「静粛に、静粛に!!」
最重要ゲストであるクリストファ・アレンに対しての危険物の投擲と言う事態を受け、議会警備隊のガード達が議会場に雪崩れ込んでいる中で議長が叫んだ。クラシックな面影を色濃く残している木槌を幾度も叩くが、会場が収まる様子は全く見えない。今や大統領のみならず、クリストファ・アレンもまた、そんなガード達に一重二重と囲まれている状態だ。
議長は堪らず、
「これ程の状態にあっては議事の進行は不可能と――」
マニュアルに則った発言を行ったが。
「議長! 発言の許可を願います!!」
落雷をも彷彿とさせる非常な大声を受け、議会場は途端に静まり返った。ガードの首根っこを掴んだ状態、そのままに固まった議員。大統領の下へ赴くべく、やはりガードの一段と揉み合いになったままの女性議員――それが一様に凍り付く。
万年筆がインクにまみれた真っ青な右手で、議会場の天井を突き刺すほどの勢いで挙手を行っていた人間は、果たしてクリストファ・アレン、その人。
「――発言の許可を、願うッ!」
繰り返し、声を荒げる。議会場は整然と、凍り付いたままの状態だ。
多くの人間が。議会場に詰めている議員達のみならず、その国民達が初めて聞き取ったクリストファの声がこれであった。
「議長、クリストファ・アレン閣下に発言の許可を!」
SPに、さながら押し潰されている中でジャニス・シュバリエの怒声が続く。
「ふざけるなーッ! 軍人が語る場であってはならん!」
「発言権は無い! 今すぐ、警察隊は彼の身柄を拘束しろ!」
「憲法違反だーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
立ち直った議員達が、すかさず罵声を上げ始めた。
そして、勢い立ち上がった一人が挙手を行って直立したままのクリストファに対し、ガラス製の水差しをその側面より投げ放った。
クリストファにとり、これは完全な死角であった、
いや、それどころか何らかの気配を感じ取った彼は対象物に対し、その顔を向けまでしてしまったのだが――これが良くなかった。
ほんの半瞬後、そんな水差しがクリストファの額へと見事に炸裂した。衝撃の余波を受け、刎ね飛んだ軍帽が砕け散ったガラス片と共に床へと落着したが、クリスは身じろぎ一つ行わない。
「なんてことをっ! 恥を知りなさいっ!!」
壇上からジャニスが引き攣りに近い大声を上げた。その身体を壇上から飛び下ろさせようと試みた大統領だったが、これは国防委員長に止められる。
「Mariiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiibel!!」
国防委員長にほとんど、羽交い締めをされている中で、大統領が叫んだ。
「Jesus !!(くそっ)――それ以上を続けると発砲する!」
マリベルがいよいよ腰元の小型拳銃を引き抜いて、クリストファの前に立ちはだかった。更なる行動に至ろうとする目標に対して、安全装置を殊更にわざとらしく解除してみせる。マリベルの尋常ではない殺気に硬直してしまった議員に対し、数名の警備員がその身体を押し潰す。
痛ぇ――
上唇にまで垂れ下がってきた『液体』がコップに含まれていた内容物ではなく、自分の血液であったことをその『味』で悟り、クリストファは卓上に備え付けられていたマイクを拾い上げた――いや、引き千切ったと言う表現が適切か。拳銃を保持したままのマリベルがハンカチを寄せてくる手を押しのけて、半分程も壊れ掛かったマイクに向かって、一声。
『発言を願う、と言っている。或いはここは蛮族の集会場なのか? 振る舞いに対し、暴力を行使するというのは私が知っている『議会』の有り様ではありえないッ』
「やかましい! 黙れ、軍隊の犬めッ!」
罵声が一つ、ここで飛んだ。既に十名単位の警備員に半ば、床で押さえ付けられている議員の発言だった。クリストファにたった今、傷を負わせたそんな人物。
『犬――私に対して、犬と仰るのか?』
そんな上院議員は言葉を続けようとしたが、これは失敗。屈強な警備員達に抑えられていた為ではなく、血塗れのクリストファ・アレンの鬼のような形相を目の当たりとした為であった。
『276光年彼方より、剣林弾雨を潜り抜けてきた自分に向けられる言葉が『犬』だ、とあなたは仰るのか――?』
怒号ではなく、冷静な言葉遣いとその語調に、その場の全員がある種の恐怖感を覚えたかもしれない。
『物事はエレガントに運びたい――議長、再度要求する』
真っ赤な顔面と全く対照的な、真っ青な右手を再度、真っ直ぐに伸ばして。
『発言の許可を』
◆ ◆ ◆
『艦長――私がエテルナに降り立ってはいけませんか?』
誰かと思えば、アテナからの艦内通信だった。アテネコの介在無しに、直接のアプローチを試みてきたことが彼女の『本気』の度合いを示している。
「絶っっっ対、駄目。それは、あなたの言う――『ロード』の意に反することでもありますよ」
寒風の吹き荒む精神の中、どうにか理性を掻き集めながらソフィは答える。ブリッジ詰めの何人かがこちらに怪訝そうな顔を向けてくるのを、その視線で牽制しつつ。
『ですが、先程からロードはどう控え目に見ても……一方的で不当な暴力を振るわれ続けているように思えます』
ソフィはその奥歯を堅く、噛み締めた。
「気持ちは私も同じ。アテナ――我慢しなさい」
思うところは全く同じ。
『了解しました――ソフィさん、デリカシーに欠けた言葉でした。申し訳ありません』
「謝らないで良い」
納得してくれたことに関しては心から感謝してソフィ。しかし。いつ、『彼女』が暴発するかは不明だ。その点に関する不安は根強く残っている。全く、なんと厄介な。
『ロージャ。通信、終わります――』
通信機を些か乱暴に指揮卓へと置いて、ソフィは一言を小さく呟いた。
「私が降りたいぐらいなのに」
・
・
・
その裏で。
人智が遠く及ばない、電脳空間とでも評すべき世界では。
アテナが、件の議員複数の情報領域に対し、『ENEMY』の要素の付加を行っていたのだが。
……当然、人が知るところではなかった。
◆ ◆ ◆
『発言を許可します――ですが、証人は治療が必要ではありませんか?』
疲労感をその面に露骨に示している議長が小首を傾げながら言う。
「必要ありません」
回避が果たせなかったとは言え、痛みはまだ――それ程は。クリストファは取り出したハンカチで額を軽く拭う。マリベルがそっと差し出してくれた絆創膏を有り難く拝借し、自ら前髪を掻き分けて負傷部位へと貼り付けた。裂傷はそれ程、大きなものでは無かった。
ヤジと罵声の急先鋒だった二人の議員は『議長判断による強制退廷』の元、その身柄を拘束されており、もはやこの議会場に存在がない。
それ故に、万年筆のインクによって真っ青に染められたままの右手、そしてその顔面に流血の痕を生々しく維持したクリストファ・アレンが壇上に立った時、ほとんどと言って良い程に外野の反応が認められなかった。溜息、失笑、冷笑、そして嘲笑の類をクリストファの耳朶は拾うことが出来たけれど――気になる程のものでは無い。
そんなクリスと入れ替わりに壇から下った大統領が、心配そうな表情を上げてきたことに対しては、微かな――本当に微かな笑みをクリスは返す。壇上に上がったクリストファの元には、銃を抱えたままのマリベルが控えるが、誰も止めなかった。
『では、発言を許可します――証人、クリストファ・アレン閣下!』
議長に対しては軽く頷き、そしていよいよ、クリスはその軍帽を取り外し左腕に抱えた状態で。
議会場の正面に向かって、最敬礼。
記者席より一斉に焚かれたフラッシュが、議会場を白一色に染めた。
壇上へ立っている本人が、熱源を感じる程に凄まじい光。
それら激しい光源の減少を待ち、クリストファがその口を開く。
◆ ◆ ◆
「私がジャニスから聞いたのはこれで全部――」
はぁ、と溜息を大きく吐きながらリルケは、その腰をマットクッションの上へ力無く沈めた。その折りに手に触れたTVのリモコンを持ち上げて、電源を入れる。微かな電子音を発し、壁に設定されていた表示領域にその立体画面が浮かび上がった。そんな彼女の娘は両膝を寄せた状態で、俯いたままの姿を堅く維持し続けている。果たして、自分の言葉を聞いてくれていたのか、そして理解を及ばせることが出来たのか――娘に対し、母は心から同情した。娘に先立つこと半日前、半泣きのジャニス・シュバリエから事情を聞かされたユリケはユリケで、とても平静ではいられなかったのだが。
『私の名前は、クリストファ・アレン。太陽系惑星連合が宇宙軍は――軍人でした』
唐突に響いてきた噂のミスタ・アレンの第一声をこの母娘の聴覚は等しく、拾い上げた。
「まあっ――なんてこと」
絶句した母親の声を受けるに至って、マキーナはその面を上げて立体映像へとその両目を向けた。
「え」
画面の中のクリストファ・アレン氏の額から、細く赤い糸がその顎に向かって――いや、あれは血だ。『フォーチュン艦長:クリストファ・アレン元大佐』と言うスーパーが表示されている中、軍帽を左脇で抱えて直立を果たしている彼は少なくとも、自らの流血には頓着をしていないように見えたが。
「何がどうあって……こうなっちゃっているのっ――」
呟いたマキーナは、立体映像に縋り付かんばかりの勢いで言った。
◆ ◆ ◆
『私は――私達は、あなた方に『一つ』の可能性を与える為に、星の海を越えてきた』
「誰も頼んでおらんッ!」
大仰に腕を振りながら怒号を挟んだ議員はだが、周囲からの白眼視を受けて、気不味そうな面持ちで慌てて着席することになった。
クリストファ・アレンはそんな怒号を一顧だにしていない。少なくとも、表面的には。
『差し当たって――来るべき危機に対し、あなた達が』
ここまで続けて、クリストファは頭部の痛みが強まってきたことを悟った。頭が割れそうだ。顎に達した血の一筋が発言台を濡らし始めていることは百も承知。
『来るべき危機に対して、どう対処されるのか。それが問題だ――』
乱れ掛かった平衡感覚をどうにか維持しながら、クリストファ――しかし、それは当人の自覚でしかなくて。
『抵抗を行うのなら、どの程度の抵抗を起こすのか。或いは、最初から抵抗を諦めて、それこそ 『犬』さながらの 畜生根 性で……これから の時 代を迎 え るの か』
呼吸が荒い。思考がまとまらない。鈍痛が次第に、鋭いものとなってきた。異常を悟った大統領が駆け寄ろうとするのをどうにか、左手で牽制。
自分の言葉をこの場で終わらせられないことが他の何にも勝る、恐怖であって。
『あなた方に用意されている選択肢は二つだけ。『戦って守り切る』か、『戦わずして敗れるか』です。僭越ですが、私――達がそんなささやかながらも貴重な選択肢を運んできたことを ご 理 解 い た だ き た い――』
視界がグニャリと、歪(いびつ)なものになった。
崩れ落ち掛ける身体を、自由にならない両の腕を壇に突くことでどうにか抑え込む。
『宜しいか――フォーチュンの力は『伊達』では無い。近日中に、その能力を全てお見せしたいと思う。時間は貴重――』
いけない――そんな想いを最後に、クリストファの意識は途絶した。
血塗れのクリストファ・アレンは遂に、その場で崩れ落ちた。
前のめりに。
◆ ◆ ◆
「酷いっす! これはないでしょーーーーーーーーーーっ!!」
艦橋に雪崩れ込んできたジャスティンとオリバーは開口一番、絶叫した。
「うるせぇ! 浮き足立つな!!」
自分の軍帽を床に叩き付けながらそんな叫びを返したのはヒムラ・キリオだ。珍しい主任の怒号に隣のシャリーが小さな肩を大きく竦ませる。
「アレぐらいで、くたばる『タマ』かよ! お前等が騒いでもどうにもならんよ、どうにもなッ!!」
右拳で通信士席の背もたれを殴り付け、主任。シャリーが自らの両肩を抱き抱えるようにして、卒なく半歩を下がった。
「ですが、ですがですがっ!!」
オリバーはその身体を大きく前後に揺らし、肺一杯の声を上げた。
「主任、俺が地上に降ります! フローラさんやアムロに乗せて貰えばいいでしょ!」
ジャスティンが腕まくりをし、そこまでを言い述べる。
「てめえ――ジャス」
ヒムラ・キリオはゆっくりと入り口脇の二人の元へと身体を運んだ。
「俺、止めても行きますよ! これじゃ、総司令――いや、クリスに――あんまりだ!」
キリオの両目を真正面から受け止め、その踵を戻したジャスティンだったが。その肩を後ろから力強く掴まれて。
「逆上(のぼ)せあがんなよ、ジャス――」
強制的に正面を向けさせたジャスティンの胸倉を渾身の力でねじり上げながらキリオは言った。
「こういう時こそ、冷静になれ――これ以上を言うのなら、俺はお前を殴らなければならん」
互いの鼻息が掛かる程の近距離でキリオは、込めている力とは対照的に静かな物言いを行った――が、そんなジャスティンの双眸に涙が浮かび上がってきたことはキリオを驚かせた。
「だってだって――あんまりじゃないですか――可哀想です、俺は耐えられません」
その口を痙攣させながら言ったジャスティンは、いよいよ涙を噴出させた。良い歳をした男である自分が、こうも泣いてしまうと言う事がみっともないことは分かっている。それでも。
「なんで主任は平気なんですかぁ――」
「そうなる必要があるからだ!!」
顔を皺くちゃとしたジャスティンの上半身を半ば、オリバーへと投げ付けるようにしてキリオは怒鳴った。
「おい、オリバー。この『屁垂れ』を連れて行け。しばらくは艦橋に近付けるな」
「分かりました――」
オリバー自身も完全な納得はしていないのだろうが、ジャスティンよりは冷静でいられたのか、素直に頷き返してきた。
「ジャスティン・シューマッハ、お前は少し部屋で休んでいろ」
艦長が不在だったことを神に感謝しながら、キリオはその背中で言ったのだが。
「ジャスティン――あの人の為に泣いてくれてありがとう」
耳に心地良いメゾ・ソプラノ。
素早く振り返ったキリオの視界には、ジャスティンを抱き抱えているソフィ・ムラサメの構図が展開されていた。
「けれど、そこまで弱い人じゃない――大丈夫よ、大丈夫」
力強く抱いたジャスティンの背中を叩きながら、穏やかな声を与える彼女。『あの人』と言う言葉に含まれる深さをキリオのみならず、全員が知っているが。
伊達に近い眼鏡のブリッジを摘んで外し、キリオは胸ポケットへと収納して。現在は無人の副通信士席の端末を叩き始めた。
すまない、ソフィ。けれど、ありがとうよ――
心の中で、謝罪とお礼を延々と述べながら、であった。
2690年01月01日
2689年01月01日
第II光:『光臨』 第二章 VAPOR TRAIL 2810 - VI
「ご迷惑をお掛けした――」
国会議事塔に設けられている特別医務室でマリベルの補助を受けて上半身を起こしながら、クリスは見舞いに訪れた大統領に心から謝罪した。結局、裂傷の縫合を行うこと八針――軽傷であったとはとても言えない。麻酔が未だ抜けきっていない為、自分の滑舌が芳しくないようにも思える。
「いや――同胞の恥ずかしい行為に対し、何と謝ればよいのか……こちらこそ」
肩を大きく落としながら、大統領は続いてマリベルに「どうなの?」と尋ねる。
「例の議員達は一名を傷害罪で逮捕。最初に万年筆の投擲を行った残りの一名に関しては傷害未遂、ということで」
忌々しげに報告したマリベルの声の冷たさに、クリスは苦笑した。
「まあ、別に銃器じゃなかったわけだし――そりゃ、痛かったし血は流れて意識を失ったりもしちゃったけど――大袈裟にする必要はないですよ」
こう口にしているほど、何とも思っていないクリスではなかったが。額を切るのは、都合二番目ということになったわけだ。
「いえ――衆人環視の元でありましたし、ここは厳正に裁かないと……ですよ」
椅子ではなく、クリスのベッド淵へと腰を降ろしながら大統領。
「で、あの後――どうなりましたか?」
額に当てられた包帯を煩わしげに撫でつつ、クリスは話題を変えた。マリベルはその隣で、いつの間にやらリンゴを剥いてくれている。
「シッチャカメッチャカ――になっちゃいました、結局」
はあ――と上半身ごとの息を大きく吐いて、大統領。
「ただ、出来るだけ早急に……『フォーチュン』の調査――能力評価は行われることになりましたけど」
未だ、議会承認は得られていないが、この程度であれば自分の努力次第でどうにでもなるであろう――そう判断した大統領だった。
「そうか――ならば早い方が良いな」
マリベルの差し出してくれたリンゴに囓り付いてクリストファ。
「そうでしょうが……急いては事をし損じ――と言いますし」
同じくリンゴを片手に大統領が。
「私は一度、『フォーチュン』へ戻ろうと思います。大統領、もし宜しかったら――この機会に一度、お乗りになりませんか?」
ジャニスとマリベルの目が等しく、点となった。
「部屋は空いていますよ。何人か連れられても問題はありません。そもそも、その為に……名前は忘れちゃったけど――航宙警察の方が何名か、乗り込まれているわけでしょう?」
強そうな名前のご婦人であったことは覚えているのだが、完全に思い出すことは出来なかった。麻酔が効いていることもあるのだろう。無論、この時にクリスが思い出せなかったそんな女性の名前は『アムロ・レイコ』であった。
「駄目でしょうか?」
掛け布団を持ち上げ、その両足を床に下ろしながらクリス。
「……戻るって……今からですか?」
硬直している大統領の替わりに、マリベルが言う。
「時間は貴重です――それに、実際に『フォーチュン』の力をお見せしないと、誰だって実感は得られないと思いますしね……ちょっと失礼」
妙齢の女性二人の存在があるというのに、クリストファは無造作にローブを脱衣。洗濯から乾燥、そしてアイロン掛けまで施された自分の軍服への更衣を始めた。回れ右をしたマリベルに続いて、慌てて大統領がこちらは左向け左。
「い……いきなり着替え始めるだなんてっ」
耳まで真っ赤にしながらマリベルは。
「変かな? ――軍隊生活が長かったので申し訳ない」
事実、戦闘終了後のパイロット控え室だなんて、男女の別は全く無いのが現実でもある。しかし、冷静に考えてみれば――逆の場合だったら、確かにとんでもない話。
「失礼した――直ぐに終わるから」
未だ完全に意に添ってくれない両手を忙しく動かして、クリストファは軍服のズボンに足を通す。
「で、どうしますか? 私がフォーチュンに戻るのが問題、と言うことであれば別の方法を考えますけど」
ネクタイの着用は省略し、詰め襟のホックを掛けてクリスは再度、尋ねた。
背中を向けたまま、ジャニスは唸ってきた。
「ぬーん……どうしたものか」
顎に手を当て、その身体を大きく傾ける大統領閣下。
「もう大丈夫ですよ、終わったから――場合によっては私が地上から命令を発することもできますけどね――手間だけど」
前半は更衣が終了した旨を伝える為のもの。
「少しだけ考えさせて。時間が貴重だというのは分かるけど、三十分だけ下さらない?」
「それ位なら、全く問題は無いです」
にっこりと、クリストファ・アレンは微笑んだ。
◆ ◆ ◆
「マリベル、エテルナの航空管制の手順だとか――僕は詳しくないから、分からなかったらサポートしておくれ」
ワイヴァーン79号機の常温核融合炉へ火を入れる操作を行いながら、後席のクリストファが言った。
「了解です――けど、ほとんど太陽系のそれと変わらないと思います」
クリスのとは異なる、純粋な航空服を装備したマリベルが振り向く。差詰め、フライト・オフィサというところだ。機長は勿論、クリストファ・アレンである。
「そう願いたいね――アルタミラ管制、聞こえるか? こちら特務航空機79号」
こちらは航宙服も兼ねているパイロット・スーツ着用でクリストファが空港の管制塔へ通信を飛ばした。
『こちらアルタミラ管制――話は伺っています。08番の滑走路を利用願います。大統領専用機は貴機の離陸直後に、同滑走路より離陸するスケジュールを組んでおります。詳細をお望みですか?』
良く響く女性管制員の声に対し、クリストファは前席のマリベルに対して首を傾げて見せた。察したマリベルが軽く頷くのを確認し、返信。
「お願いします――この周波数帯での送信で問題ありません」
相手の返事よりも早く、データが79号機のフライト・コンピュータへと転送されてきた。ディレクトリの設定を素早く行うのと並行して、該当データの展開を命令。きちんとナンバリングを施されたフライト・スケジュールがメインディスプレイに表示された。マリベルが閲覧できるよう、機長判断による権限解除を行った。
「アルタミラ管制、感謝する。データの受領に一切の問題なし」
AL-278-998-00001と振られた数字を一瞥してから、機長はその隅々にまで目を走らせる。
「EOBT(Estimated-Off- Block- Time=移動開始予定時刻)はこちらの進行度に合わせてと言うことで?」
これは、マリベルに対する質問だった。飛行計画書の該当欄が空白だった為だ。
「そういうことですね」
自身の指定席で同じ計画書を眺めながら、マリーベル。
「こっちはいつでも飛べるけど」
格納庫内の様子を観察する。79号機から数メートルほど離れた位置に地上管制員の姿を複数、確認することができた。
「じゃあ、出発しちゃいましょう」
「オッケ。じゃあ、EOBTはたった今――この時と言うことで」
クリスはインカムのスイッチを捻った。
「こちら79号機。発進準備完了。EOBTは現時刻に設定した。これより、タクシーウェイへの移動を開始する」
航空機の離陸手順をどうにか思い返しながら、クリストファ。実の所、宇宙空間での飛行と混同しそうになっている。自分の手順が正しいのか、それとも間違っているのか。
「了解――アルタミラ管制、79号機のタクシー・ウェイへの移動を許可する」
「79号機、移動開始――」
フット・ブレーキを慎重に踏み込み、パーキング・ブレーキを解除。
「行くよ、マリベル」
そのヘルメットへ声を掛けながら、クリストファは操縦桿をゆっくりと傾けた。なお、ワイヴァーンの規格に合致する牽引車の存在がアルタミラには――と言うより、エテルナには――無かった為、79号機は自力で滑走路まで向かわなくてはならない。この格納庫の技術者達はそれでもどうにか牽引を試みようと努力してくれたが――結局、適わなかった。地上の簡易管制室に詰めていたそんな彼等が大きく手を振っているのに対し、クリスとマリベルはその右手を振り返した。当然、より近くの管制員達に対しても。
「よぉし、良い子だ!」
機体のレスポンスの良さに顔を綻ばせたクリスは操縦桿をもう一段階、押し込んだ。より、いや増しに高まった機動音を立てて、79号機がゆっくりとタクシー・ウェイへその身体を運んでいく。
「08滑走路、スター・ボード(右弦)に確認」
マリベルが口頭と、備え付けの端末から情報諸元を機長へ送信。
「了解。確認した――」
標識と、そして実際に路面に刻まれた08の大きく目立つ文字を確認し、クリスは深く頷いた。
79号機、滑走路へ進入。そのノーズ(機首)角度を細かく修正しながら、一時停止。
ここでクリストファは、各方向蛇の機動を確認する。端末上で一度。そして、目視確認を二回、行った。
「アルタミラ管制、こちら79号機。RW(Run-Way=滑走路)進入終了。発進許可を求む」
バイザーを下ろして、管制塔へ通信。
「こちら管制、確認した。気象状況、そしてその進路上に一切の問題なし。離陸を許可する」
相手が確認出来る筈もないが、クリスは深い頷きを加える。
「感謝する――」
通信を遮断。
既に、護衛機の幾つかがこの上空を旋回しており、肉眼でもそんな機影を確認出来たし、実際に79号機の管制端末は七種類のフレンドリー・シグナルを認識していた。
無論、自機と大統領専用機がその対象であることは述べるまでも。
「さあ、飛ぶぞ――マリベル!」
首関節、手首のストレッチを軽く行って、機長の宣言。
「イエッサ!」
クリスのそれから学習をしたのか、宇宙軍式の敬礼を作りながらマリベルがどこか、弾んだ声で答えてきた。
航空機乗りでもあるフライト・オフィサ――当然、マリベルのこと――に遠慮する必要はない。
ノーズ・ギアを少しだけ縮めることでクリストファは79号機にニーリングの体勢を取らせたが、これは単に趣味の問題だ。
「GO!!」
そんな叫びと同時に、クリストファはパーキング解除、続けてフット・ブレーキを解除。
79号機、フルスロットル。
両の推進器が雄叫びを上げる。40トンに近い機体を大空へと投じさせることの出来るものだ。
「ぐうううっ――」
マリベルは尋常ではないG(慣性負荷)の発生を知った。ざっと、6Gと言うところか。
10Gでも失神しない自分だったが、これは――凄い。
フルスロットルから三秒も経たずに6G加速を可能とする機体に対して、恐怖感を覚えないでもない。
――これが、戦闘用の機体と言うことか
なお、航宙艦からのカタパルト射出となると軽く9Gが掛かるのだが、勿論マリベルはそこまでは知らない。
『離陸する――』
ヘッドレスト内に機長の声。同時に、79号機がその鋭利なノーズを天空へ向けた。
ばん。
事前に想定していた『ふわり』、とかではなくて、マリベルが感じた音は爆発音に近いものであった。全く、情け容赦のないことではある。
79号機は、その『足』でエテルナの大地を蹴り付けた。
排気炎を大きく引きながら、高みを目指して。
そして更に離陸早々、クリストファ・アレンは迷わずにアフター・バーナーをオン。
ばばん。
『うへえ!』
情けない声を漏らしてしまったマリベルだったが、これは当たり前。さながら、空中でもう一度『大地』を蹴り付けたような。過負荷による失神へと至る程にヤワなマリベル様では無かったけれど、なかなかどうして――これは凄い。
高度計の数値がぐんぐんと上がっていく。無論、マリベルの知っている航空機でここまで桁外れな上昇能力を有しているものは無い。程なくして、79号機はアフター・バーナーを停止――通常飛行速度へと移行した。強かったGが、少しずつではあったが軽減されていく。
『あー、ちょっと遊んで良いかな?』
突然、機長がそんなことを言ってきた。全く通常と変わらない声に、マリベルは軽い嫉妬の念を自覚してしまった。そんな彼女は、声を出すのも一苦労だったから。
『……遊ぶ――って?』
護衛機とのランデブーに指定されている座標はまだ遠い。問題は無いのだろうが――果たして、この人は何をやろうとしているのだろう。
『僕さ、『航空機』に乗ったことってほとんど無くて……前からやってみたかったことがあるんだけど』
あくまでも軽い口調で機長のクリストファ。
『ご自由に――私なら平気ですが』
意地も手伝って、そんなことをマリベルは口にしたが。後刻、どれだけ後悔したことか。
『ありがとう。舌を噛まないようにね――』
『はい、分かりました』
機長は再度、アフター・バーナーを点火。そして、そんな急加速の中で操縦桿を一気に引いて――急上昇。
――いや、これは、垂直旋回か?
こと、ここに至って。ようやくマリベルはクリストファ・アレンが何をしようとしているのか、知ることができた。目の前の景色が、尋常ではない速度で天地が入れ替わり。目の前に靄(もや)が掛かったような気がした。
クリストファ・アレンがやろうとしていること。それって、伝説の――
『インメルマン・タァァァァァァァァァァン!!』
最高に弾んだ声で、機長が吼えたように思う。
思う、と言うのは。
この直後、マリベルは失神してしまったから。
国会議事塔に設けられている特別医務室でマリベルの補助を受けて上半身を起こしながら、クリスは見舞いに訪れた大統領に心から謝罪した。結局、裂傷の縫合を行うこと八針――軽傷であったとはとても言えない。麻酔が未だ抜けきっていない為、自分の滑舌が芳しくないようにも思える。
「いや――同胞の恥ずかしい行為に対し、何と謝ればよいのか……こちらこそ」
肩を大きく落としながら、大統領は続いてマリベルに「どうなの?」と尋ねる。
「例の議員達は一名を傷害罪で逮捕。最初に万年筆の投擲を行った残りの一名に関しては傷害未遂、ということで」
忌々しげに報告したマリベルの声の冷たさに、クリスは苦笑した。
「まあ、別に銃器じゃなかったわけだし――そりゃ、痛かったし血は流れて意識を失ったりもしちゃったけど――大袈裟にする必要はないですよ」
こう口にしているほど、何とも思っていないクリスではなかったが。額を切るのは、都合二番目ということになったわけだ。
「いえ――衆人環視の元でありましたし、ここは厳正に裁かないと……ですよ」
椅子ではなく、クリスのベッド淵へと腰を降ろしながら大統領。
「で、あの後――どうなりましたか?」
額に当てられた包帯を煩わしげに撫でつつ、クリスは話題を変えた。マリベルはその隣で、いつの間にやらリンゴを剥いてくれている。
「シッチャカメッチャカ――になっちゃいました、結局」
はあ――と上半身ごとの息を大きく吐いて、大統領。
「ただ、出来るだけ早急に……『フォーチュン』の調査――能力評価は行われることになりましたけど」
未だ、議会承認は得られていないが、この程度であれば自分の努力次第でどうにでもなるであろう――そう判断した大統領だった。
「そうか――ならば早い方が良いな」
マリベルの差し出してくれたリンゴに囓り付いてクリストファ。
「そうでしょうが……急いては事をし損じ――と言いますし」
同じくリンゴを片手に大統領が。
「私は一度、『フォーチュン』へ戻ろうと思います。大統領、もし宜しかったら――この機会に一度、お乗りになりませんか?」
ジャニスとマリベルの目が等しく、点となった。
「部屋は空いていますよ。何人か連れられても問題はありません。そもそも、その為に……名前は忘れちゃったけど――航宙警察の方が何名か、乗り込まれているわけでしょう?」
強そうな名前のご婦人であったことは覚えているのだが、完全に思い出すことは出来なかった。麻酔が効いていることもあるのだろう。無論、この時にクリスが思い出せなかったそんな女性の名前は『アムロ・レイコ』であった。
「駄目でしょうか?」
掛け布団を持ち上げ、その両足を床に下ろしながらクリス。
「……戻るって……今からですか?」
硬直している大統領の替わりに、マリベルが言う。
「時間は貴重です――それに、実際に『フォーチュン』の力をお見せしないと、誰だって実感は得られないと思いますしね……ちょっと失礼」
妙齢の女性二人の存在があるというのに、クリストファは無造作にローブを脱衣。洗濯から乾燥、そしてアイロン掛けまで施された自分の軍服への更衣を始めた。回れ右をしたマリベルに続いて、慌てて大統領がこちらは左向け左。
「い……いきなり着替え始めるだなんてっ」
耳まで真っ赤にしながらマリベルは。
「変かな? ――軍隊生活が長かったので申し訳ない」
事実、戦闘終了後のパイロット控え室だなんて、男女の別は全く無いのが現実でもある。しかし、冷静に考えてみれば――逆の場合だったら、確かにとんでもない話。
「失礼した――直ぐに終わるから」
未だ完全に意に添ってくれない両手を忙しく動かして、クリストファは軍服のズボンに足を通す。
「で、どうしますか? 私がフォーチュンに戻るのが問題、と言うことであれば別の方法を考えますけど」
ネクタイの着用は省略し、詰め襟のホックを掛けてクリスは再度、尋ねた。
背中を向けたまま、ジャニスは唸ってきた。
「ぬーん……どうしたものか」
顎に手を当て、その身体を大きく傾ける大統領閣下。
「もう大丈夫ですよ、終わったから――場合によっては私が地上から命令を発することもできますけどね――手間だけど」
前半は更衣が終了した旨を伝える為のもの。
「少しだけ考えさせて。時間が貴重だというのは分かるけど、三十分だけ下さらない?」
「それ位なら、全く問題は無いです」
にっこりと、クリストファ・アレンは微笑んだ。
◆ ◆ ◆
「マリベル、エテルナの航空管制の手順だとか――僕は詳しくないから、分からなかったらサポートしておくれ」
ワイヴァーン79号機の常温核融合炉へ火を入れる操作を行いながら、後席のクリストファが言った。
「了解です――けど、ほとんど太陽系のそれと変わらないと思います」
クリスのとは異なる、純粋な航空服を装備したマリベルが振り向く。差詰め、フライト・オフィサというところだ。機長は勿論、クリストファ・アレンである。
「そう願いたいね――アルタミラ管制、聞こえるか? こちら特務航空機79号」
こちらは航宙服も兼ねているパイロット・スーツ着用でクリストファが空港の管制塔へ通信を飛ばした。
『こちらアルタミラ管制――話は伺っています。08番の滑走路を利用願います。大統領専用機は貴機の離陸直後に、同滑走路より離陸するスケジュールを組んでおります。詳細をお望みですか?』
良く響く女性管制員の声に対し、クリストファは前席のマリベルに対して首を傾げて見せた。察したマリベルが軽く頷くのを確認し、返信。
「お願いします――この周波数帯での送信で問題ありません」
相手の返事よりも早く、データが79号機のフライト・コンピュータへと転送されてきた。ディレクトリの設定を素早く行うのと並行して、該当データの展開を命令。きちんとナンバリングを施されたフライト・スケジュールがメインディスプレイに表示された。マリベルが閲覧できるよう、機長判断による権限解除を行った。
「アルタミラ管制、感謝する。データの受領に一切の問題なし」
AL-278-998-00001と振られた数字を一瞥してから、機長はその隅々にまで目を走らせる。
「EOBT(Estimated-Off- Block- Time=移動開始予定時刻)はこちらの進行度に合わせてと言うことで?」
これは、マリベルに対する質問だった。飛行計画書の該当欄が空白だった為だ。
「そういうことですね」
自身の指定席で同じ計画書を眺めながら、マリーベル。
「こっちはいつでも飛べるけど」
格納庫内の様子を観察する。79号機から数メートルほど離れた位置に地上管制員の姿を複数、確認することができた。
「じゃあ、出発しちゃいましょう」
「オッケ。じゃあ、EOBTはたった今――この時と言うことで」
クリスはインカムのスイッチを捻った。
「こちら79号機。発進準備完了。EOBTは現時刻に設定した。これより、タクシーウェイへの移動を開始する」
航空機の離陸手順をどうにか思い返しながら、クリストファ。実の所、宇宙空間での飛行と混同しそうになっている。自分の手順が正しいのか、それとも間違っているのか。
「了解――アルタミラ管制、79号機のタクシー・ウェイへの移動を許可する」
「79号機、移動開始――」
フット・ブレーキを慎重に踏み込み、パーキング・ブレーキを解除。
「行くよ、マリベル」
そのヘルメットへ声を掛けながら、クリストファは操縦桿をゆっくりと傾けた。なお、ワイヴァーンの規格に合致する牽引車の存在がアルタミラには――と言うより、エテルナには――無かった為、79号機は自力で滑走路まで向かわなくてはならない。この格納庫の技術者達はそれでもどうにか牽引を試みようと努力してくれたが――結局、適わなかった。地上の簡易管制室に詰めていたそんな彼等が大きく手を振っているのに対し、クリスとマリベルはその右手を振り返した。当然、より近くの管制員達に対しても。
「よぉし、良い子だ!」
機体のレスポンスの良さに顔を綻ばせたクリスは操縦桿をもう一段階、押し込んだ。より、いや増しに高まった機動音を立てて、79号機がゆっくりとタクシー・ウェイへその身体を運んでいく。
「08滑走路、スター・ボード(右弦)に確認」
マリベルが口頭と、備え付けの端末から情報諸元を機長へ送信。
「了解。確認した――」
標識と、そして実際に路面に刻まれた08の大きく目立つ文字を確認し、クリスは深く頷いた。
79号機、滑走路へ進入。そのノーズ(機首)角度を細かく修正しながら、一時停止。
ここでクリストファは、各方向蛇の機動を確認する。端末上で一度。そして、目視確認を二回、行った。
「アルタミラ管制、こちら79号機。RW(Run-Way=滑走路)進入終了。発進許可を求む」
バイザーを下ろして、管制塔へ通信。
「こちら管制、確認した。気象状況、そしてその進路上に一切の問題なし。離陸を許可する」
相手が確認出来る筈もないが、クリスは深い頷きを加える。
「感謝する――」
通信を遮断。
既に、護衛機の幾つかがこの上空を旋回しており、肉眼でもそんな機影を確認出来たし、実際に79号機の管制端末は七種類のフレンドリー・シグナルを認識していた。
無論、自機と大統領専用機がその対象であることは述べるまでも。
「さあ、飛ぶぞ――マリベル!」
首関節、手首のストレッチを軽く行って、機長の宣言。
「イエッサ!」
クリスのそれから学習をしたのか、宇宙軍式の敬礼を作りながらマリベルがどこか、弾んだ声で答えてきた。
航空機乗りでもあるフライト・オフィサ――当然、マリベルのこと――に遠慮する必要はない。
ノーズ・ギアを少しだけ縮めることでクリストファは79号機にニーリングの体勢を取らせたが、これは単に趣味の問題だ。
「GO!!」
そんな叫びと同時に、クリストファはパーキング解除、続けてフット・ブレーキを解除。
79号機、フルスロットル。
両の推進器が雄叫びを上げる。40トンに近い機体を大空へと投じさせることの出来るものだ。
「ぐうううっ――」
マリベルは尋常ではないG(慣性負荷)の発生を知った。ざっと、6Gと言うところか。
10Gでも失神しない自分だったが、これは――凄い。
フルスロットルから三秒も経たずに6G加速を可能とする機体に対して、恐怖感を覚えないでもない。
――これが、戦闘用の機体と言うことか
なお、航宙艦からのカタパルト射出となると軽く9Gが掛かるのだが、勿論マリベルはそこまでは知らない。
『離陸する――』
ヘッドレスト内に機長の声。同時に、79号機がその鋭利なノーズを天空へ向けた。
ばん。
事前に想定していた『ふわり』、とかではなくて、マリベルが感じた音は爆発音に近いものであった。全く、情け容赦のないことではある。
79号機は、その『足』でエテルナの大地を蹴り付けた。
排気炎を大きく引きながら、高みを目指して。
そして更に離陸早々、クリストファ・アレンは迷わずにアフター・バーナーをオン。
ばばん。
『うへえ!』
情けない声を漏らしてしまったマリベルだったが、これは当たり前。さながら、空中でもう一度『大地』を蹴り付けたような。過負荷による失神へと至る程にヤワなマリベル様では無かったけれど、なかなかどうして――これは凄い。
高度計の数値がぐんぐんと上がっていく。無論、マリベルの知っている航空機でここまで桁外れな上昇能力を有しているものは無い。程なくして、79号機はアフター・バーナーを停止――通常飛行速度へと移行した。強かったGが、少しずつではあったが軽減されていく。
『あー、ちょっと遊んで良いかな?』
突然、機長がそんなことを言ってきた。全く通常と変わらない声に、マリベルは軽い嫉妬の念を自覚してしまった。そんな彼女は、声を出すのも一苦労だったから。
『……遊ぶ――って?』
護衛機とのランデブーに指定されている座標はまだ遠い。問題は無いのだろうが――果たして、この人は何をやろうとしているのだろう。
『僕さ、『航空機』に乗ったことってほとんど無くて……前からやってみたかったことがあるんだけど』
あくまでも軽い口調で機長のクリストファ。
『ご自由に――私なら平気ですが』
意地も手伝って、そんなことをマリベルは口にしたが。後刻、どれだけ後悔したことか。
『ありがとう。舌を噛まないようにね――』
『はい、分かりました』
機長は再度、アフター・バーナーを点火。そして、そんな急加速の中で操縦桿を一気に引いて――急上昇。
――いや、これは、垂直旋回か?
こと、ここに至って。ようやくマリベルはクリストファ・アレンが何をしようとしているのか、知ることができた。目の前の景色が、尋常ではない速度で天地が入れ替わり。目の前に靄(もや)が掛かったような気がした。
クリストファ・アレンがやろうとしていること。それって、伝説の――
『インメルマン・タァァァァァァァァァァン!!』
最高に弾んだ声で、機長が吼えたように思う。
思う、と言うのは。
この直後、マリベルは失神してしまったから。

