2682年01月01日

第II光:『光臨』 第二章 VAPOR TRAIL 2810 - XIII

 ライル・ヘルミットは、ささやかな疑問に頭を悩ませていた。パク・ヒョンヒと二人で79号機の最終メンテナンスを行っているのが、今のこの時。大した疑問では、それは無いのだが。
「むーん」
 いよいよ自然発生してしまったそんな唸り声に、79号機の接地脚周りをチェックしていたパク・ヒョンヒが怪訝そうな顔を向けてきた。
「どしたの?」
 機械油の付着した指先を少しだけ、恨めしげに見遣りながらヒョンヒ。ライルは簡易気密服を着用した状態で器用に腕を組み、ただ、その小首を傾げている。
「いやあ……この79号機、『戦闘』したんじゃねえのかなあって……」
 ヒョンヒは大きく仰け反った。
「まっさかあ」
 間の抜けた言葉を返したが、ライルの表情は至って真面目なそれである。
「俺さ、大気圏内仕様って触ったこともないんだけど――」
 エア・サーファー、つまり大気圏突入用の追加装甲を右拳でコツコツと突くライル。
「――なんだか、そう言う臭いがするような……実際、歪みゲージも微妙に変化してるし」
 手に持った端末を示して、ライルは締め括った。
「におい……か」
 ヒョンヒは、改めて彼等が『整備兵』であったことを認識した。それは、自分達が持ち合わせていない嗅覚、と呼べるべきものなのかもしれない。

「それに近いことはありましたわ」

 突然の第三者の乱入に、ライルとヒョンヒが、揃って振り向いた。

「さすがですね、感服いたしました……」
 穏やかな笑みをそれでも満面に乗せて登場したのは、マリーベル・リンスであった。
「あ、確か79号機に乗ってた……ええと」
 一礼を行いながら、その脳裏の記憶を探るヒョンヒであったが、彼女の名前を思い返すよりも、当の本人の返答の方が早かった。
「はい――79号機でアレン様とご一緒させていただいたマリーベル・リンスと申します」
 アテネコ・ホワイトとブルーをその両脇に従えながら、マリベル。どこか微妙に顔色が悪い気がしたのだが、気のせいだと考えることにしたライル・ヘルミットであった。
「ライル・ヘルミットと言います――こちらがパク・ヒョンヒ」
 自分に次いで、隣のヒョンヒを示しながらライルが自己紹介を簡潔に行う。
「宜しくお願いします」
「こちらこそ」
 その頭をそれぞれが下げ合う。
「ところで、まだフライト・レコーダを確認していないんですが……やっぱりこの79、暴れてますよね?」
 いきなり本題へ突き進んだのはライルである。その点に関し、そもそも『臭気』を嗅ぎ取ることも適わなかったヒョンヒは、発言の優先権を彼に譲っているつもりだった。そんなライルに対し、マリベルはその顔に微妙な陰を乗せつつ、ゆっくりと薄い唇を開いた。
「ええ――インメルマン・ターンとか……それも、アフターバーナ全開の……」
 ぶうっ、とライルが噴き出した。
「イイイイインメルマンて」
 自由な両手両指に意味もなく、虚空を泳がせてライル・ヘルミット。
「何? インメルマンって?」
 ヒョンヒはライルの気密服袖を握りながら尋ねてみた。始めて聞く響きであったから。
「それって戦闘行為があったということですかッ!?」
 当座はヒョンヒの疑問を無視し、マリベルの両肩を掴みかねない勢いでライルが叫んだ。
「戦闘っ!?」
 さすがのヒョンヒ姐さんもその単語には盛大な反応を返した。
「いやいや……そんなことではなくて」
 マリベルは苦笑した。
「レコーダを確認すればすぐに分かるかと思いますが、アレン様――少しお遊びになられたのです」
「「あそび」」
 ライルとヒョンヒ、シンクロニシティを発揮する。

「何となく読めてきちゃったなぁ……」

 これにはヒョンヒの追随を許さず、ライルが一人呟いた。クリストファ・アレンが行った『遊び』の意味が充分に理解できたこと。それを裏付ける、微妙な機体疲労。

 これ以上の質問は無為以上のものではない、と悟ったライル・ヘルミットは話題の転換を図った。寧ろ、そちらこそが本題なのだ、ということは当然、見えている。

「さておいて、リンスさんはどう言った御用向きでこちらに?」

 質問を投げ掛けられた、『マリベル主観』ではあくまでも『遠い目』でライルは尋ねるのだった。




   ◆ ◆ ◆

「では、その路線で検討させていただきますね」
 どこかこの数日間、老け込んでしまった自覚はある。化粧の系統も路線変更を行うべきかもしれない。
「ご迷惑をおかけします」
 そんな大統領を痛ましく感じながら、ヒムラ・キリオは言ったのだが――実のところ、大変なのは今のこの時ではない。これから、全てが始まるのだから。
「大統領っ」
 警視の一人が、ジャニスの耳元に何かを囁いたが、大統領は即座に、しかしゆっくりとその顔を左右に振るのだった。
「あまり何度も言わせないでちょうだい――悩んでいる暇はない」
 そんな言葉には先までの語気は反映されていなかった。
「それでは、こちら側と致しましても、早急に計画を立てねばなりませんね」
 クリスの機先を制する形で、キリオがその身を乗り出す。どうも、クリスの発言には先刻より危険な要素が含まれつつある、と危惧をした上での行動ではあった。
「そうですね――こちらも直ちに関係各省へ連絡を入れておかなくては」
 キリオの建設的な発言に大統領が続くと、その脇に控えていた秘書官が立ち上がった。
「海運省、国土省、それと宇宙省――その他、関係各省への情報提供を行っておくべきかと考えますが」
 その秘書官の言葉を受け、両のこめかみにそれぞれの指を当てながら、
「――頼めるかしら」
 ほんの数秒だけ会議室天井を見上げ、大統領。
「かしこまりました」
 いよいよ携帯端末を抱え上げた秘書官に対し、扉付近に控えていたリョウ・ターミナがフォーチュン艦橋への案内を申し出る。

 ほとんど形式上のものでしかない、ソフィからの了承を得たリョウと秘書官が会議室を後にする。

「ふうっ」
 自動扉の開閉音直後の微妙な沈黙は大統領の溜息によって破られた。
「お察しします――大統領閣下」
 虚心なく――全く心から、ソフィは大統領を労った。前代未聞の難局、と、言葉面では幾らでも表現は可能だが。
「ありがとう、ムラサメ艦長。けれど、大変なのはこれからなのよね」
 微苦笑とでも呼ぶべき表情を乗せて、大統領。実際、笑うしかないところでもあるのだろう。しかし、続けられた言葉はいかにもジャニス・シュバリエらしいものだった。

「私だけ苦労させようなんて思わないでね。持ち込んでくれたのはあなたたちなんだから――みんなで苦労は分かちあいましょうね」

 会議室の扉前で歩哨さながらに立っていたハシモト・サトルが堪え切れずに吹き出すと、そんな空気、雰囲気は瞬く間に会議室全体へと伝播した。
「みんなで仲良く、とか――どうせだったら、もっと楽しいこととか嬉しいことを分かち合いたいものですが」
 軽い笑い声を立てながらクリストファ・アレンが言い、大統領が続く。

「それは全てが終わってから、考えることにしましょう――とにかくも、みんなで幸せにならないと」





   ◆ ◆ ◆

『こちらダイサク、破孔、裂傷を無数に確認――これより該当座標を転送する』
 そんな深刻な報告内容とは反比例し、緊張感の一片も含まれない通信がEVA(Extra-Vehicular-Activity=宇宙船外活動)に従事していた全員へと放たれた。
『マジかよー』
 とか
『ヤオは何やってんだ〜』
『今こそ必殺のアテネコ・サンシャイン!!』
 等と言った溜息や、失望感の含まれた声、(他)、が一斉に共用回線を埋め尽くす。実際、フォーチュンの全て――と言っても決して過言ではないのだ、コレが――を管理している第七世代の電子頭脳【ヤオヨロズ】が第一装甲に発生した傷を認識出来ていなかった、という状況は極めて深刻であるとも言える。
『ダイサクより追記――破孔、それ自体は無数にあるが――深刻なものではないと思われる』
 そんな追記分を受けたところで、サヤマは全く楽になれなかったが。
『こちらサヤマ――ドロシー、専門職の中では君の位置が一番近い。手が空いていたら、ダイサクの手伝いを頼みたい』
 ヘルメット内に投射された作業展開図を確認しながら、現作業リーダーであるサヤマ・キーヤがドロシー・ウィンストンへと命令を行った。
『あいよっ』

   ・
   ・
   ・

 気密服各所に仕込まれたバーニア出力を巧みに調節しながら、或いは角度を変えながら、理想的な機動でドロシーは目的地へと向かう。フォーチュンとの相対距離を10メートルに完璧に保った状態で、それこそ滑るように、飛ぶように。
『あらよっと』
 その進路上に存在していたアンテナを、バーニアを全く噴かさず、重心移動と両足の動きだけで回避する。ダイサクが異常を発見した地点、座標はフォーチュンの先端、やや側面ということになっている。最も近かったのが自分とはいえ、やはりフォーチュンは伊達ではない、としか言いようがない。それなりの速度で移動していても、速やかに目的地へ
辿り着くのには時間が掛かる。

 それでも結局、サヤマからの指示から一分と経たずに、ドロシーはダイサクの元へと馳せ参じることに成功した。自らの慣性力――速度を殺すための逆噴射を全く正確に行いつつ、左腕部に内蔵されているキー端末を叩くことで専用の診断ツールを起動する。一連の動作に無駄は全く見られない。
『どおれ、お姉さんに見せてごらん――』
 写真撮影、並びに転送作業は終了していたのか、ダイサクは『OK』を示すブロックサインを一つだけ作って、場所をドロシーへと譲った。
『ヤオヨロズ――相互データリンク開始。ドロシー・ウィンストンが承認する』
 そんな口頭承認と平行して、左腕のキー端末で暗証番号を入力するドロシー。これはヤオヨロズにアクセスする際に、必ず求められる儀式の内の一つに過ぎない。メット内に展開された半透過ウィンドウの片隅に、『八百万』というシグナルが点灯し、相互データリンクが現在進行形で反映されているという現実を伝えてくれた。
『ようし、いっちょう『ヤオ』ちゃんの目となり、鼻となりまっしょうっ』
 鼻歌を口ずさむようなドロシーの宣言であった。そんな彼女が到着した今、各種装甲に関するスペシャリストでは無いハタナカ・ダイサクに出来ることといえば、ただただ彼女のアシストのみ。差し当たって、ドロシーが必要とするであろうアプリケーション・ソフトの仮ダウンロードと、展開準備をダイサクは行うのであった。


   ◆ ◆ ◆

「美味しいッ!!」
 スプーンをくわえたまま、大統領は歓声を上げた。
「ぬっふっふっふ――フォーチュン内でも人気超新星爆発なメニューですからねえ」
 まるで、自分が誉められているかのような気分になりながらクリストファ。
「良かったです〜。お代わりも沢山ありますから、じゃんじゃん食べていって下さい」
 自他共に朔風館のオーナーシェフとして認められているユキノ・マエダはその胸を大きく撫で下ろした。その隣で畏まっているマノア・ルヴァトワも小さくガッツ・ポーズを取った。
「うーん、ここまでのカレーはなかなかお目にかかれないなあ、世辞抜きで」
 遠慮の『エ』の字も見せず、カレーを掻き込むようにして大統領。ソフィなどは、当初は簡単な宴席の場を設けようともしていたのだが、当の大統領自身もさることながら、彼等の上司、総司令官たるクリストファ・アレンもまた、そんな宴席が不要であるとの見解を示したことも手伝って、結局はただの『お食事会』となってしまっている。とは言え、『温野菜の付け合せ』、そして『クレソンとオニオンのスモークド・サーモン添え』なども同じ卓に並べられているのだから、『軽食』とは呼べないだろう。状況が状況でもあるので、アルコールに関しては最初のシャンパン――これは大統領が持ち込んできたものだ――の一杯だけに留められている。
「いや、これは確かに素晴らしいです」
 つい先程までは病人さながらの体(てい)を示していたロム警視正はそんな『宇宙軍カレー』のお陰か、立ち直りを見せつつあるようだ。それは他の人間たちにも言えることだったが。
「これ、レシピ頂けますでしょうか? 官邸で再現してみたいなあ、って思いまして」
 如何にもなこの質問はマリーベル・リンスのものだ。
「はい、喜んで。後ほど、紙に落として差し上げますね」
 レシピを要求されると言うのは、料理人としてこれ以上にない名誉だ。ユキノは全く嘘偽りのない気持ちでそんな栄誉を静かに、しかし確実に受け止める。
「あー……マリベル?」
 しかし、どうしてかここで、大統領だけが晴れない表情となっている。それは本当に一瞬のことだったのが、クリストファ・アレンはそれを見逃さなかった。
「なんでしょう、閣下?」
 末席にて立ち上がったマリベルだったが、これに対して、大統領は
「ごめん、なんでもないから」
 と先の発言を取り下げた。
「そうですか――」
 大統領にしては珍しい逡巡というべきか。マリベルは若干の疑問を抱きはしたが、この時点ではそれ以上、考えられなかったし。思い至ることもまた、適わないのであった。

 カレーライスが美味しい。それが、素直に幸せだった。



   ・
   ・
   ・

 時間が時間でもあり、この日の会談は打ち切られることとなった。時間が貴重なものであることをその場の全員が認識してはいたが、翌早朝に取りまとめの場を持つこととして、休息の摂取を優先することとしたのである。大統領一行はこのフォーチュンで一泊を迎えることとなった。

「お話がある、と言うのは?」
 そんな夜半、司令官室に呼ばれたジャニス・シュバリエは敢えてそう切り出した。ご足労を願いたい、というクリストファ・アレン自らの通信を直々に受け、実にその数分後には司令官室の客人となった大統領は、ヒムラ・キリオと言う先客がいたことを直ぐに知ることとなった。
「以前にもお話を申し上げましたけれど――この船に乗っている、唯一の『家族』についてお願いがありまして――」
 大統領がキリオに勧められてソファに腰掛けるのを確認し、クリストファ。
「ええ、覚えがありますね。マエダファミリーでしたかしらね。三歳児のお子さんと、生後半年の赤ちゃんが」
 司令官席上でクリスは大きく息を吐き出した。
「そこまで覚えていて下さったか――」
「まあ、インパクトがあったからねえ……取り立てて私の記憶力が優れているってことじゃないと思うけど」
 実際、大したことだとは全く考えてもいないジャニスである。本当に偶然もいいところである。
「いやいや、なかなかどうして」
 ヒムラ・キリオにまでそう言われて、さすがに気恥ずかしさを覚えた大統領であったが、その記憶力の有無が本題ではない筈。
「――で、お願いと言うのは?」
 些か強引な手法ではあったが、ジャニスは本題へと話題転換を計った。
「彼(か)の家族を、エテルナ本星か、イザヨイへと降ろしたいと考えています」
 互いに目配せを行った後で発言を行ったのは真正面に座っているヒムラ・キリオの方であった。
「そりゃまた――どうしてです?」
 彼等、フォーチュンの双璧が『お願いがある』と真剣な表情で言ってきたものだから、どんな内容かと思ってみれば。若干の拍子抜けを自覚している大統領であった。
「このフォーチュンには、同い年の友達がいません」
 キリオの代わりに、クリストファが答えてきた。
「ともだち」
 ジャニスはただ、反駁(はんばく)する。
「ええ。ヒカルはまだ、乳幼児ですからね……まだ問題はないけれど。マックス――マコトはもう三歳になってしまった」
 ここでクリスは息を大きく吸った。
「同年代の友達は、絶対に必要です」



   ◆ ◆ ◆


「やだよ、やだよーっ!」
 自分の裾にしがみついた状態で泣きじゃくっている幼児に対し、クリストファは返事となる言葉を速やかに紡ぐことが出来なかった。
「ぼく、フォーチュンから出たくないようっ!!」
 鼻水と涙が、容赦なくクリストファ・アレンの軍服ズボンへ擦り付けられた。だが、それが汚いものだとは思わない。
「マックス……いや、ミスタ・マエダ。良く聞いてくれ」
 一頻り、自分のズボンをハンカチとさせた後に、クリスはいよいよその膝を突いた。頭の位置、目の高さをその対象であるマエダ・マコトと同じものにする。
「君には、もっともっと勉強をして欲しいんだ。そして、君には同い年の友達が沢山沢山、必要な時期なんだ。君が邪魔になったから追い出す、ってわけじゃない。そこを勘違いしないでくれ」
 懐から取り出したティッシュでその鼻と、涙を拭ってやった。マックスこと、マエダ・マコトはその体を震わせながらも、取り敢えずは泣き止んでくれたようだ。
「正直なところ、僕だってミスタ、君と離れたくはないよ。けどな、そう言う時期って必要なんだよ」
 敢えて、子供扱いをしないアレン総司令であった。聡明な子供でもあり、仮に意味が伝わっていなくとも雰囲気、思いは繋がるはずだと考えたからだ。故にクリスは、適当な言葉の濁し方を一切、行わない。
「でも、でも――クリスは僕の友達じゃないの?」
 自らの袖で涙を拭って、マックス。
「友達だよ、マックス。願わくば、君と同い年でありたかったけれど――僕は今の君よりも少しだけ、『大人』なんだ。それは、残念だけどね」
 涙と鼻水に占領されたその左頬に、クリスはゆっくりと右手の平を宛った。暖かい。
「マックス。友達として、今一度、お願いしたい。ご両親と一緒に、船を降りて欲しいんだ」
 そんな言葉を受けて尚、上半身を大きく上下させていたマエダ・マコトではあったが、クリスの手の平を振り解くようにすると、激しく目元を拭い始めた。
「わかったよ。クリスの言うとおりにする。友達だもんな」
 そんなマックスを、クリストファは強く抱き寄せた。その耳元に顔を埋めさせて、後頭部を力強く撫で付けた。
「可能な限り、遊びにいくつもりだからな」
「うん、待ってる。べんきょーもする。頑張るから」


 大人のクリスはもしかして、この時に、泣いていたのではなかったか。

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 当時、三歳児だった筈なのだが――マエダ・マコトはこの日のことを、はっきりと覚えているのだ。

 とても大切な、思い出なのだ。これは、とても。


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「マエダさん――あなたと奥さん、そして二人のお子さんにはフォーチュンを降りて頂かなくてはなりません」
 艦長室、いや正確な言い方を行うのならば、総司令官室に呼び出されたマエダは、部屋主のそんな第一声で迎えられた。
「ええと、司令が含める意味は充分に想像できるんですが」
 主、自らが用意してくれた緑茶を持ち上げながら、マエダ・イチローは続ける。
「――説明していただけますよね?」
 うん、と一つ頷きを加え、クリストファ・アレンは足を組み直した。
「……マックス、そしてヒカルはやはり軍艦の中で育てるべきではない、と考えました」
 彼等の船、フォーチュンの総司令官は年長者に対し、ぞんざいな口の利き方をする人間では無かった。無論、戦闘状況にあってはこの限りではないが。
「イザヨイの幼稚舎への転入手続を大統領は快く引き受けてくれました。あなたには、ほんの一年前――移民船『アルタイル7』にてアルタミラへと移民した太陽系出身の技術者、と言うことになってもらいます」
 そう答え、クリストファは音を立てて、湯呑みの中身を一口だけ、啜る。『イザヨイ』と言うのがエテルナの第二衛星であることを説明する必要はなかった。
「えらく手際が良いですな」
 形だけ口を付けながら、イチロー。
「まあね。前々から考えていたことではあります。マックスやヒカルには、同年代の友人、そして優れた教育環境が必要だ――」
 クリストファが言葉を繋ぐ気配を察することが出来たイチローは口を挟まず、続く言葉を待つこととした。
「――実の父親を前として、憚ることではありますが。僕は、彼等に幸せになって欲しいのですよ」
 照れ臭さと真面目さを均等に配分した表情。付け加えられた「って、陳腐な表現だけど」が、彼のそんな複雑な心情を表しているのだろう。
「ですが司令、私が家族のためとは言え、諾々とそんな命令を受けるとお考えですか?」
 いよいよ湯呑みを傾けて、イチロー。しかし、こんな反駁にたじろぐ総司令では無い、と言うことも分かっていた。
「リンダ、シャルロッテ、キーヤ、を共に降ろそうと思います。いずれ、イザヨイがあらゆるものの生産拠点になることは疑いないのです――申し訳ないが、私はあなたをイザヨイで遊ばせるつもりはありません。仕事では苦労してもらうことになるかと」
 クリスは手にしていた湯呑みをゆっくりと、卓へ戻した。殊更に冷たい物言いではあったが、これは今のイチローにとってはありがたいものだった。
「これは、命令です。フォーチュンの総司令官として、そしてエテルナの大統領ジャニス・シュバリエ閣下からの」

 真意が巧妙に隠された、嘘じゃないですか。

 それでもマエダは、あわや口としかけたが。戻せる言葉は、ただ一つだった。

「ありがとう、クリストファ・アレン」






   ◆ ◆ ◆


「おい、兄貴。寝てんのか?」
 その横合いから突然に声を掛けられ、『フォーチュン』は総司令官、マエダ・マコトは慌てて居住まいを正すのだった。要塞の最中枢、司令席上での遣り取りだった。
「あ――すまんすまん。昨日、あまり眠っていなかったから……」
 傾いた軍帽を些か乱暴に戻しながらマックス。
「まあ、まだ非常時じゃないしな――良いんじゃない?」
 そう言いながらも、ラフな作業服に身を包んだ黒髪の少年――青年と呼ぶにはまだまだ、幼さが残されている――が電子チップの一片を司令卓上へと差し出した。
「【ストライカ】の機動試験レポート。俺なりに、まとめておいたんで」
「ああ、わざわざ持ってきてくれたんだ。すまないな、ユキト」
 チップ片を受け取りながら、マックスは言う。なかなかどうして、やることはやっているのだな――と、微かな感想を抱いた。
「早ければ40日後にティナが『エンフォーサ』で合流を果たしてくれるそうな」
 茶飲み話のつもりでそう振ると、ユキトと呼ばれた少年はその襟元にまで及ぶ漆黒の黒髪を左手で払い、溜息を一つ。
「――『ENFORCER』、か。果たしてそれで止められるかな? 規定能力が発揮されれば文句はないけどな……相手が相手だからなあ」
 親指の爪を口元に運び掛けたユキトはしかし、動作を中断することに成功した。『爪、噛むのおやめなさい』と、そんなユキトが産みの母親から口酸っぱく言われていたことをマコトは良く、知っている。
「まあ、戦力が多いに越したことはないだろ。大体、ユキト――君だって【RL=STRIKER】の全てを引き出してはいないだろに」
 ユキト少年はその場で、大きく仰け反った。
「無茶して頑張っている人間にそりゃないぜ、兄貴ィィィ」
「いやいや、年少者をいぢめるのは年長者の特権てヤツさねえ」
 殊更に肩を竦めることで余裕を見せ付けながら、マックス司令。対照的なユキトは、その指揮卓上に両の手を突き、項垂れながらの長い溜息を吐く。
「全く同じことを『アレス』に言われたばかりなんだよな……トホホ……」
「まあ、思うことはみんな同じってことだ。それよか、正直に言ってもらえる幸せってのもアリじゃないかね、ユキトくん」
 卓上で大きく、屈託のない笑い声を立てる司令官だったが。そこで続いてきた第三者の怒号に、その笑いを止めざるを得なかった。Here comes new Challenger!!――そんなロゴを背負い、怒り肩でスパナ片手に司令室へと乱入してきたのは。
「やい、ムラサメ光尉ッ!!」
 化粧気が一切存在しない――けれどそんな状態で充分に美女の範疇に加えられる少女だった。人種傾向は東洋系。切れ長の目には尋常でない感情の色が踊っている。
「あんたの操縦は下品だッ、お下劣だっ!!」
 そう叫び、逃げ腰、及び腰、となったA・L・ムラサメ光尉の首根っこを背後より握り込んだ。
「ちょちょちょ……藪から棒にナニを……」
 ユキトは精一杯の抵抗を試みたが。
「整備どころぢゃねーんだよ! 『修理』、付き合ってもらうからなっ!!」
 体格的にも、そして何よりも精神的な器の大きさで圧倒的に凌駕している美女が文字通り、ユキト・ムラサメを司令室出口まで引きずりに掛かる。
「あー、まー。なんだ――」
 総司令たる、マエダ・マコトは。
「ヒカル、あまりいぢめないでやってくれ」
 すっかり温度を失った玄米茶を傾けながら、それだけを妹へと向けたものだった。二次被害はマッピラごめん。
「いーや、許せない。マシンに対する愛情の欠如は、体を以て知って貰う他、無いのよッ!! 『アレス』も同じことを言っているんだからっ!!」
 暗に助命を申し出た実の兄の言葉をこれ以上無い程に無下にするかのように、ヒカル・マエダ技師長はユキトを引きずっていった。

 次第に小さくなっていくユキトの声を聞きながら。

 マエダ・マコトは玄米茶を再度、傾けた。

 まあ、実の所。恋人同士である二人に介入するのは野暮というものでもある。

 そんなマックスは、司令官卓に置かれた一枚の写真立てへと目をやった。

 沢山の人たち。愛すべき人達。

 今、いる人達。今、いない人達。

 マエダ・マコトは玄米茶を再度、傾ける。

 栄えある初代RL、【ブリンガ】を背景に、クリストファ・アレンを中心として、撮影された記念写真――日付は西暦2811年、7月30日。

 これは、最後の集合写真。


「なんとか元気で、頑張っているよ――みんな――」


 マックスは玄米茶を啜る。すっかりと冷え切ったそれは、ただひたすらに苦かった。
posted by 光橋祐希 at 00:00| 第二章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする