「情けのない――」
アルフォンソ・マティス三佐の何度目ともなく、繰り返されたそんな言葉、溜息。幕僚陣からの最終指示を待っている段階ではあったが、既にクルー、艦載機パイロット達には『戦線離脱の準備』を非公式の内に伝達していた。そんな艦長の無念が伝染してか、艦橋の雰囲気は全く押し鎮まったものとなってしまっており、常であれば軽快な軽口や、品の無い冗談を隙無く叩き続けることで知られる『デュオニューソス』操舵長にしても時折、艦長席の方に様子を窺う目配せを飛ばすだけの存在となってしまっている。
「艦長、通信が。発、『フォーチュン』はヒムラ上級一佐」
オペレータが着信を告げるのと同時に、マティスは通信回線をオープンにした。互いに敬礼、若干のタイムラグ。
『用件を手短に言おう――初期予定の通り、粛々(しゅくしゅく)と進軍されたし』
心無しか顔色の悪い、そんな事実上の幕僚長代理であるヒムラ・キリオの上半身からはしかし、全く予期せぬ言葉が出てきた。
「……我が『デュオニューソス』が率いる後衛も含めて、ですか」
今思えば、馬鹿な質問だった。しかしこの時のマティスにそれと気付く余裕は全く無い。
『その通りだ。ともかく、減速は行なってはならん。針路、速度は現状維持だ』
マティスの胸中に、ある考えが湧き上がってきたし、そして気付いた時には言葉へと変換してしまっていた。
「そうですか、我々は囮役(おとりやく)ということになるのですね」
自衛隊が、そして幕僚長を始めとした上層部がそんな決断をするとは想定だにしていなかった。先までの無念さとは全く由来を別とする、嫌な脂汗が額へと滲み出した。自分はともかくとして、若い連中には申し訳ないことになるか。これはオープン回線であったから、ブリッジ詰めのクルー達も思いは同じであったろう。小さなざわめきが所々で発生している。
『バカモン! 勘違いするなこのスットコドッコイ!!』
「ス、スットコドッコイて――」
そんな言葉を通信波に乗せるにはあまりにも金が掛かりすぎている現実。しかし、投影されたヒムラ上級一佐のそんな怒りは本物であるようだった。
『貴重な艦艇に、人員にッ!! ンな神風やらせてられるかっってんだッ!!』
怒りがそれでも納まらないのか、カメラに詰め寄ったそんな上級一佐の右目、次いで鼻がドアップになった。
「し、失礼しました――」
『舐めた考えしてったらオンドレ、ウタわすぞゴルア!! フルでぼっこぼこにしてやんぞ!!』
ヒイイイイ、と誰が叫んだのかは分からない。マティスではない。多分。多分だが。その映像と共に伝えられている音声の中で、どこか女性が窘(たしな)め仲介を試みる雰囲気が聴き取れた。
『……ごほん――いや、失礼をした。ええと、詳細はデータで転送する。差し当り、貴艦『デュオニューソス』はラム(衝角)先端の第二ファルクラムを展開させられるようにしておけ。ある意味、これが最優先の命令であるな』
両肩で息をしながらも、実際に上級一佐は落ち着いてくれたようだ。しかし、色々な意味で安心している暇はマティスには無い。ラム先端、第二『ファルクラム(支台場)』だと――まさか……いや、この言葉の組み合わせには艦長レベルの人間でしか知り得ない、特別な意味があった。
「真意が分かりました、上級一佐。全く、ありがたいことです。念のため、プロペラントも船首に用意しておく必要がありますな?」
『そういうことだ。理解が早く、助かる――武運を祈る。何かあれば、こちらからも再度連絡する――以上』
通信が切断され、一瞬の沈黙の後。マティスは軍帽を構え直し、背中を伸ばした。
「聞いての通り、ラム先端の第二ファルクラムの展開を直ちに実行しろ」
オペレータの一人が、顔中に疑問符を埋め込んだ顔で振り向いてくる。
「実行はしますが、これはどう言った意図なのでしょうか?」
実際に手元の端末を操作しながらのその言葉に、マティスは一つ頷きを加えた。今となっては彼等にだって知る権利は充分にある筈だ。
「特機――いや、もう言葉を飾っても致し方ないな。幕僚長機がわざわざ、こちらに出向いて下さるのさ」
「特機、幕僚長機と言うと先の副司令の言葉にあったものということですか!?」
操舵長がいつになく真剣な、けれど弾んだ発言で肩代わりした。その視線は、正面から外されてはいない。仕事は仕事で、これはきちんと行なっているのだ。オペレータから飛ばされてきた展開プログラムをチェックして、実際にそれを反映させるのは操舵長の役割であった。
「そう言うことになるな――」
わあっ、と艦橋の空気が沸騰した。先程までの通夜のような雰囲気もどこへ吹く風。自分達は、犠牲の羊、『スケープゴート』となることは無いのだ、との思い、その発露による歓声だったのだが、当のマティスにはそれが本当に意味由来するところ、根拠は理解できていなかった。
「思いもがけないタイミングで幕僚長閣下のご来艦を賜わることになった。各自、失礼の――いや、みっとも無いところだけは見せんでくれよ。俺の査定が下がるからなっ」
歓声をその両の手で鎮めながらも、その声が浮き足立つのだけは避けられなかった。なんともはや。
「して、その第二ファルクラムは何の為の展開で?」
パネル操作の手は続行させながら、操舵長。それはそうだ。『クロノス級』の、それも艦長しか知り得ないことであり、出来れば一生、エテルナ航宙自衛隊が使いたくなかった方法は方法であって――しかし、唯一無二の解決策が『これ』だったのだ。偉い人は言った――こんなこともあろうかと。
「そんな機体が、本艦のラムに固定されることになるな!」
即座に激しくも好ましい反応が返ってくるかと思いきや、艦橋は又も鎮まり返ってしまう結果となった。あれ、俺は何か間違ったことを言ったか?? と、当たり前のことに気付いた。彼等の多く――と言うよりは自分を除き、幕僚長機のその真価、詳細を知っている人間が居ないと言うことに。
「すまん、言葉が足りなかったようだ――幕僚長機はとんでもない『バケモノ』であり、そんな特別機の展開する障壁は、我が『デュオニューソス』のそれに充分に匹敵すると聞いている。そして、ある意味ではこれが一番新鮮で、重要かもしれんが――」
息と、言葉を繋ぐ。
「――幕僚長機はなんと、『人型』であると聞いている。そんなとんでもない『幕僚長機』が『デュオニューソス』は第二ファルクラムに固定、合体すると、こう言っているのだ!!」
一瞬の静寂。しかし、それは本当に一瞬のこと。
「すっげええええええ!! なんたるグウウウウレイトッ!!」
「シュターク(すんげっ)! これは何という神展開!!」
「やったぜベイビー!!」
「って、どんだけ死語なんだよ、コンニャロー!!」
「人型ってなんだ、人型って。ガンダムみたいなもんかい!?」
「これはワクワクテカテカ……激しく他艦の連中に自慢できそうな予感……」
沸騰したどころではなく、爆発したような艦橋の空気。全員のその熱気がブリッジの気温を上昇させたことに疑いは全く無い。
「オペレータ、本艦の全員と、そして続く艦艇にも伝えてやらないとなるまい! 回線を用意しろ!!」
「イエッサー!!」
改めて、艦内全域と他艦に伝えられたマティスの興奮を隠しきれない言葉、檄(げき)。同内容が全く繰り返された『デュオニューソス』艦橋は、しかしそれでも再度、激しく燃え上がった。
当のエテルナ自衛隊に於いてもその存在が秘匿され続けた幕僚長機、『ライト=ブリンガ』はこうして、次第に、文字通りのフラグシップ・モジュール(旗機)となっていくことになる。
しかしこの時、彼等の与(あずか)り知らぬことではあったが、そんな幕僚長機に乗っているのは実は現役の二尉であるミランダ・ルヴァトワ。いや、そもそも知る必要なんて、無いのだが。
・
・
・
「ムッハー、すごいや!!」
四肢全身を遠慮無く包んでくるG(慣性負荷)は、この際は寧ろ快感に値する。この機動力の高さ、尋常ではない――ぶっちゃけあり得ない。計器類を確認すれば、これはまだまだ余裕を持った加速でしかないのにも関わらず、ミランダを背負った『ライト=ブリンガ』は『前ロータス』の数倍の速度を軽く、発揮している。いや、そりゃスペック上の差異は最初ッから分かってはいたけれどさ。
『気分は悪くありませんね?』
実は質問ではない、そんなアテナの声。
「へーきへーき。病室で寝っ転がっていた時よりよっぽど気分イイ!! つうかイッちゃいそ! ……ってイッたことないけどねー!!」
『……下品禁止でお願いします。えっちなのはいけないと思います!』
にゃはははは、とミランダは殊更に大きく笑った。いや、実際になんなのだろう。この浮き立つ気持ち、浮遊感と、そして万能感って。凄い、なんでも出来る、そんな気がする。何なんだろう、これは??
『余裕があるのなら一割、速度増しますか。宜しいですか』
「イイよイイよー!!」
ミランダは、スロットルを兼ねた左手を更に押し込んだ。首が後方にぐいと傾いたが、認識済みのスーツによってやんわりと固定された。ウホッ、良いG!
こう言う時、どう言うんだっけ。クリスだったらどう言うんだっけ。
そうだ。
「――Rock’n Roll!!」
叫んだその刹那、ミランダの双眸に蒼白い『光』が宿り灯った。
『――!?』
無論、当の本人は認識することもできなかったが、オペレーティング・システムであるアテナは、この異常を確実に検知、認識把握している。
――何と言うことだ
これは実は『アテナ』に取り、大きな誤算であった。
――願わくば、誤算が良い方向へと向いてくれれば……或いは
予定調和でなく、ここまでこうして『自分』は来られたのではなかったか。
クリストファとの天文学的、奇跡的な邂逅(かいこう)は元よりとして、ヒムラさんとか、リンダとかミランダとか――ああ、挙げていればキリが無い。
そんな人達――連中って語彙(ごい)が喜ばしいのかな――と接して日々を過ごしている中、本来は変わり様の無い筈の自分だって変化してきているのではなかったか???
産まれたばかりの赤子、マエダ・ヒカルを見て、自分はどう思った??
そんな赤子を囲んで、大いに踊り狂った彼等を見て、自分は何を考えた???
ヒカルが、定かではなく、そして自由にもならない両手をこんな自分に向け、意志に依らない微笑みを向けてきた時、自分は何を感じたのか????
――ともあれ
確実なことが一つだけあった。
もう、引き返すことは出来ない、と言う冷酷過ぎる現実。
涙腺という器官が自分に在れば、泣いているんだろうかな。
そんなことにまで思いが至り、アテナは慄然とした。
ああ、驚かなくても良いよ。だいじょぶ。
高速でスッ飛んでいる『ライト=ブリンガ』、その三ツ目は、緩やかな光を放っているでしょう。
観察者の主観によっては、十全に泣いているように、見えるさ。
◆ ◆ ◆
『誰っ――』
泥のような微睡(まどろ)みの中、そんな声。いや、声な訳があるものか。ともかく、尖(とが)った意思が自分の中で練り上げられ、発散されたことに間違いはない。それよりも、状況整理だ。何が何やら。
名前から思い出せ。
名前だ。
名前。
名前。
『ジャンヌ』
そう。
『ジャンヌ』
私は、そう呼ばれていた筈だ。
兄妹がいた。沢山いた。
そうだ。一人なんかじゃなかったんだ。
誰っ――
呼び掛けてきているのは
誰なの??
・
・
・
「あん? 『ジャンヌ』に覚醒の兆候だって!?」
アルベルト・ベネットは、その脂ぎったモノクルを苛立たしげに白衣ポケットへと落とし込んだ。全く、このクソ忙しい時になんでこうよりにもよって。『義経』の捜索と回収に、どう口実付けようかと考えていた矢先かよ。
『思考波が検出されています――今までに、全く検出されなかったタイプのものです』
言われなくても分かっているよ――口に仕掛けて、ベネットはどうにか飲み込んだ。その代償として口にしたのは。
「どうにかまた眠らせることできね?」
情けないが、それが一番の、希望する帰結点であった。先刻まで、どうにか『起こそう』としていた我が身を呪わざるを得ないが。
『無理です。そもそも、何が原因で覚醒兆候を見せているのか分からない以上、安易な行動はより一層の悪循環を招くことになるかと思いますが』
相手も同じ、科学者であることを思い知る瞬間は瞬間だった。こうなると、軍隊という絶対的な階級社会の利便性にも理解が及び掛けなくもないが。頭ごなしに命令できればな、と思うのはこんな都合の良い時だけだけれど。
「パイロット――ええと、サトヤマ少佐だったかな? 彼はどうだ?」
唯一、『ジャンヌ』が反応を見せたのが、この少佐だった。故に、彼は『パイロット』として選ばれた訳なのだが。『テイマー』としてではなく、だ。これ、割と重要。
『現在、呼び掛けを行なって貰っておりますが――期待の反応はないようでs――』
その背後で、激しい爆発音。そして、絹を裂く人間の悲鳴。
「おいっ、何がどうしたっ――」
言い切る必要はなかったし、言い切れなかった。最初は微震動。続いて、遠く、だが深刻に伝わってくる震動、爆発音。差し当り安定していたこの『フォート・リー』の司令室は一転して火事場になった。レスターが床に落とした軍帽を拾い上げる中、ベネットの方に鋭すぎる眼光を一つ。その目が、口程に物を言っている――お前、何をしやがった、と。
「えっ……ちょ、原因、調査中で――」
やっぱり、言葉は最後まで継げなかった。終えられなかった。オペレータの一人が、どんな騒音にも負けない大絶叫を放ったからだ。
「『アーク』、起動!! 繋留器具を強制排除!! 止められませんっ!!!」
◆ ◆ ◆
「う――ううん……」
呻(うめ)き声を上げたクリストファ・アレンの元へ、マリベルは駆け寄った。実際、酷い寝汗だった。それを拭うタイミングを逸し続けていたこの十分足らずだったが。
「ああ、誰だ……」
低輝度に設定していた照明の設定を変えようかとマリベルが躊躇(ちゅうちょ)したそんな瞬間だった。彼女の両目はとんでもない光景を捉えることになる。
「マリベルかな??」
裸の上半身を起こし、誰何(すいか)を向けてきた、そんな幕僚長の両目。蒼く、光る両目。
「えっ――」
絶句するしかないマリベル。力も、覇気もないそんな両目はしかし、間違いなく蒼い光を湛(たた)えている。私は、何を見ているんだ??
「マ、マリベルじゃ……なかったら誰? 返事してくれ……頼む……目が良く見えない……」
無意識に。そう、それこそ反射的にマリベルは照明を全点灯させていた。気付いたのが、クリストファの上半身に残る生々しいゼリーギプスを確認してからのことだった程の、無意識。
「……魘(うな)されていたようですね。お体、お拭きしましょうね。それと、シーツを替えましょう。宜しいですか?」
あくまでも全くの平然を装い言い得たことには、自分自身の胆力に感謝しながらマリベル。
「……そんなことより、状況はどうなっている」
なんと、ベッドの淵に手を掛けて立ち上がろうとしているクリストファ。
「いけませんよ……まだ、休まれていないと。普段から仰っていらっしゃるじゃないですか――疲れている時に何かやってもロクなことにならんぞ――って」
駆け寄り、その必死の左手に自らの両手をそっと添えながら、敢えてマリベルは柔らかな物言いを選択した。
「……そんなこと、言ったかな……」
「言いました。この私に、散々言ったでしょ!? 休みはきちんと取れ、とか彼氏の一人でも作って見せろとかセクハラ紛いのことも散々言ったじゃないですかっ!」
精神的な動揺を抑えることと並行して肉体を動かすのは容易なことではない。ともかくマリベルはクリストファの上半身を再度、ベッドに沈め込ますことに専念せざるを得ない。言葉は荒っぽくなったが、これはこれで彼女なりの選択の結果だった。
「ああ、言ったかも……今思えば酷い発言だった……すまん、マリベル……」
実際のところ、立ち上がる体力も気力もなかったのか、クリストファは全く素直にベッドに背中を落ち着けた。
「確かに休んだ方が良いのは分かっている――ただ、艦橋の音、だけは……入れさせて貰うよ」
待って、と言葉と行動――マリベルのそんな制止行為は、ギリギリで間に合わなかった。幕僚長権限のコードをショートカットで入力して、再度医療ベッドの枕に自らの後頭部を埋めた、そんなクリストファ・アレンの耳に響いた第一声。
『ミランと『アテナ』の努力を無駄にするなッ!』
『出来得る限りのバックアップはこの『フォーチュン』からも行なうぞ!』
『畜生、戻ってきたらあの瘋癲娘(ふうてんむすめ)、しっかし折檻モンだぜ!!』
大して長くも無い、今までの生涯生活の中でも。マリベルにとって、これは全く経験したことのない、最も長い『短時間』であった。
「どういうことだ?」
簡潔な質問。簡潔か。ああなんて簡潔な質問だろう。
「答えないとなりませんか」
自分でも驚く言葉が出た。幕僚長を。この自衛隊の最高指揮官を前に、そして大統領命令による最重要の警護対象者を前に自分は何を。
「理由があるんだろう。怒らない……と思う。現状を知りたい。俺が寝ている間に、何があった?」
◆ ◆ ◆
名前はアレドヤル・オースティン。階級は、准尉。二週間前、この『デュオニューソス』の抱える第六飛行隊『スティンガー』に配属されたばかり。与えられた機体はヴィクトリ、通常タイプ――ストライク・パックの運用経験も無い身の上では当たり前だったけれど、悔しく思えるようになった自分を発見したのは純粋な驚きだった。
大学を卒業したは良いものの、なかなか就職先も決まらず――無為に、いわば半ばの引きこもりとして過ごした数年間を経て、エテルナ自衛隊に冷やかしで志願した。
切っ掛けは、近所に住むちょっと気になる女の子の一言。
『自衛隊に志願する人達って凄いよねえ。応援しなきゃね』
そう。平和、平和。いつまでも連綿と、ただ普通に続くはずだった平和が脅かされることとなって、エテルナの社会と、空気は一変したのだった。僕は、それでも自分には関係ないことだ、と言い聞かせながらやはり無為な日々を過ごし続けて。それでもある日、自衛官の徴募事務所の看板が目に入って。気が付いたら、パンフレットを持って帰宅していた。
そして、本当に冷やかしだ。冷やかしで志願してみた。今思えば、何かを変えたいとは思っていたのかもしれないが、当時の自分にそんなことが分かる訳もない。
どうせなら、と駄目元で志願した『航宙自衛隊パイロット候補生』、その適性検査の結果は、自分でも驚く『合格』という結果になって。
……後のことは、不思議だけれどあまり思い出せない。半ベソを掻(か)いてアテナイ校に到着して、とにかく訓練に明け暮れた。優秀とは程遠い成績だったし、教官や同僚達に迷惑も掛けたと思うけれど、それでもどうにかエテルナ航宙自衛隊正式採用航宙戦闘機『ヴィクトリ』の搭乗資格を獲得。校長だったフローラ・ザクソン一佐にパイロット徽章を付けてもらった時、泣いてしまったのは僕ぐらいだろうか。そんな校長は、黙って握手を戻してきてくれた。暖かく、柔らかい手。
唯一の、丸一日の休暇。自宅に帰れたのは、この船に配属になる前日、この一日だけ。お母さんは僕のありとあらゆる好物を食卓狭しと並べてくれた。お父さんがその量に呆れながらも、とにかくビールを注いでくれて。よりによって、最も激戦の想定される宙自で、それも更に生還率の低いパイロットになってしまった僕に対し、お母さんは、必死で涙を堪えてくれているようだったが、結果的に僕の方が泣いてしまったっけな。
朝、指定のシャトルに乗る為、飛行場へと赴く僕の右手をお母さんはいつまでも離そうとしなかった。お父さんは、取り敢えず両腕を組んで仁王立ちしていたけれど、その両手がそれぞれの腕を固く握りしめていた。ちょっと迷ったし、気恥ずかしかったけれど。お母さんに抱きついた。お父さんにも。そして、最後にもう一度お母さん。お母さんの泣き方と来たら、尋常じゃなかったけれど。
「必ず、帰ってくるお!」
未練は尽きなかったけれど、僕は意識してそう軽口を叩き、ザックを持ち上げた。既に服装は航宙自衛隊准尉のそれだ。僕は、腫れた両目を隠す為の似合わないサングラスを掛けてチューブ(地下鉄)に乗り込んだ。やたら、多くの一般市民から肩を叩かれたり、応援されたり。或いは、車内で食べ物を貰ったり。有り得ないことばかり。少なくとも、半年前の自分からは予想も付かないことだらけだ。
車内で見知らぬ婆ちゃんからもらったオニギリを食べて。しょっぱかったのは気のせいかな。かな。あと、やっぱり初対面のおっさんから万年筆もらった。宇宙空間じゃ使えないよ、って言ったんだけれど、そしたらあげるんじゃない、貸すんだって言われた。だから借りることにした。
気付いていれば、いつの間にかエテルナ本星に別れを告げていた自分。
ああ、蛇足になるけれど、ちょっとナルミちゃんと良いことがあったことはそれでもナイショ。ナルミちゃんが誰かというと、最初に僕に切っ掛けを与えてくれた女の子のことだ……。
さて、そんな『デュオニューソス』は戦線離脱を一転、このまま戦闘に突入することになった、らしい。離脱の可能性を気かされた時、安心したと言うよりも悔しさや情けなさの方を覚えた僕は、やっぱり成長しているのかな。そう思いたいが。
『アレドヤル准尉、機体状況を報告せよ』
隊長からの通信。もっとも、艦載機の出番はまだまだ後と聞いている。今は、パイロットスーツだって着ていない。
「機体状況に問題なし――」
しかし、この時、嬉しかったのは隊長が初めて自分の名前を『きちんと』読んでくれたことだった。だから、
「――隊長からアレドヤル准尉と呼ばれたのは初めてですね」
って言ったのだが。
『ああ、そうか。うっかりしていた。すまんな、『ヤルオ』! これからは気を付けることにするぜ!! ウェーハッハッハ!!!』
失敗しました。そう。候補生時代からこっち、ずっと『ヤルオ』『ヤルオ』と呼ばれてきている自分。由来は言うまでもなく『アレ』であって、挙げ句の果てに僕の『ヴィクトリ』の機体番号が774っていうのはあんまりだと思う。候補生時代の自分を熟知していた元教官、現隊長の微妙な根回しと悪意(言うまでもなく、これは好意と同意なんだけどね)が感じられる部分。しかし、恨むべきは大昔から連綿と続くそんなネット・システムにあるのだろう。先人は余計なことをしてくれた……。
つうか、もまいら見守って下さいよ、ホントwwww
一つ、溜息を吐いて。それでも、僕は。
今、この場所に立っていることを、立てていることを誇りに思ったんだ。
怖いよ。それは、怖い。オメガコワスだよう。
でもね。
もう、じっとしてるの、やなんだよ。
それに何よりも父さん母さん、ナルミちゃんの為に、ってこの速度なら言える!!
俺はやるぜ。やるぜやるぜ。
大体、クリストファ・アレンみたいな怪物がいるんだ。
勝てるだろう、常識的に考えて……。
そもそも、勝たなくったって守ればいいんだ。
全力でやるお!!!!!
太陽系??
ふるぼっこにしてやんよ!!!!!
(※エテルナ航宙自衛隊アレドヤル・オースティン准尉の口述日記より抜粋)
(※追記:以降の口述日記、記録は発見されず)
◆ ◆ ◆
今のこの瞬間、自らの両目が微かな燐光を帯び湛えていることをソフィ・ムラサメ・アレンは自覚していた。生憎と言うべきか、或いは幸いとでも言うべきか。深淵宇宙で染め上げたような黒髪と瞳を生来的に持ち合わせた故に、この程度、微かな発光現象で済んでいるのだ、とも言える。マキーナやクリスティナ、ミランダに至ってはその虹彩色素の絶対的な薄さにより、より第三者が畏怖を覚える程の光量を発揮させなくてはならなくなっているのだから。どういう訳か、自分寄りの遺伝子情報を強く持ち合わせたユキトはもしかしたらこれが微妙なコンプレックスになっているのかもしれないな。
「総司令、ご命令を」
そんな微妙な光の宿る両目を、ソフィは対象へと向けた。ずっとずっと、こんな自分達に付き従ってくれているナナ・マネーシーとシャルロッテ・グルーミング。
『アタック・チームの編成から行なう。情報諸元、出力を承認するわ』
既に、基礎データは組み上がっている。いや、組み上げたのは他ならない、自分だ。言ってしまえば『この船』と言う存在、それ自体が『自分自身』とでもなるが。数百光年の彼方では、マキーナ・ローゼンベルク・アレンも同じ行動を取っている筈であり、ふと彼女と直接に会ったのが何年前のことだったのか、等と思いを巡らせてしまった。また、一緒にお酒を交わしたいな――友誼こそあれ、互いに取って確執は無い。少なくとも、私は、ソフィはそうだ。
「異議提示がありました。『ジャンヌ』は、『ユキト』の参戦に危惧を抱いているようで……いや、異議提示、ほぼ同一内容で四。条件付き賛成が六――どうしたもんでしょうかね……その多くが『年齢』によるもののようですねー」
暗に、シャルロッテ自身も反対なのだろう。その仄(ほの)めかしを汲めない程、付き合いは短くない。まあ、実際にユキトはまだ『八つ』になったばかりなのは事実だ。取り敢えず、『ストライカ』のコックピットに座っていてくれれば良いんだが。
『直接私が説明する――ラインを繋いで』
「アイ、メム――」
こんな未来が待っているなんて、『あの時』の自分は思わなかっただろうな。なんだか、こんなことばっかりだ、自分は……。
狭い繰艦モジュールの中、長々と身を横たえている自分の、光を放ち続けるその両目から幾筋の涙が、流れとなった。
自分達を毛嫌いしている人間共が、こんな自分達を『ハイエナ』と、侮蔑と偏見を込めて呼び蔑(さげす)む理由の一つがこれなのだろう。『ヨクト・モジュール』が機能を発揮していることの証左に他ならず、多くのDMパイロット達が誇りとする、選ばれた者にしか与えられない、神聖な、けれど大きな代償を求める――言ってみれば美しくも凶悪な『光』。
この両目を恥じようとは全く思わない。
この両目。呪われているかもしれない、この両目を、それでも刻んでくれたのは大事な大事な大事な大事な大事なあの人なのだから。誇りでこそあれ、どうして恥じることができよう。
黒い瞳。この時、それはそれは燃え盛るように。
漆黒のそれが燃え朽ちる――その真の恐ろしさと、意味を知るが良い。
戦闘行為、抗争、紛争、そして我々に対して抵抗を続ける、愚かな『人類』よ!!
我々は、全力を以て、排除する。
寛容を以て中(あた)るには、『君達』は少しばかり調子に乗りすぎたようだ。
……この結論に至らざるを得なかった、我々の苦悩と懊悩の兆分の一でも想像が付くか?
『作戦を実行する――』
そう、口にしたソフィの目に、既に涙は存在がなかった。そして、反対意見も。
2632年01月01日
第II光:『光臨』 第六章 戦乙女たち - VIII
posted by 光橋祐希 at 00:00| 第六章