2656年01月01日

第II光:『光臨』 第五章 『アッティカの戦い』 - I

==【AD2810.11.17 23:14】================================================
 リーヌ近縁にて偵察演習を行なっていた107(通称コブラ)中隊が、リーヌ内に試験投入されている観測機『リーヌ・エクスプローラ』発信重力波の消失を確認。母艦エターナル2へと緊急報告。

==【同23:17】=============================================================
 エターナル2艦長、ジョセフ・ブレンハルト一佐、幕僚長緊急回線にてフォーチュンのクリストファ・アレン空将へと連絡。
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   ◆ ◆ ◆

 デスク上に据えられたクラシック調の電話が、やはりアナログによるメロディを奏でる。雑多な書類の束に囲まれていたクリストファ・アレン空将は万年筆のキャップを慎重に戻し、受話器を手に取った。
「はい、私です」
 名前を名乗る必要は無い。これは幕僚長本人のみに繋がる、ホット・ラインであるからだ。
『ブレンハルトであります――たった今、演習中のコブラ中隊より連絡が入りまして』
 エターナル2の艦長、ジョセフ・ブレンハルト一佐が言葉を区切ったのは、自分自身を落ち着かせる為でもあったのだろう。事実、彼が深呼吸を行なう音をクリスの左耳は拾うことが出来ている。
「続けて下さい――」
 デスク・ワークを続けられない自分の未来を予測して、クリスは無造作に置かれていた携帯端末を引き寄せた。送信先にはヒムラ・キリオと、ソフィ・ムラサメのコードを入力し、内容欄にはただ『03-01』とだけ打ち込んだが、これで充分に意味は通じるはずだ。
『はい――『リーヌ・エクスプローラ』の発信が途絶えました』
「確かなのですね?」
『ええ。コブラ中隊の全機、並びに本艦が射出したPポッドにても同様で』
 簡潔に過ぎる送信を実行し、クリスは携帯端末を卓上に戻す。
「ブレンハルトさんは、直ちにカハヤ研究所へと問い合わせて下さい。私の名前を使って構いませんし、全ての情報の提供を許可します。ついでに、手が空いたらフォーチュンの方にも該当データを送って貰えると助かりますが」
 クリス、ここで卓上に備えられているルーム・メイド直通のボタンを一度、押す。
『了解しました、閣下――直ちにその様に』
「それと、デフコン(Deffence-Condition)変更の可能性がありますから、艦長クラスの人間にはそれとなく伝えておくと良いかもしれませんね」
『なっ――変更、ですと』
 明らかに狼狽(うろた)えの響きを含んだブレンハルトの返答。
「まあ、あくまでも可能性――それでは後は宜しく。こっちはこっちで色々と動かないとならんので」
『了解しました。では、こちらもその様に』
「ジョセフさん――」
 終わり掛けた会話を、思わず引き留めてしまうクリストファ・アレンであった。何で、そんな行動に出てしまったのか、自分でも良く分からなくて――いや、そうじゃない――みんなと同じ様に自分も、また。
『は』
「――怖いのは僕も同じですから、ご安心を」
『かないませんな、貴方には――わははっ』
「場合によっては、戦場で会おう」
『アイ・サァー!』
 この場の役割を終えた受話器を戻し置いたそんな時、一つのチャイム音を伴なう入室を行なってきたのは、マリーベル・リンスその人であった。本日の衣装は純然たるメイド服であった。いつもながら、良く似合う。
「お呼びでしょうか、閣下」
 その小さな頭を、静かに上半身ごと傾け、恭しく尋ねてくる。
「うん。ちょっと大事(おおごと)になりそうなのでね、準備をお願いしたい」
 ネクタイを片手で器用に解きながらクリストファは立ち上がった。
「畏まりました――第一種礼服で宜しゅう御座いますね?」
 脱衣した軍服上着を部屋角のコート掛けに戻しているクリストファの背中に、そんな静かな声が向けられる。
「ノー、パイロット・スーツでお願いする」
 なかなか伸び揃わない後ろ髪を一つ掻いて、振り向いたクリストファに対し、しかしマリベルは。
「…………」
 上半身を傾けたまま、無言。
「聞こえなかったのか、パイロット・スーツだ。言うまでもなく、RL用だ」
「第一種礼服で……宜しゅう……御座いますね?」
 クリスはこれには、大変に驚いた。彼女は、それと分かっていて翻意を促しているのだ、この自分に。
「ありがとよ、マリベル――でも、もう一度は言わさないでおくれよ」
 気持ちは大変に有り難いが、ここばかりは譲歩するわけには。クリスは、司令官室備え付けの更衣室のアコーディオンを引く。結局、一度もマリベルの方には振り返らない。
「……了解しました……」
 マリーベル・リンスがビューロー(洋服箪笥)を開く音を確認しながら、クリストファは差し当たってアンダー・ウェアへの更衣を開始する。慣れ親しんだ――必ずしもこれは自分自身が望んだものではない――アンダーの感触を受けている内に、しかしクリストファ・アレンは、自分の精神が『戦闘的なもの』へと変貌していく感覚をも自覚している。

   ・
   ・
   ・

「ううむ、数が足りんな――」
 呟いてしまってから、ヒムラ・キリオは慌てて自らの口を閉じた。
「それは動かしようのない事実だから、仕方ありませんね」
 フォーチュンの第一艦橋で、立体航宙図を囲んでいるのは、ヒムラ技術上級一佐と、ムラサメ上級一佐。そして副長であるステラ・ハーヴェイ一尉はボードを片手に加わっている。
「UNKNOWN(未確認)の規模は未だ、未定……」
 リーヌ内近縁に刻まれた黄色の勢力図、それに沿う形で『UNKNOWN』の文字。ボードを抱える両手に無意識の内に力が籠ってしまうステラであった。
「『敵』かどうかすらも、未定だがネ――もうちょっと精査な情報があると嬉しいけれど、それが今の科学の限界ってね」
 どこか、諦め顔のキリオ。
「まあ、こうしてある程度の目算が付くだけマシってことね――ドク・アレーシャは良くやってくれたわ」
 リーヌ・エクスプローラ――人類初となるリーヌ観測機、それ自体の開発に携わった科学者をそれとなくソフィは養護した。恒星間通信を実用なさしめ、そして今なお、そんな通信衛星に名を残すカハヤ・サンティーニ博士の血統を引くガブリエラ・アレーシャ博士は、理論が半ば完成していたとは言え、この短期間で実際に良くやってくれた。
「しかし、未だに良く理論も分かっていない天文現象がある一方で、それを戦闘――戦い――に利用する俺達人類ってのもさ、全く度し難い存在だよなあ」
「哲学論はそれ位にしておきましょう――さて、どうしたものかしら」
 興味深い議論であることは認められるものの、静かに、それでもびしゃりと釘を刺したソフィ・ムラサメであった。差し迫った現実問題――戦力が足りない。つい先刻、クリストファ・アレンによって自衛隊に於けるDeffence-Conditionのレベルはグリーンからイエロー、つまりレベル3へと切り上げられ、全自衛官に緊急招集が発令されている。しかし、未だ配属先も確定していない自衛官や、就役したばかりの艦船、或いは完成したばかりで進宙すらも果たしていない艦船の数は、無視をするのにはあまりにも多いと言う現実。これには『エテルナ自衛隊』がその創設より一年も経過していない――正確に言えば半年間だ――という事情が占めるところ、極めて大であるのだが、別の一面から見れば僅か半年間でこれだけの人材、軍備共の数を揃えることに成功している、と言うことも出来るのかもしれない。そんな状況を楽観視するべきか、それとも悲観視か。幕僚長であるクリストファのみならず、ソフィやキリオ、そしてブレンハルト他がその頭を悩ませていたこの一ヶ月であったが、それも終わる時期を迎えつつあるのだろう。いずれにせよ、これから先、そんな結果は有無を言わさず、強制的に知らされることになるのだ。望みはしなくとも、だ。
「イザヨイのV(ヴイ=ヴィクトリ)は全機、こっちに『上げ』させよう」
 顎の無精髭を撫でながら、キリオは決断した。
「パイロットの数はいずれにせよ、足りませんけれど……仕方ないわね」
 自分の真正面に投影されているパイロット名の一覧を眺めてソフィ。名前の横に刻まれたチェック・マークが示しているのは『不在』。その数、ざっと確認しても、実に全体の三分の一。休暇を取っている者もいれば、エテルナ本星にて航空訓練を受けている人間だっている。また、教導隊の多くは各養成所へと派遣されている状態でもあった。自衛隊の人材不足は、それ程に深刻だったのである。
「デフコンのレベル切り上げに伴い、直ちに招集は掛けられているはずですが……」
 ステラは、半ば呻くような声になってしまっている。
「イザヨイや他宙域はいざ知らず、本星からシャトルで上がってくるのにまず時間が掛かりますね」
 答えたソフィの声も、当然明るいとは言えないものだ。
「既にフローラはシャトルのコックピットに収まっているらしいが……半日は掛かるだろうし、差し当たって艦載機の数だけでも揃えておくべきだ」
 キリオは、取り出したチューインガムを無造作に口に放り込んで言う。
「キリオの意見に賛成――」
 乱入者が、ここで登場した。確認するまでもなく、クリストファ・アレンである。
「イザヨイのV、そして完成しているストライク・パックも全部上げさせよう。成績の優秀なパイロット……或いはその特性を考慮してガンガンこっちで換装させるべきだと思う。ついでに、有りっ丈のブリューナクも持ってきて貰えると良いだろう」
 彼個人に特化された、特注のパイロット・スーツの首元を気にしながらクリスは言う。その背後に、フライト・ジャケットを抱えたマリベルが続いている。
「……はぁ……」
 ソフィ・ムラサメはここで、露骨に過ぎる溜息を吐いたのだが、傍に控えているステラにはその溜息の本質、理由は理解出来ない。半ば条件反射的に対面のヒムラに目を向けてみるが、そこにあったのは、やはり苦虫を噛み潰したような顔。
「出るのか?」
 ヒムラ・キリオのこの発言は実は質問ではないのだが、ステラにはそこまでは汲めない。
「俺が出ないで誰が出るッてんだ」
 あはは、と笑い声を続け、クリストファ・アレンは立体航宙図を睥睨(へいげい)した。
「ふん、まだアンノンか――他の情報は上がってきていない?」
「ええ――コブラは頑張っていると思いますが」
 ここで、ソフィはエターナル2に仮配属されている強行偵察部隊の名前を出した。
「ロータスはどした?」
 勿論、ここでクリストファが紡ぎ出した『ロータス』と言う言葉が示すのは、『ライト=メンテナ』のことだ。電子戦に特化されているそんなミランダ・ルヴァトワの愛機は、二週間前からやはりエターナル2に仮配属をされている。
「三分前に、出撃した――らしい。現場も混乱していてな、すまない」
 キリオの顔が更に苦々しいものへと変わった。
「うん、まあ、混乱だってするだろうさ――さて、艦長」
 クリストファは、ここで声質を変貌させる。
「は」
 ソフィ・ムラサメは、姿勢を正した。
「フォーチュンは、イザヨイから上がってくる艦載機、並びにその換装パック――そして新造艦をその旗下に入れる。編成その他は、キリオ――君に任せる。酷な命令になるが、移動しながらの編成になるだろうと思われる――以後の指揮は、可能な限り僕がライト=ブリンガ上から執るけれど、最悪の場合はキリオと、参謀室の意向に従ってくれ」
 そう言って、クリストファは腰元のアタッチメントに固定されていたヘルメットを手に取った。
「俺は、サラマンダ――アヴァント一号機を率い、ライト=ブリンガで先に出る」
 ここで、ヘルメットを装着。まだ、バイザーを降ろしていない為、クリストファの肉声を聞き取るのに全く問題はなかった。
「もはや、止めようとは思いません――」
 この時のソフィ・ムラサメの顔を、ステラ・ハーヴェイは敢えて直視しなかった。いや、出来なかった。
「ごめん――キリオ、後は頼む」
 頭をフォーチュンの艦長に対しては小さく下げて、幕僚長。
「任せろっ」
 下がってもいない眼鏡のブリッジを持ち上げ、それでもヒムラ・キリオは力強く頷いた。
「――ところで、連れて行くのは一号機だけで良いのか? 『イーグル』のストライク、何機かを連れて行っても良いぞ」
 そう続いたキリオの言葉に、クリストファはその首を左右に大きく振った。ヘルメットを装着している為、かなり大袈裟な動作になってしまう。
「キートンに話は通しておいた――少しでも完璧な編成を、このフォーチュンで行なわせたい」
 そもそも――と反駁(はんばく)仕掛けたキリオの言葉を、ここでクリストファは先読みした。
「アヴァントは、今回はシングル――ラスティ一人だ。RL用のプロペラントと、武装を持たせることにする。ぶっちゃけ、どの機体よりもアレが一番『足が長い』から」
 暗に航続距離を示す隠語をクリストファは用いたのだが、勿論キリオには問題なく通じる。
「そうか……」
 実のところキリオは、こう続けようとしていた――フローラ・ザクソンは未だ地上だぞ、と。
「そんなワケ――そんじゃ、僕はとっとと出ることにするから、後は頼んだ。後は、RL機上でね」
 その爪先を艦橋出口の方に向けて、クリス。
「あまり、無理するんじゃないぞ」
 これ程に、真意から懸け離れ、無意味な発言が今までの人生の中に幾度あっただろうか。キリオは懊悩するが、辛うじて表面に出すことだけは防ぐことが出来た。
「あいよ、了解で、ありまっす!」
 砕けた敬礼と、あくまでも緊張感を漂わせないクリストファ・アレンの声。
「御武運を――」
 全く対照的な、完璧な敬礼を行なったのは、ソフィであり、その内面にどれ程の苦悩が抱えられているのか、キリオには想像も付かない。差し当たって、ヒムラ・キリオは頭脳を実務的なものへと切り換えることで、その場からの逃避を図ることとした。取り出した携帯端末を軽快に操作、口元へと運ぶ。
「参謀組は、全員第一会議室へ集合せよ」
 そんなキリオと、ほとんど同じタイミングで艦長席へと駆け上がっていたソフィは、直ちにフォーチュンの現状把握へと取り組み始めている。急に雑然としてきたそんな第一艦橋を、クリストファはマリベルを伴ってゆっくりと、しかし確実に後にする。

   ◆ ◆ ◆

『ヴィクトリのゴタゴタは、後回しだッ――B班は、アヴァントの給気、給弾、ジャスティン、貴様が指示しろっ! A班は、全員俺に続けっ! 工房ブロック集合!!』
 スピーカーを介したスコット・ロードマンの大声――ほとんど怒鳴り声だ――が第二格納庫の空気を盛大に振動させる。
「アイ、お任せあれ」
 ジャスティン・シューマッハが格納庫の底面から両手を振りながら声を上げてくるのを確認し、スコットは作業服右袖に内蔵されているワイヤー・ガンを格納庫のゲート付近へと向けて打ち込んだ。無重力空間の中、即座にリリースを開始するワイヤーにその体を運ばせて、スコットは舌打ちを一つ。
「ったく、早かったな――」
 急激に高まりつつある第二格納庫の人口密度が、掛かる事態の深刻さを現しているのだろう。デフコン3、イエロー警戒態勢が発令されて早十分。混雑を極めつつある格納庫ゲートを逆行するスコットと、その直属であるA班は、人波を掻き分けるようにして工房ブロックへと向かう。言うまでもなく、ライト=ブリンガの出撃準備を行なう為に。
「ホントに早かったっすね」
 耳聡いリオン・ウーが並び飛びながら、そんなことを小声で言ってくる。
「『半年』とは思わなかったな――まあ、余計なことは考えずに、俺達は俺達の『仕事』をするだけさ」
 半ば自分自身に言い聞かせながら、スコットはブーツのマグネット機能をオン。これから先のエア・ロックを兼ねた重力調整エリアでは、有重力化が実行されることとなっており、その前準備である。両の足を床面へと落ち着け、ロードマン整備士長は一度、その後方を振り返り、A班所属の部下達が自分に続いてくるのを確認した。
「RLは、通常装備で出撃させるのですか?」
 やはり小声でリオン。既に、スコットと同じく直立した状態で。
「わからんな――まあ、奴(やっこ)さんのことだから、『レーヴァ』は持っていくつもりなんだろうがなぁ――加重掛かるぞ、注意しろ」
 差し当たって解放されていた第四ロックへと二人は揃って足を踏み込んでいる。二重構造のゲートが閉ざされた中、壁面に設置されているバーを握り込み、その歯を噛み締めることで来るべき過重に備えなくてはならない。カウントは5から始まって――軽快なチャイム音とは裏腹に、全身を押さえ込む重力がめでたく発生し、二人は呻く。内臓、脳髄、その全てが足元へと落ちる感覚は、いつになっても馴れるものではない。
「きっつー……」
 崩れかける下半身をどうにか支えながら、リオンが呟く。しかし、『きっつー』の一言で直ぐに動き出せるリオンを見ていると、寄る年波を自覚してしまうスコットでもある。実のところ、呼吸を行なうのも大変な難儀となっている。
「さて、急がなくてはな――」
 リオンより遅れること十数秒、ようやくの回復へと至ったスコット・ロードマンは、縺(もつ)れ掛かる両脚で、どうにか出口へと踏み出した。
「定期メンテは終了したばかりっす――妙な表現にはなるかと思うっすが、タイミングは悪くないっすね」
 スコットとは対照的な足取りの軽さで、そして等しく軽い口調をリオンは選んでくれているが、これは勿論、不安感の裏返しなのだろう。
「予備のプロ(=プロペラントの略で『増漕』の意)をアヴァントにも積み込ませないとならない――忙しいことは忙しいぞ」
 歩くペースを上げながら、スコットは耳元に掛けたままの携帯端末を操作し始めた。
「そっすね」
 こちらは、腕時計型の端末のメイン画面を確認して、リオン。六時間前の定期メンテナンスに関するレポートの確認だ。責任者欄にヒムラ・キリオ、と記述されているのを見て、スコットは胸を撫で下ろす。

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「一刻も早く、第一艦隊に合流した方が良くはないですか?」
 参謀室の一人、この場では最年少のエルナンド・マレスのその発言に、複数の参謀が頷きを加えるのに気付かないヒムラ上級一佐では無かった。
「小官も同感です――勿論、編成を急ぎつつ、と言う前提ではありますが」
 碧眼を見開き、言葉上でも同意をしめしてきたのはタルヴォ・ボルトン。階級はマレスと同じく、三佐である。
「一理、あるがね……幕僚長、そして俺自身の判断は実のところ、これで確定している」
 立体航宙図の前、指揮杖を文字通りの杖として、ヒムラ・キリオは言った。しかし、ボルトンは尚も食い下がる。
「敵勢力、その数は全く未明であります。場合によっては――」
「――各個撃破の愚を冒す、ってね」
 ヒムラの先取りした発言に、ボルトンのみならずその場の全員が固まった。
「あ、気を悪くしたのなら、すまん……。まずは、その根拠から説明させて貰う。時間が無いので、手短に実行する――各自、良く聴けよ」

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 手渡されたばかりのパック飲料を、一口啜る。無重力に設定されている、この工房ブロックにあっては飲み物一つ、嚥下(えんか)するのにもちょっとしたコツが必要だった。
「コックピット内、フリーボックスの中にタオルとドリンク、入れておきましたから」
 ライト=ブリンガの第一アンテナでもある『角』を握り付けることで体を保持しているマリベルが――既に、メイド服ではなくて艦内憲兵隊服へと更衣済み――声を下ろしてくる。
「ああ、アリガトよ――」
 RLコックピットに片足を突っ込んだ状態で、軽く手を上げて、軽いお礼を行なったクリストファ・アレンの両目はしかし、機体足元――なんと妙な表現なのか、これは――で右往左往している整備士達の一挙手一投足へ向けられている。
『第二格納庫へ搬送するぞ――急げよっ』
『レーヴァ、プラグ交換、あと二分で終わらせますっ』
『IFFシグナル、テスト良好、問題なしっ』
 ほとんど、怒鳴り合いと化している現場――鉄火場とでも言うべきか。自分をサポートしてくれる彼等に対して、深い感謝の念を改めて自覚するクリストファ・アレンである。勿論、自分の真上で滞空しているマリーベルに対しても、これは同じこと。
「アテナ、結果はどうだったかな?」
 コックピットに顔だけを入れるようにして、クリス。
『34897、並びに7854のテスト・プログラムを走らせましたが、問題はありません』
 心なしか、硬く感じられる女神様の口調。勿論、気の所為に決まっている。
「よし、あとは俺の問題ってわけだ」
『大丈夫です、クリス――貴方なら』
 ここでクリスは、思わず噴き出してしまう。
「あんがと――マリベルも、もう君の仕事は終わりだから、管制室なりに戻ると良いよ」
 空になったパックをマリベルに手渡して、クリス。最初のお礼の言葉は、当然アテナとマリベル、その両者に対して等しく向けたものだ。
「最後まで、お供致します」
「真面目だな、マリベルは――まあ、好きにすると良いよ」
 そんなマリベルの爪先を軽く握った拳で小突いて、クリスはいよいよコックピットへと潜り込んだ。相も変わらず、狭いことこの上無い。
「ディスプレイ、オン――続き、メインには完了した行程作業を箇条書きで表示してくれ」
『了解しました』
 アテナの返答に頷きを加えつつ、シートとは名ばかり、ほとんどバックレスト(背もたれ)でしかない操縦席へクリスがその背中を落ち着けるや否や、スーツ背面に設けられているアタッチメントにパイル(固定杭)がオートによって速やかに二発、打ち込まれる。パイロットの息が大きく詰まる一瞬だが、特殊な操縦系統を持っているRLにあっては、シートベルトの類は操縦に関して甚大な支障が発生することとなってしまう。どうも、傍目からすると非常に痛々しく映る光景であるらしいが。
「くっふ〜」
 情けない息を吐いている内に、既に全ての命令は実行されている。ほぼ全周囲の表示を可能とするディスプレイに、雑多な情報が一斉に並べられる。周囲10メートル以内に存在する人間の数、その登録名とID番号。現状の機体装備一覧。燃料状況。機関状況。
『クリス、『ブリューナク』は背面固定で行くのか!?』
 突然に無線で飛び込んできた、馴染みの深いそんな声の主はスコット・ロードマン。ファースト・ネームを、それも簡略形で呼び捨てにしてくる辺りが実に彼らしい。付け加えると、無線を用いずとも肉声で充分に届きそうなものだが。
「ブーレは左手で持っていく。レーヴァを右背面固定でお願いしたい」
 左手に『ブリューナク』、右手に完全展開された『イージス』を保持するイメージを、そのまま言葉に代えて、クリス。
『おう、任せてくれ!』
 そのスコットの声を受け、今やコックピット・ハッチ横で静かに控えているマリーベル――なんと、器用なことに彼女は正座の状態だった――の存在をクリストファは思い出す。これが、彼女に向けられる最後の『関心』となるのだろう、と言う予感は言うまでもなく。
「マリベル、下がれ――これは命令だ」
 声には、通常の三割り増し程の険を含ませたつもりだった。
「ですが……」
 物憂げな目線で、俯(うつむ)いたマリーベル・リンス。
「そこにウロチョロいられると、僕が集中出来ない!」
 いよいよ、怒鳴ってしまう。集中出来ないのは、事実でもあった。
「…………」
 しかし、再びマリベルは沈黙する。先刻来、全く常の彼女らしくない。ここでクリスは、いよいよ大きく左面へと振り向いた。
「どうした、マリベル」
「…………」
 やはり、答は無い――いや、そうではなかった。マリーベルは、その小さな肩をやはり小刻みに震わせて、息を殺して泣いていたのだった。
「おいおい、マリベル……お兄さん、困ってしまうぞよ」
 精一杯、『おちゃらけた』つもりだったが、それでもマリベルの反応は変わらない。それどころか、マリベルがしとどに流している涙が珠(たま)となって、盛大にその周囲へと振り撒かれ始めている。珠の一つが、ゆっくりとコックピット内のクリスの元へ。そして、振り向いていたクリストファのヘルメットの中。その、頬に当たって、小さく弾ける。
「……しなないで……」
 クリストファ・アレンが対処に困窮している中、ようやく彼女はそれだけを。
「マリベル……」
 上半身を起こし掛けたのだが、既にパイルを打ち込まれているクリストファは全く、身動きが取れない。
「……しなないで、くださいっ」
 堪えきれなくなったのか、激しい息遣いの中で。
「大丈夫、僕は死なない!」
 多分、今回はね――そんな予感に、妙な現実感が伴っているクリスである。
「君に、助けられた命。あだや、疎かにするつもりなんて無い。安心しろ、マリーベル!」
 先月の、拉致未遂事件について、暗にクリストファは言及したのだが、あまり効果は無かったようだ。
「でも、でも……」
 いよいよ、マリベルはその顔を上げてきた。珠となりきれなかった涙に、占領された顔を。
「マリベル、僕は今日のこの時の為に、生きてきたのだ――と言っても過言ではないよ。そして、ここで『くたばる』つもりも毛頭無い。必ず、戻ってくるから――その時は、また美味しいコーヒーを淹れてくれると嬉しいな」
 差し当たって、自由な左手の親指を立て、腕ごと振りながらクリスは言った。
「……はい、とびっきりのを」
 ようやく落ち着いてきたのか、マリベルは軍服ポケットから取り出したハンカチで、自分の顔を大きく拭く。
「艦内の保安維持、任せるよ」
「はい――」
 これ以上になく名残惜しそうに、それでも力強くライト=ブリンガの装甲を蹴って、マリベルは飛んでいった。
『全く、女泣かせなことですね、クリス――』
 そんなアテナの静かな発言に、クリストファは大きく噎(む)せ返る。

   ・
   ・
   ・

『なんで、俺っていっつもこうなんだよう……』
 教導隊、『サイレント・イーグル』所属、ラスティ・ハーヴェイ二尉は、その愛機コックピット上にて、決して高いとも言えない天井を、ただただ見上げているのだった。半ば茫然自失としているそんな彼を尻目に、栄えあるアヴァント・ガーダーは一号機、『サラマンデル』の周囲では数多の整備士達が各種作業に没頭している。
「ハーヴェイ二尉、『フルメンテ・モード』の解除をお願いします!」
 顔なじみの整備士が、コックピット脇に上がってきて怒鳴り込んでくる。
「あ、すみません……ええっと……」
 文字通り、飛びかけていた精神を慌ててパイロットのそれに戻す。メイン端末のキィを差し込み、モード解除を実行。確か、これで問題無い筈。
「どうです?」
 年齢が、自分よりも遙かに年上の整備士に対して、鷹揚な言葉遣いはどうしても行えないラスティである。
「いや、これだと……ノーマルメンテの解除でしか無いんですが」
 心から情けない顔で、整備士は言ってきた。
「あ、ごめんなさい――これで」
 顔色を窺ってみる。
「はい、問題ありません、二尉殿」
 破顔して、整備士は再び機体の底へ潜り込んでいった。自らの情けなさに、ラスティは両頬を力強く叩いた。畜生、自失している場合じゃないだろって――しっかりとしろ、ラスティ!
「場合によっては殴ってやろうと思ったが、どうやらその必要は無かったようかな?」
 本当にいつの間にか、自分の背後に立っていたダイチ・キートンだった。
「きょ、教官っ」
 慌てて、敬礼を一つ。そして、続く疑問――なぜ、彼がここに。付け加えると、何故、彼がパイロット・スーツを着込んでいるのか!?
「もう、『教官』と呼ぶ必要はない。たった今から、自分も『イーグル』の一員となった」
 力強く、一つ頷きを加えてキートンは答えた。
「……で、ありますか」
 ここで、ラスティが「はぁ?」と聞き返さなかったのは、フローラ・ザクソンの薫陶が積もりに積もりまくっていたからである。
「アヴァントの前には、俺が乗る。ザクソン校長の代理、だがね」
 残念。フローラの薫陶も、効果はここが限界だった。
「はぁ?」
「まあ、驚くのも無理はないな――ただ、『こんなこともあろうかと』、俺に特化した操縦系がアヴァント並びにフォーチュンの艦載機には組み込まれているのだ」
 妙に強調された『こんなこともあろうかと』の部分であったのだが、残念ながらラスティにはその真意が理解出来ない。ここでキートンは、自分の両脚を大きく叩いた。
「確かに、俺の両脚は『棒きれ』の様なもんだ――ただ、まだまだお前等には負けない、そう自負している」
 ダイチ・キートンの両脚が義足であることは、広く知られた事実であった。航宙警察在籍時、自らの過失に依らない衝突事故にて、その両脚は失われており、警察の技術教官役へと転向していたことも、勿論。
「ザクソン校長には及ばないが、お前さんのバディ(相棒)は充分に務められる筈だぞ」
 言いながら、キートンはアヴァントの前席へと滑り込んだ。想定外の想定外の……もう一つ、想定外。ラスティにとっては、しかし。
「実のところ、一人では不安で仕方がありませんでした」
 差し当たって、一番本心に近い言葉を紡ぐラスティ。ライト=ブリンガの後方支援を命令されてはいたが、一人きりと言うのは。
「そんなワケで、俺は機体設定を開始する。君は、各整備状況と装備のチェックを行ないたまえ」
「アイ・マスター・キートン!」

   ・
   ・
   ・

『クリストファ・アレン、聞こえるか?』
 ダイレクトの着信。発、ヒムラ・キリオ技術上級一佐。
「聞こえている、どうぞ」
 既にコックピット・ハッチを閉じ、腕を組んだ状態で静かに待機していたクリストファ。許可を与えたことで、小さなキリオのバストアップがディスプレイに表示された。勿論これは、ライヴ映像である。
『参謀組の意見が固まった――当初の予定通り、行なうこととなった』
「うんむ」
『それと、大統領からの承認シグナルを受領している。数十分後に緊急会見を行なうとのことだ。後は、お前さん次第と言うことになるな』
「だね」
 ここで、クリスは左操縦桿元のボタンを一つ、押し込んだ。全周囲ディスプレイの正面に、最優先で出力されたウィンドウには『封印解除』を示す文字と、二十桁にも及ぶ、パスワードの入力欄。
「こちらの方で封印解除シグナルを発信するつもりだが、場合によっては君に代行して貰う可能性もある――分かっているよね?」
『了解している……つもりだ』
 クリストファはここで、ウィンドウの最小化処理を行なった。続いて出力させたのは、ライト=ブリンガとアヴァントの出撃準備状況。ライト=ブリンガ97%に対し、アヴァント89%と言う数字。
「準備が終了次第――長くは掛かるまい――アヴァントを伴って、出撃する。対処出来る限り、こちらで対処するが、基本的に君と参謀室で処理してくれるとありがたい」
『分かった。まあ、あまり無理はするなよ』
 キリオの顔と声が、渋いものとなっている。
「ああ、大統領に宜しくな――後はこっちでやれるだけやるさ」
 実際に握り拳を作って、クリスは言う。
『一昨日の酒が、まだ残っている。一人で呑む気にはならないから、早く帰って来いよ』
「当たり、マエダのクラッカー」
 キリオ、その顔を大きく左右に振った。
『無事を祈る――』
「ああ、祈っておいてくれよな」

 通信、終わり。

 ここで再度、準備状況を確認する。アヴァント側の数値が89%から変わらないことに軽い苛立ちを――いずれにせよ、アヴァントの方が早く出撃準備は整うのだろうが――覚えつつ、クリストファは腰元に装備されている通信端末を操作する。

 もう一人。話しておきたい、大事な人が、いた。


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「移動を開始します――針路現状、前進微速!」
 艦長席で、しかし仁王立ちの状態でソフィ・ムラサメ艦長が指揮杖を振り翳(かざ)す。
「アイ、マム――前進微速、針路現状――機関良好、問題なーし」
 馴染み深い蛇輪(だりん)を、キム・レクソールは力強く握り込む。結果的に、フォーチュンの操舵士席を守り抜くことに成功している彼である。機関状況に関して報告を上げたのは、今の機関士席が空席であった為である。
「オペレーターは、後続との連絡、連携を密に――リアルタイムで艦長席に上げてくれて構わないわ」
「「アイ」」
 複数の声が、復唱する。この第一艦橋にはシャルロッテ・グルーミングを筆頭に、五人のオペレーターが詰めている。第二、第三艦橋においては更に十名単位が詰めているのだが、これはつい先刻までこのフォーチュンが『ただの』軍艦では無かった為でもある。非戦闘員の退去命令は既に出ているので、少なくとも第三艦橋詰めの人間は全員が離艦する筈だ。
「艦周辺に異常なぁし――」
 操舵士が、本来は不必要である筈の報告を行なってきたことには、当然意味があるのだが、ソフィはしばらく、その意味を図りかねていた。勿論、雑多な情報に目を通し続けていたこともあるから、彼女個人を責めるのは酷なことであったが。
「ああ、ごめんなさい――前進、二微速――ついで、三微速への加速はキム、貴方に任せます――その後は、再度指示するわ」
 前進微速の定義が、ほとんど『アイドリング』のそれと変わらないことをキムは気付かせてくれたのだ。
「りょーかーいー。針路現状、前進二微速ぅ――以後ぉ、三微速へ加速ぅぅ」
 のんびりと、語尾を伸ばしているキム・レクソールには彼なりの計算があった。露骨に浮ついているオペレーター達や――これはシャリーも例外ではない――右往左往としている艦橋要員達の落ち着かない態度を目の当たりとしてしまえば、わざとらしい位の余裕を敢えて、演出する必要があった。浮き足立っているのは当の本人、自分も同じことだったが、それでも、まだしもハッタリを決め込むだけの余裕はある。ここで、キムは蛇輪脇のギアを一段、押し上げる。完全な標準重力が維持されているこのフォーチュン艦橋において、加速度というものは人体には全く感じられない筈なのだが、この正論に関して、懐疑的なキム・レクソールでもある。マシン――明らかに大き過ぎるけれど――との一体感がもたらす、何かしらの精神的作用の発露とでも言うべきか。そんな、ささやかな幸福感すらも自覚しているキムを余所に、艦長席への直通回線の着信を示すシグナルが一つ、点滅する。これは、艦橋のメイン・ディスプレイに備えられているものでもあったから、自然、艦橋の人間が自ずと察知するところとなっている。
「ムラサメです――」
 迷わず、受話器を取ったソフィの顔に奇妙な色が浮かんだことを見抜いている艦橋の人間の数は、決して多いものではない。転じれば、少なくはなかった。
「――言いたいことは、そりゃあ山ほどもありますけれど」
 半ばの義務感からか、艦橋内の全体を、いささかわざとらしく見渡すようにした。
「真打ちが、初っ端に出るのも良いと思いますけどね、この際はっ」
 この時のソフィの表情は、非常に複雑な色合いを醸し出していたのであるが、さすがにそんな顔を凝視しているような人間は、ここにはいない。
「ああだこうだ、と言うのは後にしますよ。貴方に貴方の仕事があるように、私には私の仕事があります。ともかく、きちんと帰ってきて下さいませ」
 全く、色気も素っ気も無いそんな遣り取りに耳を傾けつつ、オペレータ席のシャリーとナナが同時にその肩を竦めた。
「こらっ、オペレーター! 何をやっているのか! 仕事は沢山あるでしょう!」
 既に通信を終えていたムラサメ艦長の一喝。とは言え、実際の所、そんな喝に険はほとんど含まれていなかったのだが。
「「イエス・メーム!!」」
 それを知っているメイン・オペレータ二人組による、どこかおざなりの返答が響き、フォーチュンの第一艦橋には堪えきれないといった忍び笑いが満ちる。
「さあ、緊張はしなくてもいいからね、先は長いんだから」
 ソフィ・ムラサメは、その矮躯を艦長席へと大きく沈め込んだが、これだって勿論演技に近いものであった。クリストファ・アレン――彼が、こうなると止まらないことも、そして環境がそれを許さないものであることは百も承知していたのだが。ほとんど無意識の内に、手繰り寄せたペンダントを右手で力強く握り締めた。リンダ・フュッセルが作ってくれたもので、この中にはクリストファと自分の子供――厳密には胎児――が眠っている。それを知っているのはリンダを除けば、ヒムラ・キリオのみ。クリストファ本人には、まだ伝えていない――これに関して、二人からは少なからぬ説得もあったのだが――ソフィ・ムラサメなのであった。

『ごめんね――お母さんになるのは、もうちょっとだけ待っていてちょうだいね』

 軽い口づけを一つ。これからは、艦長として。
「副長!」
 自分でも驚くほどに、凛とした声が出た。
「はっ――」
 その後背で静かに控え続けていたステラ・ハーヴェイが速やかに反応する。
「非戦闘員の待避に関してはどうなっているか?」
「……民間人の待避を優先しております。全ての待避が完了するのは、数時間後になるかと」
 眼前に展開されている複数の立体ウィンドウを見比べながら、ハーヴェイ副長。
「遅いな――副長は、その具体的な数字を算出せよ。ああ、それと――」
 口にされ掛けた艦長の言葉を、ハーヴェイは待ち続けていたのだが、なかなか言葉が続けられない。
「――艦長?」
「ああ、ごめんなさい。『こっち』は『政治的』なことだから、キリオさんに任せることにします。気にしないで良いわ」
 これで、得心が言った。ステラは、この段において艦長が何を言い掛けていたのか、完全に把握していた。
「プレス・ルームから再三、要請が上がっておりますね」
「優れているわね、ステラ。全く、もう」
 ソフィは、破顔(はがん)した。それだけを見ていると、とてもこの巨大戦艦の女帝とは思えない。ステラはやはり軽い微笑みを戻しつつ、つい先に受け取った命令を実行する為の手続きを取り始めている。全く淀みのない操作、作業となっているのは正に、ムラサメ艦長による副長教育の賜物だった。

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「むう……」
 クリストファは、気密服の腰元のホルスターから愛用の拳銃を取り出し弄びつつ、息を吐く。
『何かご不審でも?』
「いや、問題ない――」
 相棒であるアテナに軽く答えておきつつ、残弾の確認を行なってみたりしながら、つい先刻の恋人との会話を思い出す。どうも、ここエテルナに来てからの彼女の様子がおかしいように思っていたこともある。まあ、彼女は彼女なりで艦長職という重責をその細腕で支えているわけであるし、これは致し方ないところではあるのだろう。
『失礼――アヴァントの発進体勢が整ったようです』
「おお、そうか」
 特注品のスペース・イーグルを慌ててホルスターへと戻しながら、クリストファは正面に表示され続けているメイン・ウィンドウに視線を戻す。
「……おお、ヤル気だなぁキートン」
 アヴァント・ガーダーを示す機体番号に続いて、二人のパイロットの名前、その階級。
「アテナ、アヴァント一号機に通信繋がるか?」
『はい、問題ありません』

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「あー、マスコミ!?」
 ヒムラ・キリオは、その後頭部をボリボリと掻きむしりる。新たな問題がまた一つ、ってことだ。しかし、これは確かにソフィの仕事ではなく、限りなく自分の仕事。
「わーった。俺に任せておいて。こっちで処理する」
 力強く回線を切断しておいて、キリオはここで再び立体航宙図にその目を向けた。ライト=ブリンガと、アヴァント・ガーダの予定針路を示すガイドアイコンに修正を手早く加える。
「一佐殿――それでは両機の到着時刻に誤差が生じますが」
 参謀の一人が素早く発言してきたが、これは勿論予測していた質問だった。
「ライト=ブリンガには最高戦速で突っ走らせる――ヒタスラにな!」
「うげぇっ」
 誰かがそんな情けない呻き声を立てたが、それを今、追求する必要はない。
「どの道、速度では比較にならないよ。今回は、とにかくRLの現場(げんじょう)への到達時刻を優先する。アヴァントの準備は?」
「既に整っているようで――今は、幕僚長閣下と通信が繋がれているらしいですが」
「俺の名前を使って割り込め――アヴァント一号機は直ちに予定宙域に向かって発進させる、急げ!」
 はっ、と力強く答えて、マレス三佐。通信卓へと向かうその後ろ姿を見送って、キリオは立体航宙図へと再び目を戻した。差し当り、自分が手を掛けなくてはならない部分は今は無さそう。眼鏡のブリッジを一度、押し上げる。
「艦隊編成は君達に任せる。自分はブレンハルトと長距離通信を行なうから――ついでに、マスコミに関しても手を打たないとならないし」
「心得ました、閣下――」
 直ちに数名の参謀が手分けをして作業に入る様子に感心しながら、キリオは自分の専用端末を展開する。ほとんど同時に展開された三面の立体ウィンドウを見比べて、安堵の息を漏らした。そこには、第一艦隊編成の進捗状況が数値化されて示されているのだが、当座は安心できるものであったからだ。キリオはここで通信端末を操作。
「広報室、誰かいるか?」
『室長補佐、リュボフ・ストコフスキー二尉がここに』
 肝心の室長が現在は本星へ派遣されているのを当然、キリオは知っている。
「やあ、リュボフ――現在、本艦に乗っているプレスの代表を集めておいてくれないか」
『了解です――とは言え、現在はデイリー・アルタミラ一社のみですが』
 苦笑含みのストコフスキー二尉。半ばの工房艦、補給艦と言う位置付けになっていたこのフォーチュンは響きとその存在からして、ニュースソースとしての鮮度は今三つ程、足りない、ということだ。エテルナの名を冠し、且つ第一艦隊の旗艦でもあるエターナル・エターナルのプレス・ルーム等は芋洗い会場さながらの様相を呈しているようだが。
「……いっそ、清々しいぐらいだな二尉?」
 目立ちたがろうとは思わないが、ここまでの仕打ち――と言うほどでもないが――とは一体なんなのだろう。懐疑的になってしまうキリオではある。
『ええ、まあ――では、デイリーにはそのように』
「ああ、フランシス女史に宜しく。そうだ……とびっきりビッグなスクープを期待しろ、って伝えておいてくれ」
『了解です』
 キリオは、一人微笑んだ。いや、観察者からすると『ほくそ笑んだ』ようにしか映ってはいないのだが、それは余談である。

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『キートン、無理はするなよ』
 第二カタパルトへと機体ごと運ばれている中、そんなクリストファ・アレンの声がアヴァント・ガーダー一号機『サラマンデル』のコックピットに響く。
「我儘(わがまま)を容れてくれて、感謝します閣下――無理をしない、それは百も承知であります」
 常とは打って変わった軽口のキートンがラスティの前でそのヘルメットをリズミカルに振ってみせた。
『ラスティ、集中はしろ、しかし緊張する必要はない。マイペースでな』
「アイ・サァ」
 キートンの様な軽口を叩こうと試みはしたのだが、これは失敗。震えなかっただけで、及第点と言うところか。一度(ひとたび)、力を抜けば痙攣して裏返りそうな両の腿を抱えているラスティである。
『まあ、途中で追い抜くことになるだろうとは思うけどさ』
「アヴァントの加速性だって、馬鹿にしたもんじゃないですぜ」
 ヘルメットが大きく後ろに下げられたので、キートンはおそらく胸を張ったのだろう。
『確かにな――ま、お先にどうぞ、ってね』
「了解。お先に!」
 通信が切断された。既にキャノピーが全て閉じられているコックピットは、キートンの軽い呼吸音、荒いラスティのそれ、計器類の立てる微かな電子音だけが占領するところとなっている。
「何だかんだと緊張するな――ラスティ、息を整えろ」
 軽く上げた右手をヒラヒラとさせて、前席――パイロット席のキートンが言う。
「は、ハイ――」
 既に、第二カタパルトに機体は到着している。重気密服に身を固めている数名のカタパルト・オフィサが機体周囲を右往左往としている光景を眺めながら、深呼吸を数回。なかなか、しかし収まらない。
『こちら、フォーチュン管制――アヴァント・ガーダー、出撃準備は宜しいですか?』
「こちら『サラマンデル』。問題ない――いつでも出られる」
 コックピット付近に流れてきた気密服の一人が、ブロックサインを数回、実行してきた。それがカタパルト接続完了を示すものであることを、ラスティは知っている。キートンが機体外部に備えられている信号灯を三回、点灯させることでそんなカタパルト・オフィサに『了解』の意図を伝えた。
『ハッチ開口を実行する――発進まで、カウント30』
 フォーチュン管制のそんな宣言と全く同時に、カタパルト・デッキの通常照明が一斉に落とされた。唯一の光源である赤色灯により、デッキは赤一色へと染め上げられている。そして、重々しく開いていくカタパルト・ハッチの向こう側には、漆黒の宇宙。
「さあて、出るぞう」
 キートンが、力強く操縦桿とスロットルレバーを握り込んだのを見て、いよいよラスティの動悸は激しいものへと変わる。
『――スターティング・カウント、ヒフティン(15)』
 アヴァントの周囲から、一斉に気密服が離れていった。ハッチ付近のオフィサだけが、発光灯を力強く外部、宇宙空間へと向けている。その他のオフィサは、全て敬礼を行なっていた。彼等に確認できる道理は無いが、それでもコックピット内のラスティは一人一人に返礼を行なった。
『テン・ナイン・エイト――』
 堪えられなくなったラスティの両腿が、痙攣を始めた。懸命に両の腕で腿を押さえつつ、ラスティは想定される加重に耐える為に、大きく息を吸った。
「サラマンデル、発進する!」
 キートンの宣言。高加重へと対応する為、ラスティは息を細く、少しずつ吐き始める。
『GO!!』
 管制官の小気味よい掛け声、そして警告音がコックピット内に広がりを――と、感じた次の瞬間には、全身を一斉に殴られたような加重がラスティを襲っている。一瞬にして掻き消えたカタパルト・デッキの光景、今や彼等の周囲は黒一色。フライト・オフィサ席にも装備されている後部映像ディスプレイの中で、フォーチュンの輪郭がみるみると縮んでいく。
「ぐううううっ」
 歪む視界の中、キートンがスロットル・レバーを更に引き込むのが見えた。第二次加速――キートンには全く、妥協というものが見られない。

 正に弩(いしゆみ)から放たれた巨大な矢が如く。深紅のアヴァント・ガーダー一号機は盛大なノズル炎を引きつつ、漆黒の宇宙を切り裂くようにして突進していく。

 フル装備の一号機――『サラマンダ』は、こうして初めて、戦闘出撃を実行した。

 時は西暦2810年、11月17日。

 あと数十分で日付が変わる――そんな時刻、であった。
posted by 光橋祐希 at 00:00| 第五章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする