2703年01月01日

第II光:『光臨』 第一章 驚天動地 - VIII


「アレン様、それでは四時間後にお迎えに上がらさせていただきます。どうか、ごゆっくり」
 大統領が臨時国会の場へと赴いてより一時間程の間、話し相手をしてくれていたマリーベル・リンス嬢がスカートの両裾を軽く摘み上げ、軽快な一礼を行った。
「うん、ありがとう――楽しかったよ」
 自らの腰を上げて、クリスは偽るところのないお礼を言い述べる。
「うふふ、私もですわ」
 今一度、フレンチ・メイド然とした挨拶を行って、マリベルは静かに退室していった。

「――ふう」
 ネクタイを片手で緩めながら、クリストファ・アレンはベッドの上で大の字となった。ほとんど真綿の上で横たわっているに等しい感覚を提供してくれるこのベッドが最高級に近い品質を持っていることに疑いはなかったが、煎餅布団をこよなく愛するクリスとしては少々、柔らか過ぎるように感じられる。
『軍隊暮らしが全てだったからな』
 クリスが今、仮の住人と相成っているこの部屋は大統領官邸に備えられた数多い客用寝室の内の一つであるらしい。大統領直々の命令でクリストファ・アレンのお付きとしてあることを命じられたマリーベル・リンスがそう教えてくれたのは、つい先刻のことだったが。
 ヒムラ・キリオと別れ、大統領専用のリムジンに乗せられたクリスがこの大統領官邸に迎えられたのはほんの一時間前のことであった。自分のような『火薬』を預かるにあたって大統領がその頭を悩ませていることは想像に難くなかったこともあり、事実上の『軟禁』を受けはしていてもその気分に障るところは全く無かった。大統領本人は臨時国会へ参加しなければならないと言う事情もあって、今頃は首都アルタミラに構えられている国会議事塔に入場を果たした頃合いだ――と、これもマリベルの言葉ではあった。
 そんな賓客、クリストファ・アレンをマリベルは実に丁重に扱ってくれた。壁に掛けられたTVの使用法であるとか、システムデスク上に備えられた情報端末の操作法までをも丁寧に教えてくれたことに関しては、クリスとしては驚愕を禁じ得なかった。
『TVはともかく、ネットに触れても良いのですか?』
 このクリスの質問は実に当たり前のものであったが、マリベルはその顔色を全く変えなかった。
『はい。大統領から自由に閲覧を行って欲しいと――ただ、該当の端末はこちらからの情報発信は不可能な仕様になっておりますから』
 実際に端末の主電源を入れながら、マリベル。
『そりゃそうですな――いや、でもありがたい。是非、使わせてもらいます』
 クリスは心から大統領に感謝した。エテルナの現状に関する情報が欲しいのは全くの事実であったし、TVの類に比べ、文字情報と言うものは絶対的に含む情報の量が違うのだから。まして、自由に『ウェブ』を閲覧できると言うのは、これに勝るものは無い。

 そんな情報端末の使用法を簡単にマリベルから教えてもらった後、クリスとマリベルはちょっとした茶飲み話を行った。当初、マリベルはクリスの分のお茶だけを淹れたのだが、じっと傍で控えられていることにどうにも落ち着けなかったクリスが『お茶』に誘ったと言う経緯があった。別に、『ナンパ』を行ったわけではない。
 メイドと言う自分の立場を思い量ってか、そんな『お茶』の誘いにマリベルは少なからずの動揺を見せたが、クリスが今一度の誘いを掛けることでようやく折れてくれた。彼女の主人――他ならない大統領のことだ――に関する話から始まって、エテルナで起こった最近の事件などについて話を進めていくと、最初は堅かったマリベルが、三十分もすると次第に打ち解けた様子すら見せてくれるようになり、いよいよ会話が弾むこととなったのである。

 ようやく好転――別に険悪だったわけではないけれど――へと至った互いの関係を打ち切ることを心から忍びなく思ったクリスだったが、大統領が議会で時間を費やしている内に可能な限りの情報を集めておくべきだ、との義務感を押し切る程のものでもなかったので、惜しみつつもマリベルとのささやかな「お茶会」を中断する決意を行って――冒頭の会話へと戻る。

 時間にして十分余りをベッドの上で茫洋と過ごしてから、クリスは壁に掛けられたTVの電源を入れた。




   ◆ ◆ ◆


「先生、さようなら〜」
 男子児童がその背後から声を掛けてきた。
「気を付けて帰るのよー」
 振り向いた教師が声を返した時はだが、既に男子児童の姿は豆粒程の大きさになっていた。恐らく、その男子生徒は通学において禁止されているエアー・ボードを使っているのに違いない――女性教師はそう推測した。
「やれやれ」
 苦笑を湛えつつ、マキーナ・ローゼンベルクは自らの教務室への扉を開いた。たまたま一階に備えられている自分専用の教務室は、校庭から直接に出入りを行えるので、何かと楽をさせて貰っている。
「さて、帰りますか――」

 大して散らかっていることもなかった机上を簡単に整頓し、フォルダに答案用紙が挟まれているのをしっかりと確認してから自分のデイバックへと収納する。これは自宅で採点を行うことに決めているものである。三台設置されている情報端末が全て待機状態になっているのをやはり念入りに確認し、
「問題なし、と――」
 ライダー・ジャケットをハンガーから取り出して着用を行いながら、夕飯の献立について軽く思いを至らせた、その時。椅子に置かれていたエア・バイク用のヘルメットから軽やかな着信メロディが立っていることにマキーナは気付いた。
「あらあら」
 慌ててそんなヘルメットを取り上げて、素早く装着。電話部分を抜いてしまっても良かったのだが、どうせこれからバイクに乗って帰宅すると言うこともあって、横着をしてしまったマキーナ・ローゼンベルク先生であった。果たして、バイザーの中に映し出された相手の名前は『ジャニス・ハッシュポピー』。素早く、回線を繋ぐ指示を彼女は行った。
『もしもーし』
 ヘルメットの左スピーカーから、聞き親しんだアルト声が流れ出てきた。彼女がなんと、大統領になってしまってからはすっかり、ご無沙汰ではあったが、親友も親友、大親友である。
「ひっさしぶり! ジャニス、元気!?」
『あー、まあ、条件付きで息災、ってところかな。宮仕えは辛いよ――』
 いつになくテンションが低い親友の第一声に、マキーナは彼女の現在の境遇に心から同情した。国民からの人気は圧倒的に高いが、政界においては半ば孤立している彼女の状況は多くの人間が知るところだ。
「まあ、あなたなら大丈夫よ、大統領!」
 心の底からのエールだ。
『ありがと――で、ちょっと時間が無いからさ、単刀直入に聞くけどあんた、今夜時間取れる?』
 そんな言葉の背後から、ガヤガヤと人のざわめきが響いてくる。親友兼大統領は、何かしらの会議場から電話を行ってきているのだろう。
「えっ――うん、今晩は暇だけど」
 大統領が急いているのは言葉上だけではなく、その口調からも滲み出ていたので、マキーナはそれこそ『単刀』に答えた。
『良かった。じゃあ、また時間が決まったら連絡する。車を寄越すから、家で待機していて頂戴』
「へっ――く、車??」
 マキーナは言葉に詰まった。一体、何事なのか。
『ごめん。時間がないから切るよ。数時間後に連絡、入れるから――んじゃ』
 そして、大統領からのプライベートな電話は切断された。ツーというノイズだけが、ヘルメットの中を響き渡る。
「一体、何なのよ――」
 マキーナは、一つ苦笑した。また、何か『ドッキリ』でもやらかそうと言うのだろうか、と言う邪推が浮上してきたが、そんな暇が今の大統領にあるとは思えない。

 差し当たって、この夜が潰れることを想定したマキーナは、自宅に戻ってまずは生徒達の答案の採点を早い内に済ませることを決意した。


   ◆ ◆ ◆


「おかえりなさい――ヒムラさん」
「お疲れ、キリオ」
 エテルナ航宙警察の巡視艇から降り立ったヒムラ・キリオを、ソフィ・ムラサメとリンダ・フュッセルが迎えてくれた。
「――ただいま」
 艦長に対して、引け目を感じるところがある訳ではなかったのだが、キリオはその瞳と向かい合う気にはどうしてもなれなかった。本人が希望したこととは言え、クリストファを残して自分だけが戻ってきたことに関して、心の何処かで罪の意識を引きずっている為だ、と言う分析は簡単に行えたが。もっとも、ソフィ・ムラサメの表情には何ら、含まれたものは乗っていなかった。
「あ、紹介しないとな――」
 巡視艇が接地を行ったこの場所は第二格納庫で、その両隣には三機のワイヴァーンが羽を並べていた。キリオの背後に付き従っていた女性警官が、軍隊のそれとは大きく異なる敬礼をソフィとリンダに向けた。
「エテルナ航宙警察、アルタミラ第28分署の所属、アムロ警部補であります」
 浅黒い肌に、癖のある黒髪が魅力的な、ポリネシアン系の人種傾向を色強く持った女性警部補に対し、ソフィは、こちらは軍隊式の二段階敬礼を返しながら。
「フォーチュン艦長、ムラサメです。階級はありません――フォーチュンへようこそ!」
「リンダ・フュッセル。やっぱり階級は無し。宜しくお願いしまっす」
 リンダの敬礼はやや、砕けたものではあったが、緊張に極まっていたアムロ警部補の精神の糸を弛ませる効果を上げることはできたかもしれない。もっとも、『階級はありません』の下りで、アムロ警部補としては吹き出しそうになったのだが。
「大統領の命令でヒムラ・キリオ氏をお届けに上がりました。出来ましたら、サインを――」
 それでも尚、今にも溢れ返りそうな緊張に手を少なからず震わせながら、アムロ警部補はプラスチック製のボードをソフィに差し出した。そんな彼女は、初めて【フォーチュン】に直接乗り込む人間として、尋常ではない緊張感の発生を元より禁じ得ないでいた。更に付け加えると、そんな自分に向けて鎌首を並べているワイヴァーンの姿もまた、彼女から落ち着きの要素を容赦なく毟(むし)り取っている要素ではあった。それも一際に目立つ深紅の塗装が施された機体のコックピット上には、機体色と全く等しい気密服が腕を組みながらこちらに隙のない視線を注いでいるのだ。風防を上げた状態でこちらを監視していると言うのは当然、『威嚇行為』以上のものではないのだろうが、そもそも『戦闘機』と呼ばれる存在自体が他次元のものでしかないアムロ警部補においては、とても平静でいられるものでは無かった。なお、そんなワイヴァーン上の気密服の『内臓』は言うまでもなくフローラ・ザクソンであり、観察者がその傍らに位置を定めていれば『ガルルルルル』と言う唸り声を聞き取ることができたかもしれない。
「サインですね。了解しました」
 柔らかい表情と等しい声を返しながら、ソフィは万年筆を取り出した。

「なんだか、宅配便になった気分だね、それって――」
 キリオが我慢できず、呟いて。
「ナマモノ注意ってね――」
 リンダがやっぱり、我慢できずに続いて。
「天地無用――」
「時間指定荷物」

 無重力での使用も可能とする万年筆で、流れるようなサインを行っているソフィの姿を眺めながらのキリオとリンダの夫婦漫才だったのだが、これは失敗だった。誰にとっても。

 プレートを保持していたアムロ警部補がそんな漫才に反応して吹き出してしまい、ソフィの万年筆の筆先があらぬ角度に跳ね上がってしまったのである。

「ああああああっ――!?」
 ソフィの悲痛な叫び声が格納庫を響き渡る。

     S.MurasaVe



 S・ムラサヴェになってしまった。誰ですか、アンタ。


「か、艦長になってから初めてのサインだったのに…………」
 リンダとキリオに一瞬、凶悪な眼光を向けたソフィだったが、目の前のアムロ警部補が懸命に笑いを堪えている姿を見ていると、なんだかどうでも良くなってきてしまった感があった。
「あの……大丈夫ですか?」
 警部補はその顔を伏せて、表情を見られないように努めてはいたが、その両耳が真っ赤になってしまっているのは充分に確認できた。彼女の肌の色で、ここまで赤く見えると言うことは、相当に苦しんでいるに違いない――ソフィはそう、邪推した。
「す、すびばせん――ら、らい大丈夫でず」
 結局、立ち直るのにそれからたっぷりと数分を要とすることになった。


 レイコ・アムロ警部補は、大変な笑い上戸であったのである……。




   ◆ ◆ ◆


「お待たせしました、アレン様――」
 控え目のノックに続き、マリベルが静かに扉を開けてきた。ここ数年のエテルナ情勢の把握に没頭していたクリスは、反応がやや遅れたかもしれない。
「あ、ごめんごめん――」
 机上に散らばった――端末からプリントアウトしたものである――書類の束を掻き集めながら、部屋の入り口で楚々(そそ)と佇んでいるマリベルへと振り向いた。
「ジャニス・シュバリエがたった今、国会議事塔を後にしたそうです。お食事を共にしたいのでお連れするように、と言い遣っております」
 マリベルのその言葉を丁寧に受けてから、クリスは自らの腕時計を一瞥した。
「ほぼ、予定通りだったわけか――」
「そうなりますね――」
 顔色を変えることなく、マリベルが答えて、その言葉を続けた。
「テナフライ市にある『寿司飛(すしとび)』での夕食となります。出発はこれより十分後、と言うことにしようと思いますがご都合は宜しいですか?」
「うん、問題ないよ」
 寿司、と言う響きは驚きだったが、否定する意志は元より存在しないクリストファであった。
「それでは、十分後に再びお迎えに上がります。それと、アレン様に合わせたスーツの方を用意させて頂いたので、もし宜しければドレッサの中からお好みのものを選んでください」
 柔らかな物腰で備え付けのドレッサを示しながら、マリベルは言った。
「――何からなにまでありがとう、マリベル」
 これはクリス、心からのお礼の言葉である。
「いいえ、それが仕事ですからお礼を言われるには及びませんわ――では、失礼いたします」
 洗練された動作でマリベルが退室していった。いつの間にか用意されていたのか定かではなかったが、ドレッサの中には確かにスーツが数着、用意されており、クリスは感心。
『ほんと、いつの間に――』
 そもそも、自分の身長であるとかウェストであるとか……答えた記憶も無い。あのスーパー・メイドが目測で測っていたとしても驚かないクリスではあったが。

 オーソドックスなダブルを選んだクリスは、着替えを開始した。


   ◆ ◆ ◆


 スーツに袖を通し、髪の毛に軽く櫛を入れてから、軟質ゴムで構成された髪留めで後ろ髪を縛り上げる。

 そんな髪留めがミランダからプレゼントされたものであったことを思い出してしまい、ホーム・シックを患い掛けている自分自身に気付いて、苦笑。

 ネクタイのドロップがきちんと完成されていることを最後に確認して、クリスは鏡に移された自分自身に対し、はにかんだ笑顔を向けた。

posted by 光橋祐希 at 00:00| 第一章