「プログラム・ドライバに不整合は認められず――シンクロ数値に問題なし」
テスト信号の幾つかを念入りに走らせてみたが、79号機の管制コンピュータが弾き出してきた数値が管制塔のそれと全く変わらないことを確認し、マリベルは機長に報告。
「何よりだ。こちらでも確認した」
スーツの袖で軽く額を拭いながら、機長であるクリストファ・アレン。
完璧な着陸より実に十分後――79号機は既にマス・ドライバーのカタパルトへ固定されている。着陸の直前、そんな施設を高みより見下ろした際にクリスが感じた第一印象は『カタツムリの殻』であり、マリベルに対してそんな感想を述べたものだったが。
『かたつむりって――なんですか?』
と言う返答が返ってきたことに、ささやかなカルチャーショックを自覚するだけの結果となってしまった。キリオやピエトロであれば、恐らくは『デカルチャー!』と絶叫したことだろう。
「……まあ……地球上に存在する――生き物だ……」
詰まりながら、どうにか簡潔な説明を加えたものだったが、対象にその概念が伝わったのかは甚だ疑問。
実際、このマス・ドライバー『ウィング・フォー』は、チューブ状を成した加速器がその中心部から幾重にも渡って巻き伸ばされており、その全長は実に30キロメートルにも達している。地球生まれの人間であればクリストファのそんな比喩が的を外れたものではないことを知ることが出来るのだろうが、動植物全般に関する知識が絶対的に欠如している生粋の『エテルナ生まれ』にそれを求めるのは些か酷なものだったかも分からない。
そして、そんなマス・ドライバーの引き延ばされた最先端、その高度は地上2000メートルという位置に定められており、各種宇宙船――時にはコンテナそのもの――は与えられた加速度を十二分にその身へと受けて、惑星の重力と言う鎖を断ち切る運びになるのである。
「いずれにせよ、大したものだ――」
そんなマス・ドライバーに関する精細な情報を脳裏で紐解きながら、機長は呟いた。
「この『フォー』は最新型です――まだ、建設されてから十年も経っていないのですよ」
差し当たってすることの無くなったマリーベルが、狭いコックピットの中で器用に背中の伸びを行いながら発言。
「ふむ……十年か――」
これは無意識の内の言葉だったのだが、その胸に針で刺されたような痛みを自覚する結果となってしまい、クリスは両の奥歯を噛み締める。
「あっ――すみませんでした」
事情を悟ったマリベルが慌ててその身体を震わせて謝罪を行ってきた。勘の良い娘であることは、とうに知っているが。
「いや、問題ない――そうか、十年前の話だったんだよな」
無意識の内に紡がれたそんな言葉。
クリストファ・アレンのそんな脳裏に、マキーナ・ローゼンベルクの憂いを帯びた表情が浮かぶ。
一度、きちんとお話しをしなくてはならないだろうけれど。
その前に、やらなくてはならないことが多過ぎます。
許して下さい。
操縦桿をぐっと握り付ける。
機長の意図を理解できない79号機が、そのディスプレイに『SET/PASS?』の文字を表示させてきた。主機関の火が落とされ、カタパルトに固定されていると言う状態の中、機長が取った行動に対して、79号機なりの判断、回答がこれであった。
『パスワードの入力を行うのですか?』
人語に置き換えれば、そんな響きになるのだろう。
クリスは、マリベルに悟られないように静かに微苦笑。
そして、やはりその心の中で。
――僕のパスワードを教えてくれよ
切に、願った。
◆ ◆ ◆
「これより五分後に、クリストファ・アレン殿の機体射出を開始する、と管制塔より通信がありました」
どこか諦めきった面持ちの国防副委員長が、携帯通信端末を収納しながら報告してくる。彼が足を運ぶのはここまでであり、これより以降は航宙警察の幹部数名と、護衛役のSPの、やはり数名だけが彼女の供をする手筈となっている。
「お疲れ様、副委員長――委員長やその他のお歴々にヨロシクね」
お歴々、の部分にイントネーションを置かなかった大統領のこの言葉に、怪訝そうな表情を浮かべた副委員長である。
「はあ――まあ、ヨロシクと申されましても」
閲覧していた電子新聞を畳み、小脇に挟んだ大統領は薄目のサングラスのブリッジを軽く持ち上げた。
「人員の手配をお願いするわ。予定通り、私はフォーチュンには一日といないでしょうし、場合によっては衛星通信での閣議を行う可能性もありますから」
「……畏まりました」
副委員長はその背筋までも改めながら、その頭を垂れた。実際、彼がこれから手配しなくてはならないことは山積みであり、まともな休息を摂ることもままならない筈だ。
「個人的にはゆっくりしたいけどね。そうもいかない――」
SPの一人が専用機の用意が整った旨を報告してきた為、大統領は言葉を最後まで続けられなかった。
「――それじゃ、後はヨロシク」
SPに対して片手を軽く上げながら、大統領は立ち上がった。そんな彼女の立ち場所は地下十五階に定められている発射ロビーであり、その分厚いガラス越しにクリストファ・アレンが操縦桿を握る79号機の姿を正に今のこの時、確認することが出来る。戦闘機としては非常に大型なワイヴァーンだったが、その後方でマス・ドライバーへの固定作業が進行形で行われている大統領専用機と言う比較対象物の存在があると、さながら豆粒の様に感じられる。
そんな79号機の射出開始、三十秒後に大統領専用機が続けて射出される手順となっている。成層圏を抜け、衛星軌道でランデブーを果たすのは実にその七分後と言うことに。
「さて――と」
ソファ上に置かれていた自らのハンドバックを持ち上げた大統領がいよいよ、搭乗手続を開始するという段に至った、そんな時。
「離せってって言ってんでしょうがコンチキショー!」
突然、女性の金切り声がロビーに響き渡った。ロビーに存在していた宙港職員が、SPが、大統領が、国防副委員長が――と言うより、その場の全員が一斉にその方向へ注目を向ける。
「大統領、是非にインタビュ――どこ触ってンのよ、スケベーッ!」
ごついSPに羽交い締めにされている状態で、それでも尚、マイクを振り上げながら抵抗しているのは女性記者――それも、ただの女性記者ではなくて。
「あらぁ、久しいわね。ミズ・フランシス」
サングラスを外し、腰に片手を当てた状態で大統領は、十メートル以上も先でなお、喚き続けている女性記者へ声を投げた。ジャニスにとって、ある意味では恩人と言っても差し支えない人間ではあるのだが。
「大統領、ここで一体何をなさろうとしているんですか――って、宇宙に行こうとしていることは分かりますけど、あそこでスタンバってんのってクリストファ・アレン氏の機体ですよねっ――って、ウガー! いい加減、離しなさいよッ!」
押さえ付けているSPが、ほとほと困り果てた表情を浮かべていることは想像に難くない。もっとも、色の濃いサングラスを装備しているので、断定できるところではなかったが。また、そんなマリーカから数メートル程の距離を置いた位置で、男性カメラマンがカメラの没収に対して抗議を行っている。
「いかがされますか、閣下?」
小声をそれも潜めるように出してきた隣のSPに対し、大統領はその表情を少しだけ曇らせてから、その紅唇の端を持ち上げた。
「――路線に変更はない。報道管制と言う言葉は好きじゃないけれど――件のマニュアルに則って、説得してあげてちょうだい」
「了解しました」
恭しく一礼を行ったSPだったが、
「あ、待って」
一歩を踏み出す前に大統領から止められた。
「……一番最初に、彼女の質問を受けることにするから、ってサービスしてあげておいて」
◆ ◆ ◆
「快適だね――なんだか物足りないぐらいだ」
マス・ドライバー上の滑走を開始してから、既に二十秒ほどが経過した中で、クリス。
「緩やかな加速をこれでも行っていますし、こんなものですよ」
機体、それ自体は相当な速度に乗っている筈だったのだが、どうにも現実味を感じられないクリストファであった。自らの肉体で盛大なGを感じ取ることが出来ないのが一つ、そして、そのチューブ外の映像の一切が確認出来ないこともまた、拍車を掛けてはいるのだろう。敢えて言えば、宇宙空間で緩加速を続けている状態に近い気もするが。
「そうだよなあ。データは嘘をついてないし――」
速度に関してはこれは、『ウィング・フォー』の管制塔から転送されてきているものだったが、高度計の数値も又、微妙に上昇の気配を見せ始めている。
「そろそろですね」
マリベルが言ってきたが、これはディスプレイに表示されている簡易ルート表示に依るものだった。自機を示す青い輝点が最後の直線へ移動しつつある状態だ。
アダプタ・ユニットごとの射出を受けてからずっと、さながらの右旋回を続けていた機体とその中身だったが、いよいよ最後の直線コースへと流れ込む。もっともこれは物理的に、マス・ドライバーとしては最後の直線であるということでしかなく、高度2000メートルから成層圏に至るまで、レーザーによって構成された筒の中を突き進むことにはなるのだが。
「いよいよだ」
予定では、ここで少々Gが掛かってくる筈だった。79号機の正面の景色が、一気に広がりを見せた。正に、直線。遙か遠くに光点を確認出来たが、これは恐らくはエテルナの空であろう。
ぐん。
クリスとマリベルの肉体が、それぞれのシートに強く、押し付けられた。まるでシートそれ自体が、自分の身体を背中からじっくりと引いているかのような、静かだが確実な重圧感。
『PHASE-2 AUTO -WING04 CNTL till/ …00:08』
アダプタ・ユニット分離までのカウント・ダウンが始められた。残り、8秒。つまり、あと8秒もすれば79号機がその内容物ごと、空中に放り投げられるという宣言に他ならない。無論、全ての作業は管制塔に依って代行される。
『ちいっ――』
そんなキャプション(表記)を受け、機長の胸中を軽い焦燥感が過ぎったのだが、これは自らが搭乗を行っている機体のコントロールが自分以外の人間、コンピュータに握られていると言う点から発生した不安感の現れだったのだろう。
昔はそうでも無かった筈だが――ふと、火星沖会戦時代の自分自身を思い出した。
機械のみならず、人間や、そのシステムに対して距離を置くようになったのは何故だったか。
興味が尽きるところではなかったが、今はそんなことを考える時ではない。万一の可能性だが、何らかの事故の発生に備えるべく、クリストファは操縦桿を握り直して、その時を待つ。
カウント、ゼロ。
一瞬の浮遊感の後、その視界が大きく開けた。オレンジ色と言うべきか、ピンク色と言うべきか――咄嗟の判断に苦しむ光の道の中、79号機は自らに与えられた加速度を全く減じることなく、駆け上がっていく。
天空へ。
◆ ◆ ◆
『79号機からのシグナル途絶を確認――詳細な情報提供を要求します』
第一艦橋は副長席にて仮眠を決め込んでいたヒムラ・キリオは、そんな無粋な声に揺り起こされることとなった。
「大気圏を突破しているだけよ。心配しないで、アテナ」
オペレータ席に着いていたシャリーがそんなアテナの音声をマニュアルで絞り込んだが、これは休憩を摂っていた主任に対する配慮だったのだろう。キリオは卓上に置かれた眼鏡を取り上げることはせず、副長席備え付けのサブディスプレイで現況をぼんやりと確認する。ほんの十五秒前から、確かに79号機のシグナルが途絶はしている。大気圏突破による電波障害であることは説明するまでもない。
しかし、妙だ。例の一件以来、アテナには79号機の情報の一切を与えていなかった筈。
「アテナ、何故分かった? 信号の途絶が」
ここでようやく眼鏡を拾い上げて、キリオ。
『――その質問にはお答えしかねます』
「答えたくないのか?」
『――お答えしかねます』
キリオの顔がいよいよ歪み始めたが、これは自身でどうにか抑えることができた。
「別に怒ろうというのではない――一方的に情報を求められるのが気持ちよくない、と言っている!」
口調が乱れるのだけは、どうしようもなかった。
『取り立てて、イリーガルなことを行ったわけではありません。それだけは信じていただきたいと』
常のアテナの音声ではあったが、どこか嘆願の響きが伴っている様に感じられる。キリオはそのクセのある髪を乱暴に掻きむしった。
「最初からそう答えればいいんだよっ――」
握り拳で副長卓を叩く。痛い。
『以後、気を付けます。ごめんなさい』
「ったく――自分勝手なご婦人だなッ」
アテナとの通信が切断されていることを確認しながら、キリオ。だが。
「主任、『余裕がない』ですよ。『苦しい時こそニヤリと笑う』か、或いは部屋に戻ってお休みなさいな」
いつの間にか、その横に立っていたシャリーが両の腰に手を当てながら窘(たしな)め――いや、怒りをあらわとしてきた。
「――シャリー、お前……」
キリオは、半ば絶句した。
「いつも主任が言っていることです。プリプリプリプリプリプリされていても困ります。っつーか、迷惑ですっ」
実際、その童顔をこれでもかと顰めながら、シャルロッテ・グルーミング嬢。
「あと十分もすればリーチェも戻ってきますから――」
ここでシャリーは、大きく息を吸った。
「とっとと部屋にお戻りなさいっ!」
・
・
・
返す言葉もなく、キリオは第一艦橋を後にした。シャリーの言ってきたことは全く正しい――何故ならば、他ならない自分が常日頃、部下達に滔々(とうとう)と説いていることでもある。
「ふむう……」
79号機と大統領専用機の着艦はおおよそ三時間後というスケジュールが定まっている中では飲酒を行うわけにも行かない。行いたいが。
「あら、キリオさんいらっしゃい」
気が付けば、その足が朔風館へと向いていた。ほとんどスナックのママ然としたマノア・ルヴァトワがカウンターから声を掛けてくる。他に利用者の存在はなく、料理の仕込みでも行っている最中だったのだろう。厨房奥で大型の寸胴鍋の幾つかが火に掛けられて、ぐつぐつと音を立てている。
「あれ? 今日は金曜日じゃないよな?」
クリストファ・アレンの指定席であるカウンター隅に腰を降ろす気にはなれず、奥より二つ目の椅子へ座りながら、キリオ。
「ええ。ただ、補給がありましたからね、今日はシーフード・カレーにしようかと」
彼女は読み差していた文庫本をカウンターに置きながら、その相好を派手に崩した。金曜日がカレーライスというのは、船乗りに曜日感覚をもたらす為のものであったそうだが、理屈はこの際、関係ないだろう。マエダ・ユキノとマノア・ルヴァトワ、そして時にはアテネコまでもが動員されて制作されるカレーは、この朔風館にあっては人気ナンバーワンのメニューでもあったことだし。
「そりゃいいね、楽しみだ――大統領も喜ばれるだろう」
取り出し掛けたものの、この時が喫煙時間で無いことに気付いて、そっと煙草の箱をしまい込みながらキリオ。
「大統領がいらっしゃるってことで、他にも幾つか、手掛けますけどね」
「結構結構。ま、あまり緊張しないで大丈夫さ」
どこか力無く右手をヒラヒラとさせて、キリオ。
「ところで何かお飲物でも?」
エプロンを軽く装着しつつ、マノアが尋ねてくる。
「なんかさ、疲れているから……お任せする」
背中を丸め、両肘をカウンターに突いた主任の姿からは確かに、疲労感が滲み出ていた。マノアは、その脳内の雑学をざっと当たってみる。料理に関してはマエダ・ユキノに、そして茶やコーヒーと言った分野に関してはエリザ・ヤマナカに師事を受けてきた、この半年間であった。
「それならば、ホットチョコレートなどいかがでしょう? 疲れている時にはこれがイチバンかと」
「あー、いいねえ。それで頼みます」
疲れた身体、凛としない精神を癒すのには、甘いホットチョコレートは正に打って付けだっただろう。
「はいー」
マノアが手際良く入れてくれたホットチョコレートは、脳天に突き刺さる程に甘かったのだが、不思議と美味であった。そんなカップを空にしたら一時間で良いから部屋で熟睡しよう――キリオはそう考えた。
自分が疲れている、それは百も周知。
2686年01月01日
2685年01月01日
第II光:『光臨』 第二章 VAPOR TRAIL 2810 - X
「うわぁ、宇宙は久し振りだなあ……」
衛星軌道高度へと到達した79号機のコックピットの中で、マリーベルはその足元に広がるエテルナ本星と、眼前に展開されている射干玉(ぬばたま)の闇を等しく見遣りながら、大きく息を吐いた。79号機はこの時、キャノピの第一装甲の解除を行っていたため、その全周囲を見渡すことが出来る状態となっている。
「降りる時もそうだったけど、やっぱり綺麗な碧色だな――エテルナって」
機体の各種機構を宇宙機動用のものへと変更する為、キー端末へ打ち込みを続けながら、クリストファ。
「地球は青いんですよね。写真でしか見たこと無いけれど……」
キャノピ内側にほとんど顔を密着させているマリベルであった。
「――ああ、あれはあれで綺麗だよ。まあ、今や火星も青いけどな」
250項目以上にも渡る機構変換作業の半分を管制コンピュータへ丸投げすることにして、その画面だけを確認する手順をクリスは行った。
「テラ・フォーミングでしたよね? このアポロンの第三惑星もいずれは、される予定みたいですけど……何百年後の話か分かりませんが」
ヘルメットのバイザーを薄いものと差し替えながら、マリベルが振り向いてきた。今のこの時に彼女が着用しているのは通常の航空服である。無論、機密状態は皆無に等しいものであり、クリスとしては気もそぞろ――と言ったところではあった。まあ、事故が発生する可能性はそれこそ天文学的なものであろうから、どこかで諦観してはいたのだが。事実、大統領だってその専用機の中では気密服の着用など行っていない筈だ。
「差詰め、エテルナ・フォーミング――ってところか」
機内温度を確認し、ヒーターの電源を入れる。自分はともかく、マリベルが寒いのではなかろうか、と判断した上での行動だ。通常の二割り増し。
「巧いことをおっしゃいますねぇ」
「いやー、褒められるホドではないがね……」
これがフォーチュンであれば、『もっと捻りましょう。ネタは悪くないですが』だのと酷評を浴びるところだっただろう。全く、情け容赦のない乗組員だらけだった――あの空間は。
「あら、フレンドリー・シグナルを確認――その数5、前方75、11時、ポート面」
前席のディスプレイへ視線を落とし込んだマリベルがそんな報告を上げてくる。実は、彼女のそんな報告に無意味な要素が含まれていることをクリスは知っているが、揚げ足を取る必要は無い。
「こちらでも確認した――ははあ、例のゾーン警部補みたいだね」
自機に対して発信されてきているシグナルの中に、先日情報交換を行った航宙警察の表示が含まれている。まず、間違いないだろう。
「ゾーン――ああ、リヒャルト・ゾーン警部補のことですね」
通信回線を開く準備を行いつつ、マリベルが言う。
「知ってるの?」
通信関係は全てマリベルに一任していることもあり、クリスはただ、レーダー表示を眺めているだけだ。
「ええ、私の教官でもありました。航空機、航宙機、共にですが」
「ほう――」
「懐かしいですねえ、これも。半年ぐらい振りですよう――って、すみません、私事で」
久し振りの宇宙空間で、精神が高揚しているのだろうか。普段になく、饒舌なマリーベル・リンスであったが、そんな彼女の気持ちはクリスにとって充分な理解、共有に足るものであった。
「向こうさんもランデブーに合わせてくれているようですね――予定通りです」
大統領の専用機は、現在79号機から四十二秒遅れで飛行中。それは、クリスのディスプレイでも確認出来た。
「頃合いだ。79号機、移動を開始する――」
マリベルに告げて、クリスはスロットルを引く。両の推進器、『ラピッド・ヒーロー』が機長の命令を受けて、再点火。大統領専用機の予定進路に併走する形の進路を取る判断を下し、クリスは微かに操縦桿を右に倒す。
「望遠にて、エテルナ航宙警察の機体を確認――その数4、正面」
フライト・オフィサのマリベルがサブ・ディスプレイに表示されている望遠映像を確認しながら言ってきた。
「了解した。通信を入れても構わないぞ、マリベル」
刻々と表示を変えていくメイン・ディスプレイからは目を離すことなく、クリストファ。
「はい!」
◆ ◆ ◆
「79号機他、五つのシグナルを確認――照合――」
シャルロッテ・グルーミングが報告と調査を並行して行っている。副通信士席に座っているナナ・マネーシーが手伝いを申し出る隙もない。
「――照合完了、事前に通知された大統領専用機、並びに護衛機であることを確認しました」
口元のインカムの位置を律儀に修正しながら、そんなシャリー。
「宜しい――」
艦長席に座る資格がある人間はただ、一人。
「誘導準備に抜かりがないように、徹底指示!」
フォーチュンが女王、ソフィ・ムラサメが凛とした声を張り上げた。今のこの時、フォーチュンの第一艦橋は常にない緊張に包まれている。そもそも、艦長であるソフィ・ムラサメが、副長であるベアトリイチェ・ノイマンが、更には副司令であるヒムラ・キリオが一つ所へ揃っているというのは、これは前代未聞の布陣と言えるだろう。
「オペレーター、79号機へホットラインを結べるか?」
これは副長席に居住まいを定めているベアトリイチェの発言だった。
「微妙ッス。オープンチャンネルになっていないですから」
砕けた口調で、シャルロッテが歌うように。
「まあ、要あらば79号機の方から通信が入るから、力まなくても良くてよ」
艦長がそんな柔らかい言葉を頭上から落としてくる。ベアトリィチェはベレーに手を掛けつつ、静かに黙礼。
「なんだか、一週間も経っていないと言うのに――久し振りな気がするな」
キリオがカップの中身を軽く揺らせた。
「そうですね――ほんとに」
ムラサメ艦長は指揮杖をその胸元で抱えるようにしている。この数日間というもの、彼女が弱音を吐く場面の存在がただの一度たりとも無かったことをヒムラ・キリオは知っているのだが、それは所詮、表面上でのことでしかない。恋人のリンダの付き合いがこの数日、突然に悪くなったことと関連があるのではないか、と想像することは出来たが、女性同士の『領域』にまで踏み込む程の勇気を持ち合わせていないヒムラ・キリオでもあった。けれど、それが格好悪いとも思わないし、思われるのも心外だ。
「取り敢えず、帰ってきたら直ぐに休ませてやらないとなるまいねぇ」
艦橋の床に直接、座り込んでいるリンダ・フュッセルが頬杖を突いた状態で口を開く。これが彼女なりの気遣いであることを知っているムラサメ艦長は、そんなリンダに対してはやはり、艦長席の高みで微笑みを浮かべたものだ。キリオの知らない、ソフィ・ムラサメを彼女は良く、知っている。キリオの知っているクリストファ・アレンを、リンダが知らないように。
「フローラ、ミランダ――そろそろお願いね」
その発信と同時に、艦橋前面のメイン・ディスプレイにパイロット・スーツで身を包まれたフローラとミランダの上半身が浮き上がった。
【FRTN:WIVERN 24[ Type:Booster ] PLT as FLORA=SAKSONNE】
透過処理が施されたそんな文字の向こう側で、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて親指を立てた我等がフローラさん。フォーチュン属、深紅のワイヴァーン24号機、ブースター付き、パイロットとしてのフローラ・ザクソンを示すキャプションである。ノーズ・アートは火を噴き放っている爬虫類――サラマンダ、火蜥蜴とも呼ばれるものだ。
【FRTN:WIVERN 58[ Type:Normal ] PLT as MIRANDA=LEVERTOIRE】
全く同じキャプションの中、こちらのパイロットは「やや」照れ臭げな反応を返してきている。ピースサインと敬礼の中間と言った、実に適当な動作であった。同属、白銀の同58号機、タイプはノーマル。パイロットとしての、ミランダ・ルヴァトワ。本来の持ち主、クリストファ・アレンのアートは『鳳凰』であったが、今は『水蓮』が飾られていた。言うまでもなく、これはミランダ・ルヴァトワのマーク、アートであった。
「「イエス・メム!!」」
異口同音で二人のパイロットから返事が返ってくる。
「予定通り、お願いしますね――ミランダ、緊張しなくて大丈夫よ」
指揮杖を収納して、立ち上がったムラサメ艦長はまず、そう口にした。
『大丈夫です。フローラさんもいますから』
律儀にその背筋を張りながら、58号機のパイロット。
「アート、間に合ったんだ――良かったわね、ミラン」
場合によっては、アートの張り替えを行う時間的余裕が無いかもしれない、と言う報告も受けていたムラサメ艦長であったが。
『ハイ、スコットさん達が頑張ってくれたお陰です』
「まあ、気楽にね。あなたにとって、初めての宇宙なんだから」
『がんばります』
メットごと大きく頷きを加えて、ミランダ。
「フローラさん、お願いします」
『あいよっ。任されちゃってくれよ』
この間も端末を叩き続けているフローラ・ザクソンは、全く常と変わらない声色だった。恐らく、自機の各種チェック作業と並行して、ミランダのチェック状況の監視も行っているのだろう。
「艦長、予定時刻まで30秒を切りました」
ディスプレイ上の残時間表示を三割ほど、ズームしてシャリー。
「了解――それではあなた達、スケジュールに変更はありません。頑張ってね」
『あいよー』
『ハイ』
ここで、フローラとミランダの映像は切断された。これより後は、音声だけの接続と言うことになる。ほとんど同時に、別ウィンドウに格納庫の映像がロングで表示されたが、これは半ばのオート、プログラミングによるものだった。そんな画面の中で、24号機と58号機がゆっくりとタキシングを行っている様子を確認することが出来る。カタパルトの装備されていないこのフォーチュンにおいては航宙機は独力で宇宙空間へ飛び出さないとならないのだ。
「予定通り、58号機からの発進になります」
シャリーが報告を挙げてきたが、これは正に予定通り。未だ宙間飛行の体験が無い、ミランダに対してのフローラの思いやりではある。
「フォーチュン艦長として、58号機の発進を許可する。ミランダ・ルヴァトワ、ホドホドに頑張りなさい」
その腰を指定席へと沈め、ソフィ・ムラサメ。そんな艦長の上半身はやはり、58号機のディスプレイには反映されているはずだった。
『はいっ!』
そんな返答と同時に、58号機のエンジンが火炎を吐き出した。
『ミランダ、いきまーーーーーーす!』
リンダは元より、キリオやシャリー、果てはソフィまでもが苦笑を禁じ得ないでいる中、ミランダ・ルヴァトワが駆る58号機は排気炎を派手に残し、弾丸さながらに飛び出して行った。
『続いて、24号機――出るぞ!』
実に艦橋組が突っ込みの一つも入れる暇もない内に、フローラ・ザクソン元大尉専用高機動ワイヴァーンは発進。
「そう言えば、フローラさんって――『ガンダム』観てから、自分の機体に『ツノ』を付けたいとか言い出したのよね」
主管制をシャリーが行っていることと、そして何よりも場の雰囲気を軽くしようと試みたナナ・マネーシーがそんなことを言った。
「赤い色は縁起が良くないよ、って忠告したんだがな……」
ヒムラ・キリオが、腕を組み上げ、その首を大きく傾けながら応じる。
「つーか、ガンダム観る前から、赤に執着していたからねえ……」
こちらは相も変わらず、床面にベチャリと座り込んだリンダ・フュッセル。
「ツノを付けて、三倍速度になるんだったら何本でも付けてやるがネ」
そんなキリオの締めの発言に、艦橋が湧いた。
◆ ◆ ◆
『ゾーン教官、お久しぶりです』
サブ・ディスプレイの中、良く知った顔が敬礼を作っている姿が結ばれている。
「おお、リンス候補生か――変わりないか?」
エテルナ航宙警察正式採用航宙艇、『シュベルト』の中で、リヒャルト・ゾーンは自らの堅い顔面の筋肉をどうにか、弛緩させることに成功した。
『えー、教官の薫陶が何とやら、でありますが――お話しはまた、後程』
「だな」
謹厳実直を絵に描いたような彼女の候補生時代を思い返すのはこのリヒャルトにとっては難しいことではなかった。
『現在、我がワイヴァーン79号機並びに『S1(Space-1= 大統領専用機)』は予定通りに航行中であります。ランデブー・ポイント(会合点)への到着に支障無し、OVER』
疑っているわけではないが、各種情報衛星から転送されている情報の確認も手早く行わせているゾーン警部補であった。
「……確認した。これより当機を含めた小隊、三機は予定地点にて貴機、並びにS1の到着に備えることとする」
『79号機、了解』
ここで、一度通信が切断された。彼に課せられたそんな護衛対象群の到着まで、残すところ数分という状況だ。自分に追随している僚機二機の状況を簡単に確認し、ゾーンはその記憶野をしばし、漁ることとした。
これまでに自分が育て上げてきた『最高傑作』の中で、もっとも異質だったキャラクターが、このマリーベル・リンスであった。もっとも、どうも自分が教官をやっていた時分は当たり年だったらしく、『最強傑作』とまで言えるアムロ・レイコと言う人間の存在までもがあったりもしたのだが。
彼等が自分をMASTER――教官と呼んでくれていたのはほんの一年前のことの筈だ。それこそ、つい昨日のように。
『あれ? どしたんですか、警部補殿?』
部下の一人、ナグモ巡査がそんなことを通信越しに言ってきた。隊長機から指示が飛ばされないことに不審を抱いたのであろう。
「いや、なんでもない――時の流れとは早いモノだと思ってな」
ささやかな思い、意識をシュベルトのコックピットへと戻して、リヒャルトは答えたのだが。
『それってトシ取った証拠ですよ、警部補殿ぉ〜』
語尾をだらしなく伸ばす、その口調は止めろと口を酸っぱくしていっているのにも関わらず、一考に改善の余地が見られない。
「そういう舐めた台詞は俺から『一本』取ってから抜かしやがれ、イドリス」
『うへえ』
と、ナグモ巡査。
◆ ◆ ◆
「……誰が58号機に乗っているんだ?」
大統領専用機に随伴する形の軌道へ乗っている79号機の中で、クリスは呟いた。
「ごじゅうはち……ですか?」
前席のマリベルが尋ねてきたが、クリスは自機レーダーに表示されている輝点をただただ、凝視し続けている。
「フム――一応、僕の専用機の筈なんだがね」
半ばの自動操縦もあり、クリストファ・アレンはドリンクパックの内容物を吸いながら答えたものだ。
「FIFTY-EIGHT――アレン様の軍服袖に刻まれていた数字と同じように思えます――」
そんなマリベルの言葉が尻切れトンボなものと相成ったのは、踏み込みすぎた質問であったかとの自戒の念の発露だったのだが。
「ああ、気にしないでいいよ――確かに、『58』と言う番号は僕にとって特別な意味を持つけれど」
そんな機長の返答に、マリベルのヘルメットが微妙に揺れる様子をクリスは観察することが出来た。
「24、の方は問題ないのですか?」
会話の主題を転じようとしているのか、マリベル。
「んー、問題なくはないけどね。まあ、24だったら乗る人間は決まっているから――ハハハハ」
当然、この作った笑い声はマリベルを楽にさせるためのもの。
・
・
・
「問題は解決したよ、マリベル」
実に、先刻の会話から三分後のことだ。機長の突然な発言であった為、マリベルはその主題が何であったのかを思い起こすのに若干の手間を必要とした。
「君達の警察には無い風習だろうけどさ」
そんな機長の言葉と同時に、マリベルの正面に据えられていたディスプレイの一角に新たなウィンドウ表示が強引に立ち上げられる。この79号機の望遠レンズによる撮影を引き延ばしたものだ、ということはそのキャプションで知ることが出来た。
「ホラ、この機首を確認して、ようやく得心が行ったのさ」
注視するまでもなく、盛大に引き延ばされていた映像の中には。
「……お花、ですね」
ここでクリスは少し、肩を竦めたのだが。
「睡蓮、って言う――水の上に咲く花でね――その根っこが、蓮根と言って――煮物にするとサイコーだったような……うろおぼえ」
マリーベルという彼女が、花に対する造詣が浅いのか、否かの判断はクリスには付かなかったが、睡蓮と言う花はいささか、マニアックなものではあったかもしれない、等と勝手に納得をすることはできた。
「はぁ、そうなんですか――で、なんでこのお花の模様で得心が行っちゃうのです?」
狭いコックピットの中、それでも器用に肘を付きながらマリベルは唸った。
「これはノーズ・アートと言って――」
◆ ◆ ◆
「こちら、24号機。肉眼で『御一行』を確認した」
サブ・ディスプレイに表示されている僚機、58号機の情報確認を並行して行い続けながら、フローラはフォーチュンへ通信を放った。
『盛大に――とは言わないけどね。お迎えしてあげて下さいな』
映像の省略された、音声だけの通信だったが、その声の主が誰であるのかは問うまでもなかった。
「あいよ。ミラン、良いね!」
『はいっ』
フローラは通信を敢えて維持したまま、スロットル・レバー脇のボタンを押し込んだ。全く同じタイミングで、ミランダもやはり同じボタンを押している筈だ。
「ふんぐわっ」
そんな声が漏れたのだが、これより全身を襲ってくる高Gに備えればこそ、である。機体後部に設置されている第14カメラが、順調にスモークを噴き出している噴霧器の映像を捉えていることを確認し、フローラ・ザクソンはそのスロットルレバーを全開、スティックを全力で引き付けるのと同時に右フット・ペダルを渾身の力で踏み込んだ。
24号機が、真空の宇宙空間を小刻みに――けれど派手に、跳躍する。
◆ ◆ ◆
「すげーっ!!」
シートベルトで座席に固定されていなかったら、握り拳のまま立ち上がったのであろうマリベルの後頭部を眺め遣りながら、クリストファはその後ろで大きく仰け反っていた。
「っいですよね、すごいっすよね!! ねえ!」
大きく体を揺らして騒ぎ続けるマリベルだったが、クリスにはそれを制止するつもりもない。確かに、凄い。恐らくは、あの大統領もその専用機の中で飛び跳ねているに違いない。
大統領一行の進路、その直上に。
巨大なハート・マークの中。
Wellcome
の綴り字が刻まれているのだ。
付け加えると、その綴り字の最後にしっかりとエクスクラメーション・マーク「!」が残されているところに職人芸が。
「よくもまあ」
口を付くのはそんな言葉、ばっかりだったが。それが、自分自身にとっても照れ隠し以上のものでしかないことを、クリストファは知っている。
たくさんの、「おかえりなさい」をこれから、聞くことが出来るだろう。
そんな想像は、悪いものではない。断じて。
目頭が熱くなった。
衛星軌道高度へと到達した79号機のコックピットの中で、マリーベルはその足元に広がるエテルナ本星と、眼前に展開されている射干玉(ぬばたま)の闇を等しく見遣りながら、大きく息を吐いた。79号機はこの時、キャノピの第一装甲の解除を行っていたため、その全周囲を見渡すことが出来る状態となっている。
「降りる時もそうだったけど、やっぱり綺麗な碧色だな――エテルナって」
機体の各種機構を宇宙機動用のものへと変更する為、キー端末へ打ち込みを続けながら、クリストファ。
「地球は青いんですよね。写真でしか見たこと無いけれど……」
キャノピ内側にほとんど顔を密着させているマリベルであった。
「――ああ、あれはあれで綺麗だよ。まあ、今や火星も青いけどな」
250項目以上にも渡る機構変換作業の半分を管制コンピュータへ丸投げすることにして、その画面だけを確認する手順をクリスは行った。
「テラ・フォーミングでしたよね? このアポロンの第三惑星もいずれは、される予定みたいですけど……何百年後の話か分かりませんが」
ヘルメットのバイザーを薄いものと差し替えながら、マリベルが振り向いてきた。今のこの時に彼女が着用しているのは通常の航空服である。無論、機密状態は皆無に等しいものであり、クリスとしては気もそぞろ――と言ったところではあった。まあ、事故が発生する可能性はそれこそ天文学的なものであろうから、どこかで諦観してはいたのだが。事実、大統領だってその専用機の中では気密服の着用など行っていない筈だ。
「差詰め、エテルナ・フォーミング――ってところか」
機内温度を確認し、ヒーターの電源を入れる。自分はともかく、マリベルが寒いのではなかろうか、と判断した上での行動だ。通常の二割り増し。
「巧いことをおっしゃいますねぇ」
「いやー、褒められるホドではないがね……」
これがフォーチュンであれば、『もっと捻りましょう。ネタは悪くないですが』だのと酷評を浴びるところだっただろう。全く、情け容赦のない乗組員だらけだった――あの空間は。
「あら、フレンドリー・シグナルを確認――その数5、前方75、11時、ポート面」
前席のディスプレイへ視線を落とし込んだマリベルがそんな報告を上げてくる。実は、彼女のそんな報告に無意味な要素が含まれていることをクリスは知っているが、揚げ足を取る必要は無い。
「こちらでも確認した――ははあ、例のゾーン警部補みたいだね」
自機に対して発信されてきているシグナルの中に、先日情報交換を行った航宙警察の表示が含まれている。まず、間違いないだろう。
「ゾーン――ああ、リヒャルト・ゾーン警部補のことですね」
通信回線を開く準備を行いつつ、マリベルが言う。
「知ってるの?」
通信関係は全てマリベルに一任していることもあり、クリスはただ、レーダー表示を眺めているだけだ。
「ええ、私の教官でもありました。航空機、航宙機、共にですが」
「ほう――」
「懐かしいですねえ、これも。半年ぐらい振りですよう――って、すみません、私事で」
久し振りの宇宙空間で、精神が高揚しているのだろうか。普段になく、饒舌なマリーベル・リンスであったが、そんな彼女の気持ちはクリスにとって充分な理解、共有に足るものであった。
「向こうさんもランデブーに合わせてくれているようですね――予定通りです」
大統領の専用機は、現在79号機から四十二秒遅れで飛行中。それは、クリスのディスプレイでも確認出来た。
「頃合いだ。79号機、移動を開始する――」
マリベルに告げて、クリスはスロットルを引く。両の推進器、『ラピッド・ヒーロー』が機長の命令を受けて、再点火。大統領専用機の予定進路に併走する形の進路を取る判断を下し、クリスは微かに操縦桿を右に倒す。
「望遠にて、エテルナ航宙警察の機体を確認――その数4、正面」
フライト・オフィサのマリベルがサブ・ディスプレイに表示されている望遠映像を確認しながら言ってきた。
「了解した。通信を入れても構わないぞ、マリベル」
刻々と表示を変えていくメイン・ディスプレイからは目を離すことなく、クリストファ。
「はい!」
◆ ◆ ◆
「79号機他、五つのシグナルを確認――照合――」
シャルロッテ・グルーミングが報告と調査を並行して行っている。副通信士席に座っているナナ・マネーシーが手伝いを申し出る隙もない。
「――照合完了、事前に通知された大統領専用機、並びに護衛機であることを確認しました」
口元のインカムの位置を律儀に修正しながら、そんなシャリー。
「宜しい――」
艦長席に座る資格がある人間はただ、一人。
「誘導準備に抜かりがないように、徹底指示!」
フォーチュンが女王、ソフィ・ムラサメが凛とした声を張り上げた。今のこの時、フォーチュンの第一艦橋は常にない緊張に包まれている。そもそも、艦長であるソフィ・ムラサメが、副長であるベアトリイチェ・ノイマンが、更には副司令であるヒムラ・キリオが一つ所へ揃っているというのは、これは前代未聞の布陣と言えるだろう。
「オペレーター、79号機へホットラインを結べるか?」
これは副長席に居住まいを定めているベアトリイチェの発言だった。
「微妙ッス。オープンチャンネルになっていないですから」
砕けた口調で、シャルロッテが歌うように。
「まあ、要あらば79号機の方から通信が入るから、力まなくても良くてよ」
艦長がそんな柔らかい言葉を頭上から落としてくる。ベアトリィチェはベレーに手を掛けつつ、静かに黙礼。
「なんだか、一週間も経っていないと言うのに――久し振りな気がするな」
キリオがカップの中身を軽く揺らせた。
「そうですね――ほんとに」
ムラサメ艦長は指揮杖をその胸元で抱えるようにしている。この数日間というもの、彼女が弱音を吐く場面の存在がただの一度たりとも無かったことをヒムラ・キリオは知っているのだが、それは所詮、表面上でのことでしかない。恋人のリンダの付き合いがこの数日、突然に悪くなったことと関連があるのではないか、と想像することは出来たが、女性同士の『領域』にまで踏み込む程の勇気を持ち合わせていないヒムラ・キリオでもあった。けれど、それが格好悪いとも思わないし、思われるのも心外だ。
「取り敢えず、帰ってきたら直ぐに休ませてやらないとなるまいねぇ」
艦橋の床に直接、座り込んでいるリンダ・フュッセルが頬杖を突いた状態で口を開く。これが彼女なりの気遣いであることを知っているムラサメ艦長は、そんなリンダに対してはやはり、艦長席の高みで微笑みを浮かべたものだ。キリオの知らない、ソフィ・ムラサメを彼女は良く、知っている。キリオの知っているクリストファ・アレンを、リンダが知らないように。
「フローラ、ミランダ――そろそろお願いね」
その発信と同時に、艦橋前面のメイン・ディスプレイにパイロット・スーツで身を包まれたフローラとミランダの上半身が浮き上がった。
【FRTN:WIVERN 24[ Type:Booster ] PLT as FLORA=SAKSONNE】
透過処理が施されたそんな文字の向こう側で、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて親指を立てた我等がフローラさん。フォーチュン属、深紅のワイヴァーン24号機、ブースター付き、パイロットとしてのフローラ・ザクソンを示すキャプションである。ノーズ・アートは火を噴き放っている爬虫類――サラマンダ、火蜥蜴とも呼ばれるものだ。
【FRTN:WIVERN 58[ Type:Normal ] PLT as MIRANDA=LEVERTOIRE】
全く同じキャプションの中、こちらのパイロットは「やや」照れ臭げな反応を返してきている。ピースサインと敬礼の中間と言った、実に適当な動作であった。同属、白銀の同58号機、タイプはノーマル。パイロットとしての、ミランダ・ルヴァトワ。本来の持ち主、クリストファ・アレンのアートは『鳳凰』であったが、今は『水蓮』が飾られていた。言うまでもなく、これはミランダ・ルヴァトワのマーク、アートであった。
「「イエス・メム!!」」
異口同音で二人のパイロットから返事が返ってくる。
「予定通り、お願いしますね――ミランダ、緊張しなくて大丈夫よ」
指揮杖を収納して、立ち上がったムラサメ艦長はまず、そう口にした。
『大丈夫です。フローラさんもいますから』
律儀にその背筋を張りながら、58号機のパイロット。
「アート、間に合ったんだ――良かったわね、ミラン」
場合によっては、アートの張り替えを行う時間的余裕が無いかもしれない、と言う報告も受けていたムラサメ艦長であったが。
『ハイ、スコットさん達が頑張ってくれたお陰です』
「まあ、気楽にね。あなたにとって、初めての宇宙なんだから」
『がんばります』
メットごと大きく頷きを加えて、ミランダ。
「フローラさん、お願いします」
『あいよっ。任されちゃってくれよ』
この間も端末を叩き続けているフローラ・ザクソンは、全く常と変わらない声色だった。恐らく、自機の各種チェック作業と並行して、ミランダのチェック状況の監視も行っているのだろう。
「艦長、予定時刻まで30秒を切りました」
ディスプレイ上の残時間表示を三割ほど、ズームしてシャリー。
「了解――それではあなた達、スケジュールに変更はありません。頑張ってね」
『あいよー』
『ハイ』
ここで、フローラとミランダの映像は切断された。これより後は、音声だけの接続と言うことになる。ほとんど同時に、別ウィンドウに格納庫の映像がロングで表示されたが、これは半ばのオート、プログラミングによるものだった。そんな画面の中で、24号機と58号機がゆっくりとタキシングを行っている様子を確認することが出来る。カタパルトの装備されていないこのフォーチュンにおいては航宙機は独力で宇宙空間へ飛び出さないとならないのだ。
「予定通り、58号機からの発進になります」
シャリーが報告を挙げてきたが、これは正に予定通り。未だ宙間飛行の体験が無い、ミランダに対してのフローラの思いやりではある。
「フォーチュン艦長として、58号機の発進を許可する。ミランダ・ルヴァトワ、ホドホドに頑張りなさい」
その腰を指定席へと沈め、ソフィ・ムラサメ。そんな艦長の上半身はやはり、58号機のディスプレイには反映されているはずだった。
『はいっ!』
そんな返答と同時に、58号機のエンジンが火炎を吐き出した。
『ミランダ、いきまーーーーーーす!』
リンダは元より、キリオやシャリー、果てはソフィまでもが苦笑を禁じ得ないでいる中、ミランダ・ルヴァトワが駆る58号機は排気炎を派手に残し、弾丸さながらに飛び出して行った。
『続いて、24号機――出るぞ!』
実に艦橋組が突っ込みの一つも入れる暇もない内に、フローラ・ザクソン元大尉専用高機動ワイヴァーンは発進。
「そう言えば、フローラさんって――『ガンダム』観てから、自分の機体に『ツノ』を付けたいとか言い出したのよね」
主管制をシャリーが行っていることと、そして何よりも場の雰囲気を軽くしようと試みたナナ・マネーシーがそんなことを言った。
「赤い色は縁起が良くないよ、って忠告したんだがな……」
ヒムラ・キリオが、腕を組み上げ、その首を大きく傾けながら応じる。
「つーか、ガンダム観る前から、赤に執着していたからねえ……」
こちらは相も変わらず、床面にベチャリと座り込んだリンダ・フュッセル。
「ツノを付けて、三倍速度になるんだったら何本でも付けてやるがネ」
そんなキリオの締めの発言に、艦橋が湧いた。
◆ ◆ ◆
『ゾーン教官、お久しぶりです』
サブ・ディスプレイの中、良く知った顔が敬礼を作っている姿が結ばれている。
「おお、リンス候補生か――変わりないか?」
エテルナ航宙警察正式採用航宙艇、『シュベルト』の中で、リヒャルト・ゾーンは自らの堅い顔面の筋肉をどうにか、弛緩させることに成功した。
『えー、教官の薫陶が何とやら、でありますが――お話しはまた、後程』
「だな」
謹厳実直を絵に描いたような彼女の候補生時代を思い返すのはこのリヒャルトにとっては難しいことではなかった。
『現在、我がワイヴァーン79号機並びに『S1(Space-1= 大統領専用機)』は予定通りに航行中であります。ランデブー・ポイント(会合点)への到着に支障無し、OVER』
疑っているわけではないが、各種情報衛星から転送されている情報の確認も手早く行わせているゾーン警部補であった。
「……確認した。これより当機を含めた小隊、三機は予定地点にて貴機、並びにS1の到着に備えることとする」
『79号機、了解』
ここで、一度通信が切断された。彼に課せられたそんな護衛対象群の到着まで、残すところ数分という状況だ。自分に追随している僚機二機の状況を簡単に確認し、ゾーンはその記憶野をしばし、漁ることとした。
これまでに自分が育て上げてきた『最高傑作』の中で、もっとも異質だったキャラクターが、このマリーベル・リンスであった。もっとも、どうも自分が教官をやっていた時分は当たり年だったらしく、『最強傑作』とまで言えるアムロ・レイコと言う人間の存在までもがあったりもしたのだが。
彼等が自分をMASTER――教官と呼んでくれていたのはほんの一年前のことの筈だ。それこそ、つい昨日のように。
『あれ? どしたんですか、警部補殿?』
部下の一人、ナグモ巡査がそんなことを通信越しに言ってきた。隊長機から指示が飛ばされないことに不審を抱いたのであろう。
「いや、なんでもない――時の流れとは早いモノだと思ってな」
ささやかな思い、意識をシュベルトのコックピットへと戻して、リヒャルトは答えたのだが。
『それってトシ取った証拠ですよ、警部補殿ぉ〜』
語尾をだらしなく伸ばす、その口調は止めろと口を酸っぱくしていっているのにも関わらず、一考に改善の余地が見られない。
「そういう舐めた台詞は俺から『一本』取ってから抜かしやがれ、イドリス」
『うへえ』
と、ナグモ巡査。
◆ ◆ ◆
「……誰が58号機に乗っているんだ?」
大統領専用機に随伴する形の軌道へ乗っている79号機の中で、クリスは呟いた。
「ごじゅうはち……ですか?」
前席のマリベルが尋ねてきたが、クリスは自機レーダーに表示されている輝点をただただ、凝視し続けている。
「フム――一応、僕の専用機の筈なんだがね」
半ばの自動操縦もあり、クリストファ・アレンはドリンクパックの内容物を吸いながら答えたものだ。
「FIFTY-EIGHT――アレン様の軍服袖に刻まれていた数字と同じように思えます――」
そんなマリベルの言葉が尻切れトンボなものと相成ったのは、踏み込みすぎた質問であったかとの自戒の念の発露だったのだが。
「ああ、気にしないでいいよ――確かに、『58』と言う番号は僕にとって特別な意味を持つけれど」
そんな機長の返答に、マリベルのヘルメットが微妙に揺れる様子をクリスは観察することが出来た。
「24、の方は問題ないのですか?」
会話の主題を転じようとしているのか、マリベル。
「んー、問題なくはないけどね。まあ、24だったら乗る人間は決まっているから――ハハハハ」
当然、この作った笑い声はマリベルを楽にさせるためのもの。
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「問題は解決したよ、マリベル」
実に、先刻の会話から三分後のことだ。機長の突然な発言であった為、マリベルはその主題が何であったのかを思い起こすのに若干の手間を必要とした。
「君達の警察には無い風習だろうけどさ」
そんな機長の言葉と同時に、マリベルの正面に据えられていたディスプレイの一角に新たなウィンドウ表示が強引に立ち上げられる。この79号機の望遠レンズによる撮影を引き延ばしたものだ、ということはそのキャプションで知ることが出来た。
「ホラ、この機首を確認して、ようやく得心が行ったのさ」
注視するまでもなく、盛大に引き延ばされていた映像の中には。
「……お花、ですね」
ここでクリスは少し、肩を竦めたのだが。
「睡蓮、って言う――水の上に咲く花でね――その根っこが、蓮根と言って――煮物にするとサイコーだったような……うろおぼえ」
マリーベルという彼女が、花に対する造詣が浅いのか、否かの判断はクリスには付かなかったが、睡蓮と言う花はいささか、マニアックなものではあったかもしれない、等と勝手に納得をすることはできた。
「はぁ、そうなんですか――で、なんでこのお花の模様で得心が行っちゃうのです?」
狭いコックピットの中、それでも器用に肘を付きながらマリベルは唸った。
「これはノーズ・アートと言って――」
◆ ◆ ◆
「こちら、24号機。肉眼で『御一行』を確認した」
サブ・ディスプレイに表示されている僚機、58号機の情報確認を並行して行い続けながら、フローラはフォーチュンへ通信を放った。
『盛大に――とは言わないけどね。お迎えしてあげて下さいな』
映像の省略された、音声だけの通信だったが、その声の主が誰であるのかは問うまでもなかった。
「あいよ。ミラン、良いね!」
『はいっ』
フローラは通信を敢えて維持したまま、スロットル・レバー脇のボタンを押し込んだ。全く同じタイミングで、ミランダもやはり同じボタンを押している筈だ。
「ふんぐわっ」
そんな声が漏れたのだが、これより全身を襲ってくる高Gに備えればこそ、である。機体後部に設置されている第14カメラが、順調にスモークを噴き出している噴霧器の映像を捉えていることを確認し、フローラ・ザクソンはそのスロットルレバーを全開、スティックを全力で引き付けるのと同時に右フット・ペダルを渾身の力で踏み込んだ。
24号機が、真空の宇宙空間を小刻みに――けれど派手に、跳躍する。
◆ ◆ ◆
「すげーっ!!」
シートベルトで座席に固定されていなかったら、握り拳のまま立ち上がったのであろうマリベルの後頭部を眺め遣りながら、クリストファはその後ろで大きく仰け反っていた。
「っいですよね、すごいっすよね!! ねえ!」
大きく体を揺らして騒ぎ続けるマリベルだったが、クリスにはそれを制止するつもりもない。確かに、凄い。恐らくは、あの大統領もその専用機の中で飛び跳ねているに違いない。
大統領一行の進路、その直上に。
巨大なハート・マークの中。
Wellcome
の綴り字が刻まれているのだ。
付け加えると、その綴り字の最後にしっかりとエクスクラメーション・マーク「!」が残されているところに職人芸が。
「よくもまあ」
口を付くのはそんな言葉、ばっかりだったが。それが、自分自身にとっても照れ隠し以上のものでしかないことを、クリストファは知っている。
たくさんの、「おかえりなさい」をこれから、聞くことが出来るだろう。
そんな想像は、悪いものではない。断じて。
目頭が熱くなった。

