクリスが大きく手を振った。
『ご無事で――』
 音声だけのメッセージがムラサメ艦長から届けられた。
「ソフィ、後は宜しく。万が一の場合は、君の独断で行動して良いからな」
 馴れないパイロットスーツ着用のキリオの補助を行いながらクリス。副司令官こと、ヒムラ・キリオがその全部座席。総司令官クリストファ・アレン自らがワイヴァーンの手綱を握る。
『了解。キリオさん、司令を宜しくお願いします』
「お願いされよう、艦長。不良技師達の面倒、ビシッと見てやってくれよ」
『はい。分かりました。お二人とも、お気をつけて』
 名残は尽きないのだろうが、ソフィは自ら身を引いたようだ。

「「ラージャ!」」

 クリスとキリオの言葉が重なった。

    ・
    ・
    ・

『79号機の以下のコール・サインはいかがいたしましょうか』
 メイン・オペレーターであるシャルロッテの声が79号機の空気を震わせる。
「任せる。面倒だ。適当に考えておくれよシャリー」
 各種電子系のチェックを無駄無く行いながらクリス。
『Yahhhhnn…(りょーかいっす)、じゃあ月並みですけどANGEL01と言うことで』
 クリスとキリオは同時に吹き出した。
「どこが月並みなんだか…まあ、許す…いいよな?」
 振り返りながらキリオ。未だ、ヘルメットは装着していない。
「フォーチュン管制、了解した。以降、79号機のコール・サインはANGEL01と確定――」
『Fortune favors the Braves!!(幸運の女神は勇者達に愛を向ける)』
 サブ・オペレータのナナが張りを含んだ声を上げてくる。

 電子系、操縦系、一切異常なし。FIRE CONTROL(火器管制)に纏わるチェックが無いとこれほどに楽だとは――クリスは一人、苦笑した。含み笑いの音が漏れたのか、教習生席のキリオが訝しげに振り返ってくる。なんでもない、と答えてから、クリスはキャノピ(風防)の密閉を実行する。
「クリス、オミヤゲ、待ってるからなあッ!!」
 閉じる間際、そんな肉声を飛ばしてきたのはフローラだった。二次装甲に覆われる寸前に、キリオとクリスは揃って親指を立てて示す。
「ようし!! 出撃する!!」
 クリスは宣言。
「――出撃じゃねえって」
 露骨に苦い笑い声と共に、キリオ。
「――すまん」

 クリストファ・アレンは心から赤面した。


   ◆ ◆ ◆


 同時刻、フォーチュンに向けて飛行中の『護衛部隊』――正式にはエテルナ航宙警察カハヤ署所属、特殊巡視機動部隊所属『ロンド』隊。

『信じられますか、警部補殿――』
 クリストファ・アレンの搭乗する機体をエテルナ本星までエスコートせよ、と大統領直々の命令を受けたリヒャルト・ゾーン警部補に弱々しい言葉で訴えてきたのは部下の一人、ナグモ・イドリス巡査であった。
「信じるも何もない。目の前にあるのは幻では有り得ない。現実だ。それともお前、自分の愛機と何よりも自分の目を信じることができないのか?」
 腕は立つが、どうもその精神面にまだまだ甘さが残る――そう考えながら答える警部補であった。
『ですが、900メートル近い船舶だなんて……しかもこれ、どうやら軍艦でしょう?』
 「ナグモ巡査、当て推量で物を言うな。我々に課せられた任務のことだけを考えろ」
 いい加減に癇に障り始めた警部補の言葉は冷たく、現実的だった。巡査は二の句を接がない。
『まあまあ、イドリスも、警部補も、落ち着いて。もっとフラットに行きましょうや』
 通信に割り込んできたのは最後の部下、リー・パルク巡査長だった。
『――フラットに……心掛けます』
 ナグモ巡査が素直な返答を行ってきた。
「まあ、俺も言い過ぎた。だが、任務は任務だ。リーが言うようにフラットにあたれ」
『『アイアイサー』』


   ◆ ◆ ◆


「閣下、宜しいですか?」
 マニキュアを塗り直している大統領に対し、国防委員長アーサー・ラウンドが執務机の上に両の手を突いた。
「宜しくないわ――アタシ、忙しいの」
 マニキュアの『乗り』を慎重に眺めながら大統領。国防委員長はそんな返答を受け、見るからに萎んだものだった。
「――ごめんなさい。冗談よ。何、国防委員長?」
 冗談に聞こえない、と口に仕掛けたラウンド国防委員長であったが、無論口には出さない。
「SWAT(Special-Weapon-Attack-Team=特殊火器装備部隊)の出動要請が出ていないようですが、これはどういったことでしょうか?」
 大統領はフン、と息を指に吹きかける。お気に入りのマニキュアではあるが、どうも速乾性は今一つ。
「聞いておりますか――大統領」
「聞いている。出動命令は出していない。それだけ」
 それだけを答えると大統領は右手にマニキュアを塗る作業を開始した。
「かのクリストファ・アレンがテロリストで無い、と断定する情報はありません。どうか、御一考を――閣下」
 大統領はその手を止めて。
「アーサー・ラウンド」
「はい」
「あなた、彼等の立場に立ってご覧なさい」
「???」
「わざわざ、安全地帯である母船からホイホイと降りて裸同然になることが出来て?」
 あなたは大統領になれそうにないわね――あわや、口にするところだった。

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2708年01月01日

第II光:『光臨』 第一章 驚天動地 - III


 CAUTION…WARNING…

 いけない。ロード自らの命令を受けはしたが、到底承服できない。

 いけない。


 誰?


 何が――?

 お前は誰だ。


 駄目――いけない。

    ・
    ・
    ・

「手伝ってくれて、ありがと。助かったわ、ミラン――」
 整備クレーンの上から右腕を出しながら床面のミランダに声を投げたフローラである。
「いえ、手伝いって程じゃないですよ――それより」
 手元の専用端末に、抜き取ったライト=ブリンガのプロペラント(増漕)を整備ブロックへと収納する命令を打ち込みながらミランダが声を続けた。
「――アテナが落ち着かないみたいなんですよね。……私、もうちょっと『彼女』の傍にいます。フローラさん、他にもやる事あるでしょう?」
「落ち着かない? ――んしょっ」
 数メートルの高みから、その長身を飛ばし降ろすフローラ。危なげは全く無い。
「司令の命令もあって、そのマスター電源を諸共に落としはしたのですが、彼女――眠ってくれていないみたいなんです」
 完全整備状態に置かれているRLの姿は両の腕を投げ出して項垂れているようには見える。フローラは一つ頷いてから、ミランダの肩に手を回した。
「分かった。じゃあ彼女はお願いね。私、一応のスクランブルに着くからさ」
 左腕に刻まれた『シルフィード(風の妖精)』を叩く。
「そちらには私は着かなくても良いですか?」
 同じ『シルフィード』の意匠をミランダは示し返した。フォーチュンにあって、このマークを腕に刻んでいる人間は五名しか存在しない。
「実戦は未だ、あなたには無理よ――勿論、そんな退っ引きならない状態にならないことを期待するけどね」
 最後に強くミランダの背中を叩き、フローラはその赤毛を大きく揺らして笑った。

    ・
    ・
    ・

「リンダさん、キリオさんのお見送りに行かなくても良かったのですか?」
 朔風館で食事を一人で摂っていたリンダ・フュッセルに対し、意外そうな顔付きで述べてきたハタナカ・ダイサクである。その両手に抱えられたプレートにはカツ丼の特大盛りが乗せられている。
「――見送り? なんで?」
 同じくカツ丼――こちらは並盛り――を進めながら、リンダは質問者と等しい怪訝な表情で答える。
「――なんで……って言われるとこちらも困るんですが――」
 リンダと同じテーブルに腰を落ち着けながらダイサク。
「こっちは【メンテナ】の開発でテンヤワンヤだわよ。あんな宿六(ヤドロク)の心配をしている暇なんてありゃしない」
 どこか不機嫌そうに付け合わせの『たくあん』をボリボリと囓る。
「シム(シミュレーションの略)の結果はオーライが出たんでしょ――ヤオ判定」
 先に玄米茶を啜りながらダイサク。
「動いただけよ。忘れちゃ駄目。戦闘兵器なんだから」
「主任の【ver.α】とは全く別物なのですか?」
「――そうだね。コンセプトはほとんど同じ。ただ、キリオのはちょっとアタシから言わせると――なんというか、品が無いってゆうか――一緒にして欲しくは無いなぁ」
 当の本人が聞いたら大変に機嫌を害しそうなリンダの発言だ。いずれにせよ、ダイサクを始めとして、ほとんどの人間はリンダとキリオが自ら開発に当たっている【ライト=ブリンガ】の『【team-α】版』とでも表現するべき機体についてのことは全くと言って良いほどに知らないのである。リーヌ航海中において『量産型航宙艦』のベース・プランを3パターンと、現行の主力航宙戦闘機【ワイヴァーン】の性能を越える機体の開発を終了していた彼等ではあったが。
 無論、その何(いず)れもが机上のプランに過ぎないことは述べるまでもない。搭載していたワイヴァーンの各部をバラして考察に当たると言うことまで彼等は行ったが、戦闘機をまるごと一つ、建造するような設備も資源まではさすがに『フォーチュン』には積まれているところでは無かったのである。

 ちなみにダイサクに限らず、多くの人間にとって『各』RLに関しては当事者達が気の向いた時に漏らす発言の断片から推測を行うことしか出来ないでいる。



 ヒムラ主任の【RLα(仮名)】は『護』が。

 リンダ姐さんの【ライト=メンテナ】は『攻』が。

 コンセプトとして据えられているらしい――



 今の所、スタッフ達が茫洋と認識している情報はこんな程度のモノに過ぎなかった。

 そこまで厳しく秘匿を行っているという点に関して、表向きの理由は『部下達に迷惑を掛けたくない』と言う事をキリオもリンダも折に触れて言ってはいたのだが、それは正に表向きに過ぎないことは誰の目から見ても明らかなことであった。

「――なんかさあ、二人とも単に意地になっちゃってるんだよな」
 ある日、『一杯呑み屋 〜赤提灯〈改〉』で焼き鳥を摘みながらオリバーは相棒のチャーリィに言ったものだ。
「へえ――やっぱりエンジニアとしての、ってことかいな」
 熱燗を傾けながらチャーリィ。そんな二人の様子を店の親爺ことキムは微笑ましく眺めやっていた。マエダ・ユキノのプロデュースを受けた結果、人々が足繁く通ってくれるようになった。素晴らしいことだ――そんなささやかな幸せに浸りきっているキムの視界にノソリと現れたのが噂のリンダ・フュッセル女史であったことを当然、キムだけが知っている。オリバーとチャーリィにとっては死角もいいところだ。と言うより、背中を向けているのだから。
「特にリンダさんは完全に主任に対するライバル意識ブリバリって感じだよ」
「ふんふん」
 互いの湯呑みに熱燗を注いで相槌を打つチャーリィ。
「っつうかあの人って昔からそう言うところがあってさ――」

 ――おいおい、君達いい加減にした方が良いよ


 キムは心の中で滝の様な汗を噴出させた。噂の当人が彼等の真後ろにいるのである。露骨に注意を呼び掛けるのもどこか憚られ、キムは懊悩した。そんな親爺の胸中を知ることもなく、二人の会話は続く。リンダは彼等の後ろで微妙な微笑みを湛え続けていた。

「でもリンダさんの場合、それはありそうだね」
「そうそう。本当にガキっぽいんだから――へぶちっ」

 店の看板、文字通りの『赤提灯』によって二人がその背後から強襲を受けたことは述べるまでも。

「看板を凶器にするのは止めてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ――」
 キム・レクソールの悲痛な叫び声が。


    ・
    ・
    ・

「指定宙域に感有り。通信を開くよ――キリオ」
「いちいち確認を取らなくても構わんよ」
 キリオは機外の様子をいささか神経質に眺めながら答える。今や79号機の乗員であるこの二人組みは気密服を完全に着用していた。
「――キリオ、念の為にバイザーを下げろ。チューブの確認はこちらでも出来るけど、最後に目視で確認しておくのを忘れないで」
 自らのヘルメットから通信ケーブルを引き出して機体備え付けの通信ジャックに芯を慎重に差し込みながらクリス。
「了解――いやしかし、絶景かなぁ」
 視界のほとんどが漆黒の宇宙空間に締められている状況にキリオは溜息を吐いた。かく言う彼にとって、艦載機での飛行というのは初めての体験に他ならない――機動テストの名目で月面を滑るように飛んだ記憶はあったけれど。そんなキリオはクリスの言い付けを思い出しながら、自らのバイザーを閉じた。その逼塞感たるや相当なものではある。酸素を摂取できるだけ、と言うシステムでしかないのだから当然である。大昔の宇宙飛行士達の労苦はこの比ではなかっただろうが。
『こちら、『フォーチュン』発、79号機。搭乗人員は申告の通り、クリストファ・アレンとヒムラ・キリオの二名であります』
 クリスの綺麗な声がキリオのメット内にも等しく響く。
『こちら、カハヤ署、特殊巡視機動部隊――通称『ロンド』隊であります』
 微かにブツブツと音を混ぜながら、それでもクリアな音声が飛び込んできた。
『了解――大統領から窺ったリヒャルト・ゾーン警部補であると推察いたしますが?』
『如何にも。リヒャルト・ゾーン、そしてその他二名二機にて貴機の護衛任務に当たらせていただきます』

    ・
    ・
    ・

 程なく合流を果たしたリヒャルト・ゾーン警部補が率いるロンド隊とワイヴァーン79号機。もはや、キリオはその相手の機体の細部に至るまでを目視できていた。なかなか頑丈そうなフレームだ。今は収納されている翼は大気圏内での機動をも可能とする機体であることを示しているのだろう。

 ――いい仕事、してますなぁ

 そんなエテルナ航宙警察の機体設計者に対してそんな労いの言葉を掛けたくなるキリオであった。大気圏内での機動と真空の宇宙空間での機動を両立させるのは簡単なことではない。なお大気圏突入用、並びに圏内機動用のユニットを装備しているこの79号機(教習機)もまた、相手側からの熱い視線を受けている。

 曰く、ミリタリーオタクのナグモ・イドリス巡査。
『すっげぇ……ホンモノの【ワイヴァーン】だ……』

 武装はオミットされているものの、戦闘を前提に置いた機体の持つ力強さに震えに近い物を怯えながらの独り言。カラーリングが白とオレンジなのは教習機であるということだろう。事実、本来は単座で在るはずの機体だが、自分の目の前で静止している機体は複座であった。


『理想的な大気圏突入機動をこちらが算出させていただきましたが御一考願えますでしょうか?』
 データの諸元を同時に送付しながらのゾーン警部補の太い声が響く。クリスはそんなデータを一瞥。突入角度、突入速度、そして目的地までの燃料消費量を瞬時に計算。
『確認させていただきましたが、問題はありません。これで行きましょう』
 驚いたのはゾーン警部補だけではない。キリオは実は自らもその計算に当たっていたのだが、彼が『解』を捻り出すよりもクリスの結論を含んだ言葉は遙かに早かったのだ。
『早いですな、アレン殿――』
 焦りを含んだ苦笑を作りながら、警部補。
『タイミングに関してはそちらにお願いします』
 クリスは声のトーンを一切、変えないで答えた。
『了解しました。差し当たって、我々に付いてきてください。先頭に自分が――貴機の両翼に部下が付きますので』
 事務的な声に戻しながら、ゾーン警部補が。
『お手柔らかに』

    ・
    ・
    ・

『ところでお前さん、大気圏突入なんてやったことあるのか?』
 キリオが器用に前席からヘルメットごと振り向いてきた。
『無い』
 薄いスモークが掛けられたバイザーの中でクリストファ・アレンがどう言った表情を構成しているのかの見当は付きにくい。無論、キリオはその心臓を大きく跳ね上げた。
『ななななな――無いって――』
 両の腕をぶんぶんと振りながら、キリオ。
『シミュレーションを二回だけ、軍にいた時に行った。大丈夫だよ』
 人の悪いクリスは一つ、付け加えた。

『泥船にのったつもりで安心したまえ、キリオ――』


『やだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!』


 ヒムラ・キリオの哀しい絶叫が響いた。

    ・
    ・
    ・

「機体状況、異常なし。突入準備完了」
 目まぐるしく変わる計器類に素早く目を走らせながら、クリス。
『確認。予定ではトリトン湾に降下する手筈になっております』
 トリトン湾という響きはクリスの脳内には刻まれてはいない。それを察してかゾーン警部補が言葉を付け加えてきた。
『――アルタミラの北西、約540キロと行ったところです』
「なるほど、楽しみですね」
 社交辞令を織り交ぜて返信を行っておきながら、クリストファは79号機の大気圏突入専用装甲――通称『エア・サーファー』の展開命令を入力した。金属同士の擦過音がコックピットにも伝わってくる。
「おやおや、どうやら向こうさんはそのまんま突入するらしいね」
 前席でキリオが呟く。何か手伝うことがあれば良いのだろうが、自分の体以上に航宙機を操ることの出来るクリストファ・アレンと一緒とあっては彼が手伝えることは全く、存在しなかった。先程までは叫び声を上げたりもしていたが、もう戻ることもできない以上、彼としては腹を括るしかない現実があったこともある。
「冷却剤を巧みに纏うんじゃないのかな。多分」
 サーファーの展開を画面上と、そして確認を行える範囲で目視を行いながらのクリスの言葉だ。
「ふむ、確かにあの形状であれば考えられるな」
 クリスの観察眼の鋭さに脱帽するキリオ。

『こちらの最終準備完了。一切問題なし』
 ゾーン警部補のヘルメット、右チャンネルからのクリストファ・アレンの返答だ。
「了解しました。それでは、しばしの間、お別れですね」
 護衛対象機における何かしらのパーツ――大気圏突入用の特別ユニットだろう――の変形はゾーンの両目にもしっかりと捉えられていた。
『まあ、十分後にでも』
 この時代にあって尚、大気圏突入時の無線の使用が不可能となる時間が存在する。ブラックアウトと呼ばれる現象であり、突入速度、角度によってその時間は当然、異なってはくるのだが、アレン氏が示してきた十分と言う時間は相当な余裕を意識したものだった。
「了解。ご無事をお祈りします――それではまた、後程」

    ・
    ・
    ・

『ふはあ、本当に碧(みどり)色なんだな、エテルナって』
 降下モーメントのカウントが三十秒を切った中で、キリオがそんな声を上げてくる。クリストファに念を押され、バイザーを完全に閉じた状態での発言だ。
『成分組成が地球の海とは異なっている、って聞いたことがあるな――』
 刻々と減っていく数字を眺めながらクリス。
『綺麗だ。みんなにも見せてやりたいな』
 ディスプレイの一面に広がるエテルナの『碧』を目の当たりにしたキリオは心からそう思ったものだった。
『録画しているよ。後で上映会だな、こりゃ』
『さすがは総司令、抜かりがありませんな』
『そういうこと――さあ、きちんと正面を向いておけよ、キリオ。そろそろ突入だ』
 ミシミシ、と何かが軋む音がコックピット内にも伝わってくる。キリオは大きく生唾を飲み込んで、その姿勢を正す。

 電子音が一つ、軽快に鳴った。

 管制端末表示に『大気圏突入』の赤文字が点灯。


『Gooooooood Morning, ETERNA!!』

 キリオは大きく、そう叫んだ。
posted by 光橋祐希 at 00:00| 第一章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2707年01月01日

第II光:『光臨』 第一章 驚天動地 - IV


「閣下、そろそろ定刻ですね」
 大統領官邸専属のウルトラ・スーパー・グレート・ワンダフル・デリシャス・メイド、マリーベル・リンス嬢が陶製の水差しをご主人様に示した。彼女のご主人様は女性で、このエテルナ共和自由国において、最大の権力をその手中に有する――大統領であった。
「ありがと」
 捧げ上げられた文字通りのシルバートレイ上の水差しを大統領は手に取った。今の彼女の体は必ずしも水分の補給を要求してはいなかったが、マリベルの心遣いに答える為の一連のアクションであった。
「突入角度に依りましては到着時間に遅れが生じることもあります。閣下、どうかロビーにてお待ち下さい」
 国防副委員長、イム・ランザが仁王立ちを決め込んでいる大統領の背後から声を掛ける。
「いやよ」
 振り向きもしない大統領。その長髪がトリトン湾から上がってくる強風に煽られて大きく波を打つ。現在、彼女を含めたSPを含む数十名はアルパイン空港の第一滑走路脇の仮設テントに控えている。なお、大統領は仮設テントに設置された専用座席にて悠長に座を決め込むつもりにはなれず、テント外で仁王立ちを行っていた。
「……ここは風も強いですし、お体に触りはしますまいか、と副委員長は仰っているのではないですかな、シュバリエ公?」
 この慇懃無礼な物言いは大統領を除いた人間の懐に潮風を盛大に巻き入れた。これは副大統領こと、イアン・ハーフヒルの発言であり、白髪と等しい色となってしまった長い髭が印象強い男性である。何も知らない人間がこの光景を目の当たりにすれば、とてもジャニスの方の序列が上であるとはとても思えないだろう。下手を打てば、見るからに若い女性のジャニス・ハッシュポピーは副大統領にすらも見えないはずだ。
「ご老体には厳しいでありましょうな。構いません。私はここに留まります故、副大統領は『温室』へと戻られい」
 更に大統領が慇懃無礼にも到底及ばない毒舌を奮った。取り巻きにとり、これはネェル・ヨコハマ名物のヴァィンツル颪(おろし)に等しい。大統領と副大統領の仲が良好でないのは今に始まったことではなかったが、これはやや行き過ぎだ。その場の誰もがそう感じた。前大統領の所属していた『共民党』が一連の『リッテンバウム汚職事件』でエテルナ国民の不興を買ってからはや二ヶ月。大統領の罷免にまで及んだエテルナ史上最悪と呼ばれる汚職事件は国会に圧倒的議席数を有していた共民党の支持率をも激減させた。だが、それでも余勢を保っていたそんな共民党は辛うじて、息の掛かった数名を政府高官の位置に残すことが出来たものだった。イアン・ハーフヒル氏は副大統領と言う事もあって、事実上の共民党が最高権力者であった。
「おやおや、なかなか辛辣なお言葉――老体には堪えますなぁ」
 表面上は平静を装った副大統領だが、周囲の人間としてはそれこそ気が気ではない。
「大統領閣下がこの場に留まられて、卑賤の身が落ち着いていられましょうか」
 続いたこの言葉にも、ジャニス・シュバリエは答えない。ただ、滑走路脇で腕を組んで仁王立ちを続けていた。

 大統領の黒髪を再度、潮風が大きく波打たせたその時だ。SPの一人が静かな、だが確実な歩幅を守りながら大統領の下へと歩んできた。その片手には無線機が握られている。
 「閣下、ゾーン警部補より連絡。全機、大気圏の突入に成功――とのことです。ここ、アルパイン空港への到着はこれより七分後、との事です」

「分かりました――」
 SPの言葉に人知れず、その胸を撫で下ろしながら大統領は表面上は簡潔に答えた。そんな大統領の胸中をこの場で唯一、正確に察することが出来るマリベルはただ、静かにトレイを持ち上げる。この両者はプライベートにあっては友人と評しても差し支えない仲ではあるが、この段階でマリベルは彼女のご主人様の補佐を行うことは出来ない。
「ありがと」
 答えながら、大統領は再三、水差しの中身をグラスへと注ぎ、一気。

 アポロンの光を直視して。その青空に向かって大きく腕を伸ばした。


 クリストファ・アレン。

 会ってみたい。

 彼は、本当に私の知っているクリスなのだろうか。





 仮に違ったとしても、会ってみたい。どんな男だろう。



 仮に知っているクリスだったら。


 私は、どうするべきだろう。


    ・
    ・
    ・

『ほぉれ――キリオ、目を開けろ。綺麗だぞう』
 緊張感の一片も含まれない、のんびりとした声がヒムラ・キリオのヘルメットの中を木霊した。
『ああ、悪い――とんだ小心者だなぁ』
 自分が目を閉じていたことを看破されて、どうにも心不味いキリオではあった。強い振動と、何よりもエテルナの大地が正に燃えているように映るモニターを凝視するのは苦痛以外の何物でも無かったのである。付け加えれば、少しだけ気分が悪い。
『ほう――』
 けれど、キリオの目の前に広がっている光景はそれはそれは美しいものだった。ただ、全面的な美とは受け入れ難いのは自分が『地球人』である所以(ゆえん)であろうか。『海は青いもの』と言う認識が強いからだろう。が、そんな先入観を抜いてみれば、この淡い碧色の海を受け入れることもできよう。そんな認識を自分が持つに至るまで、それほどに長い時間を要とするとは思わないヒムラ・キリオではあった。
『ライダー、収納。主翼、並びに尾翼を展開――』
 クリスのそんな言葉からほとんど時間を置かずして各種大気圏内飛行用のパーツが物理的に展開されていく。
『あれ、そう言えば先程の航宙警察の連中は?』
 全周囲を大きく見渡しながら、キリオが尋ねてきた。
『あと十秒ほどで視界に入ってくるだろう。良かったな、先生。突入速度はどうやらワイヴァーンの圧勝らしいぞ』
『YEAH!!』
 バイザーを上げて、その笑顔が充分に刻まれた顔で振り向いてきながらキリオ。

 クリストファ・アレンの予言通り、遅れてきた『ロンド隊』がその両主翼部から薄い煙を引きながら降下を行ってきた。
『こちらゾーン警部補。アレン殿、応答願います』
 非常に鮮明な通信がワイヴァーンのコックピットに響く。
『こちらアレン。通信は良好です――オーヴァ』
 そんな航宙警察の機体を望遠映像で熱心に眺めているキリオの後ろ姿に苦笑を覚え掛けながらのクリストファ・アレンの返信だ。
『いやはや、よもや当機が十秒以上も貴機より遅れるとは想定しておりませんで――』
 更に帰ってくるゾーン警部補の声はどこか沈んで聞こえる。クリスと全く同じ内容の通信を耳にしているキリオが前部座席で親指を大きく立てる。
『まあ、こちらはユニット・タイプですから――そちらの機体、名前は存じ上げませんけれど宇宙空間と大気圏内の機動を両立させているというのは非常に便利で宜しいですね』
 どこか、先刻キリオと交わした会話に等しいものとなってしまっているが、半ばの社交辞令でもあることではあり、クリストファは気にしていない。
『はっはっは――お褒めいただいてありがとうございます、アレン殿。なお、当機の名称は【シュベルト】と申します』
 クリスはその眉根を寄せた。ドイツ語の造詣は深くはないが、知識の範疇にある単語だ。
『シュベルト――『剣』と言うことですか。それとも大シュバリエに引っ掛けられているのでしょうか?』
『どうでしょうね…無学で申し訳ありませんが、私はそこまでは知りません――と、それどころではありませんな。ええと――』
 思わず任務外の会話を行ってしまっていたことに今更ながら気付いたゾーン警部補と言うところだろうか。クリスは声を立てず、苦笑した。
『先鋒を部下の一人が取ります。前面に出た機体に着いて行って下さい。私と他のもう一人が貴機の両翼を護衛させていただきますから』
『心得ました、ゾーン警部補』


   ◆ ◆ ◆


「ねえ、なんで。なんで、飛行禁止なのよッ!?」
 マリーカ・フランシスはその細い指を空港職員の一人に強く突き付けた。
「相済みません――該当の航路は現在、政府によって堅く飛行を禁じられております故――」
 全く罪のない空港職員はその頭をカウンターで低く低く下げた。
「――政府政府……何だか臭うわね――もう良いわ、ありがとう」
 物騒な言葉を残した後で、そんな職員を精神的に解放したマリーカであった。

「ねえ、マイケル――ちょっと本社に連絡を取って、今回のこの航路閉鎖の原因を探るように言っておいてくれない?」
 空港ロビーにおいて予期せぬ待ち時間を受ける事になってする事もなく、ただ喫煙を行っていた部下の一人の耳元にマリーカは囁いた。
「そんなに大袈裟なことですかねえ」
 明らかに乗り気でない部下、マイケル・バイエビッチのそんな態度は大変に苛立つものではあったが、マリーカは表情に上げるのはどうにか堪えることが出来た。
「いつも言っているでしょ。事件に関する嗅覚を研ぎ澄ましておきなさい、って」
 マイケルは吸い途中の煙草を分煙機を兼ねた吸い殻入れに放り込んだ。
「分かりました。ラルにお願いすれば良いですかね?」
 そんな話題に上がったラル・インパースの緊張感に欠ける柔和な表情を脳裏に浮かべながら、マリーカは一つ溜息。
「――そうね。つうか部署で残っているの、彼女だけだもんね」

 如何にも億劫に立ち上がって、携帯電話を操作するマイケルの背中を眺めながら、マリーカは一人、呟いた。
「何か、あるんじゃないのかな――それは間違いないだろうけど」

 エテルナ首都、アルタミラ最大手の新聞社『デイリー・アルタミラ』を支える熱血事件記者としてその名を知られる、マリーカ・フランシスであった。


   ◆ ◆ ◆

「あっ、あれがそうじゃない?」
 大統領がその左手でアポロンの光を遮断して空を見上げながら呟いた。
「――はい、間違いありません。先鋒と両翼に我が航宙警察のシュベルトが――その中央に構えるが件のアレン元大佐の機体であるかと」
 携帯望遠鏡に映る映像をそのまま、伝えてくる国防副委員長であった。だが、今や望遠鏡の補助に頼ることなく、肉眼で機影が確認できる。
「ワイヴァーンって言ったわよね」
 その目を細めながら大統領。
「はい。どうやら、教習機としてのカスタムを受けた機体ではないかと」
「理由は?」
 一歩を進み出た国防委員長の言葉に振り向く事はせず、その視点を対象に投げ続けた状態で大統領が簡潔な質問を行った。
「は。まずはその機体塗装ですね。黄色と白、と言うのは軍隊に置ける練習、教習機であると聞き及んでおりますし――」
 アーサー・ラウンドは先刻、情報局の職員から聞かされた言葉をそのまま続けた。
「――何よりも、単座であるはずのワイヴァーンが複座でありますから」
「まあ、そりゃあヒムラさんも来るって仰っていたからねえ」
 大統領としては国防委員長を殊更に凹ませるつもりは無かったのだが、国防委員長はどうにも言葉に詰まってしまったらしい。
「来るわね――」
 大統領はいよいよその視線を体ごと、一同へと向けた。

「彼等に対して、失礼な無礼な行動は堅く禁止するわよ。国賓待遇で扱うように、と言った私の言葉に泥を付けないでね。その時はオトナゲ無く、ブチ切れさせて頂くからヨロシク」

 薄く零れ落ちてくるアポロンの光をその全身に受け、腕を組んだ状態でエテルナの大地を力強く大地を踏み付けるそんな大統領の姿はマリベルにとっては正に『女神』として強く印象付けられた。

 無論、そう感じたのはマリベルだけではなかったが。


   ◆ ◆ ◆


「今、一瞬照明が暗くなったわよね?」
 フォーチュンの女帝、ソフィ・ムラサメはその横に控える副長、ベアトリイチェ・ノイマンに声を向けた。この両者は等しく、『盾』をその中央に据えられた軍帽を着用している。
「――艦長も気付かれましたか――調査します」
 艦長から言葉を受け取る前に、既にその指を端末上で踊らせている副長であった。そんな折り、オペレータ席で着信のチャイムが軽やかに鳴った。艦内通信。
「はいはーい、こっちら第一艦橋――」
 飲み物を片手のシャリーが気軽に通信を受ける様子を確認しながら、ソフィは副長の手元にその目線を落とし込んだ。ディスプレイに投影された艦内図の中、工房ブロックの一角が激しく明滅している様子は無理な姿勢で覗き込んでいるソフィの目でも確認できた。
「なにごと――」
 ソフィは自分の言葉を完結させることが出来なかった。
「艦長、RLが現在機動中との事です!!」
 シャルロッテがコーヒーカップをひっくり返しながら即座にその答えを与えてくれた為である。

「そんな、バカなッ!?」

 ムラサメ艦長は両手を指揮卓に叩き付けるようにして直立。有り得ない。マスターの電源はクリストファ・アレン自らが切断を行ったのは確認している。
「ミランダから艦長に通信!」
 シャリーが再び、悲鳴に近い報告を行ってくる。
「オープンで構いません、反映させなさい!」
 だが、次の瞬間に艦橋を響いた声は正に悲鳴、そのもの。本来は美声の持ち主である、ミランダ・ルヴァトワのものであった。
『――艦長、ヤバイでっす。アテナは工房ブロックを破壊してもクリストファ・アレンを追い掛けるつもりみたいです!!』
「冗談じゃないわ――何とかしなさい!!」
 そんなソフィの返答に、シャリーが「ンな無茶な――」と呟き掛けたが、これはベアトリイチェの厳しい眼光によって止められた。ソフィ自身は無茶な要求を行っていることは百も承知しているので、気に掛けることはない。いや、そんな些末な事を気に掛けるどころでは断じて無かった。
『説得してますが――』
 ミランダのその声にかぶって、バックグラウンドで響くスコット・ロードマンの声が艦橋に飛び込んでくる。『君の総司令官は泣いているぞ〜』とかなんとか。スコットが大真面目にやっているのか、それともこんな危機的状況にあっても尚、失われることのないユーモアのセンスをアピールしているのか。少なくとも、考察を行う時間は今は無い。そんなムラサメ艦長が艦橋をベアトリイチェに任せて自らが工房ブロックへと向かう決心を固めた時。

『うっ――きゃあああああああああああああ』

 激しい破壊音を混ぜながら、いよいよミランダの絶叫が轟いた。
「どうしたの、ミラン!?」
 艦橋を後に仕掛かっているソフィの代わりに、ベアトリイチェが声を飛ばす。


『あ、あ、RLが自らの手でプロペラントを引きずり出してますっ!』

 スコットやフローラの絶叫、悲鳴、そして何よりも嘆きが艦橋においても全く等しく、再現された。

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2706年01月01日

第II光:『光臨』 第一章 驚天動地 - V


「ふうん、なかなか格好良いわね――機能美、って言ったところなのかしらね? 私達の『機体』とは設計思想が根本から異なっているからかしら」
 ジャニス・シュバリエはその乱れる髪を両の手で軽く押さえながら、感想をそのまま口にした。
「――同感です、大統領閣下」
 国防委員長が続いて見せたが、これが追従であったのか、それとも彼が純粋に感じたものだったのかは不明。

 今や、彼等の誇る【シュベルト】に三方を囲まれて、【ワイヴァーン】がエテルナの大地にその羽を休めていた。

「大統領、御自らがお迎えに上がるのは危険かと――」
 国防委員長から目で促され、副委員長が今にも泣き出しそうな顔で大統領に進言を行った。
「あなた方の気持ちは分からないでもないけれど、彼等が私を殺害するつもりだったら、とっくのとうに行っているのではなくて?」
 実はジャニスは今少し厳しい言葉を投げ付けるつもりだったのだが、先刻より彼等に対しては些か棘を含む言葉を提供し続けていることに気付いたこともあり、彼女としては『ソフト』な発言となってしまった。
「それはそうですが、それでも――仮にも一国の元首ともあろうお方が――」
 脂汗を垂らしている国防副委員長には悪かったが、いよいよジャニスは棘を放った。

「SHUT-UP(お黙り)!!」


   ◆ ◆ ◆


 いよいよ、ライト=ブリンガは自身を拘束していた整備台を砕きながら、工房ブロック内で立ち上がった。トラクタ・ビームによる熱風が盛大にブロックの中を吹き荒れる中、ミランダは周囲の人間に気密服の装備を命令した。
「ミラン、君も――」
 マグネット歩行により、辛うじて自分の体をその場に留めつつ、スコットが声と腕を伸ばしてきた。
「私は構わない。アテナを止めるから――」

「バカっ――」
 スコットの行為を無下にしながら、ミランダ・ルヴァトワは重い足を必死に持ち上げてRLの元へと向かう。熱風が彼女のブロンドを大いに巻き上げたが、どうと言うことはない。

「アテナ、お願いだから話を聞いてッ!!」

 こんなブロック内の荒れ方から鑑みるに、おそらくライト=ブリンガ、アテナは最大出力(マキシマム)の機動を実行しているのだろう。増漕こと、プロペラントタンクを装備した今、『彼女』が恐れるものは何も無くなった筈だ。
 だが、それでも自分の絶叫虚しく、ライト=ブリンガはその動きを留めはしなかった。あろうことか、その左腕を伸ばして――。

「やめなさいっ!!!!」

 先とは比較にもならない、尖った爆音を発することが出来たことに、他の誰よりもミランダ本人が驚いた。そして、なんと。ライト=ブリンガのその動きが一瞬、停止したのだった。

 ――大丈夫、いける!

 勝機を得たミランダが荒れ狂う熱風の中、自分の小さな体――とは言ってもここ半年で身長は10pも伸びたのだが――を前進させるのにはそれでも渾身の力を要とした。ライト=ブリンガはその左腕を壁に掛けられた専用火器、【レーヴァティン】へと伸ばした状態で硬直している。そして。一瞬。ほんの一瞬だったが、確かにその右眼がミランダへと向けられたはずだ。

「そのまんま、そのまんまよ――アテナッ!!」

 もはや、呼吸を行うのもおぼつかない。背後からスコットの怒鳴り声が聞こえるが、ここで足を止めるわけには行かない。クリスと約束したんだ。約束。

 だが、そんな切実なミランダの希望に反して、ライト=ブリンガはその細い指でレーヴァティンの銃把を確実に握り込んだ。主機に接続されたことを認識したレーヴァティンがゆっくりと、その上腕部に巻き付いていって――そして、その右腕が向かう先は――。

 鹿の角に模した、硬化プラスチック製の――

「うわああああああああああん!!」

 ミランダは、腰部に備えられていた工具ドリルを引き抜いた。もう、自分が何をやっているのか分からない。涙と鼻水を多いに垂らしていることで、ただならぬことを行おうとしている自分自身にようやく、気付くことができた。

「そ、それ以上やったら、クリスとの約束が守れない、守れないのよう――死んじゃう、死んじゃうからね、あたし――そんなことになったらーーーーーーっ!!」

 絶叫しながら、ミランダは自分の右手に構えられたドリルの電源を入れた。重い振動が伝わってくるのを感じながら、ミランダはそんな尖端を自分のこめかみに向けた。

「それ以上やったら、死んでやるから! アテナ、あたしが死んじゃうのよっ!! それで良いのッ!?」

 ライト=ブリンガの動きがいよいよ、停止した。

 実剣である【妖刀ムラサメ】に向けられた腕を止めながら、だが。ライト=ブリンガはその顔をゆっくりと、足元のミランダに向けた。鼻水と涙に顔面の全ての所有権を明け渡したミランダ・ルヴァトワに。


   ◆ ◆ ◆


「さあ、降りようぜキリオ」
 六点からなるベルト――拘束具――を大仰な動作で抜きながら、クリスは言った。エテルナとは言え、完全武装を施された特殊部隊にでも囲まれることを想定していたクリスとしては甚だ微妙な空気ではあったが、こと、此処に及んでは考えを巡らせるだけ無為である、と達観していたのかもしれない。
「なぁ――二人同時に降りるのはマズかねぇかな?」
 前席のキリオがそんなことを言ってきて、クリスは多いに感嘆した。どうしてなかなか。危機管理能力に磨きが掛かっているじゃないか、と。
「いざとなったら最初に殺してあげるよ、キリオ」
 クリスはあくまでも軽い口調で言いながら胸元のスペース・イーグルを叩いたつもりだった。
「――痛くしないでね」
 と言うキリオの返答は、この場で撃ちたくなる衝動を喚起してくれたけれど。

「――それはさておいて。まあ、虜囚とするんだったら、とっくにやっているさ、彼等は」

 自分の言葉が、実は時を同じくしての大統領の発言とほとんど同意であったことを、クリストファ・アレンはまだ知らなかった。

「開けるぞ。バイザー、まだ開けちゃ駄目だよ」
 キリオに気を遣った言葉を与えながら、クリスは宣言を行った。その親指が『全風防開口』のボタンを押し込んだ。なお、バイザーの開口を禁じたのは、急激な気圧の変化に備えるための措置であった。下手をすれば、鼓膜を損傷する可能性がある。

 鈍い音をその内外に漏らしながら、ワイヴァーンのキャノピーがゆっくりと開く。風防が開いたその瞬間、自分の体が天上に引っ張られる感覚が間違いなく存在したことに気付いて、キリオは苦笑。実は、息苦しいバイザー越しの呼吸から一刻も早く逃れたい、と言うのがその本音であったからだ。

『メット内の表示が緑色の点灯になったらバイザーを開けて大丈夫だから』
 もはやただの技術者ではないヒムラ・キリオにそこまで説明する必要があったのかどうかは分からなかったが。

 ――おやおや、女王様、御自らのお出ましとは

 キャノピーの向こう側――つまり滑走路の直上において、数名のスーツ姿を従えた長身の女性の姿をクリスは確認することができた。赤で統一されたそのスーツはいかにも、活発的な印象を与えてくれる。大統領閣下に間違いない。

 気圧調整が滞り無く終了したことを知り、クリスは自らのヘルメットに解除命令を入力した。アタッチメントが稼働して、ヘルメットが首後ろへと内臓モーターの稼働によって跳ね上げられた。その刹那、クリストファのまとめられていない長髪をエテルナの風が強く洗った。
「うっ――」
 これまでの混合酸素の無機質な香り、味わいとは比較にもならない萌え立つ緑の香りの流入に、クリスは思わず呻き声を漏らしてしまった。
「自然の空気はやはり良いなあ」
 クリスと等しいタイミングでバイザーを開けていたのだろう。キリオは両の腕を大きく振り翳しながら深呼吸を繰り返していた。
「ちょっとキツイがね――」
 咽せ返りそうになる気管支をどうにか落ち着かせながらのクリスの一言であった。
「そおか?」
 そんなクリスの弱音を意外そうに受け止め、後部座席に振り返ったキリオはだが、信じられない光景を目の当たりにすることになった。

 口元に左手を宛った状態で、その全身を戦慄(わなな)かせながら、彼の司令官は。

 クリストファ・アレンは大粒の涙を流していたのである。

 おい――キリオは声を飛ばし掛けたが、理性に依らない何かがそんな言葉を呑み込ませた。

「なんだ――どうして――これは――」
 虚ろに呟きながら、クリストファ・アレンはその手の平を眺めていた。どうやら、本人にとってもその涙の理由は不明であるらしかった。自身の手の平を叩き続ける水滴を忌々しげに睨み付けながら、聞き取ることのできない独り言を言っている。

「クリス、気持ちは分からんでもないが――ホレ、大統領が来たぞ」
 そんな総司令官の気持ちを理解できる筈も無かったが、キリオは総司令官、いや――友人――に対してそんな言葉しか投げられなかった。ナイスバディなご婦人が(キリオ主観)そのピンヒールを打ち鳴らしながらこちらに向かって来ているのは事実でもあったし。

「あ――ああっ、すまない――」
 我を取り戻したのか、クリスは気密服の胸ポケットから取り出した手拭いでその顔面を些か乱暴に拭った。どうにか、涙の流出を堰き止めることができたらしい。

 当の本人よりも安心して、キリオはステップの展開命令を直接、副操縦士席から打ち込んだ。機首側面、つまりコックピット部分の装甲が変形し、軟質ゴム製の梯子が降ろされていく。

「んじゃ――まあ、オイラから、な」
 クリストファの承諾を得るよりも先に、キリオはその体を半ば投げ出しながら梯子に掛かった。軟質ゴムとは聞いていたものの、なかなかどうして。縄梯子の類に比べれば、この安定感は比較にもならない。実体験を以てその有効性を認識しながら、キリオは自らの体をゆっくりと、慎重に地面へと向けた。

 ヒムラ・キリオの二の足がエテルナの大地を踏んだ。

 感動に近い衝動が自らの内に沸き起こることを想定していたキリオだったが、特にこれといった感慨は無かった。『ああ、エテルナの地面だ』と言う、シンプルな構文で終わってしまう程度の感想。

『なんつーか、もっとこう……ズガーン、ヒシッ、ウォーッ、みたいな感動があって然(しか)るべきなんだろうなあ――』

 そんなことを考えていたキリオだったのだが。

「あぶなーーーーい!!」

 突然、そんな自分の聴覚を強く刺激してきた声が、誰のものであるのか判断は付かなかった。どうやら、ナイスバディな件の大統領閣下の絶叫だったのか。

 ゴチン。

 何の音だ、と思った時は既に遅し。

 キリオは、自分の目の前に正に『星』が散るのを認識した。

 意識が消え掛かる。いや――消失した。


 果たして。ジャニス・シュバリエとその側近の目前で、意識を失ったヒムラ・キリオを懸命に介護するクリストファ・アレンと言う、シュールな場面が展開されることになった。

 クリストファ・アレンがその足を踏み外してしまい、抱えていたヘルメットがヒムラ・キリオの脳天に直撃を果たしてしまったためである。


   ◆ ◆ ◆


 ――自分は、何をしてしまったのだろう。

 崩れ落ちた整備台、そしていつの間にか装着されている【レーヴァティン】を確認して、アテナは愕然とした。
 その瞬間、大泣きを行っているミランダ・ルヴァトワの行状――工具ドリルを自らのこめかみに突きつけている――に気付いて、アテナはいよいよ驚愕した。

『――ミラン、危ないですよ、止めてください!!』

 言語野を刺激する前に、そんな言葉が『口』をついた。

 何が起こったのか、定かではない。だが、ミランダがその危険極まる動作を解除してくれたことには『心』から安心した。
「アテナ、もう大丈夫なのッ!?」
 ドリルの電源を切りながら、ミランダがその声を張り上げてきた。張り上げる必要もないだろうに、と感じたアテナだったが、自らの『肉体』が最大出力に依る機動を実行していることに気付き、慌ててその出力を絞り込んだ。

『申し訳ありません。些か、自分を見失っていたようで――』

 ――自分は、本当に何をしていたのか――アテナは再々度、愕然とした。

 未だブロック内を荒れる風の中、ミランダは腰部に固定されているワイヤー・ガンをライト=ブリンガの頭部アンテナへと飛ばした。狙い違わず、二本のワイヤーが通信アンテナの一つを確実に絡み取った。
『――ミランダ?』
 察したアテナが、出力を完全に絞り込んだ左手の平をミランダの足元へと向けてきた。
「ありがと、アテナ」
 固定したばかりのワイヤーの解除を行って、ミランダは自分の体をライト=ブリンガの大きな左手へと飛び乗せた。
『何かご用でしょうか?』
 ゆっくりとミランダを持ち上げながらライト=ブリンガがその頭上から声を落としてくる。
「ごめんね。私が一緒にいるから、落ち着きましょうね、アテナ」
 親指の関節を撫で付けながら、ミランダ。

『――ありがとう、ミラン』

 何故、お礼の言葉が口をついたのかは分からない。だが、『彼女』の中に、不可思議な感情(?)が芽生えているのは間違いのないところであった。

 ――得体の知れないものに対するこの感覚は、人間で言う『恐怖』にあたるのだろうか?

 ミランダをコックピットへと迎えたらまず、自分自身の全てをスキャニングする必要があるだろう。一体、『私』の中には何が。

 アテナは、『恐怖』した。

 そして、自分の周囲に群がり始めたスコット達が大慌てとなっている様子を見せているのに気付いて、ひどく申し訳のない気分へと至るのだった。

    ・
    ・
    ・

「大丈夫か、キリオ――」
「むぅーん」
 エテルナの大地への不本意な接吻を強要されたキリオはだが、直ぐにその意識を取り戻すことができた。
「ああー、良かった……」
 キリオの上半身を抱えてその顔を覗き込んでいたクリスが、大きく安堵の息を吐いた。
「一体、何が――」
 自分の後頭部――コブができている――を触りながら、キリオ。
「すまない。僕のウッカリミスでヘルメットが直撃したんだ」
 その顔を翳らせながら答えたクリストファだったが、その直後に別の声が乱入してきた。
「大丈夫ですか――医務室へお運びすることもできますが?」
 キリオはその顔を声の主へ向けた。ありゃりゃ――大統領だ。
「いや、大事には至ってませんので――うっ」
 キリオは咄嗟にその顔を逸らした。最後の呻き声に大統領のみならず、クリスも慌てた。
「どうした、やっぱり痛むのか!?」
「違う違う。問題は無い――」
 クリスの腕を振り払うようにして、キリオは自らの体を起こした。ゆっくりと立ち上がって、体の隅々に付着した砂埃を落ち着いた動作で払ってみせる。
「そうか――」
 気まずそうに、クリス。
「いや、本当に問題ないって」
 後で、彼にだけはコッソリと伝えておこう――キリオはそう考えた。大統領の下着(紫)がモロに見えただなんて、この場で発言するわけには断じていかなかった。

「とんだ初対面になりました――大統領閣下、失礼を致しました」
 キリオがその姿勢を正しながら、恭しく述べ上げたことで、その場の全員が本来の目的を思い出すことができた。
「こちらこそ。ご足労をお掛けして、申し訳ありませんでした――ヒムラ・キリオさんでいらっしゃいますな?」
 麗しの紫――もとい、自分とほとんど変わらない高い身長を持つ大統領閣下はその首を微かに傾げながら、暖かい声で応じてくる。
「ヒムラ・キリオです。生憎と移民許可証を所有しておりませんが、どうかお手柔らかにお願いします」
 そんなキリオの発言に、大統領は大きく笑ったが、その側近達の中で等しい笑いを続ける者が誰もいないことにキリオは気付いた。
「そうですねえ――あなた達、エテルナ有史上初の『不法入国者』になるのかもしれませんねえ」
 そう言って、大統領は更に大きく快活な笑い声を続けた。笑うところであるようだったので、クリストファとキリオは等しく、笑いで続く。
「失礼――して、あなたが――クリストファ・アレンさんですね……」
 自力でどうにか笑い声を収めながら、大統領がその姿勢を戻しながら質問を再開した。もっとも、質問と言うよりは断定に近い。
「左様です。クリストファ・アレンです。先刻はお世話になりました――お会いできて、光栄です、閣下――」
 そうしてクリスはその右腕を伸ばし掛けたのだが、途中で引っ込めることになった。エテルナで握手の習慣があるのか未明だったことが一つ。そして、自分が未だに気密服着用であり、そのグローブ越しでの握手は非礼に当たるのではないか、と思い至った為だ。
「こちらこそ光栄ですわ、アレンさん――」
 クリスのそんな逡巡を看破してか、大統領は歩み寄ってくるとまず、キリオの両腕を手に取った。
「気密服着用で――恐縮です」
 半ば、強引に取られた両手を引くわけにも行かず、キリオはグローブ越しに伝わってくる大統領の肉感を感じさせて貰った。
「今まで、何かと大変だったかと存じます――これからが楽になるかどうかは定かではありませんが、どうかひとまず、ご安心なさって下さい。シュバリエの名に掛けて、あなた方を手厚くお迎えさせていただきます」
 その両手を強く強く、握り込んでくる大統領。その目には真摯と言う言葉以外での表現が敵わない程に強い意志が込められていた。
「ありがとう、大統領――」
 目頭が熱くなりかけるのを認識しながら、ヒムラ・キリオ。
「――部下達……いえ、みんなも喜ぶことでしょう――」
 対抗でき得る限りの光をその双眸に乗せて、キリオは大統領の暖かい――グローブ越しで体温が伝わる瀬は無いけれど――両手を握り返した。大統領は名残惜しそうな様子を隠そうともせず、その手をゆっくりと振り解いて、いよいよ隣のクリストファ・アレンに顔を向けた。心臓の鼓動がこれ以上なく、強まっている――他の人間にも聞こえているのではないか、と言う程に。
「クリストファ・アレン――」
 その顔を良く見せておくれ――そんな言葉をどうにか呑み込みながら、大統領はその前に体を運んだ。名前を呼んだきり、言葉を続けようとしないそんな大統領の様子を怪訝に感じざるを得ないクリスだった。人の心を読むことはできないのだから。
「如何にも、クリストファ・アレンです――お会いできて光栄です、大統領」
 ささやかな疑問を裁ち切りながら、クリスはその右手を差し出した。
「こちらこそ……」
 クリスの右手を両手で包むようにしながら、大統領が小さく呟いた。
「宜しくお願いします」
 大統領の剥き出しの両手で包まれた自分の右手に、クリスは左手を乗せた。

 ――しかし、なんと背の高いご婦人なのだろうか。フォーチュン一の大男、リョウ・ターミナと良い勝負かもしれない。しかし、なんでこの大統領は震えているのだろうか?

 クリスは、眼前の大統領を見上げながらそんなことを考えていた。

 片やのジャニス・シュバリエ・ハッシュポピーはいよいよ、確信していた。


 彼の肉声。肌の色。髪の毛の艶。吸い込まれそうな薄い茶色の瞳。

 彼女の手元に揃えられたデータのことごとくが、『否』を示している状況があった。

 だが。

 『私の知っている、クリストファ・アレンに間違いない!!』

 生物としての人間が所有して然るべき、『本能』――他に言葉は見当たらない。それでも、ジャニスは確信した。



 大統領は自分よりは遙かに小柄な青年、クリストファ・アレンの体を軽く揺すって。






「――おかえりなさい」

posted by 光橋祐希 at 00:00| 第一章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2705年01月01日

第II光:『光臨』 第一章 驚天動地 - VI


「――ただいま……ってのも変な感じですが」
 胸元のファスナーに手を置きながら、クリスは苦く笑った。
「――まあ、こちらは風もあって快適ではないでしょう。特別室を用意しておりますから、そちらでお話ししましょう」
 心無しか、その表情に陰を含ませながら大統領が提案を行って、控えていたSPの幾名かに指示を出すためにその背中をこちらに向けた。
「ええ――」
 大統領本人が既に確認できるところではなかったが、小さく頷いたクリスが後ろ隣のキリオに視線を飛ばすと、予想通り、困惑に満ちた表情を浮かべていた。恐らく、自分もそんな顔になっているのだろう、とクリスは悟ることができた。『おかえりなさい』と言う言葉の用法が自分達のそれと大きく異なるとも思えなかったからだ。
「――失礼ですが、武器の類はお持ちでしょうか?」
 大統領が指示を飛ばしている間、SPの一人がそんな言葉を投げ掛けてきた。
「ええ、私が一挺、拳銃を所有しております――」
 気密服腰部に手を当てて示しながらクリスは簡潔に答え、馴れた動作でホルスターごと、スペース・イーグルを取り出した。この『イーグル』はクリストファ・アレンの専用銃で、火星沖会戦後に論功勲章の一環として軍から賜った特別製であり、銃身から始まる全てのパーツが白銀色で塗装されており、そのノーズ・アートがグリップに刻まれていた。通常のスペース・イーグルよりも一回り小振りで、性能が若干は劣るものの、とにかく軽量でもあるため、クリストファ・アレンが艦外(時としては艦内)で装備しているのは大抵、この『アレン・カスタム』であった。
 
 そんなクリスの巧みな動作に目を剥いた――強めのサングラス着用であったから、その目の動きは厳密には分からなかったが――SPに対し、クリスはホルスターを半ば、突き出して。
「――お預けします」
「た、確かに」
 慌てながら、それでもしっかりとした動作で受け取りながら、SP。クリスは最初、彼等がよもや非武装なのか、とも考えたが、自分達から離れた位置で歩哨さながらの周囲警戒に従事しているSP達の幾名かの左肩が等しく下がっており、彼等が帯銃をしていることに気付くことができた。それなりに大口径の銃器をホルスターごとぶら下げているのではなかろうか。

 護衛――とは言え、その実はエイリアン(異邦人)たる自分達の監視であり、そして護衛対象が大統領であろうこともまた、明白ではある。

「アレンさん、ヒムラさん、今から車両をご用意いたします。アルパイン空港は専用貴賓室にご足労を願いますが、よろしいでしょうか?」
 報告を変わろうとする国防委員長を押しのけるようにしながら、大統領が尋ねてきた。
「――了解です、閣下」
 一度、キリオと軽い目配せを行ってからのクリスの返答に、大統領は微笑する。
「その前にさ、一応フォーチュンに通信入れておいた方が良くないか」
 さりげなく、耳に入ってきたキリオの質問に対し、クリスは首を横に振った。
「定時発信だけ行っておけばいいよ。無用に心配を掛ける必要もなかろ」
「そっか――それもそうだな」
 頭上の青空――これもやはり、どこか碧色に見えなくもない――を見上げながら、キリオは頷いた。

 あの空の遙か彼方に、自分達の『家』がある。

 いよいよ、遠い場所に来てしまったという実感が湧いてきたのか、キリオは微妙な寂寥感の発生を否定することができないでいる。

「ホーム・シックですかな、副司令殿――?」

 冷やかしてきたクリストファ・アレンの瞳はエテルナの空の色を反映させており、いつもとは違った印象をキリオに与えたものだ。

「いけないかよう」
 空を見上げていた――たった、それだけの行為でそこまでの追求を果たしてくる友人の観察眼の鋭さと、勘の良さに今更ながらに感心したキリオは、敢えて開き直った。

「僕も同じだ。朔風館でランチ、食べたいよ――」

 クリスのこの発言が『弱音』であったことにキリオが気付いたのは、もっと後の話になる。



   ◆ ◆ ◆


 果たして、クリストファ・アレンとヒムラ・キリオが通された空港の特別貴賓室はそれはそれは立派なものであった。専用車からの降車の手間を必要とせず、直接の入室を可能とするこのシステムは確かに、要人警護用として欠点が無い。
「どうぞ。お掛けになって下さい――」
 マリベル、と車内において紹介を受けた少女が革張りのソファを二人に指し示してきた。その正面に大統領が――こちらは無言で――腰を降ろすのを確認して、クリスとキリオはゆっくりと腰を掛けた。なお、気密服から通常服への着替えをこの二人は行っていなかった。大統領が若干、気に掛けたようであったが、パイロット専用のスーツであり、その着用感が通常の服のそれと大差ないことを当人達の口から伝えられると、安心をしてくれたようであった。実際にキリオの袖などに触れ、感嘆すらを打った大統領であった。
「お飲物は何に致しますか?」
 マリベルがプラスチック製のプレートを二人に恭しく差し出してきた。コーヒー、紅茶に始まる、ありとあらゆるドリンク類がそこにはリスト化されていた。
「紅茶で――」
 プレートを受け取ったのはほとんど、相手に対する礼儀ではあったが、それでも上から下までを眺めてのクリスのリクエストであった。
「じゃあ、僕はこの……玉露…を」
 オーソドックスなコーヒーに落ち着けるべきだったのかもしれないが、エテルナの『玉露』とやらがどれ程のものであるのか確かめたい、そんな誘惑を断ち切れないキリオのリクエストがこれだ。
「いつもので」
 最後に、大統領のシンプルなリクエストを受けて、マリベルは慎ましい動作で一同に一礼を行うと、やはり年季(?)の入った優雅な所作でゆっくりと退室していった。

 そんなマリベルに自らも軽い一礼を行ったクリスは、果たして室内の様子をそれとなく、それでも入念な観察を行った。

 自分の隣にキリオが座っていることは言うまでもない。正面の一人掛けソファには大統領が構えており、その後ろの壁にはその半面を占める程に大きなディスプレイ――窓であると言うことは有り得ない――が設置されている。そして、自分から見て両翼に、システムデスクが設置されており、左側に国防委員長と副委員長が、そして右側に秘書官を兼ねているSPが四名、配置されている。ほんの今し方、マリベルが退室していった扉にはやはりSPが二名、そして外部直通の扉――これは自分達が入室を行ってきた扉である――の前に一名が待機していた。

「さあて、時間は貴重です。本題から入りましょうか」
 頭の後ろに組んでいた腕を解いて、大統領がその身を乗り出した。
「ごもっともです」
 クリスが答え、同時にキリオもその姿勢を正した。
「――先程、通信で行いました話の繰り返しになるやもしれませんが」
 若干の間を意識して置きながら、キリオが発言を行う。
「構いませんよ。私はあなた方から直にお言葉を受け取りたかったし、そして細かな点についての話し合いはどうしても通信越しじゃ――でしょ?」
 頬に掛かる頭髪を掻き分けるようにしながら、大統領が砕けた表現を行ってきた。絶世の美女とは呼べないが、美人だなあ――と、キリオは失礼な感想を密かに抱いている。
「そう言っていただけると本当に助かります――楽になります」
 クリストファはその視線を天井に上げつつ、そんな言葉を選んだ。どうにも時折、大統領が自分に送ってくる意味ありげな視線が気になって仕方がない。女性から色目を使われることには馴れきってしまっているのだが、この大統領の視線は無論、そんな色沙汰に類するものではないだろう――多分。
「あなた方が我々に示してくれた情報は大変に重要なものに間違いありません。これはお金で購えるものでは断じて有り得ない――お礼を言わなければならないのは寧ろ、こちらの方の筈ですわ――」
 大統領はその上半身を声と等しく、伸ばし上げた。こうして見ると、やはり大変な長身の持ち主であることを再認識することができる。ふと、バレーボールに打って付けのキャラクタだ、等とクリスは考えた。意味もなく。
「――杞憂で済めば、と思っておりましたが」
 そうして言葉を締めた大統領の表情が大きく翳りを見せた。キリオに先駆け、クリスがその口を開いた。
「申し訳ありません。こちらから伺うのも妙な話ですが、大統領閣下が我々の言を斯(か)くも信用して下さる背景には、どのような……要素がお有りになるのでしょうか?」
 大統領はいよいよ、渋面を構成した。発生した物音が、主観左側で立ったものだ、とクリス達が気付くのにはやや、時間が掛かったかもしれない。
「――大統領!」
 机を叩き付けるようにして立ち上がっていたのは他ならない、国防委員長だった。アーサー・ラウンドと言う紹介を受けているクリスとキリオであったが。
「なぁに?」
 国防委員長が続ける言葉を簡単に想像できたため、殊更な言葉遣いを選択する大統領だった。
「それ以上は――」
 委員長はそれ以上を続けなかったのだが、続くべき言葉はクリスにもある程度は想像ができていた。防衛機密――そんな言葉がエテルナに存在するのかどうかは疑問だが、その類に抵触するのであろう機密に関して、委員長がデリケートになっていると言う状況なのだろう。
「彼等に隠したところで、メリットはないわよ」
 その両の碧眼にこれ以上の発言を認めないと言う色を灯しながら、大統領。ラウンド委員長はやはり渋面で、ゆっくりと着席を行った。
 すみませんね――クリスとキリオ、二人がその心の中で彼等よりも遙かに年上の委員長に対して謝罪を行った。

「実は、ここ数ヶ月分のデータに異常が見られておりますの」

 最近、馴染みの店の味が落ちた――そんな語り口に等しい調子で、大統領がいよいよ口火を切った。


   ◆ ◆ ◆


 途中でマリベルが人数分の各種お茶を運び入れ、その紅茶や玉露の味に心からクリスやキリオが満足したことをエピソードとして含みつつ――ちなみに、大統領はアプリコットのジャムをこれでもかと放り込んだロシアンティーだった――会談は再開された。

 大統領の話とは、概ねこんな具合であった。

 太陽系は地球本星、そして木星のイオに設置されているエテルナ大使館は、ここ十年、本国――つまりエテルナ――に対して、暗号を用いた特殊通信を継続して行っていたらしい。大統領の説明では細かな点にまでは触れられなかったが、外部からの解析をほとんど不可能とする、非常に高度な暗号であったようである。事実、大使館側から通信衛星カハヤを経由して本国に送られるデータは膨大なものであり、太陽系側がそのデータを逐一考証し、その暗号を看破するのはほぼ不可能である、とのことだった。

 暗号通信とは言え、俗に言う諜報に類するものではなく、異常事態の発生が無い限りは大使館サイドの安定、存在を通知する程度のものであったようだ。

 だが、過去に於いてそんなシステムが駆使された例が唯一、存在した。

 これは『火星沖会戦』が勃発した正にその時であったらしい。戦火の拡大を危惧した当時のエテルナ大使は、『危険度B』を示す暗号の送信を密かに実行していたようだ。もっとも、戦火の拡大は認められず、内乱で終結してしまったこともあって、それ以上の騒ぎにはならなかったそうだ。

 だが、今回。

 エテルナ側の通信衛星カハヤの情報処理室が、暗号化の施されていない情報を入手してしまい、ちょっとした騒ぎになった。丸二日のことに過ぎなかったが、それでもこれまでには有り得ない状況ではあった。言うまでもなく、データそれ自体が太陽系からアポロン星系にまで到達するのにはおおよそ三ヶ月を要としている。情報処理室は直ちに、その空白の二日間に対する質疑を送信したが――当然、暗号電文で――未だに返答は戻ってきていない。

 こちらが送信し、相手が受信。そして相手が送信、こちらが受信。

 こんなシンプルな電文の遣り取り一つを取ってみても、半年以上と言う歳月を要する、と言う救い難いほどに劣悪な通信状況を鑑みれば致し方ないことではあるが。

 情報局だけでなく、エテルナの政治上層部は深刻ではないが、些か苛立った日々を持ち続けざるを得ないでおり――。

 ――そんな最中、【フォーチュン】がリーヌを突き破って到着してしまった、と言うのが今の状況だった。

 なお、そんな空白の二日間を除き、以降の通信はマニュアルに即したものとなっており、その暗号にも異常は一切が認められないとのことだった。ちなみに、太陽系側からの情報に一切の異常も又、見当たらない。大統領の印象に残っているのは、平均株価が若干上昇したということと、冥王星近辺の開発事業を再開する、と言ったニュースでしかなかった。

「沈黙は武器――ってことか。やるな、ヘイスティング」

 忌々しげに呟いたクリストファ・アレンに対して、キリオを除く室内の全員がギョッとした目を向けた。
「確かに、これが一番効果的かもしれないな。下手に俺達が逆賊だー、テロリストだーって騒ぎ立てたところで、俺達の人員構成を見ればエテルナ側だって懐疑的に成らざるを得ないだろうしさ」
 クリスの言葉を補足したつもりだったが、些か言葉遣いが乱雑だったかもしれない。キリオは反省をしかけたが、大統領本人は全く、そんな表現に気分を害している様子はない。
「正直、私も困惑を禁じ得ません。全く、本当に何を信じればよいのか――」
 言い刺して、大統領は慌ててその言葉を繋いだ。
「――あなた方を信用しない、と言うわけではありませんから」
 大統領は残っていた紅茶を空にした。

「心中、お察し申し上げます」

 自然、そんな言葉が口の端に乗った。

「――ありがとう、アレンさん」
 大統領は微苦笑。


   ◆ ◆ ◆


「定時連絡に異常はないわね?」
 艦長席でコーヒーを傾けながら、ムラサメ艦長はオペレーター席のシャルロッテ・グルーミングへと声を放った。彼女、艦長が殊更にコーヒーブレイクを決め込んでいるのはクルー達に余裕を見せるのが目的で、半ば演技のようなものだった。
「異常ありません。降機を示すシグナルも相変わらずです」
 手元の端末表示を冷静に確認しながらシャリー。
「そう。何よりね」
 当たり前のような顔で答えたソフィに対して、操舵席に着いているノエル・グリーンが物憂げに口を開いた。
「――大丈夫、ですよね」
 ソフィは軍帽を目深に構えた状態で、そのルージュを開く。
「便りがないのは息災の証、ってね」
 そうですよね、と明るく答えたノエルに救われた思いをしたソフィだったが、長持ちはしなかった。微妙な暗雲がその心を浸食しつつあった。

 一番心配しているのは、恐らくソフィ・ムラサメ――つまり私自身だろう。けど、そんな様子をおくびにも出すわけには行かない。

 どうか、どうかご無事で帰ってきて下さい――声に依らない呟きを行って、ソフィはその軍帽を更に目深に装着した。

 この軍帽はクリストファ・アレンから受け取ったものだった。エクスィード時代から着用していたその軍帽はリーヌ航海中に手を加えられ、その意匠は大きな変化を遂げたものの、ソフィ・ムラサメにとっては大いに慣れ親しんだフォルムを有している。クリスが艦長職を退くことを決意したその時、クリスは新品の軍帽とやはり新品の指揮杖をソフィに差し出したものだったけれど。
『差し支えなければ、今まで艦長が使用されていた帽子と指揮杖を賜りたいのですが』
 そんなソフィの言葉を受けたクリスは少しだけ、ほんの少しだけ照れ臭そうな表情を浮かべながら、それでも。
『臭いぞ』
 と余計なことを言いながら、手渡してくれたものだった。

 そんな軍帽から、仄かなクリストファ・アレンの体臭を嗅ぎ取ることができて、ソフィはしばし、その心を落ち着かせることができた。


   ◆ ◆ ◆


「結局、何だったのよ、一連の騒ぎは?」
 スコットがライト=ブリンガの各種データをクリーニングしていると、その背後からフローラが声を掛けてきた。
「分からない――としか言えない」
 画面を見つめたまま振り向きもせず、スコットはそれだけを返す。
「原因、ある程度は掴んでおかないとマズイよ――何か、手伝うことある?」
 その右肩に手を乗せながらフローラ。
「――そうだな。ミランダが今、コックピットに入ってくれている。もしアレだったら彼女と一緒にアテナの話を聞いてやってくれ」
 この段階でようやく、振り返ってきたスコットだったが、その顔色が異様に悪いのに気付いたフローラは驚愕した。
「アンタ――」
 フローラが息を呑んで言葉を続け掛けるのを大仰なジェスチャーで止めると、スコットは携帯端末を取り出し、何らかの入力作業を始めた。
 程なくして、フローラに手渡された携帯のディスプレイにはスコットの叫びが刻まれていた。

『気持ち悪い。スタンド・アローンで動く兵器なんてナンセンスだ。これは、相当に深刻な問題だ。俺は、怖い』

 判断に苦しむことはなかった。そんなスコットの叫びを読み終わったフローラは無言で、それでも大きく深く頷いた。

 スコットが口頭に依らず、わざわざも携帯に入力を行う形でその意見を向けてきたのは、RLの鋭敏なセンサーが彼等の会話を拾うのが容易であることを想定しての措置であった。

 一理どころか、『百理』ある――スコットに等しく、そう考えることのできたフローラ・ザクソンだった。たまたま、今回は『未遂』としての結末を迎えることができたが、今後、同じようなことが起こらないという保障は無い。ましてや、同じように『未遂』として処理できる保障なんて。

 『本人』は否定していたものの、明らかに『感情』の存在を感じさせる人工知能アテナの『鋼の肉体』、ライト=ブリンガ。

 そんなアテナを我々はあまりにも当たり前に――人間として、キャラクタとして――接し過ぎてきたのではあるまいか。

 空前絶後。過去に一切の例が認められない人工知能――今思えば、その表現も又、適正を欠いているかも知れない――と言う特殊な、いや、異常な状況下を我々は当たり前に受け入れてしまっていたのか。

 彼女は、『兵器』なのだ。

 それも、恐らくは。

 宇宙最強の『剣』だ。

「本当に、このままでは――」
 渋すぎる表情をその白皙に乗せて、フローラ・ザクソンは呟いた。

 クリストファ・アレンに通信を行うべきだ――そんな上申をムラサメ艦長に行うまではもう少しだけ、時間を必要としていた。

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2704年01月01日

第II光:『光臨』 第一章 驚天動地 - VII


「ふん――またまた、随分な難局ではあるな」
 エテルナ共和自由国の副大統領、イアン・ハーフヒルは貴賓室隣に設けられている通信室において、濃い緑茶を傾けながら呟いた。
「同感ですな――まあ、飛ぶ鳥を落とす勢いも少しばかり落ち着きそうで結構なことではありませんか」
 同じ空間にあり、副大統領に付き従っている中年の男性がそんな追従を行った。
「――声がでかい」
 副大統領は窘めながらも、発言の内容それ自体を否定することはしなかった。
「『アルタ』の方にはいかが報告を行いましょうか」
 太い縁を持つ眼鏡の位置をさり気なく修正しつつ、声を潜めながら中年。そのネクタイに着けられた銀色のバッジが鈍い光を放っているが、これは『共民党』の党員であることを示すものである。彼が発言の中に含めた『アルタ』と言う響きは『共民党本部』を示す隠語で、『本部』がエテルナ本星は首都、アルタミラに据えられていることがその語源であった。
「ふむ、取り敢えずは手持ちの情報を提出しておけ。それと、件のクリストファ・アレン、並びにヒムラ・キリオに関するデータを、全て用意しておくようにと伝えておけ」
「無論、水面下で――ですな?」
 どこか薄笑いを浮かべながらの男性のそんな質問に、副大統領はただ、無言で頷いた。


   ◆ ◆ ◆


「ある程度の自衛力はやはり持たねばならなかったのかな――」
 キリオの持参したディスクの中身を確かめ、数時間に及ぶ会談を経て――すっかり干上がったカップの底を恨めしげに眺めながら、大統領が呟いた。
「話し合いで決着を着けることが可能であれば武力など、この世の中に必要ではありませんよ」
 クリスは淡々と述べ返したが、キリオの両耳はそんな言葉に含まれた痛み――実体験に基づいたクリストファ・アレンの古傷――を拾うことができた。
「難しいところですわね」
 果たして大統領もクリストファの『痛み』を窺うことができたのか、そんな言葉を漏らしてくる。
「難しい問題です。ただ、厳しいことを申し上げさせていただくと、難しい問題としてではなく、『現実問題』として――どう対処するべきか、それを考える段に至っていると私は考えます」
 クリストファ・アレンの言葉には容赦がなく、キリオは人知れずその胸中で深い溜息を吐いたものだったが――言葉を飾ったところで『益』が存在し得ない無いのは全くの事実でもある。
「認識しているつもりです。最悪の場合はね、あなた方の――【フォーチュン】でしたかしら? あなた方に徹底的に焼き払われた可能性があるんですもの。それこそ、何を考える暇(いとま)も無く、ね」
 容赦のないクリスの言葉に対し、大統領が気分を害したという素振りは全く見えなかった。言葉尻にも、そしてその表情にも。
「【フォーチュン】には確かにそれだけの火力があります」
 クリスは声を低めたが、これは意識した結果ではない。
「ですね――なんですかね、頂いたこの数値を鑑みる限り、どうやらあなた方の【フォーチュン】はアルタミラの四分の一を、ただの一撃で消滅させることができるみたい……って、ああ――元々のお名前は【アルティマ】でしたね、これは失礼」
 机上からファイルを取り上げて、大統領が抑揚に欠けた声を絞る。その火力の凄まじさに対し、大統領は眉唾半分、恐怖半分……そんな割合の感想を抱いているのではないか。クリスはそう推測した。
「核ミサイルも積んでおります。これはさすがに衛星軌道からの投下は不可能ですが、数字上ではアルタミラを879回ほど、殲滅することが可能です」
 付け加えの意味だけではない。この大統領に『希望的観測』を捨てさせるためのクリスの発言だった。

「嫌ねえ。本当に嫌だわ。何故、『我々』は平穏に、安逸に生活を果たすことができないのかしら――」

 大統領の発言が含んだ『我々』と言う語彙が、『人類』と同義であることを指摘されなければ理解できないような人間はこの場には存在しない。

 クリスは一言。

「これで終わりにするしかありませんよ。終わりに――最後にするしか無い」

 発言を行った後。これまでに人類がその歴史に刻んできた大戦争の渦中にあって、自分と同じ発言を行っていた人間の数は少数では有り得ないだろうな――クリスはそう思った。

 そして、クリスは口にはしなかったが。
『戦争という行為に明確な終止符を打たねばならない』

 クリスの中で、何かが形を成したのはこの時が初めてだった。




 遙か未来で、【ライト=ブリンガ】は自らの『始まり』を再確認して、微笑みを湛える。




   ◆ ◆ ◆


「いずれにせよ、我々は決断を急がなくてはならない――」
 大統領が立ち上がった。クリスとキリオもその腰を同時に上げて続く。
「――お礼の言葉はまだ、言いませんよ。万事が解決したその時に最大級の賛辞をあなた方に申し上げる。たった今から、それが私の『夢』となりました」
「して、これからどうなされますか?」
 大統領のそんな詩情を含んだ宣言には直接、答えないクリスだった。
「戦うのよ」
 簡潔な大統領の返事に、キリオが首を捻った。

「侵攻してくる『かもしれない』人達と戦う前に、戦わなきゃならない人達がいるの」

 クリストファは、大きく頷きを加えながら。
「大統領、あなたは素敵だ」
 ジャニス・ハッシュポピー・シュバリエは真顔で向けられたクリストファ・アレンの言葉を受け、柄にもなく赤面をしてしまった。

「うふふっ、照れますわね――」
 だが、そんな赤面を数秒間ほどで引き締めて。大統領は、システムデスクにて控えていた部下の一人に対し、その紅唇を大きく開いた。

「臨時国会、非常招集!! ジャニス・シュバリエの名において、これより二時間後に全員集合!!」

 言葉を受けた国防委員長が、席上で仰け反った。
「に、二時間後というのはあまりにも無茶です――」
 酸欠の金魚のように口をパクパクとさせたままの上司に成り代わり、副委員長が抗議を行ってきた。けれど。

「私が大統領なのッ! 文句あるッ!?」

「ありません!!」
 絶叫し、副委員長は貴賓室を半ば転がりながら退室していった。

 キリオは、もう少しで拍手を打つところだった。勿論、クリスも。



   ◆ ◆ ◆


「ところで――恥ずかしながら、物資が多少、欠乏気味でして」
 副委員長がローリング・アウトしてからおおよそ十分後、慌ただしい通信の幾つかを終えて落ち着いたように見える大統領にクリスは口を開いた。
「物資――ああ、そうでしょうね。ごめんなさい。まるで、思い至っていなかった――何でも用意させますから、遠慮無くお申し出下さい――国防委員長、いいわよね?」
 袖のカフスを取り替えながら――どうやら、プライベート用とフォーマル用で使い分けているらしい――大統領が暇そうな国防委員長に言い放つ。その『確認』が半ば、『命令』に等しい響きがあったことに関しては今更、表現を行う必要もないだろう。
「――は、問題は無いと思われます」
 どうも面白くない方向に事態が推移しつつあることを悟っていた国防委員長だったが、人道的見地からしてもそんな要請を蔑ろにすることは論外であり――どこか諦観して、頷いたアーサー・ラウンドであった。

 だが、それでも。彼等が武器弾薬の類の補給などに言及してきた日には、それは噛み付かせて頂く――国防委員長は静かに密かに、その決意を固めた。

「具体的にはどう言った?」
 ラウンドが尋ねる前に、大統領が質問を行ってくれた。端末に添えた自分の両手を不安感が震わせる。ミサイルか、弾薬か、それとも携帯火器の類か――ラウンドはその息を呑んだ。

 キリオから手渡されたメモ帳をクリストファ・アレンが果たして、読み上げた。
「えーと……乳幼児用紙オムツ、哺乳瓶、小児用薬品各種……」

 大統領はその目を見開いて。

 その数瞬の後、口元に手を当てるのも忘れて笑い声を爆発させた。

「あっはっは! ああ、あなた方、本当にナイスガイだわっ!!」
「それはそれは――はっはっは――」
 いつの間にか、大統領に続く笑い声を演技ではなく、心から立てている自分自身に気付き、アーサー・ラウンドは困惑した。

「ところで肝心の食料品はどうなのでしょう?」
 先回りした質問を大統領。
「ええ――まあ、生鮮食料品が『やや』不足気味ですけど」
 クリストファは全く、正直に答えた。隠し立てしても意味はない。
「ふうん――いずれ、船内の皆さんともお会いしたいわね。その時は是非、ご馳走を振る舞わせていただきたいわ――オミヤゲ、たっぷりと抱えてね」

「「大歓迎ですよ」」

 二人の異邦人が全く、同時に声を合わせて答えてくるに及んで、大統領は再び、盛大な笑い声を立てた。


   ◆ ◆ ◆


「リーチェ副長、ANGEL01からコール。席に上げるわよ」
 ナナ・マネーシーがいつもの口調で報告を行った。
「ありがと」
 フォーチュンの副長、ベアトリイチェ・ノイマンがお礼の言葉を向けるのと同時に、艦長席に内蔵された立体映像が若干の砂嵐を含みつつ――それでも画質は極めて良好だった――開かれた。恐らく、その体のほとんどは機外にあり、ステップからカメラを覗き込む形での送信を行ってきているのだろう。やや、窮屈そうな表情を顔に乗せながら、彼等の『主任』であり、副司令官であるヒムラ・キリオからの通信であった。
『よお。麗しのエテルナの大地より、ANGEL01――ヒムラ・キリオの通信だ。異常はないかな、リーチェ副長?』
 そんな副司令の口の動きと、飛び込んでくる音声に若干のラグがあったが、気になるほどのものではない。
「こちらも問題なし。外部からの物理的、データ的侵入も全く認められません。現在、艦長は席を外しておいでです。私で問題がなければ承ります、副司令」
 実は、問題は『大あり』だったのだが、敢えて報告を割愛したベアトリイチェであった。もっとも、これはソフィ・ムラサメ艦長のお達しがあってのことだ。そんなこちらの言葉を受け、画面の中のキリオが顎に手を当てるのが確認できた。
『そっか。まあ、こちらも異常は無しだ。想像以上に、大統領が話の通じるご婦人で、拍子抜けしている位のモンではある――』
 立体映像の中のキリオが実際に微笑を浮かべた。
『――で、だ。取り敢えず、俺はフォーチュンに帰艦をすることになった。これはクリスの――いや、総司令の意向でもある』
「俺は――ってことは?」
 首を大きく傾げながら、ベアトリイチェ。
『ああ。クリスはな、ちょっとエテルナに残ることになった。大統領が、そして何よりもクリス本人が希望してな』
 カメラから視線を外しながら、淡々とキリオは言い述べた。彼自身が納得し切れていない、そんな様子はこちらの側から見ても明らかではあった。
「なるほど――で、主任はどうやって帰艦するのです?」
 キリオの内心を忖度することは副長の仕事ではない。そんなベアトリイチェは、不本意ではあったが、その頭を実務的なものへと切り替えながら、尋ねた。
『大統領が警備船を一隻、回してくれるそうだ。ご厚意を無下にするのもアレなんでね、そのお申し出に甘えさせていただこうと考えている――ところで、艦長はどした?』
「ちょっと工房ブロックの方に赴かれています。呼び出しましょうか?」
『ふむ――』
 立体映像のキリオがその眉間に皺を幾筋か寄せた。
『――必要ない。帰艦時刻が決定次第、改めて連絡をするからさ』
「分かりました。後程、艦長に伝えておきます」
『頼むよ。そんじゃね』
 砕けた敬礼を行って、キリオの側から通信が切断された。


   ◆ ◆ ◆


「必要物資の方は後日、別便ということで宜しいですか?」
 国防委員長が手に持ったリストとキリオの顔を交互に見遣りながら言ってくる。
「そうですね――量が量になるでしょうし、そうして頂けるとこちら側としても非常に助かります」
 物資の受け入れ準備に関して、神経質に成らざるを得ないキリオではある。天文学的に低い数字であろうとは思うものの、爆発物、そして生鮮食料品の類に関しては毒物の検査も行う必要があるだろう。
「その辺の手続はキリオ、君に一任する」
 副司令官とは対照的に、既に気密服からフォーチュン軍服へと衣替えを行っていた総司令官は、自らのネクタイを念入りに締め上げた。
「心得た。じゃあ、一足先に戻させて貰うからさ」
 ヘルメットを小脇に抱えて、ヒムラ・キリオはその長身を立ち上げた。
「みんなに宜しく、伝えておいてくれ」
 差し出されてきたクリスの手を、キリオがゆっくりと握り返す。
「お前さんもしっかりな――大統領、総司令官をお願いします」
 未だそのソファ上で座したまま、二人の会話を控え目に――それでも微笑みを浮かべながら――拝聴していた大統領がゆっくりと立ち上がって。

「それは、シュバリエの名誉に誓って」

 キリオは最後に今一度、クリストファの手を固く握りしめた。

 これより半時間ほど後に、ヒムラ・キリオは専用のシャトルにてフォーチュンへと帰還を果たすことになる。以後、フォーチュンの側で大統領を始めとする各ブレーン達との折衝、情報交換を行う窓口となるだろう。そして、総司令官たるクリストファ・アレンはエテルナ本星に留まることが決定されていた。婉曲的に大統領が希望をしてきたこともあったし、クリス自身もまた、その必要性を強く認識していたのである。若干、キリオが気に病んだ様子を見せはしたが、大統領の希望と、クリスの決断に秘められた双方の意図を把握できない程、その頭の回転は悪くなかった。とても、諸手を挙げての賛成はできなかったが。

 人質――と言う表現は適切では無いかもしれないが、こちら側の誠意をアピールしておくのは悪いことではない。事実、クリスまでもが揃ってフォーチュンに篭もってしまって
はあらぬ疑惑を先方に提供しかねないと言う危険性もある。

 その場合に残る人間として、最も強い説得力を発揮できるのは総司令官たる、クリストファ・アレンの存在を置いて他にないだろう。

 副司令として、そして何よりも友人としてヒムラ・キリオが譲ることのできなかった一線としての、幾つかの取り決め――フォーチュンとクリストファ・アレンの間で取り交わされて然るべき通信に関して一切の制限を設けないこと、そして何よりも総司令官の身の保全に対して、エテルナ政府側が最大限の力を尽くすこと――に関して彼が神経質になったのは致し方ないところだった。無論、大統領に対しては全面的に近い信頼をキリオは持つに至ってはいるが、その他の人間がどうクリスを扱ってくれることになるのか――と言う点に関しては不安が大きく残る。

『シュバリエの名に誓って』

 キリオは大統領が再三繰り返す、そんな言葉を半ば自分自身に言い聞かせながら、エテルナの大地を後にする。


 四時間と十三分。

 これは、ヒムラ・キリオがエテルナの大気を摂取していた全時間であった。
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2703年01月01日

第II光:『光臨』 第一章 驚天動地 - VIII


「アレン様、それでは四時間後にお迎えに上がらさせていただきます。どうか、ごゆっくり」
 大統領が臨時国会の場へと赴いてより一時間程の間、話し相手をしてくれていたマリーベル・リンス嬢がスカートの両裾を軽く摘み上げ、軽快な一礼を行った。
「うん、ありがとう――楽しかったよ」
 自らの腰を上げて、クリスは偽るところのないお礼を言い述べる。
「うふふ、私もですわ」
 今一度、フレンチ・メイド然とした挨拶を行って、マリベルは静かに退室していった。

「――ふう」
 ネクタイを片手で緩めながら、クリストファ・アレンはベッドの上で大の字となった。ほとんど真綿の上で横たわっているに等しい感覚を提供してくれるこのベッドが最高級に近い品質を持っていることに疑いはなかったが、煎餅布団をこよなく愛するクリスとしては少々、柔らか過ぎるように感じられる。
『軍隊暮らしが全てだったからな』
 クリスが今、仮の住人と相成っているこの部屋は大統領官邸に備えられた数多い客用寝室の内の一つであるらしい。大統領直々の命令でクリストファ・アレンのお付きとしてあることを命じられたマリーベル・リンスがそう教えてくれたのは、つい先刻のことだったが。
 ヒムラ・キリオと別れ、大統領専用のリムジンに乗せられたクリスがこの大統領官邸に迎えられたのはほんの一時間前のことであった。自分のような『火薬』を預かるにあたって大統領がその頭を悩ませていることは想像に難くなかったこともあり、事実上の『軟禁』を受けはしていてもその気分に障るところは全く無かった。大統領本人は臨時国会へ参加しなければならないと言う事情もあって、今頃は首都アルタミラに構えられている国会議事塔に入場を果たした頃合いだ――と、これもマリベルの言葉ではあった。
 そんな賓客、クリストファ・アレンをマリベルは実に丁重に扱ってくれた。壁に掛けられたTVの使用法であるとか、システムデスク上に備えられた情報端末の操作法までをも丁寧に教えてくれたことに関しては、クリスとしては驚愕を禁じ得なかった。
『TVはともかく、ネットに触れても良いのですか?』
 このクリスの質問は実に当たり前のものであったが、マリベルはその顔色を全く変えなかった。
『はい。大統領から自由に閲覧を行って欲しいと――ただ、該当の端末はこちらからの情報発信は不可能な仕様になっておりますから』
 実際に端末の主電源を入れながら、マリベル。
『そりゃそうですな――いや、でもありがたい。是非、使わせてもらいます』
 クリスは心から大統領に感謝した。エテルナの現状に関する情報が欲しいのは全くの事実であったし、TVの類に比べ、文字情報と言うものは絶対的に含む情報の量が違うのだから。まして、自由に『ウェブ』を閲覧できると言うのは、これに勝るものは無い。

 そんな情報端末の使用法を簡単にマリベルから教えてもらった後、クリスとマリベルはちょっとした茶飲み話を行った。当初、マリベルはクリスの分のお茶だけを淹れたのだが、じっと傍で控えられていることにどうにも落ち着けなかったクリスが『お茶』に誘ったと言う経緯があった。別に、『ナンパ』を行ったわけではない。
 メイドと言う自分の立場を思い量ってか、そんな『お茶』の誘いにマリベルは少なからずの動揺を見せたが、クリスが今一度の誘いを掛けることでようやく折れてくれた。彼女の主人――他ならない大統領のことだ――に関する話から始まって、エテルナで起こった最近の事件などについて話を進めていくと、最初は堅かったマリベルが、三十分もすると次第に打ち解けた様子すら見せてくれるようになり、いよいよ会話が弾むこととなったのである。

 ようやく好転――別に険悪だったわけではないけれど――へと至った互いの関係を打ち切ることを心から忍びなく思ったクリスだったが、大統領が議会で時間を費やしている内に可能な限りの情報を集めておくべきだ、との義務感を押し切る程のものでもなかったので、惜しみつつもマリベルとのささやかな「お茶会」を中断する決意を行って――冒頭の会話へと戻る。

 時間にして十分余りをベッドの上で茫洋と過ごしてから、クリスは壁に掛けられたTVの電源を入れた。




   ◆ ◆ ◆


「先生、さようなら〜」
 男子児童がその背後から声を掛けてきた。
「気を付けて帰るのよー」
 振り向いた教師が声を返した時はだが、既に男子児童の姿は豆粒程の大きさになっていた。恐らく、その男子生徒は通学において禁止されているエアー・ボードを使っているのに違いない――女性教師はそう推測した。
「やれやれ」
 苦笑を湛えつつ、マキーナ・ローゼンベルクは自らの教務室への扉を開いた。たまたま一階に備えられている自分専用の教務室は、校庭から直接に出入りを行えるので、何かと楽をさせて貰っている。
「さて、帰りますか――」

 大して散らかっていることもなかった机上を簡単に整頓し、フォルダに答案用紙が挟まれているのをしっかりと確認してから自分のデイバックへと収納する。これは自宅で採点を行うことに決めているものである。三台設置されている情報端末が全て待機状態になっているのをやはり念入りに確認し、
「問題なし、と――」
 ライダー・ジャケットをハンガーから取り出して着用を行いながら、夕飯の献立について軽く思いを至らせた、その時。椅子に置かれていたエア・バイク用のヘルメットから軽やかな着信メロディが立っていることにマキーナは気付いた。
「あらあら」
 慌ててそんなヘルメットを取り上げて、素早く装着。電話部分を抜いてしまっても良かったのだが、どうせこれからバイクに乗って帰宅すると言うこともあって、横着をしてしまったマキーナ・ローゼンベルク先生であった。果たして、バイザーの中に映し出された相手の名前は『ジャニス・ハッシュポピー』。素早く、回線を繋ぐ指示を彼女は行った。
『もしもーし』
 ヘルメットの左スピーカーから、聞き親しんだアルト声が流れ出てきた。彼女がなんと、大統領になってしまってからはすっかり、ご無沙汰ではあったが、親友も親友、大親友である。
「ひっさしぶり! ジャニス、元気!?」
『あー、まあ、条件付きで息災、ってところかな。宮仕えは辛いよ――』
 いつになくテンションが低い親友の第一声に、マキーナは彼女の現在の境遇に心から同情した。国民からの人気は圧倒的に高いが、政界においては半ば孤立している彼女の状況は多くの人間が知るところだ。
「まあ、あなたなら大丈夫よ、大統領!」
 心の底からのエールだ。
『ありがと――で、ちょっと時間が無いからさ、単刀直入に聞くけどあんた、今夜時間取れる?』
 そんな言葉の背後から、ガヤガヤと人のざわめきが響いてくる。親友兼大統領は、何かしらの会議場から電話を行ってきているのだろう。
「えっ――うん、今晩は暇だけど」
 大統領が急いているのは言葉上だけではなく、その口調からも滲み出ていたので、マキーナはそれこそ『単刀』に答えた。
『良かった。じゃあ、また時間が決まったら連絡する。車を寄越すから、家で待機していて頂戴』
「へっ――く、車??」
 マキーナは言葉に詰まった。一体、何事なのか。
『ごめん。時間がないから切るよ。数時間後に連絡、入れるから――んじゃ』
 そして、大統領からのプライベートな電話は切断された。ツーというノイズだけが、ヘルメットの中を響き渡る。
「一体、何なのよ――」
 マキーナは、一つ苦笑した。また、何か『ドッキリ』でもやらかそうと言うのだろうか、と言う邪推が浮上してきたが、そんな暇が今の大統領にあるとは思えない。

 差し当たって、この夜が潰れることを想定したマキーナは、自宅に戻ってまずは生徒達の答案の採点を早い内に済ませることを決意した。


   ◆ ◆ ◆


「おかえりなさい――ヒムラさん」
「お疲れ、キリオ」
 エテルナ航宙警察の巡視艇から降り立ったヒムラ・キリオを、ソフィ・ムラサメとリンダ・フュッセルが迎えてくれた。
「――ただいま」
 艦長に対して、引け目を感じるところがある訳ではなかったのだが、キリオはその瞳と向かい合う気にはどうしてもなれなかった。本人が希望したこととは言え、クリストファを残して自分だけが戻ってきたことに関して、心の何処かで罪の意識を引きずっている為だ、と言う分析は簡単に行えたが。もっとも、ソフィ・ムラサメの表情には何ら、含まれたものは乗っていなかった。
「あ、紹介しないとな――」
 巡視艇が接地を行ったこの場所は第二格納庫で、その両隣には三機のワイヴァーンが羽を並べていた。キリオの背後に付き従っていた女性警官が、軍隊のそれとは大きく異なる敬礼をソフィとリンダに向けた。
「エテルナ航宙警察、アルタミラ第28分署の所属、アムロ警部補であります」
 浅黒い肌に、癖のある黒髪が魅力的な、ポリネシアン系の人種傾向を色強く持った女性警部補に対し、ソフィは、こちらは軍隊式の二段階敬礼を返しながら。
「フォーチュン艦長、ムラサメです。階級はありません――フォーチュンへようこそ!」
「リンダ・フュッセル。やっぱり階級は無し。宜しくお願いしまっす」
 リンダの敬礼はやや、砕けたものではあったが、緊張に極まっていたアムロ警部補の精神の糸を弛ませる効果を上げることはできたかもしれない。もっとも、『階級はありません』の下りで、アムロ警部補としては吹き出しそうになったのだが。
「大統領の命令でヒムラ・キリオ氏をお届けに上がりました。出来ましたら、サインを――」
 それでも尚、今にも溢れ返りそうな緊張に手を少なからず震わせながら、アムロ警部補はプラスチック製のボードをソフィに差し出した。そんな彼女は、初めて【フォーチュン】に直接乗り込む人間として、尋常ではない緊張感の発生を元より禁じ得ないでいた。更に付け加えると、そんな自分に向けて鎌首を並べているワイヴァーンの姿もまた、彼女から落ち着きの要素を容赦なく毟(むし)り取っている要素ではあった。それも一際に目立つ深紅の塗装が施された機体のコックピット上には、機体色と全く等しい気密服が腕を組みながらこちらに隙のない視線を注いでいるのだ。風防を上げた状態でこちらを監視していると言うのは当然、『威嚇行為』以上のものではないのだろうが、そもそも『戦闘機』と呼ばれる存在自体が他次元のものでしかないアムロ警部補においては、とても平静でいられるものでは無かった。なお、そんなワイヴァーン上の気密服の『内臓』は言うまでもなくフローラ・ザクソンであり、観察者がその傍らに位置を定めていれば『ガルルルルル』と言う唸り声を聞き取ることができたかもしれない。
「サインですね。了解しました」
 柔らかい表情と等しい声を返しながら、ソフィは万年筆を取り出した。

「なんだか、宅配便になった気分だね、それって――」
 キリオが我慢できず、呟いて。
「ナマモノ注意ってね――」
 リンダがやっぱり、我慢できずに続いて。
「天地無用――」
「時間指定荷物」

 無重力での使用も可能とする万年筆で、流れるようなサインを行っているソフィの姿を眺めながらのキリオとリンダの夫婦漫才だったのだが、これは失敗だった。誰にとっても。

 プレートを保持していたアムロ警部補がそんな漫才に反応して吹き出してしまい、ソフィの万年筆の筆先があらぬ角度に跳ね上がってしまったのである。

「ああああああっ――!?」
 ソフィの悲痛な叫び声が格納庫を響き渡る。

     S.MurasaVe



 S・ムラサヴェになってしまった。誰ですか、アンタ。


「か、艦長になってから初めてのサインだったのに…………」
 リンダとキリオに一瞬、凶悪な眼光を向けたソフィだったが、目の前のアムロ警部補が懸命に笑いを堪えている姿を見ていると、なんだかどうでも良くなってきてしまった感があった。
「あの……大丈夫ですか?」
 警部補はその顔を伏せて、表情を見られないように努めてはいたが、その両耳が真っ赤になってしまっているのは充分に確認できた。彼女の肌の色で、ここまで赤く見えると言うことは、相当に苦しんでいるに違いない――ソフィはそう、邪推した。
「す、すびばせん――ら、らい大丈夫でず」
 結局、立ち直るのにそれからたっぷりと数分を要とすることになった。


 レイコ・アムロ警部補は、大変な笑い上戸であったのである……。




   ◆ ◆ ◆


「お待たせしました、アレン様――」
 控え目のノックに続き、マリベルが静かに扉を開けてきた。ここ数年のエテルナ情勢の把握に没頭していたクリスは、反応がやや遅れたかもしれない。
「あ、ごめんごめん――」
 机上に散らばった――端末からプリントアウトしたものである――書類の束を掻き集めながら、部屋の入り口で楚々(そそ)と佇んでいるマリベルへと振り向いた。
「ジャニス・シュバリエがたった今、国会議事塔を後にしたそうです。お食事を共にしたいのでお連れするように、と言い遣っております」
 マリベルのその言葉を丁寧に受けてから、クリスは自らの腕時計を一瞥した。
「ほぼ、予定通りだったわけか――」
「そうなりますね――」
 顔色を変えることなく、マリベルが答えて、その言葉を続けた。
「テナフライ市にある『寿司飛(すしとび)』での夕食となります。出発はこれより十分後、と言うことにしようと思いますがご都合は宜しいですか?」
「うん、問題ないよ」
 寿司、と言う響きは驚きだったが、否定する意志は元より存在しないクリストファであった。
「それでは、十分後に再びお迎えに上がります。それと、アレン様に合わせたスーツの方を用意させて頂いたので、もし宜しければドレッサの中からお好みのものを選んでください」
 柔らかな物腰で備え付けのドレッサを示しながら、マリベルは言った。
「――何からなにまでありがとう、マリベル」
 これはクリス、心からのお礼の言葉である。
「いいえ、それが仕事ですからお礼を言われるには及びませんわ――では、失礼いたします」
 洗練された動作でマリベルが退室していった。いつの間にか用意されていたのか定かではなかったが、ドレッサの中には確かにスーツが数着、用意されており、クリスは感心。
『ほんと、いつの間に――』
 そもそも、自分の身長であるとかウェストであるとか……答えた記憶も無い。あのスーパー・メイドが目測で測っていたとしても驚かないクリスではあったが。

 オーソドックスなダブルを選んだクリスは、着替えを開始した。


   ◆ ◆ ◆


 スーツに袖を通し、髪の毛に軽く櫛を入れてから、軟質ゴムで構成された髪留めで後ろ髪を縛り上げる。

 そんな髪留めがミランダからプレゼントされたものであったことを思い出してしまい、ホーム・シックを患い掛けている自分自身に気付いて、苦笑。

 ネクタイのドロップがきちんと完成されていることを最後に確認して、クリスは鏡に移された自分自身に対し、はにかんだ笑顔を向けた。

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2702年01月01日

第II光:『光臨』 第一章 驚天動地 - IX


「そうか、そんなことが――」
 傾け掛けていたビールを止めて、キリオはグラスをテーブルへ戻した。
「あ、気にしないで呑まれればいいのに」
 貴重な風呂上がりの一杯を奪ってしまった感が否定できず、ソフィは苦笑した。
「うん、頂くけど――そうか、アテナがなぁ」
 そんな二人は今、『赤提灯〈改〉』の客人となっていた。店の主は現在は艦橋における実技教官の任務へと就いており、二人は湯気立つ『おでん』を自分達で給仕しなくてはならなかったが。
「詳細なデータ、リンダがまとめているから、後でご覧になって下さい」
 キリオの飲酒を促す意味を暗に込めて、ソフィ・ムラサメはグラスの中の日本酒を飲み干した。明日は丸一日の休暇があることもあって、少しばかり酒量を超しても問題は無いはずだ。もっとも、休めるとは限らない状況が『今』であるとも言えるが。
「クリストファ・アレン専用機――か」
 一口だけビールを含んで、キリオは呟いた。
「思ったんです。アテナ――クリストファを大切にしているのとは、ちょっと違うなって」
 昆布巻きに辛しをたっぷりと付けて、頬張りながらソフィ。
「違う――とは?」
 キリオは抱えたグラスを再度、カウンターへと戻した。
「何と言えばいいのか――そう、クリストファを『必要』としているだけに思えると言うか」




   ◆ ◆ ◆


「びっくりしたわよ、突然電話は掛けてくるわ、リムジンで乗り込んでくるわ――」
 リムジンの後部に備えられている客用座席で、マキーナ・ローゼンベルクは自分の真正面で足を組んで座っている友人に非難の目を向けた。無論、心からのものでは有り得ない。
「ごめんねぇ。ちょっと時間が押していてさ――」
 実際、大統領は気分を害するところ無く、闊達な笑い声を戻したものだった。時間が押してしまったのは全くの事実で、最初は自分とは別便でマキーナのピック・アップを行わせる予定だったのだが、友人の住まいが『目的地』への途上にあったこともあり、自らのリムジンを直接向けさせたことで、このの状況へと至っているのである。黒塗りのリムジンで、それもSPの一人が直接、アパートの玄関先まで迎えに上がったことが友人を驚愕させることになったのも無理からぬところだ。
「ま、良いけど。おいそれとリムジンなんか乗れないし――ましてや、大統領閣下とご一緒できるなんて、これはちょっとした自慢だわね」
 膝の上で器用に頬杖を突きながら、マキーナ・ローゼンベルクは窓の外へと顔を向けた。確か、天気予定では夕方から軽めの雨が降ることになっていた。
「メニューは『寿司』になるけど良いかな?」
 親友を兼ねた大統領はいつもの声で言ってきたが、薄暗い車内の中では、その表情までは伺うことが出来なかった。そもそも、マキーナは窓の外を眺めたままの状態である。
「寿司――良いわね、久し振りだわ。って、それよりも一体、何事なの? そろそろ教えてくれても良いんじゃないの?」
 いよいよマキーナは頬杖を解除して、今宵のホストへとその顔と体を向け正した。
「うん――」
 ジャニス・ハッシュポピー・シュバリエは相手に悟られないようにして、息を大きく吸った。
「会って欲しい人間がいるんだ」
 薄暗闇の中から飛ばされてきた友人の言葉は、特に意外なものではなかった。
「ふうん――どんな人? そもそも、男性なの、女性なの?」
 耳元のイヤリングに触れながら、マキーナ。
「――男性だ」
「じゃあ、合コンみたいな感じってことかしら? ――ふふっ」
 自分で言い述べながら、マキーナは苦笑してしまった。だが、ジャニスはそんなマキーナには乗ってこなかった。これは意外。マキは、言葉を続け掛けたのだが、大統領の発言の方が一歩だけ、早かった。
「名前がな――」
「なまえが?」
 マキーナはその首を大きく傾けた。

「その男性の名前は、クリストファ・アレンと言うんだ」


 ◆ ◆ ◆


 同じ時刻、大統領が指定を行った『寿司飛』へと向かっている車がもう一両、存在していた。
「ふと思ったんだけど、魚の種類なんて多いのかな?」
 ダブルのスーツに身を包んだクリスは、自分の隣でドレスの裾を気にし続けているマリーベル・リンス嬢に話し掛けた。
「ええ、ネタの種類は太陽系程とは言いませんが、満足はしていただけると思います」
 そんなマリベルが、女主人から『賓客と共に寿司飛へ来るように』と意外な仰せを受けてひっくり返ったのは今から三十分ほど前の話だった。そのプライベートにおいて、大統領と食事を共にするのは珍しい話ではなかったが、こうしたフォーマルな場に招かれると言うのは全く、想定の外であった。大きすぎるOB(アウト・オブ・バウンズ)である。
「やっぱり培養なの?」
 賓客のクリストファ・アレンが尋ねてくる。
「ええ、ですが最近はトリトン湾において養殖も始まっています。まあ、半々、と言ったところではないでしょうか」
「ふうん、楽しみだなぁ」
 心からそう言いながらも、クリストファはフォーチュンの仲間達にも新鮮な魚を食べさせてやりたいな、等と考えてしまう。フォーチュンに備えられていた食糧備蓄庫の中身は、現段階で五分の一程が消費された、という報告をリーヌ離脱の間際にクリストファは受けていた。
 生鮮食料品、特に生魚の類は元から備蓄が少なく、たまの祝賀パーティー等でチラシ寿司と言う形で『放出』を行うのが関の山であり、日系のお歴々においてはささやかなストレスの温床となっていたかもしれない。もっとも、厨房組の努力もあいまって、日々趣向が凝らされた料理の数々は乗組員達に飽きを覚えさせるようなものでは無かったから、大きな問題である、との表現はやはり適切ではないかもしれない。
 野菜類においてはセクノアやピエトロの弛(たゆ)まぬ努力が実った結果、トマトや茄子、大根と言った数種類の艦内に於ける栽培に成功しており、そんな二人組は周囲から『神』として崇め讃えられていたことを余談として付け加えておこう。

 クリストファ・アレンは『我が家』から『現実』へとその心を引き戻した。あわや、没頭しそうになっていた自分自身に対して、胸の内で苦笑した。
「『寿司飛』は本日、貸し切りと言うことなのでご安心下さい――それと」
 マリベルは、ドレスの上でその両手をもじもじとさせている。
「それと――なんですか?」
「ええ、あの――他にもう一人、お客様がいらっしゃるということを大統領が」
 マリベルのその言葉に、クリスはその居住まいを正した。
「どう言ったお方なのです? やはり政府関係者になるのかな?」
 薄暗い車内ではマリベルの表情ははっきりと見えない。
「いいえ――大統領の、『ごく親しい』ご友人なのだそうですが――すみません、私も詳しくは知らないのです」
 マリベルの為だけにその緊張を大袈裟に解いて見せる。
「へえ――ガールフレンドでも紹介してくれるのかな……って、それじゃ合同コンパだねぇ」

 事情を全く知らないマリベルであったが、そんなクリストファ・アレンの言葉を受けて、微苦笑。



   ◆ ◆ ◆


「悪趣味だわね、ジャニス」
 公務員であるマキーナ・ローゼンベルクは、怒りすら篭められた言葉をそのまま、投げ返した。
「――それ位の覚悟なんだよ、マキーナ」
 何が『どれ位』なのか、言及を省略した親友兼大統領のそんな返答にマキーナは絶句するが、省略された部分を忖度できない程に子供では無かった。
「まあ、珍しい名前じゃないし――良いわよ、乗って上げる」
 マキーナにとってこれは精一杯の妥協点であったが、大統領はそれでも尚、堅い面持ちを維持し続けている。
「今、全ての関係各所を総動員して、『クリス』のデータを集めているところなんだ」
 硬い表情のまま、大統領。
「――怒るわよ」
 いよいよマキーナは、その身を乗り出した。悪趣味どころではない。これ以上は勘弁して欲しい、と心の古傷が大合唱していると言うのに。大統領と言う重職に就いてから、目の前の女はそれ程に変わってしまったのか。
「マキ――」
 大統領は学生時代のあだ名でコールを行い、その身体を対象の隣へと運び、肩に手を置いた。
「――落ち着いて聞いて欲しい。もしかしたら、勘違いである可能性もあるんだけど、その時は殴るなり蹴るなり、好きにしてくれて構わない」
「そんなこと」
 出来る訳ないじゃない――とは、マキは続けられなかった。微かな照明の中で浮き上がる親友の顔が全く真摯だったことと、何よりも肩に回されたその腕から、ジャニスの震えが伝わってきた為だった。
「――ごめん。続けて」
 親友に対して、ほんの一時(いっとき)とは言え、厳しい言葉を投げ付けてしまった自分自身に対する嫌悪感を深く覚えながらも、素直な言葉を絞ることが出来たマキーナ・ローゼンベルクであった。
「マキーナ。これからあなたに私が喋ることは、絶対に他言無用でお願いしたい。巻き込んでおいてなんだけど、それは確約してくれる?」
 差し込んできた街灯の灯りが一瞬だけ、ジャニスの表情をマキーナに確認させることを許したようだった。それは大変に、痛々しい表情だった。
「誓って」
 半ば条件反射的にマキ。ジャニスは大きく頷いたようだった。その表情はやはり、全ては見ることが出来ない。
「どこから話そうかな――」
 マキーナは、ただ待ち続けた。ジャニスの言葉を。
「ええとね……太陽系から、一隻の宇宙戦艦が『亡命』してきて――まあ、まだその意志は受け取ってはいないんだけど――でね、そのリーダーの名前が『クリストファ・アレン』だったんだ――」
 ここで、ジャニスは言葉を止めた。マキーナは、やはり無言。そもそも『宇宙戦艦』だとか、『亡命』という耳慣れない単語は気にも掛からなかった。
「――微妙な点は確かに存在する。その軍人――アレン氏の年齢は、22歳ということだったし、そもそもがエテルナへの訪問は初めてである、と本人が公言している――」
 ちなみに、マキーナとジャニスは今年で25と言う年齢を迎えることになっている。必ずしも、望むところではなかったかもしれないが。
「ただな、私もいい加減うろ覚えになってはいるんだけど」
 ジャニスは、その手に力を込めた。
「――瞳の色、髪の色、その声――そして何よりも、顔。間違いない、と私は判断せざるを得なかった」
「茶色の瞳、茶色の髪――そして名前だって――繰り返して申し訳ないけど、偶然の一致は充分以上に有り得るのではなくって?」
 マキーナとしてはそう言わざるを得なかったが、これは大統領としては予測範囲内に属する発言でもあった。
「だから、あなたを今日――呼んだわけ。こんな行動自体が越権行為だってことも承知している。だけど、私自身が――落ち着かないの」
 そう締め括った大統領の碧眼には、常にない悲しげな色が。
「分かった。恨んだりしないわよ――とにかく、そんなクリストファ・アレン氏に会ってみましょう。あなたの精神安定剤の一部になれるのならそれで良いよ――」
「助かるよ」
 大統領は心から、親友に対してそう答えた。

「あと五分ほどで到着いたします」

 運転手の声が客部座席に備えられたスピーカーから発せられた。

 そんな運転手に答えることはせず、大統領は今一度、マキーナ・ローゼンベルクの肩を引き寄せた。


   ◆ ◆ ◆


「いらっしゃいませ」
 和服姿の女性店員に揃った礼を行われて、クリストファは物理的に半歩ほど、後退した。あわや、『いらっしゃいました』と答えそうになる自分自身を戒めつつ、マリベルが店員と軽い打ち合わせ――と言うよりも、確認に近いものだと思われる――を行う様子をただ、呆然と眺め続ける。
「上着をお預かりしましょう」
 音もなく寄ってきた店員に対して軽い狼狽を覚えつつ、クリスはあたふたとそのスーツ上着を脱衣した。ここまでジャパニーズ・スタイルに徹した店に入るのが初めてだったこともある。そんな半面、こんな店に連れてきた日には、覿面(てきめん)に喜びはしゃぐキリオ達の姿が容易に想像できて、物悲しい気分にもなった。
「今日は私達の貸し切りですから、気苦労は無用ですわ」
 クリスと同じく、自らのドレスを店員に預けながらマリベルが言う。着慣れていないせいか、ドレスの裾や剥き出しの肩が気になって仕方がなさそうな素振りであった。
「まだシュバリエ公はいらっしゃっていないのかな――?」
 さりげなく、マリベルのドレス姿を観察しながらクリスは言った。
「ええ。あと五分もすれば到着するそうです。先に個室へ入っているように、とのことです」
 こちらに――そう言って歩き始めた店員の背中に着いて、広い店内を歩く。薄暗い照明設定がなされたそんな店内は、いかにも『和風』なデザインを意識して作られていることにクリスは改めて気付いた。キリオ達と出会うそれ以前より、『和』の文化が持つ柔らかさ、繊細さは嫌いではなかったが、この店構えは相当にセンスが良い、と感嘆せざるを得ないクリストファである。いつか、彼等を連れてきたいものだ。
「――アレン様?」
 物思いに耽っていたこともあり、いつの間にやら目的地へと到着していたようだ。既にマリベルは個室の中へと入っており、その入り口からこちらの様子を窺っている。
「あ、失礼――」
 クリスは慌てて入室を試み掛けたが、革靴のままで畳敷きの室内への一歩を踏み出そうとしてしまった自分自身に、どうにか気付くことが出来た。
「あぶね」
 マリベルの笑顔を受け取りつつ、丁寧に靴を脱ぐと、いよいよ室内へ。
「なんというのかね、こういうのは――」
 室内を見渡してのクリスの第一声であった。
「私もあまり詳しくないのですが――『雅(みやび)な』、とでも言うんでしょうね」
 蔦で覆われた壁掛けの『花活け』に梅が一輪、差されているのをクリスは陶然と眺めた。間接照明の施された室内はやはり薄暗かったが、来訪者に対してこれ以上にない精神的安楽を提供してくれていることは疑いのない事実だ。
「エテルナにも『梅』ってあるんだ――」
 その香りを楽しみながら、クリス。そもそもが、「梅」と言う植物に接すること自体が相当に久しい。ミニチュア(当然、遺伝子レベルで組み替えが施されたもの)の白樺であるとか、観葉植物の類はフォーチュンの中でも栽培されてはいたのだが。
「ええ。残念ながら、自生からは程遠い存在ですが」
 マリベルのこの返答は無論、動植物に関する厳しい管理をされているこの星、エテルナならではのものであっただろう。
「――なるほど。でも、良い香り」

 久しい梅の香を、クリストファ・アレンは存分に体感した。

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