2671年01月01日

第II光:『光臨』 第四章 『E.S.F.S as Eterna-Self-Defense-Force』 - I

 秒針が遅々として進んでくれていない錯覚に捕らわれ、苛々する。手っ取り早く、六時になってくれないものだろうか――そうして無実の壁掛け時計を恨むこと、二十分余りの僕、ラスティ・ハーヴェイなのであった。けれど、例え数秒でも早く起き上がることは許されない。それが、ここの『鉄の掟』ってところだ。

 昨日の訓練――パイロット候補生に必要なものとはとても思えない――の疲れが、癒えているとはとても言えないのだけれど、一般的に長いとも言えないこれまでの人生に於いても明らかに異質で、かつ特殊過ぎるこの数週間を体験してしまっている今の自分としては、二度寝を決め込むことなどは不可能。だから、こうして苛々とすることになっている。
「ふう」
 軽い溜息が無意識の内に漏れてしまった。中途半端で、どうにも消費しようの無いこのささやかな一時を少しでも有効利用するにはどうしたものか。あまり適切な打開策とも思えないが、隊規約でも心の中で諳(そら)んじてみようか――と、ここでふと気になった。隣は、何をする人ぞ。……とは言え、体を起こして確認するまでもなかった。殊更に耳を立てずとも、実に健康的な対象の寝息を僕の両耳は拾ってくれたのだった。

 ほんの二日前、ルーム・メイトとなったばかりの彼の名前はエクレール・フォルティシモ。良く分からないが、『特例』での転入を果たした人物である、と出所が杳(よう)として不明な噂には聞いている。その詳細について、当の本人に尋ねるほど僕自身も無粋ではないし、そもそもが資格だって持ち合わせていなかった。エクレールは大変に気持ちの良いキャラクタではあるけれど、まだ出会って幾日も経過していないこともあり、親しいと言える間柄でも無いのだ、これが。

 もっとも如何に親しい中とは言え、『陸(おか)』で何をしていたのかをここで声高に尋ねるのは、暗黙の内に定められているマナー、ルールの両面に違反する行為でもあった。無論、大きな声では言えないけれど、犯罪を犯した人もここにはどうやら多いらしいのだ。

 ……つまり結局、とどのつまりは。エクレールはその素性が全く、謎なのだった。しかし編入一日目のフライト・シミュレーションで飛び抜けた演習スコアを獲得した彼は、その美貌も相まって、候補生の中でも大変に目立つ存在となっているのが今の現実であった。ちなみに、僕、ラスティ・ハーヴェイの成績は計ったような二十二位。ここ、『アテナイ』に配属されたパイロット候補生の数が四十四人。まあ……早い話が『ド平均』な僕、ラスティ・ハーヴェイ候補生とブッ千切りのトップ、エクレール・フォルティシモ候補生の共同寝室が、ここなのである。折りしも今を遡ること一週間前に、数えること三人目だったルーム・メイトが転科を突然に志願――とんだ根性無しだ――したこともあって、僕はささやかな個室の獲得に成功していたのだったが、そんな偶然も手伝って、四人目のルーム・メイトである彼をめでたく、獲得する段へと至っていた。

「どうしたラズ、目が醒めたのかい」

 一体いつ、目を醒ましていたのか。体を向こう側に向けたまま、そんなエクレールが呟いた。大声を出せば、たちまち守衛教官が飛んでくることになっているから、これは大変な小声で。ちなみに、『ラズ』と言う特殊な呼び掛けを行うのは彼だけ。他の連中はおろか、親類の多くも大抵、僕には『ラス』と声を掛けてくるので、ある意味ではこれは新鮮な響きではあった。
「ごめん、起こすつもりはなかったんだけど」
 同じ声量で、僕。実際、謝罪したい気分の存在があることも確か。
「気にするな。僕――俺だってそろそろ目覚める頃合いだったしさ――」
 そう言って彼、エクレールは続く言葉を含めるのと同じタイミングで寝返りを打ってきたのだった。
「――気持ちは分かる。好きな時間にマイペースに起きられるってのが、好きな時に好きなことをやれるってのが、どれだけ幸福なことかって思うよ」
 薄い室内灯の中、その金髪を掻き分けながらエクレールが気怠げに言ってきたが、そんな動作の節々にもどこか、洗練された雰囲気が滲み出ているように思えるのは果たして気の所為なのだろうか。
「ぺーぺーの自分が言うのもなんだけれどさ、実際の戦闘状態だったら寝られる時に寝て、そして否が応でも起きなくちゃならないんだろう。こんな定刻起床って、果たして意味があるのかな――」
 僕がそう言うと、エクレールはその碧眼を見開いた後で、軽く口笛を鳴らした。思わずヒヤリとしたが、守衛のスリッポンが響いてこないところを見ると、どうやら平気だったようだ。
「なかなかどうして、虫も殺さない顔しながらやるねえ、ラスティ。俺も正にそう思っていたところ――」
 と、エクレールが脂(やに)下がり切る直前だった。聞き馴染んだ起床ラッパが突如として激しく鳴り響いた。予定には無い筈だが、しかし。
『全科候補生、緊急起床行為!』
 続くスピーカーの声が、イレギュラーなラッパに正当性を与えてくれた。僕とエクレールは全く同時に、ベッドを跳ね起きる。素早く隊服へと更衣し、動きの一切を無駄にすることなくベッド・メイキングを行った。乱れは疎か、皺一つ残っていた日には教官にシーツを全て剥がされ抜いて、枕を足蹴とされ、その挙げ句に完璧なメイキングを果たすまで幾度も何度もやらされることとなってしまうことは、勿論知っている。実際、そのコツを把握するまでは苦労したものだ。って、ほんの一週間前の話だけど。
「やれやれ、俺達の声が聞こえていたとも思えないがねえ――」
 ボヤきながら、それでもエクレールのベッド・メイキングは僕よりも遙かに早い。いや、早いからこそ無駄口を叩く余裕があるのだろう。それでも、そんな彼より遅れること『たった』十秒で完成させたのは我ながら、賞賛に値する進歩だと思う。
「さあ、今日のトップも俺達かな――」
 そう口にしてエクレールがドアを開く。素早く二人で室外へと出て、『休め』の体勢で扉前に仁王立ち。
「ほう、今日も貴様等が一番か」
 専任教官であるバーンスタインが、手に持ったファイルに何かしらを書き込みながら声を掛けてきた。『今日も』という彼の言葉が示しているように、どうにも僕達の寝室近辺で張っていたのではないか、と思えてならない。
「ようし、502号室のベッド周りを確認する」
 バーンスタイン教官のそんな発言を受けて、付き従っていた副教官――初めて見る顔であり、なおかつ若い女性であったことは僕を驚かせたが――が敬礼を一つ。次いで、室内へと大股で入っていった。
『――』
 緊張する一瞬。ここで、『駄目出し』がされたら、最初から全部やり直し&場合によっては腕立て伏せ200回。寝起きでそれは心からご免被りたいものだ。

「問題、無しッ!」
 戻ってきたそんな副教官の返答に胸を撫で下ろす僕とエクレール。とは言え、エクレールはいつも通りの超然とした面持ちであったから、その考えているところは実の所はわからない。
「ようし、フォルティシモ並びにハーヴェイの両候補生は朝食へ向かえ。食事時間は配膳より四分と三十秒以内。完全に、空にするように」
 ぐへえ。何という命令だ、とは思う。思うが、選択肢は僕達にはないのである。それが現実。『国家の犬』と言うべきか何と言うか。
「「了解しましたッ」」
 相棒と完璧に声を重ねることに成功した。バーンスタイン教官はどこか、嬉しそうに崩れた敬礼を作ってくれた。

 所内では非常時を除外して走ることは元より、駆け足も厳禁されている。僕達は、両教官が敬礼を落とすのを確認してから自分達の敬礼を落とし、駆け足満未満の早足で列を構成し、食堂へと向かうのだった。

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 味もクソもない食事を機械的に、それでもどうにか四分で食べ終えて――と言うより水と高蛋白ミルクで流し込んで――次なる試練が始まった。
『続き、対G訓練を開始する。該当のパイロット候補生は全て、指定時刻内に第14TCへと集合せよ』
 とまあ、これが常装備を義務付けられている携帯端末が非情にも伝えてくれた情報だった。ちなみに、第14のトレーニング・センターとなるとこれがまた、島の反対側に存在しているわけであり、都合五キロ程の遠方と言う事になる。でもって、自分達はそこまで徒歩、或いはマラソンということになる。表示された指定時間を鑑みるに、どうやら歩いていくのは論外。
「メシを流し込んだ後にいきなりマラソンかい……」
 思わず、そんなことを口にしたけれど、隣のエクレールは早くも各部ストレッチ、屈伸運動に余念が無かった。
「いやー、しかもマラソンの後に対G訓練だろ。ラズも体、伸ばしておいた方が良いぞ。水分は充分に含んだかい?」
 両のアキレス腱をゆっくりと刺激しながら、エクレール。年齢は同じ筈なのに、彼のこの落ち着きはどこから来るのだろうか。
「前向きだね、エクレール……」
 そう言った、僕の顔はかなり暗かったのだと思う。
「なあに、早々の無茶じゃなかったら大丈夫だってばさ」
 そう言って、エクレールは僕の両肩に手を置いてくるのだった。 ぶっちゃけ、何の励みにもならなかったけれど。

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「なんだなんだ、情け無いな貴様等――こんなんで高い航空機に乗ろうなんざ一億万年早いぞ、クソ虫めッ」
 そう言って、小太りのロウ・ヨンジュン教官は笑うのだった。それはそれは、高らかに笑いながら、そしてその足元にて涙目で反吐を吐いている候補生の脇腹を軍靴の爪先で弄り倒しながらの発言だった。この教官が不人気ナンバー・ワン(統計を取ったわけでも、そもそも取れるわけもないけれど)なのも納得である。被害者が僕でなくて良かった、と思う半面、あまりと言えばあまりの行動に腹が立ってくる。刑務所だって、ここまでは許されないのではないか。朝食を流し込んでより、休むこともなく五キロのマラソン。それでもって、対G訓練とくれば、そりゃあ反吐するヤツも出てくるだろうと思う。確かに情けのない話であるとは思うけれど――ほとんどここまでのサディスト面を教官にされるとなると、これは納得がいかない。
「なんだ、貴様その面は――」
 どうやら顔に出てしまったのか、ヨンジュンがその脂ぎった顔をこちらに近付けてきた。どうやら、次のターゲットを僕に定めたらしく、その大きな顔を僕の真正面に向けてくる。互いの鼻息が掛かるほどの近距離であり、心の底から顔を背けたくなったけれど、勿論それは許される行為ではない。失敗と不運を悟り、半ば、諦めを覚えながらそれでも僕は口を開く。
「いえ、自分は何も――」
 言った瞬間。いきなり、横面を殴打された。
「ラスティ!!」
 突然の衝撃に半ば意識を失い、崩れ落ちかけるのをどうやらエクレールが支えてくれたらしい。と言うより、問答無用で殴られたのは初めてだ。鼓膜がビンビンと痺れている中、不条理感を上回る危機感が僕の心を占めていた。エクレール、気持ちは嬉しいが、いや駄目だ――君まで、殴られるぞ。
「貴様、何様のつもりだ?」
 案の定、エクレールのそんな行動は教官の怒りを殊更に刺激したらしい。どうやら、一発だけではこの教官は気が晴れなかったようだ。勘弁してくれ。と、思いきや。
「――俺様のつもりであります!」
 別の意味で、気を失いそうになった自分、ラスティ・ハーヴェイを責められる人間はこの世にいるんでしょうか。いや、いないでしょうね(自己完結)。ふらつく意識ではあったが、この空間の空気が異様なものへと転じつつあることは僕にだって感じ取れる。やばい。
「……貴様、名を名乗れ――」
 冷静なそんなロウ教官の声色が、続く事態の深刻さを婉曲に伝えてくれる。鼻血を一つ拭い、僕は体をどうにか立ち上げた。
「エクレール、止めてくれ……それと教官殿、責任は自分に――」
 やっぱり、言い切れなかった。二回目の鉄拳を顔の反対側に、三発目を今度は鳩尾(みぞおち)に食らって、僕の意識は完全に失われたのだから。

 ……ので、後の話は又聞きでしかない。

 どうやら、ロウ教官は名の知れたトップ・バッター、エクレール・フォルティシモを間接的に、けれど徹底的に『いぢめる』ことにしたらしい。
『次は貴様の番だ。お好みの加重は?』
 と尋ねて、エクレールがまた。
『教官殿の限界加重を希望します』
 と切り返したそうな。

 結局、12Gと言う冗談のような加重設定をされ、誰もが絶望したようだ。12Gと言えば、下手を打てば死んでしまうかもしれないほどの加重だ。ただ、意識を失った状態でシミュレーションは止まる設定になっていたから、その場の誰もが気を失ったエクレールが反吐まみれの気絶した姿でマシンから排出されることを予想していたという。

 しかし、シミュレーション・マシンは一向に止まらない。サークル・レールの上を一様に、回転し続ける。さすがのロウ教官も途中で色を失って、制御端末を確認したらしいが、『被験者』は意識を維持し続けているらしく。

 そして、規定の二分が終了した。見守っている人間からすれば、それはそれは長い二分だったらしい。

「うー、さすがに厳しかったであります」

 そう言いながら、しかしエクレール・フォルティシモは自ら固定ベルト各種を解除し、ふらつきながらも地面に降り立ったのだ。涎(よだれ)に塗れた口元、そして若干の鼻水を隊服袖で拭って、ニヤリと笑い。

「さあ、次は教官殿の出番であります。教官殿のような猛者にあられては、自分のように体液まみれにならないことを確信しております故、それは五分でも三十分でも。或いは、設定限界の15Gコースなどは如何でしょうか?」


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「痛ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
 突然の激痛に、思わず身を捩(よじ)った。自分の肉体、精神の覚醒場所がベッドの上であったというのは純粋な驚き。そいでもって、意識回復に激痛が伴うのって、ぶっちゃけ不快。
「ああ、良かった――やっと目を醒ましてくれたのね」
 聞き馴染みのある声。間違える道理があるか。
「姉さん……」
 体を起こしかけたが、これは姉さんのデコピンで止められた。普通に、痛い。持ち上げ掛けた頭部が再度、ピローの上へと勢いよく戻された。
「バカね、歯を折るなんてあなた――何をやったのよ」
 額を抑えている自分に大して又、容赦がない姉のステラ・ハーヴェイ。
「何もやっていないんだよ、君の弟? は――」
 続く微妙に馴染みの浅い声に、いよいよ僕は頭を抱えたのだった。そして、微妙な疑問符の存在理由も僕には分かっていた。
「失礼――悪いこと、間違ったことは彼は何もしていません」
 鼻を付く臭い。どうやら、花束でも持参しているのか、エクレール。
「あなたは?」
 みなまで聞かなくても良いと口に仕掛けたが、考えたら姉さんからすると初対面だよな、そりゃ――ということで言葉を呑み込んだ。
「失礼しました。自分はパイロット科のエクレール・フォルティシモ候補生であります」
「まあ、あなたが!?」
 続いたそんな姉さんの黄色い反応は、なあに?
「ご活躍は聞き及んでおります〜」
「いや、活躍も何も自分はただの候補生ですから――困ります」
 エクレールに同情と、そして得体の知れない嫉妬を軽く覚える僕。
「あ、申し遅れました。私、ラスティの姉のステラ・ハーヴェイと申します」
 軍隊教育が行き届いているのか、姉は敬礼を作りながら。正直、姉が敬礼を作るところを見るのはこれが初めてだった。
「エクレール・フォルティシモ。弟さんのルーム・メイトであります」
 がっちりとした姉の敬礼に対し、こちらは片手を適当に挙げたような崩れ敬礼でエクレール。微妙な感情の存在はあるけれど、差し当たって彼には詫びないとならない。
「エクレール、すまなかった――君まで巻き込んでしまったようで」
 ちなみに僕はこの段階では、ロウ教官とエクレールの遣り取りは全く知らなかった。人から聞いたのはもう少しだけ、後の話である。
「謝ることはないって――大したことは無かったし、午後は半休だしな。気にするな――」
 そう言ってエクレールは、見るからにどこかの花壇から拝借してきた野花の束を姉さんに押し付けた。そして、無造作にベッドの隅へと腰を掛けて。
「それと、君が欲しがっていたテリー・ロイスの新譜だ」
 チップ片を指先で弾き、これがまた計ったように僕の額にペタリと乗った。
「ありがとさん」
 その好意には心から感謝。一応、紙で包まれてはいた野花を姉さんがどうにか花活けに生けようとしているようだが。
「しかし、ラスティに姉さんがいて、それでもって同じ自衛隊に入隊したなんて思ってもいなかったなあ」
 やはり持参していたのか、パックのコーヒーを啜りながらエクレール。気が付くと。僕の枕元にも同じ物が置かれている。本当に、いつの間に。
「……ええ、私はパイロット科ではないので、どうしても」
 そう言った姉さんは、どこか浮き立って見える。何だか苛々しないでもない。
「へえ? すると、補給科? 或いは看護科とかですかね?」
 そのエクレールの質問はごく自然のものだ。ここ、アテナイ島にはパイロット科、船舶科、補給科、そして看護科の四つの訓練所が設けられているのだし、女性比率が圧倒的に多いのは彼が言葉の中で上げて見せた二つの科であることは全くの事実でもある。
「残念ですが、そのどちらでもありませんの」
 女性というカテゴリで一括りに断定されたのが少しだけ不本意だったのか、頬を膨らませる姉。まるで変わらない、その癖にどこか懐かしさを覚えたりもしたが。
「全く似合わないけど、姉さんは船舶科『CGS(指揮幕僚過程)』の所属なんだよ」
 少し、口を挟んでみた。そんな言葉を受けてエクレールは、碧眼を剥いた。
「いやあ、それは驚いた――いや、別に意外だというわけではないんですが」
 フォローを加えながら頷きを加えたエクレールであるが、その気持ちは大変に良く分かる。百人がいれば百人が、同じ反応を返すことは間違いない。身長150センチ足らず。そして、絵に描いた童顔。ジュニア・ハイスクールの学生と間違われることは日常茶飯事であったし、入隊手続の際だって担当官が首を傾げ続けたことは記憶に新しい。最初のエクレールのそんな疑問符は、正にここに由来が求められるのだろう。どう見たって、僕の方が『兄』に映るはずだから。
「『見えない』とは良く言われるので、お気になさらないでください」
 言いながらも、どこか不満げ。対するエクレールは、これは参ったとばかりに両の肩を竦めたりしている。助け船を出すべく、口を挟む僕。
「まあ、落ち零れないように頑張ってよね。CGSってキレ者揃いって話だからさ」
 聞いている噂をそれとなくアピールしたつもりだったが、これは失敗だった。
「うるさいわねっ! 大きなお世話なんだからッ!!」
 デコピン再び。激痛に、ラスティ・ハーヴェイは唸るしかなかった。

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「ヤボ用があるんで俺は失礼する。たまの水入らずだ。姉弟仲良くネー」
 どこか、逃げ出すようにしてエクレールが立ち去っていく。裏切り者め。
「楽しい人ね、フォルティシモさんって――」
 イメージと違うけど、と付け加えることを姉は忘れなかった。
「何というか、掴み所が無い人だよ――でも腕前は凄いんだよ、あの人」
 最後の部分が下り調子となってしまったのも宜(むべ)なるかな。実際、彼の成績を目の当たりとすると、劣等感が刺激されて仕方がないのである。
「ふうん、嫉妬してるんだ?」
 悪戯っぽく笑ってくる姉だったが、それはあながち遠い表現とも思えない。
「……そう言うそっちはどうなんだよ。CGSってマジでバケモノ揃いって聞くけど」
「頭が良い人は確かに多いけれどねえ。辞めていく人も多いよ」
 あくまでもいつもの調子で梨の皮などを剥き始めている姉さんである。
「根性無しはどこも一緒か――」
 この数週間、次々と転科を申し出た何人か、或いは自衛隊それ自体への入隊を諦めた者達の名前と顔を漠然と思い返しながら、呟いた。
「最後までやってみないと分からないのにねえ。どうして諦めたりするんだろう」
「……まあ、みんながみんなタフじゃないってことでしょう」
 と、偉そうな物言いを行ってはみたけれど、こんな自分にしたって幾度、教官室に『除隊願』を持って行こうとしたことか。
「で、はぐらかすなよ……姉ちゃんは大丈夫なのか?」
 鼻歌交じりで梨剥きに没頭している彼女に、上半身を起こしながら尋ねてみた。
「あら。はぐらかしたつもりはなくってよ?」
 長く伸びた梨の皮を誇らしげに示す。
「俺はどうにか平均を維持しているけどさ……心配だよ」
 このトロ鈍い姉が、ほとんど伏魔殿然としたCGSでどうやっているのか、それは心配な日々だった。なかなか、連絡を取ることも出来なかったこともある。
「心配ご無用。上から二番目を維持しているからね」
 さらりと言ってのけた。一瞬、言葉の意味が分からなかった。そんな姉は、梨剥きを再開。あくまでも、普通に。
「なんで?」
 自分が狼狽するのが馬鹿らしくもあったので、あくまでも平静に尋ね返してみた。
「なんでって言われても……向いていたんじゃないのかなぁ」
「……ハッタリじゃなくて?」
 この一言には、さすがに気を害したのか。童顔の眉間に皺が寄せられる。
「……実の弟にハッタリかましてどうすんのよ」
 開いた口が、さすがに塞がらない。いや、この姉が非常に勉強が出来ることは知っていたけれど、よもや。
「でもって、いよいよ明後日――ムラサメ上級一佐が降りてくるの。頑張らないとね――」
 剥き終わった梨を真っ二つにして、ステラ・ハーヴェイはうっとりと言う。ムラサメという珍しい姓名、そして上級一佐という階級が意味する事実は一つ。巡洋艦『フォーチュン』の女帝、ソフィ・ムラサメ艦長。
「ファンなの?」
 自ずと知れたことではあったけれど、冷やかさざるを得ない。勿論、姉がトップに近い成績を獲得しているということに関するジェラシー、いや、コンプレックスは深いところで澱(おり)になってはいたけれど。
「ま、女性の私、そして私の所属科からすると、どうしてもね。あの人のようになりたいな、って思って当然でしょう」
「ナルホド……」
 呟いて見せたが、ここで姉は情け容赦ない叩き込みを行ってくるのだったら。
「だからあなたも、幕僚長を目指せばいいんだから」

 幕僚長。クリストファ・アレン。

 もっぱら、世間では『アレン将軍』と呼ばれている人だ。

 航宙自衛隊、そして航空自衛隊と言った、自衛隊の事実上の全権を抱えている人物である。今はイザヨイの衛星軌道に据えられている工房艦フォーチュンにて、山積する問題を処理するべく責務に奔走している筈だ。いずれにせよ、雲の上も雲の上。僕は訓練生、彼は幕僚長。男のハシクレとしては目標の対象に、或いはその上を目指したいとも思わないでもないけれど、そんなささやかな思いを挫かれ続けているこの数週間の訓練所生活でもある。
「はい、剥けたよ」
 そう言って、如何にも無骨な梨のカタマリを姉は差し出してきた。いや、言いたいことは沢山ある。そもそも、これは梨剥きの結果としての形状なのか。そもそも、これは梨なのか、と言う深遠な問題が。しかし、より深刻なのは。
「気持ちはありがたいんだけどさ」
 そんな僕の静かな言葉に、小首を傾げるステラ・ハーヴェイ。
「……堅いものを食う気にはなれないんだけど」
 歯が折れていたのだから、これは当然の話だった。
「あちゃー、そうだったわねえ」
 そう言って天井を仰いだ姉。返す返すも、指揮士官を目指しているとはとても思えなかった。
posted by 光橋祐希 at 00:00| 第四章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする