エテルナ自衛隊。
そもそも、この組織が発足へと至るまでの道程が、平坦なものであったとはとても言えない。この発足、設立並びに、それに伴わざるを得なかった法改正を――いや、これは逆かもしれないが――実行するために、この国が三度にも及ぶ全国民投票を行わなくてはならなかったという事実が、正にこの道程の険しさを端的に示しているのではなかったか。
しかし、実際のところ我々に与えられた選択肢などは存在しないことが判明していくのに、時間は必要とされなかったのである。
太陽系側に存在があるエテルナ大使館からの情報途絶が示す事実上の沈黙に続き、決して密であったとも言えなかった両国家の情報連結を果たしていた、人類が所有する唯一の星系間通信がいよいよ、一切の情報受信を行わなくなってしまった、と発表した時の大統領の顔を私は一生、忘れられないと思う。先見の明が証明されたことは彼女にとっても歓迎されるべきものであったのだろうが、後に続く凶兆を暗に示すものでも、これはあったのだから。
そんな幾つかの事情が有利に働いた感は否めないものの、こうして水面下で進められていた『Eterna-Self-Defense-Force』、つまりは『エテルナ自衛隊』の本格的な設立がいよいよ実行、国を上げての公式的な場へと移されて早三月。
私が、ここアテナイ島に訪れて二ヶ月が経過した計算になっている。
無数の剣が突き立てられた盾。
それが、エテルナ自衛隊に授けられたシンボルマークであり、今の私の隊服胸元を始め、両の肩口、そして右袖にもそれは飾られている。
元来、零番艦こと航宙自衛隊第一艦隊旗艦の『フォーチュン』がシンボルとしていたものが採用されていると言う現実は実に興味深く、また語りたいところではあるが、なにぶん明日も早いので、今日はこの辺でキーを置こうかと思う。
いよいよ、明日はそんなフォーチュンの女王、ムラサメ上級一佐が訪れる日でもある。早く眠らないと……。
追伸:ラスティの歯が上手く移植できますように。
ステラ・ハーヴェイの日記より抜粋
◆ ◆ ◆
イザヨイに出張しているアレックス・ゾーンダイクからの要請――事実上の苦情と泣き事――並びにヒョンヒから露骨に責付(せつ)かれた新型に関する案件の処理をそれぞれどうにか行って、ヒムラ・キリオはようやく、玄米茶を含むことができたのだった。
「ふうううう」
すっかりと冷めてしまってはいたのだが、茶の質、入れ方のそれぞれが良好だったこともあって絶望的な香り、味わいとは無縁の出来でいてくれたことが救い。しかし、そんなキリオに茶をゆっくりと楽しむ時間は与えられないのであった。司令官室――昔の名残で『館長室』と呼びそうになるのはある意味では古参の証明となるかもしれない――の扉が厳かに、しかし確実にノックされたからだ。
「どんぞ〜」
ここに及び、茶を優雅に嗜むゆとりが無いことを悟っているキリオは、そんな砕けた許可を行うのだった。
「アテナイの『サクラコ』から連絡が入りました」
敬礼の省略は元よりとして、官姓名を名乗ることも無く、アムロ・レイコが要点のみを報告。
「……なんだかあまり心弾む連絡内容ではなさそうだね」
肉厚の湯飲みを片手にキリオは上目遣い。
「ええ、評価の結果は『最悪:要綱紀粛正』とのこと。詳細に関しては後ほど、レポートの形にして上げてくると」
伊達の眼鏡を外して、天井の静電気灯にかざすヒムラ技術上級一佐であった。大して目立つことも無いグラス上の脂染みを隊服から取り出したハンカチで拭う際に、グラス部へと吹き掛けられた息は、しかし唯一の観察者であるアムロ一尉からすると強すぎるように感じられた。それだけ、苛立ってもいるのだろう。
「……あのサクラコがそこまでを言うのだったらレポートを確かめるまでも無いような気がするな。ところで、前回のヨコハマは評価はどうだったっけ。劣悪、と言う表現だったかな?」
八割方は思い出せているのだろうが、これはヒムラ・キリオの論調の癖と言えば癖ではある。その点を十全に知ることとなっているレイコはごく自然に頷きを加えた。
「ええ、それでも数人の不名誉除隊を行わなくてはなりませんでしたが」
「ううん、するってぇと今回は数十人規模になるかもしれないねえ」
やれやれ、と首を左右に大きく振って、キリオはこれ以上にない深い溜息を。
「まあ、アテナイは実際のところ、全体の規模が大きいですから」
対するアムロ一尉は意識して平然と言葉を返す。
「まあ、サクラコからの返答を取り敢えずは待ってみるか。……と、なるとだ」
司令官席上の電話を持ち上げ掛けた状態のまま、キリオの動きが物理的に止まった。
「フローラさん――ザクソン三佐にはやはり?」
なるほど、キリオの硬直する理由が読めたレイコさん。
「そうなるよなあー」
受話器片手に、技術上級一佐という妙な階級表記を有しているヒムラ氏は呻く。
「個人的には、適任だと思うんですけどね……」
助け船となるか、否かは微妙なところだ。そもそもの問題は、そこではなくて。
「あそこまで嫌がられるとなあ……ケンモホロロで取り付く島もないとはああいうことだからなあ」
うがっ、と天井に吼えてから、キリオは結局受話器を戻す。
「……やっぱり、幕僚長から説得してもらうより他、ないですよねえ」
もしかするとこのアムロの発言は暗に、自己保身を試みた結果だったのかもしれない。
「なんだか、それも情けないが……つうか……そうだな。こんな大事な時にいないヤツが悪い、そうだ。そうなんだ。間違いない!」
言葉の調子と等しく、顔に血の気が戻り始める。しかし、何という強引な論法なのだ、これは。
「……私からは、なんとも……」
実際、アムロが口を挟めるところではない。
「と言うか、実際に話を聞いてみないと分からないべ。あの野郎、よっぽどのことが無い限り放置してくれ――とかヌカしていやがったが、これってなかなか退っ引きならない状態だろうさ」
ほとんど独り言。アムロの反応を待つまでもなく、キリオは個人端末の方を持ち上げ、第二艦橋へと――第一艦橋は改装中なのだ――コールを行った。
「ナナかい? 直ちに『エクレール』を呼ぶように、『サクラコ』へ伝えておいてくれ」
・
・
・
「ぶはははっ」
唐突に、エクレールが笑い声を立てる。その真後ろを歩いている自分からすると、何が面白くて笑い出したのか全く分からない。
「どしたの?」
「いやさあ、アレ見てどう思う、ラズ!」
彼が指差した先――特設された屋外グラウンドだ――では果たして、ジャージ姿の看護候補生達が模擬小銃を頭上に抱え、教官の笛の音に合わせて汗だくのヒンズー・スクアットを行っているのだった。
「……どうもこうも……まあ、しょうがねえんじゃねえの」
また、他の教官に目を付けられるのも面白くないので、僕は殊更に低い声で囁くように。しかし、エクレールは露骨な笑い声を留めるどころか、更に高めもするのだった。
「だってさあ、衛生兵があんな無意味な筋トレやって何の意味があるんだよ、ってなあ!?」
この一言。これほど、僕を緊張させる発言は世の中に存在するのか。
「バカ! 声がでけぇよ」
思わず怒鳴ったが、エクレールがそれを意に介することは全く無かったようだ。それどころか、いつの間にやら今までに見たこともないほどに神妙な面持ちになっていることに、僕はここでやっと気付いた。
「最小限の訓練は必要だと思う。ただ、彼女等は看護候補生なんだろう? 医学知識の一つでも二つでも詰め込むのが最初にあってしかるべきなのではないか、と言っている」
思わず、敬礼を作りかけた挙げ句に「そうですね、サー」と答えそうになった自分が本当にイヤになったものである。
「ん……まあ、それでもウチのパイロット科よりはマシだろうけどさ」
言葉を濁すつもりで、そう答えてみる。しかし、エクレールは実につまらなさそうな顔だ。
「……ま、パイロット科に関してはこれからどうにかなっていくんじゃないか?」
そう言って、彼は踵(きびす)を返した。最後に、ほとんど泣きながら訓練を受けている看護候補生陣――その全てが女性である――に対し、それはそれは深い感情が込められた視線を投げ掛けながら。
「なんでこうなってしまうんだろうなあ。基本的に頭が悪いってことなんかなぁ――」
エクレール・フォルティシモがそう言ったのか、どうなのか。特に、最後の部分はハッキリとは聞こえなかったけれど。
「んじゃ、俺はヤボ用があるからさ――」
そう言って振り返った彼はいつもの彼だった。どこか、安心しながらも軽口を叩きたくなった僕は、
「今度はどの女性が御相手なのですか、フォルティシモ三尉?」
等とつまらない問い掛けを投げてしまう。まあ、実際に人気があるのは確かだったから。ちなみに、三尉という階級は僕達が卒業したら与えられるものであって、太陽系惑星連合軍で言う少尉にあたるもののようだ。
「うーん、誰だったか忘れてしまうほどの勢いですな」
わざとらしい真剣さでエクレールは首を捻る。続き、
「まあ君の姉さんではないから安心しい」
「――――」
あっはっはっは、と笑い声を立ててエクレールの遠ざかっていく背中の影に。
僕は、思いっきりキックを入れるのだった。
・
・
・
「やれやれ……」
誰にともなく呟いて――ルーム・メイトであるラスティ・ハーヴェイとはたった今、別行動を取ることになった――エクレールは自分の左袖に留められている携帯端末へと目を向けながら。
『サクラよりカミナリへ、至急案件発生によりポイント・アルファに戻られたし』
と、そんな意味を無機質に示すローマ字。全く、滞りが今更発生するとも思えないが、無下にするわけにも行かないようだ。差し当たって、『サクラコ』には連絡を入れておく必要があるのだろう。返信準備を――って、どうやるんだこのタイプの端末は――馴れていないから良くわからん……ええい、面倒臭い……こうしてああしてこうやって。簡易メールで示されたポイント・アルファへと足は向けつつ、器用に端末を操作するエクレール・フォルティシモ候補生――とは行かなかった。広くもない舎内の曲がり角をそのまま曲がろうとして、しかし。
「きゃあっ」
女性の悲鳴を聞いた時、既に遅し。エクレールは、自分の足を何かに取られてしまい、その上半身が宙を泳ぐこととなってしまった。半ばの駆け足で突き進んでいたことと、そして何よりも携帯端末に注意を取られていたことが要因ではあったが、それでも体は無意識の内に受け身の体勢を巧みに作っていた。
「はっ」
左手から入る、柔道で言えば『前回り受け身』をどうにか成功させる。咄嗟のことだったので左肘を少しばかり擦ってしまったようだったが、他に異常は無いようだ。
「大丈夫ですかっ、ごめんなさい!」
身体各所を手早く確認しているエクレールの背中に手を当てながら、女性の声が。どうやら、通路の角際で座ってでもいたのだろう。それなりの速度で歩みを進めていたエクレールの足が彼女の両足に取られた、と、どうやらこれが顛末であるらしい。
「通路に座り込むってなぁ――」
それは隊規違反だ、と続け掛けたが言葉を呑み込んだ。自分は今は、候補生以上のものではないということもある。
「ごめんなさい、お怪我はありませんか?」
自らも屈みながら、気遣ってきてくれる――まず、間違いなく同じ立場の候補生。教官クラスの対応である、とはちょっと考えにくい。
「大丈夫――僕の方も注意が反れていたから」
健在を示すために左手を思わず上げてしまったのだが、これは結果的に擦り傷が出来た肘が露見することとなってしまった。
「怪我されているじゃないですか。医務室に行って消毒しないといけないですね――本当にごめんなさい」
ここで、エクレールは初めて対象の顔を確認。
そして、硬直した。
程よく伸びたアッシュ・ブロンド、それと等しい灰色の瞳、真っ白な肌――って。
「あ……う……が……」
情けなくも、そんな呻き声しか絞れない。
「これでも、私は看護候補生ですから」
と、ここで彼女もまた、初めて対象の顔を目の当たりとすることになる。肘に軽傷を負っているそんな彼が大変な美男子だったことに軽い驚きを覚えつつ、その整った顔に乗せられている『困惑の極み』としか表せない表情は一体。
「あの、やっぱり痛むんですか?」
差し当たって、彼が被害者であって自分が間接的な加害者でもあるという状況は間違いない。彼の不審な惑乱ぶりは問題ではない……筈だった。
「いや、そうじゃなくて……ええと、いや平気だから、一人で、ええ――」
右腕全体で目元を隠すようにして、勢いよく起ち上がったフォルティシモ候補生は、言葉にならない言葉を立て続け、踵(きびす)を返す。
「あーーーーーーーーーーっ!」
唐突な、彼女の叫び声。慌ててその周囲を見渡すと、数人の人間がこちらに目を向けてきている。無理もない。しかし、そんな彼女が突然、どうしてそんな声を。
「って――あなた、何でこんな所にいるんです?」
いつの間にか正面へと回り込んだ看護候補生は、屈んだ状態でエクレールの顔をしげしげと確認しながら、それでも疑念混じりの小声で。
「いやぁ、初対面ですよミズ」
これで彼女の顔は一段と険しくなった。果たして、自分は何か致命的な確定情報でもこの女史に与えてしまったのか、とエクレールはその脳を回転させ――るまでもなかった。
「たった今、間違いないと確信しました」
すう、とここで息を大きく吸って。
「こんなところで、あなたは何をしているんですか――」
両腰に手を当てて、それはそれは力強く彼女は、マキーナ・ローゼンベルクは溜息を織り交ぜて言うのだった。
とどめの一言。断定の一言。会心の一撃。片や、痛恨のそれ。
「クリストファ・アレンさん!」

