2702年01月01日

第II光:『光臨』 第一章 驚天動地 - IX


「そうか、そんなことが――」
 傾け掛けていたビールを止めて、キリオはグラスをテーブルへ戻した。
「あ、気にしないで呑まれればいいのに」
 貴重な風呂上がりの一杯を奪ってしまった感が否定できず、ソフィは苦笑した。
「うん、頂くけど――そうか、アテナがなぁ」
 そんな二人は今、『赤提灯〈改〉』の客人となっていた。店の主は現在は艦橋における実技教官の任務へと就いており、二人は湯気立つ『おでん』を自分達で給仕しなくてはならなかったが。
「詳細なデータ、リンダがまとめているから、後でご覧になって下さい」
 キリオの飲酒を促す意味を暗に込めて、ソフィ・ムラサメはグラスの中の日本酒を飲み干した。明日は丸一日の休暇があることもあって、少しばかり酒量を超しても問題は無いはずだ。もっとも、休めるとは限らない状況が『今』であるとも言えるが。
「クリストファ・アレン専用機――か」
 一口だけビールを含んで、キリオは呟いた。
「思ったんです。アテナ――クリストファを大切にしているのとは、ちょっと違うなって」
 昆布巻きに辛しをたっぷりと付けて、頬張りながらソフィ。
「違う――とは?」
 キリオは抱えたグラスを再度、カウンターへと戻した。
「何と言えばいいのか――そう、クリストファを『必要』としているだけに思えると言うか」




   ◆ ◆ ◆


「びっくりしたわよ、突然電話は掛けてくるわ、リムジンで乗り込んでくるわ――」
 リムジンの後部に備えられている客用座席で、マキーナ・ローゼンベルクは自分の真正面で足を組んで座っている友人に非難の目を向けた。無論、心からのものでは有り得ない。
「ごめんねぇ。ちょっと時間が押していてさ――」
 実際、大統領は気分を害するところ無く、闊達な笑い声を戻したものだった。時間が押してしまったのは全くの事実で、最初は自分とは別便でマキーナのピック・アップを行わせる予定だったのだが、友人の住まいが『目的地』への途上にあったこともあり、自らのリムジンを直接向けさせたことで、このの状況へと至っているのである。黒塗りのリムジンで、それもSPの一人が直接、アパートの玄関先まで迎えに上がったことが友人を驚愕させることになったのも無理からぬところだ。
「ま、良いけど。おいそれとリムジンなんか乗れないし――ましてや、大統領閣下とご一緒できるなんて、これはちょっとした自慢だわね」
 膝の上で器用に頬杖を突きながら、マキーナ・ローゼンベルクは窓の外へと顔を向けた。確か、天気予定では夕方から軽めの雨が降ることになっていた。
「メニューは『寿司』になるけど良いかな?」
 親友を兼ねた大統領はいつもの声で言ってきたが、薄暗い車内の中では、その表情までは伺うことが出来なかった。そもそも、マキーナは窓の外を眺めたままの状態である。
「寿司――良いわね、久し振りだわ。って、それよりも一体、何事なの? そろそろ教えてくれても良いんじゃないの?」
 いよいよマキーナは頬杖を解除して、今宵のホストへとその顔と体を向け正した。
「うん――」
 ジャニス・ハッシュポピー・シュバリエは相手に悟られないようにして、息を大きく吸った。
「会って欲しい人間がいるんだ」
 薄暗闇の中から飛ばされてきた友人の言葉は、特に意外なものではなかった。
「ふうん――どんな人? そもそも、男性なの、女性なの?」
 耳元のイヤリングに触れながら、マキーナ。
「――男性だ」
「じゃあ、合コンみたいな感じってことかしら? ――ふふっ」
 自分で言い述べながら、マキーナは苦笑してしまった。だが、ジャニスはそんなマキーナには乗ってこなかった。これは意外。マキは、言葉を続け掛けたのだが、大統領の発言の方が一歩だけ、早かった。
「名前がな――」
「なまえが?」
 マキーナはその首を大きく傾けた。

「その男性の名前は、クリストファ・アレンと言うんだ」


 ◆ ◆ ◆


 同じ時刻、大統領が指定を行った『寿司飛』へと向かっている車がもう一両、存在していた。
「ふと思ったんだけど、魚の種類なんて多いのかな?」
 ダブルのスーツに身を包んだクリスは、自分の隣でドレスの裾を気にし続けているマリーベル・リンス嬢に話し掛けた。
「ええ、ネタの種類は太陽系程とは言いませんが、満足はしていただけると思います」
 そんなマリベルが、女主人から『賓客と共に寿司飛へ来るように』と意外な仰せを受けてひっくり返ったのは今から三十分ほど前の話だった。そのプライベートにおいて、大統領と食事を共にするのは珍しい話ではなかったが、こうしたフォーマルな場に招かれると言うのは全く、想定の外であった。大きすぎるOB(アウト・オブ・バウンズ)である。
「やっぱり培養なの?」
 賓客のクリストファ・アレンが尋ねてくる。
「ええ、ですが最近はトリトン湾において養殖も始まっています。まあ、半々、と言ったところではないでしょうか」
「ふうん、楽しみだなぁ」
 心からそう言いながらも、クリストファはフォーチュンの仲間達にも新鮮な魚を食べさせてやりたいな、等と考えてしまう。フォーチュンに備えられていた食糧備蓄庫の中身は、現段階で五分の一程が消費された、という報告をリーヌ離脱の間際にクリストファは受けていた。
 生鮮食料品、特に生魚の類は元から備蓄が少なく、たまの祝賀パーティー等でチラシ寿司と言う形で『放出』を行うのが関の山であり、日系のお歴々においてはささやかなストレスの温床となっていたかもしれない。もっとも、厨房組の努力もあいまって、日々趣向が凝らされた料理の数々は乗組員達に飽きを覚えさせるようなものでは無かったから、大きな問題である、との表現はやはり適切ではないかもしれない。
 野菜類においてはセクノアやピエトロの弛(たゆ)まぬ努力が実った結果、トマトや茄子、大根と言った数種類の艦内に於ける栽培に成功しており、そんな二人組は周囲から『神』として崇め讃えられていたことを余談として付け加えておこう。

 クリストファ・アレンは『我が家』から『現実』へとその心を引き戻した。あわや、没頭しそうになっていた自分自身に対して、胸の内で苦笑した。
「『寿司飛』は本日、貸し切りと言うことなのでご安心下さい――それと」
 マリベルは、ドレスの上でその両手をもじもじとさせている。
「それと――なんですか?」
「ええ、あの――他にもう一人、お客様がいらっしゃるということを大統領が」
 マリベルのその言葉に、クリスはその居住まいを正した。
「どう言ったお方なのです? やはり政府関係者になるのかな?」
 薄暗い車内ではマリベルの表情ははっきりと見えない。
「いいえ――大統領の、『ごく親しい』ご友人なのだそうですが――すみません、私も詳しくは知らないのです」
 マリベルの為だけにその緊張を大袈裟に解いて見せる。
「へえ――ガールフレンドでも紹介してくれるのかな……って、それじゃ合同コンパだねぇ」

 事情を全く知らないマリベルであったが、そんなクリストファ・アレンの言葉を受けて、微苦笑。



   ◆ ◆ ◆


「悪趣味だわね、ジャニス」
 公務員であるマキーナ・ローゼンベルクは、怒りすら篭められた言葉をそのまま、投げ返した。
「――それ位の覚悟なんだよ、マキーナ」
 何が『どれ位』なのか、言及を省略した親友兼大統領のそんな返答にマキーナは絶句するが、省略された部分を忖度できない程に子供では無かった。
「まあ、珍しい名前じゃないし――良いわよ、乗って上げる」
 マキーナにとってこれは精一杯の妥協点であったが、大統領はそれでも尚、堅い面持ちを維持し続けている。
「今、全ての関係各所を総動員して、『クリス』のデータを集めているところなんだ」
 硬い表情のまま、大統領。
「――怒るわよ」
 いよいよマキーナは、その身を乗り出した。悪趣味どころではない。これ以上は勘弁して欲しい、と心の古傷が大合唱していると言うのに。大統領と言う重職に就いてから、目の前の女はそれ程に変わってしまったのか。
「マキ――」
 大統領は学生時代のあだ名でコールを行い、その身体を対象の隣へと運び、肩に手を置いた。
「――落ち着いて聞いて欲しい。もしかしたら、勘違いである可能性もあるんだけど、その時は殴るなり蹴るなり、好きにしてくれて構わない」
「そんなこと」
 出来る訳ないじゃない――とは、マキは続けられなかった。微かな照明の中で浮き上がる親友の顔が全く真摯だったことと、何よりも肩に回されたその腕から、ジャニスの震えが伝わってきた為だった。
「――ごめん。続けて」
 親友に対して、ほんの一時(いっとき)とは言え、厳しい言葉を投げ付けてしまった自分自身に対する嫌悪感を深く覚えながらも、素直な言葉を絞ることが出来たマキーナ・ローゼンベルクであった。
「マキーナ。これからあなたに私が喋ることは、絶対に他言無用でお願いしたい。巻き込んでおいてなんだけど、それは確約してくれる?」
 差し込んできた街灯の灯りが一瞬だけ、ジャニスの表情をマキーナに確認させることを許したようだった。それは大変に、痛々しい表情だった。
「誓って」
 半ば条件反射的にマキ。ジャニスは大きく頷いたようだった。その表情はやはり、全ては見ることが出来ない。
「どこから話そうかな――」
 マキーナは、ただ待ち続けた。ジャニスの言葉を。
「ええとね……太陽系から、一隻の宇宙戦艦が『亡命』してきて――まあ、まだその意志は受け取ってはいないんだけど――でね、そのリーダーの名前が『クリストファ・アレン』だったんだ――」
 ここで、ジャニスは言葉を止めた。マキーナは、やはり無言。そもそも『宇宙戦艦』だとか、『亡命』という耳慣れない単語は気にも掛からなかった。
「――微妙な点は確かに存在する。その軍人――アレン氏の年齢は、22歳ということだったし、そもそもがエテルナへの訪問は初めてである、と本人が公言している――」
 ちなみに、マキーナとジャニスは今年で25と言う年齢を迎えることになっている。必ずしも、望むところではなかったかもしれないが。
「ただな、私もいい加減うろ覚えになってはいるんだけど」
 ジャニスは、その手に力を込めた。
「――瞳の色、髪の色、その声――そして何よりも、顔。間違いない、と私は判断せざるを得なかった」
「茶色の瞳、茶色の髪――そして名前だって――繰り返して申し訳ないけど、偶然の一致は充分以上に有り得るのではなくって?」
 マキーナとしてはそう言わざるを得なかったが、これは大統領としては予測範囲内に属する発言でもあった。
「だから、あなたを今日――呼んだわけ。こんな行動自体が越権行為だってことも承知している。だけど、私自身が――落ち着かないの」
 そう締め括った大統領の碧眼には、常にない悲しげな色が。
「分かった。恨んだりしないわよ――とにかく、そんなクリストファ・アレン氏に会ってみましょう。あなたの精神安定剤の一部になれるのならそれで良いよ――」
「助かるよ」
 大統領は心から、親友に対してそう答えた。

「あと五分ほどで到着いたします」

 運転手の声が客部座席に備えられたスピーカーから発せられた。

 そんな運転手に答えることはせず、大統領は今一度、マキーナ・ローゼンベルクの肩を引き寄せた。


   ◆ ◆ ◆


「いらっしゃいませ」
 和服姿の女性店員に揃った礼を行われて、クリストファは物理的に半歩ほど、後退した。あわや、『いらっしゃいました』と答えそうになる自分自身を戒めつつ、マリベルが店員と軽い打ち合わせ――と言うよりも、確認に近いものだと思われる――を行う様子をただ、呆然と眺め続ける。
「上着をお預かりしましょう」
 音もなく寄ってきた店員に対して軽い狼狽を覚えつつ、クリスはあたふたとそのスーツ上着を脱衣した。ここまでジャパニーズ・スタイルに徹した店に入るのが初めてだったこともある。そんな半面、こんな店に連れてきた日には、覿面(てきめん)に喜びはしゃぐキリオ達の姿が容易に想像できて、物悲しい気分にもなった。
「今日は私達の貸し切りですから、気苦労は無用ですわ」
 クリスと同じく、自らのドレスを店員に預けながらマリベルが言う。着慣れていないせいか、ドレスの裾や剥き出しの肩が気になって仕方がなさそうな素振りであった。
「まだシュバリエ公はいらっしゃっていないのかな――?」
 さりげなく、マリベルのドレス姿を観察しながらクリスは言った。
「ええ。あと五分もすれば到着するそうです。先に個室へ入っているように、とのことです」
 こちらに――そう言って歩き始めた店員の背中に着いて、広い店内を歩く。薄暗い照明設定がなされたそんな店内は、いかにも『和風』なデザインを意識して作られていることにクリスは改めて気付いた。キリオ達と出会うそれ以前より、『和』の文化が持つ柔らかさ、繊細さは嫌いではなかったが、この店構えは相当にセンスが良い、と感嘆せざるを得ないクリストファである。いつか、彼等を連れてきたいものだ。
「――アレン様?」
 物思いに耽っていたこともあり、いつの間にやら目的地へと到着していたようだ。既にマリベルは個室の中へと入っており、その入り口からこちらの様子を窺っている。
「あ、失礼――」
 クリスは慌てて入室を試み掛けたが、革靴のままで畳敷きの室内への一歩を踏み出そうとしてしまった自分自身に、どうにか気付くことが出来た。
「あぶね」
 マリベルの笑顔を受け取りつつ、丁寧に靴を脱ぐと、いよいよ室内へ。
「なんというのかね、こういうのは――」
 室内を見渡してのクリスの第一声であった。
「私もあまり詳しくないのですが――『雅(みやび)な』、とでも言うんでしょうね」
 蔦で覆われた壁掛けの『花活け』に梅が一輪、差されているのをクリスは陶然と眺めた。間接照明の施された室内はやはり薄暗かったが、来訪者に対してこれ以上にない精神的安楽を提供してくれていることは疑いのない事実だ。
「エテルナにも『梅』ってあるんだ――」
 その香りを楽しみながら、クリス。そもそもが、「梅」と言う植物に接すること自体が相当に久しい。ミニチュア(当然、遺伝子レベルで組み替えが施されたもの)の白樺であるとか、観葉植物の類はフォーチュンの中でも栽培されてはいたのだが。
「ええ。残念ながら、自生からは程遠い存在ですが」
 マリベルのこの返答は無論、動植物に関する厳しい管理をされているこの星、エテルナならではのものであっただろう。
「――なるほど。でも、良い香り」

 久しい梅の香を、クリストファ・アレンは存分に体感した。

posted by 光橋祐希 at 00:00| 第一章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする