2707年01月01日
第II光:『光臨』 第一章 驚天動地 - IV
「閣下、そろそろ定刻ですね」
大統領官邸専属のウルトラ・スーパー・グレート・ワンダフル・デリシャス・メイド、マリーベル・リンス嬢が陶製の水差しをご主人様に示した。彼女のご主人様は女性で、このエテルナ共和自由国において、最大の権力をその手中に有する――大統領であった。
「ありがと」
捧げ上げられた文字通りのシルバートレイ上の水差しを大統領は手に取った。今の彼女の体は必ずしも水分の補給を要求してはいなかったが、マリベルの心遣いに答える為の一連のアクションであった。
「突入角度に依りましては到着時間に遅れが生じることもあります。閣下、どうかロビーにてお待ち下さい」
国防副委員長、イム・ランザが仁王立ちを決め込んでいる大統領の背後から声を掛ける。
「いやよ」
振り向きもしない大統領。その長髪がトリトン湾から上がってくる強風に煽られて大きく波を打つ。現在、彼女を含めたSPを含む数十名はアルパイン空港の第一滑走路脇の仮設テントに控えている。なお、大統領は仮設テントに設置された専用座席にて悠長に座を決め込むつもりにはなれず、テント外で仁王立ちを行っていた。
「……ここは風も強いですし、お体に触りはしますまいか、と副委員長は仰っているのではないですかな、シュバリエ公?」
この慇懃無礼な物言いは大統領を除いた人間の懐に潮風を盛大に巻き入れた。これは副大統領こと、イアン・ハーフヒルの発言であり、白髪と等しい色となってしまった長い髭が印象強い男性である。何も知らない人間がこの光景を目の当たりにすれば、とてもジャニスの方の序列が上であるとはとても思えないだろう。下手を打てば、見るからに若い女性のジャニス・ハッシュポピーは副大統領にすらも見えないはずだ。
「ご老体には厳しいでありましょうな。構いません。私はここに留まります故、副大統領は『温室』へと戻られい」
更に大統領が慇懃無礼にも到底及ばない毒舌を奮った。取り巻きにとり、これはネェル・ヨコハマ名物のヴァィンツル颪(おろし)に等しい。大統領と副大統領の仲が良好でないのは今に始まったことではなかったが、これはやや行き過ぎだ。その場の誰もがそう感じた。前大統領の所属していた『共民党』が一連の『リッテンバウム汚職事件』でエテルナ国民の不興を買ってからはや二ヶ月。大統領の罷免にまで及んだエテルナ史上最悪と呼ばれる汚職事件は国会に圧倒的議席数を有していた共民党の支持率をも激減させた。だが、それでも余勢を保っていたそんな共民党は辛うじて、息の掛かった数名を政府高官の位置に残すことが出来たものだった。イアン・ハーフヒル氏は副大統領と言う事もあって、事実上の共民党が最高権力者であった。
「おやおや、なかなか辛辣なお言葉――老体には堪えますなぁ」
表面上は平静を装った副大統領だが、周囲の人間としてはそれこそ気が気ではない。
「大統領閣下がこの場に留まられて、卑賤の身が落ち着いていられましょうか」
続いたこの言葉にも、ジャニス・シュバリエは答えない。ただ、滑走路脇で腕を組んで仁王立ちを続けていた。
大統領の黒髪を再度、潮風が大きく波打たせたその時だ。SPの一人が静かな、だが確実な歩幅を守りながら大統領の下へと歩んできた。その片手には無線機が握られている。
「閣下、ゾーン警部補より連絡。全機、大気圏の突入に成功――とのことです。ここ、アルパイン空港への到着はこれより七分後、との事です」
「分かりました――」
SPの言葉に人知れず、その胸を撫で下ろしながら大統領は表面上は簡潔に答えた。そんな大統領の胸中をこの場で唯一、正確に察することが出来るマリベルはただ、静かにトレイを持ち上げる。この両者はプライベートにあっては友人と評しても差し支えない仲ではあるが、この段階でマリベルは彼女のご主人様の補佐を行うことは出来ない。
「ありがと」
答えながら、大統領は再三、水差しの中身をグラスへと注ぎ、一気。
アポロンの光を直視して。その青空に向かって大きく腕を伸ばした。
クリストファ・アレン。
会ってみたい。
彼は、本当に私の知っているクリスなのだろうか。
仮に違ったとしても、会ってみたい。どんな男だろう。
仮に知っているクリスだったら。
私は、どうするべきだろう。
・
・
・
『ほぉれ――キリオ、目を開けろ。綺麗だぞう』
緊張感の一片も含まれない、のんびりとした声がヒムラ・キリオのヘルメットの中を木霊した。
『ああ、悪い――とんだ小心者だなぁ』
自分が目を閉じていたことを看破されて、どうにも心不味いキリオではあった。強い振動と、何よりもエテルナの大地が正に燃えているように映るモニターを凝視するのは苦痛以外の何物でも無かったのである。付け加えれば、少しだけ気分が悪い。
『ほう――』
けれど、キリオの目の前に広がっている光景はそれはそれは美しいものだった。ただ、全面的な美とは受け入れ難いのは自分が『地球人』である所以(ゆえん)であろうか。『海は青いもの』と言う認識が強いからだろう。が、そんな先入観を抜いてみれば、この淡い碧色の海を受け入れることもできよう。そんな認識を自分が持つに至るまで、それほどに長い時間を要とするとは思わないヒムラ・キリオではあった。
『ライダー、収納。主翼、並びに尾翼を展開――』
クリスのそんな言葉からほとんど時間を置かずして各種大気圏内飛行用のパーツが物理的に展開されていく。
『あれ、そう言えば先程の航宙警察の連中は?』
全周囲を大きく見渡しながら、キリオが尋ねてきた。
『あと十秒ほどで視界に入ってくるだろう。良かったな、先生。突入速度はどうやらワイヴァーンの圧勝らしいぞ』
『YEAH!!』
バイザーを上げて、その笑顔が充分に刻まれた顔で振り向いてきながらキリオ。
クリストファ・アレンの予言通り、遅れてきた『ロンド隊』がその両主翼部から薄い煙を引きながら降下を行ってきた。
『こちらゾーン警部補。アレン殿、応答願います』
非常に鮮明な通信がワイヴァーンのコックピットに響く。
『こちらアレン。通信は良好です――オーヴァ』
そんな航宙警察の機体を望遠映像で熱心に眺めているキリオの後ろ姿に苦笑を覚え掛けながらのクリストファ・アレンの返信だ。
『いやはや、よもや当機が十秒以上も貴機より遅れるとは想定しておりませんで――』
更に帰ってくるゾーン警部補の声はどこか沈んで聞こえる。クリスと全く同じ内容の通信を耳にしているキリオが前部座席で親指を大きく立てる。
『まあ、こちらはユニット・タイプですから――そちらの機体、名前は存じ上げませんけれど宇宙空間と大気圏内の機動を両立させているというのは非常に便利で宜しいですね』
どこか、先刻キリオと交わした会話に等しいものとなってしまっているが、半ばの社交辞令でもあることではあり、クリストファは気にしていない。
『はっはっは――お褒めいただいてありがとうございます、アレン殿。なお、当機の名称は【シュベルト】と申します』
クリスはその眉根を寄せた。ドイツ語の造詣は深くはないが、知識の範疇にある単語だ。
『シュベルト――『剣』と言うことですか。それとも大シュバリエに引っ掛けられているのでしょうか?』
『どうでしょうね…無学で申し訳ありませんが、私はそこまでは知りません――と、それどころではありませんな。ええと――』
思わず任務外の会話を行ってしまっていたことに今更ながら気付いたゾーン警部補と言うところだろうか。クリスは声を立てず、苦笑した。
『先鋒を部下の一人が取ります。前面に出た機体に着いて行って下さい。私と他のもう一人が貴機の両翼を護衛させていただきますから』
『心得ました、ゾーン警部補』
◆ ◆ ◆
「ねえ、なんで。なんで、飛行禁止なのよッ!?」
マリーカ・フランシスはその細い指を空港職員の一人に強く突き付けた。
「相済みません――該当の航路は現在、政府によって堅く飛行を禁じられております故――」
全く罪のない空港職員はその頭をカウンターで低く低く下げた。
「――政府政府……何だか臭うわね――もう良いわ、ありがとう」
物騒な言葉を残した後で、そんな職員を精神的に解放したマリーカであった。
「ねえ、マイケル――ちょっと本社に連絡を取って、今回のこの航路閉鎖の原因を探るように言っておいてくれない?」
空港ロビーにおいて予期せぬ待ち時間を受ける事になってする事もなく、ただ喫煙を行っていた部下の一人の耳元にマリーカは囁いた。
「そんなに大袈裟なことですかねえ」
明らかに乗り気でない部下、マイケル・バイエビッチのそんな態度は大変に苛立つものではあったが、マリーカは表情に上げるのはどうにか堪えることが出来た。
「いつも言っているでしょ。事件に関する嗅覚を研ぎ澄ましておきなさい、って」
マイケルは吸い途中の煙草を分煙機を兼ねた吸い殻入れに放り込んだ。
「分かりました。ラルにお願いすれば良いですかね?」
そんな話題に上がったラル・インパースの緊張感に欠ける柔和な表情を脳裏に浮かべながら、マリーカは一つ溜息。
「――そうね。つうか部署で残っているの、彼女だけだもんね」
如何にも億劫に立ち上がって、携帯電話を操作するマイケルの背中を眺めながら、マリーカは一人、呟いた。
「何か、あるんじゃないのかな――それは間違いないだろうけど」
エテルナ首都、アルタミラ最大手の新聞社『デイリー・アルタミラ』を支える熱血事件記者としてその名を知られる、マリーカ・フランシスであった。
◆ ◆ ◆
「あっ、あれがそうじゃない?」
大統領がその左手でアポロンの光を遮断して空を見上げながら呟いた。
「――はい、間違いありません。先鋒と両翼に我が航宙警察のシュベルトが――その中央に構えるが件のアレン元大佐の機体であるかと」
携帯望遠鏡に映る映像をそのまま、伝えてくる国防副委員長であった。だが、今や望遠鏡の補助に頼ることなく、肉眼で機影が確認できる。
「ワイヴァーンって言ったわよね」
その目を細めながら大統領。
「はい。どうやら、教習機としてのカスタムを受けた機体ではないかと」
「理由は?」
一歩を進み出た国防委員長の言葉に振り向く事はせず、その視点を対象に投げ続けた状態で大統領が簡潔な質問を行った。
「は。まずはその機体塗装ですね。黄色と白、と言うのは軍隊に置ける練習、教習機であると聞き及んでおりますし――」
アーサー・ラウンドは先刻、情報局の職員から聞かされた言葉をそのまま続けた。
「――何よりも、単座であるはずのワイヴァーンが複座でありますから」
「まあ、そりゃあヒムラさんも来るって仰っていたからねえ」
大統領としては国防委員長を殊更に凹ませるつもりは無かったのだが、国防委員長はどうにも言葉に詰まってしまったらしい。
「来るわね――」
大統領はいよいよその視線を体ごと、一同へと向けた。
「彼等に対して、失礼な無礼な行動は堅く禁止するわよ。国賓待遇で扱うように、と言った私の言葉に泥を付けないでね。その時はオトナゲ無く、ブチ切れさせて頂くからヨロシク」
薄く零れ落ちてくるアポロンの光をその全身に受け、腕を組んだ状態でエテルナの大地を力強く大地を踏み付けるそんな大統領の姿はマリベルにとっては正に『女神』として強く印象付けられた。
無論、そう感じたのはマリベルだけではなかったが。
◆ ◆ ◆
「今、一瞬照明が暗くなったわよね?」
フォーチュンの女帝、ソフィ・ムラサメはその横に控える副長、ベアトリイチェ・ノイマンに声を向けた。この両者は等しく、『盾』をその中央に据えられた軍帽を着用している。
「――艦長も気付かれましたか――調査します」
艦長から言葉を受け取る前に、既にその指を端末上で踊らせている副長であった。そんな折り、オペレータ席で着信のチャイムが軽やかに鳴った。艦内通信。
「はいはーい、こっちら第一艦橋――」
飲み物を片手のシャリーが気軽に通信を受ける様子を確認しながら、ソフィは副長の手元にその目線を落とし込んだ。ディスプレイに投影された艦内図の中、工房ブロックの一角が激しく明滅している様子は無理な姿勢で覗き込んでいるソフィの目でも確認できた。
「なにごと――」
ソフィは自分の言葉を完結させることが出来なかった。
「艦長、RLが現在機動中との事です!!」
シャルロッテがコーヒーカップをひっくり返しながら即座にその答えを与えてくれた為である。
「そんな、バカなッ!?」
ムラサメ艦長は両手を指揮卓に叩き付けるようにして直立。有り得ない。マスターの電源はクリストファ・アレン自らが切断を行ったのは確認している。
「ミランダから艦長に通信!」
シャリーが再び、悲鳴に近い報告を行ってくる。
「オープンで構いません、反映させなさい!」
だが、次の瞬間に艦橋を響いた声は正に悲鳴、そのもの。本来は美声の持ち主である、ミランダ・ルヴァトワのものであった。
『――艦長、ヤバイでっす。アテナは工房ブロックを破壊してもクリストファ・アレンを追い掛けるつもりみたいです!!』
「冗談じゃないわ――何とかしなさい!!」
そんなソフィの返答に、シャリーが「ンな無茶な――」と呟き掛けたが、これはベアトリイチェの厳しい眼光によって止められた。ソフィ自身は無茶な要求を行っていることは百も承知しているので、気に掛けることはない。いや、そんな些末な事を気に掛けるどころでは断じて無かった。
『説得してますが――』
ミランダのその声にかぶって、バックグラウンドで響くスコット・ロードマンの声が艦橋に飛び込んでくる。『君の総司令官は泣いているぞ〜』とかなんとか。スコットが大真面目にやっているのか、それともこんな危機的状況にあっても尚、失われることのないユーモアのセンスをアピールしているのか。少なくとも、考察を行う時間は今は無い。そんなムラサメ艦長が艦橋をベアトリイチェに任せて自らが工房ブロックへと向かう決心を固めた時。
『うっ――きゃあああああああああああああ』
激しい破壊音を混ぜながら、いよいよミランダの絶叫が轟いた。
「どうしたの、ミラン!?」
艦橋を後に仕掛かっているソフィの代わりに、ベアトリイチェが声を飛ばす。
『あ、あ、RLが自らの手でプロペラントを引きずり出してますっ!』
スコットやフローラの絶叫、悲鳴、そして何よりも嘆きが艦橋においても全く等しく、再現された。
posted by 光橋祐希 at 00:00| 第一章