2675年01月01日

第II光:『光臨』 第三章 Ready to Fight - VII

『随分賑やかなようでしたわね』
 艦橋の正面ディスプレイに投影された大統領は、苦笑いを隠しきることが果たせずにいる。
「いやいや、それ程でも――こちらこそ失礼しました」
 斜めとなってしまっていた軍帽を卒無く直しながら、クリストファが答えた。
『ごめんなさいね、こちらの手違いで割り込んじゃったみたいで』
 口元を片手で覆うようにしてジャニス・シュバリエ。先日、地上の大統領官邸とフォーチュンの第一艦橋間に設定されたばかりの相互緊急回線を官邸側の職員が誤って開いてしまったことに当然、原因があり――その結果、ほとんどお祭り騒ぎとなってしまっていた艦橋の様子を丸ごと官邸側から覗かれる羽目となってしまった。マリベルの必死の形相もそれはそれは余すところなく、である。
『――ともかく、マリベルもすっかり馴染めているようでナニヨリナニヨリ』
 悪戯っぽさを存分に湛えた大統領の眼差しである。当のマリベルはそんな彼女の本来の護衛対象者とは全く対照的な面持ち――耳の先までが真っ赤っか。その足元ではアテネコ・ブラックが毛繕いを抜かりなく行っているが、これはどこか生彩に欠けているようにも見える。勿論、艦橋組にしかわからない理由だったが。
「いやはや、お陰様で楽しく過ごさせて貰っていますよ」
 やはり、微妙に気恥ずかしくはあって、苦笑しながらクリストファ・アレン。
『でもマリベル――その服、お似合いよ』
 うんうん、と腕を組んで頷きながら大統領。
「恐縮です……」
 ベージュ基調のフォーチュン簡易軍服。マリベルはその襟元に飾られている純白のスカーフを強く握り込んだ。
『さておいて――』
 ディスプレイの中の大きな大統領が、ここで咳払いを行った。
『――クリストファ・アレン、場合に依ってはあなたに再度地上へ降りてきてもらう予定でしたが、これは現段階では必要なくなりました。よって、あなた方が先日、希望していました『デウス・エクス・マキナ』の実動試験の方を承認――つうかお願い――させて頂きます。詳しい説明はゾーン警部補より、直接伝えられることになるかと』
 クリストファの顔も、元のそれへと戻る。大統領のそんな言葉を受けて、数秒ばかりの沈思黙考を経てから、その面が起こされる。
「私は、武人でありますから従いましょう大統領。ただ、一つだけ聞きたいことが」
『なんです?』
 質問を受けるとは思っていなかったのか、少しだけ驚きを見せながら大統領。それでも微笑みが絶えるところではなかったが。
「順調に物事が進行している上でのこの決定なのか、或いは否か――」
 武人クリストファのこの質問に対し、ジャニス・シュバリエの表情は一切が変わらなかった。
『どちらとも言えないけどね――これは私の、私達の仕事でもあるから気にされる必要は一切がありませんぞよ、騎士殿』
 最後の『騎士殿』の部分を強調するような大統領の物言いに、クリストファ・アレンはその右頬をポリポリと掻かざるを得なかった。
「心得ました。私は、私にしか出来ないことをすることに。そして、あなた達はあなた達にしか出来ないことを――」
 画面向こうで大統領が頷いたのを確認し、クリストファは最後の言葉を紡ぐ。

「――Your, Majesty(陛下)」


   ・
   ・
   ・

「もしかして、お気分を害されていらっしゃいますか?」
 工房ブロックに外縁に設けられている臨時のパイロット控え室にて、パイロット・スーツ着用を終了したばかりのクリストファにミネラル・ウォーターが詰められたパックを差し出しながら、マリベルが尋ねてきた。
「意味が分からないな――いや、皮肉じゃなくて、だけど」
 あらぬ言葉上の誤解を避けるために一言を付け加える必要があった。これは、全くの事実でもある。自分が気分を害すことは、まず無い筈であるし。差し当たって取り敢えず、水はありがたく頂くことにする。エルミタージュにての採水、『アポロンの涙』というのがその商品名であった。炭酸が含まれているバージョンもクリスは好きだったが、機動試験を後に控えていては、その摂取は論外だ。
「アレン様は本星に降りることを希望……期待しておられたのではないか、と考えていたものですから」
 控え室床に備え付けられている簡素なシステムチェアに腰を降ろし、美味しそうに水を含んでいる司令官を眼下に、当の本人が少しだけ気にしている分厚さの唇を開いたマリベルである。
「うーん……期待って程じゃあなくて。何というか、僕が降りないと収まらないこともあるんだろうなあ……と、まあ漠然と思っていたわけさ」
 専用のスーツ――当然、RL専用ということだ――の左肩の皺を伸ばし、クリス。そんなスーツの色彩はライト=ブリンガに準じ、白銀のボディに薄水色のラインが走らされている。当初は通常のパイロット・スーツの流用、或いは改造が予定されてもいたが、結果的にはほとんどゼロから制作されることになってしまっていた。完成したのは、実にこの一週間前の話であり、操縦を行うに際して邪魔にならない部分――非情に限定されている――にはありとあらゆる文字、意匠が刻まれてはいる。左袖上部には優雅に舞うシルフィードが、そしてその首後ろには小さく、天を見上げての鳳凰。襟元にやはり小さな文字で、Chricetopher=Allen。そんな名前の直前に余白が残されているのは、『中の人』がいずれ受けるであろう階級表記が未だに未定である為だ。もっとも、そんなスーツを着用する人間の存在は彼以外には有り得ないので、名前の刻印は重要なものではない。あくまでも、気分の問題でしかない。
「そうでしたか」
 総司令官を見下ろし続けることに抵抗感を覚えたマリベルは、クリストファの足下に置かれていた、コックピットに持ち込まれる予定のサバイバル・パックの中身を開くために膝を突く。これは信号弾各種、携帯酸素ボンベ、非常食、飲料水、各種薬物が詰められているものだった。使用する状況はまず、有り得ないものだが。
「今思えば、驕り高ぶり極まれり――だったな。反省している」
 そのクリスの発言を受け、マリベルはこれは驚いた。
「は、反省……ですと?」
 信号弾のカートリッジを片手に持ったまま、マリベルは今度は対象を見上げることになった。
「ん――大統領に対して、失礼になっちゃっているでしょ、それって」
 あくまでも微笑み含みではあったが、そのクリスの口の端が微妙な角度を形成していることにマリベルは気付く。
「それこそ、考えすぎだと思いますが」
 答えはしたが、形式的なものでしかない。事実、マリベルは本人自身がそれを指摘するまで全く、気付きもしなかったのだから。
「まあ、『シュバリエ』の号が伊達ではないことが分かって、安心もしているところだ――って、これもやはり失礼にあたるのかなあいやしかし……」
 ずちゅるーと音を立ててパックの内容物を啜った為、そんなクリストファの発言を最後まで聞き取ることがマリベルにはかなわない。
「…………?」
 全てを聞き取ることも果たせず、また聞き取れた部分に関しても意味するところがわからないマリベルだったが、質問を行うにあたっては躊躇せざるを得ない。自分は所詮、ボディ・ガードに過ぎないわけだし……でも、こういう言い方をすると多分、この人は凄く怒るんだろうなあとも思う。さて、どうしたものか……。
「さっきのジャニスの言葉――」
 如何にも意味深な視線で、クリストファが自分を見つめてきていることにマリベルは全く気付かなかった。はっとなる。なっている内に、クリストファは言葉を繋ぐ。

「今は未だ、軍人の出る幕じゃないぞう――って言外に言ってもいるんだよ」

 そう言って、更に一言。

「食えない姉さんだよ、君のご主人様は」

 しかし、満面の笑顔なのが彼女の今の『ご主人様』だったりもするのだ、これが。

   ・
   ・
   ・

「いーよいよ宇宙空間デビュウだなあ」
 ライト=ブリンガの右肩に装着された情報収集用カメラが複数、詰められているポッドを手の平で叩いたのはスコット・ロードマンである。
『ようやくです。私も緊張してます』
 それをして、機体の擬人化を容易なものとするツイン・サブカメラをこれ見よがしと点灯させたのは勿論、RLに宿る人工知性体『アテナ』であった。
「キリオやリンダが悔しがるだろうなあ」
 着用していた手袋を脱ぎながら、スコットは呟いた。少しばかりの優越感の存在も否定するところではなかったが。
『ですね。しかし、今日のは試験の試験、って具合ですから。フル装備での機動試験はもう少し、後の話になりますし――それに、リンダはともかくとして、キリオさんは大分お疲れのようでしたから』
 この期に及んで、「チミは本当に人工知能なのかね」等とはスコットは言わない。いい加減に慣れた……と言うより、麻痺しているのかもしれないが。
「あ、やっぱりそう思った?」
 そんなささやかな考えは「おくび」にも出さず、スコットはその広い肩を竦める。
『ええ、この一日は業務もお休みになっていたようですし、医務室にも通い詰めでしたしねえ……って、アテネコ情報ですけどね、これ』
「まあ、色々とあるんだろうさ――」
 スコットはそんなRLの右肩装甲板にゆっくりと手を当てる。ソフィ・ムラサメによって小さく、けれど流麗な直筆で刻まれた日本語は『光』と言う漢字を眺めやる。その近縁に『CAUTION』だとか『WARNING』と言った無粋なメッセージが添えられてはいるが、このアンバランス加減はスコットにとり、不快なものではなかった。
『スコットさんもお疲れですか?』
 彼女の信頼篤い、筆頭整備士にそれは柔らかい声で、アテナ。
「いやはや、疲れるのはこれからっす――今は未だ、疲れてられないっしょ」
 右肩に触れたまま、自らの髪を撫で付けたロードマン。その発言は全く、偽ったものではない。今はその時ではないのだ――と言うクリストファの薫陶が沁みていると言えば、沁みているのかもしれないとは思うけれど。
『クリストファに代わり、お礼申し上げます。ありがとう、スコットさん』
 しかし、このアテナの物言いには失笑せざるを得ない。
「ありがとよ、アテナ。君もまあ、ホドホドに頑張りましょう」
 一頻りの忍び笑いの後、スコットはその握り拳を口元に当てながら言ったものだ。
『それは、ロード次第ですねえ』
「ちがいねえ――あっはっは」
 いよいよ、スコットは高らかに笑うのだった。今のこの工房ブロックに詰めているのは、彼一人。静かなブロック内を、そんな笑い声がただただ、響き渡る。


   ◆ ◆ ◆

 気密服とほとんど一体化している靴を工房ブロックは床面に打ち付けて、本日の主役が登場する。
「――アテナ、最終報告を要請する」
 そんなクリストファ・アレンはマリベルを率い、腕を組み締めた状態でRLの足元へと辿り着いている。
『予定コード『G09-5897451236985』を完璧に遂行できる状態です、マイ・ロード』
 工房ブロック全域に響き渡る音量、そして当の責任者であるクリストファが発信制限を行っていなかったので、このアテナの返答は全て、フォーチュン全体へと流されている。

「オーライ、アテナ――」

 いよいよ、ライト=ブリンガの足元へと及んだクリストファ・アレンが『パイロット』としての自分自身を構成、完結させる最後のパーツであるヘルメットを、それまで大事そうに抱えていたマリベルより受け取った。つい先刻までスコットだけが詰めていたこの工房ブロックは今や、芋洗い会場に等しい有様となっている。気密服を装備したスタッフ達が端末やら工具やらを片手に右往左往している状態であり、これには当然トライアル――機動試験に際して行わなければならないアクションが決して少なくないことが理由として挙げられる。

 工房ブロックの無重力化、並びに無圧(与圧の反対語、と考えてもらいたい)化はリーヌ疾走の段階で幾度と無く行われてきていたが、メイン・ハッチの開放に関してはこれまでに実行が一度も行われていない。

 そして、何よりも。

 ライト=ブリンガが機動を果たすのは、これが初めてなのである。

 事前整備、そしてトライアル中のオペレート、バックアップ、サポート。

 そして想定される事後整備。

 全てが、初めてのこと。

 ソフィ・ムラサメ、ヒムラ・キリオ、リンダ・フュッセルと言ったメインスタッフが抜けている状態ではあったが、このトライアルには実に過半数の乗組員が動員、参加することになっている。また、残った人員に関しても艦内の生命維持、トライアルとは無関係の『有事』に備え、第二艦橋で待機を行うという力の入れようである。

 斯(か)くして、その後に伝説となる『ライト=ブリンガ』の史上初のトライアルが行われる運びとなる。

『ふうううっ――』
 それは深く、大きな深呼吸をクリストファは行った。勿論これは、慣れ親しんだフォーチュンの空気に由来が求められるものではなく、彼の――ライト=ブリンガと呼ばれる『デウス・エクス・マキナ』にただ、乗るためだけに造られたパイロット・スーツがその機能により絞り出した酸素、他若干が含まれた混合気。
 従来の航宙機乗りが装着しているヘルメットと比較を行ってみるに当たり、どう控え目に言っても異様で異形なフォルムを有しているそんなメットは『航宙機』というカテゴリには含まれないであろう特殊な『機体』に乗るが為だけに必要な、一種免罪符めいたものにクリストファには思えてならない。

 幾度と無い繰り返しにはなるが、従来とは全く思想の異なるディスプレイ・インターフェイス。そして思想は疎か、前例そのものが認められないコントロール・ユニット。

 もっとも、この場合。差し当たっての影響を及ぼしているのは前者、ディスプレイ・インターフェイスが占めるところ、大である。

『気密服は順調――良い仕事をしているね』
 そんな特殊スーツが、直接触れている外気に酸素、その他の人体が要求する要素の存在があることを自動的に認識する。結果、現状での酸素供給が不必要であると判断したスーツは供給を停止。外気の取り入れを直ちに実行する。これは、少しでも酸素消費を抑えるためのプログラムに基づくものだ。

「さて、行くとするか」

 ほとんど生の声――外部スピーカによる増幅が少しだけ行われている――を一つだけ上げて、クリストファは昇降クレーン上の人となる。今なお不安げな面持ちで見上げてきているマリベルに片手を挙げた。
「エアロックに戻りなさい、リンスさん」
「了解です。くれぐれもお気を付けて」
 気密服の着用を行っていないマリベルは当然、最後までこの場に留まることができない。工房ブロックの節々に設置されているディスプレイには『00:14 15/01』という数字が示されているが、これは続くフェーズ実行――つまり、無圧・無重力化――まで残された時間が14分であること、そして15人が詰めている中、気密服の着用を行っていない人間が1人、存在していることを示すものであった。
「任せて。RLの勇姿を見せてやる――」
 マリベルには最後の方の声はほとんど、聞き取れない。対象がクレーンを起動させて、上昇していく中での言葉だったこともある。

 その周囲、作業を行いながらもクレーンの稼働に気付いた数名が歓声を上げたのが、始まりだった。

 遅れて気付いた更に数名が歓声で続き、それが工房ブロック内に波及する。

『だっっしゃああああッ!!』

 上りきったクレーンの上、クリストファ・アレンが両腕を強調するガッツ・ポーズと共に叫ぶ。

 ブロック詰めの作業員達の興奮が、これで最高潮に達した。手透きの人間が同じポーズ、叫び声で続く。

 それはそう。やっと、ようやく。

 デウス・エクス・マキナ、ライト=ブリンガ――彼等の『女神』が飛ぶのだから。

「スコット、ご苦労!」
 足元の人間達に対し片手で今なお、ポーズを強調しておきながらクリストファはコックピット・ハッチ脇で待機しているスコットに声を向けた。
「整備は完璧です、司令官」
 それまでは上面ハッチに片手を当て、半ば砕けた姿勢を取っていた整備士長であったが、今は一部の隙もない敬礼を作っている。
「感謝する、ロードマン――そして、多くのみんなに」
 艦内での敬礼を良しとしないクリスではあったが、この時はスコットの気概に呑まれてしまっていたのか、全く違和感を伴わずに敬礼を戻すことが出来てしまった。
「少しぐらいなら壊してきても構いませんぞ」
 今一度、地上に向けて手を振り返したパイロットにそんな軽口を叩いてみせる。
「ふっ――」
 ヘルメットのバイザー越しではあったが、スコットはその不敵な――悪戯っぽい、と置き換えても良いかもしれぬ――表情を確認することができた。

 痩身矮躯――パイロットとして理想的な体形の持ち主が、自らの体をいよいよコックピットに迎えさせる。

「――――」
 最後に何かを言ったのだろうが、スコットは聞き取ることが出来なかった。絶妙のタイミングでハッチが閉じた為である。第一に続き、第二第三のハッチがゆっくりと、包み込むようにして閉じられていく。最後の最後に、スコットの目の前に残されたのはRLの右頬、装甲板。天空の高みを目指す鳳凰の図柄、ノーズ・アート。開閉するハッチの展開を暗に示した符号が複数。小さく、青い文字で『The RLight=Bringer』。そしてやはり等しい大きさ、ダーク・グレーで刻まれた『ATHENA SYSTEM』というローマ字が。

 常になく、忘我の境地でそれぞれのマーク、メッセージを眺めてしまったスコット・ロードマンであった。首を二三、振るようにしてつい今し方クリストファが上がってきたクレーンに体を預ける。これより先、クリストファと遣り取りを行うには管制室へ赴かなければならない。
「まあ、まだ時間はあるか」
 右椀部に埋め込まれているデジタル時計を確認し、スコットはヘルメットを装着した。バイザーはまだ、下ろさない。ギリギリの時まで、工房ブロックの空気に触れていたかったこともある。機械油の臭い、電子機器類が放つオゾン臭。人によっては悪臭と位置付けるものだろうが、スコットはこの臭いが決して嫌いではなかった。そして更に付け加えると、長かった――過去形にするのはどうやら時期尚早かもなあ――軍隊生活が影響しているところも大きい。則(すなわ)ち、気密服の酸素消耗は可能な限り抑えるように、というものだ。
「平時、平和、非戦闘状態ねえ……」
 一人、呟いた。これって掛け替えのないものだと思う。少しでも長く、こんな時が続けばなあ、と思う。しかし、顧みてみれば兵器としてのライト=ブリンガの機動試験を行う、これからの俺達。

「そりゃあ、時間は掛かるさ」

 柄でもない、とスコットは微苦笑。ここで、気分を切り替えた。彼の仕事は、これからが本番だった。勿論、それは彼に限らないことだったけれど。
posted by 光橋祐希 at 00:00| 第三章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2674年01月01日

第II光:『光臨』 第三章 Ready to Fight - VIII

 ソフィとリンダが連れ立って医療関係施設の視察へと――これが表向きの理由であることをヒムラ・キリオだけが知っている――赴くために別行動を取っている中、キリオを始めとしたマエダ一家は、アムロ警部補自らがハンドルを握るエアカーに揺られていた。そんな彼等の現在の活動場所はエテルナの第二衛星イザヨイ、その首都アルトリア。およそ地下50メートルに設けられたそんな都市部ではあるものの、惑星地上と何ら変わるところが無いことにキリオやマエダ、その妻は大変に驚いたものだった。半ばのガイド役も兼ねる結果となっている警部補はそんな彼等の驚きに対して逆に驚きつつ、それでも解説を行ったものだ。
「イザヨイ周囲には微妙な小惑星帯――って言うと大袈裟ですが――がありまして、地表に施設を露出させるのが得策では無かった結果が、これです。エテルナ首都、アルタミラと全く同じ、つまりエテルナ標準時に合わせて外壁の色模様が変化を遂げることになっているのです。実際に、雨も空から降りますし、設定次第では雪だって可能なんですよ」
 なるほど。確かにガラス越しにエアカーの中にまで貪欲に飛び込んで来ようとする日光の強さは正に地上の真昼、正午の太陽そのものに思える。
「……月面とはえらい違いですのー」
 後部のボックス席にて、胸元で寝息を立てている愛娘ヒカルを刺激しないように呟いたマエダ・イチロー氏であった。彼とその一家は、既にここイザヨイでの居住が決定されており、大統領が設定してくれた住居へと移動するのが、今の目的なのである。短時間とは言え、慣れない宇宙旅行に疲れ切ってしまったのか、マックスこと令息のマコトはやはり、母親の膝の上に頭を乗せてすっかりと熟睡してしまっている。
「まあ、殺風景ではあったよなあ」
 助手席で苦笑したのはヒムラ・キリオで、その口調はどこか、寂しげだった。彼にとって人生の期間大半を過ごしてきたのが月面であったから――もしかするとこれが愛郷心ということだろうか。
「ですが、この全天候型システムが完成してから百年も経ってはいないんですよ。最初の植民時代は、それはそれは無骨なものだったそうです」
 解説案内を行いつつも、前面ウィンドウに表示された各種情報からは目を離さずにアムロ。念には念が入れられている結果、数台の『覆面』がこの車両の警護に当たっている筈だったが。
「それこそ、月面みたいだったんだろうね――」
 窓越しにそんな人工空を見上げながら、キリオが呟く。鳥が群れをなして飛んでいる光景が確認出来たが、これは当然人工映像なのだろう。
「毎日を生きるだけで精一杯だったみたいですよ。ここでは酸素も水も作らなくてはならないし……全く、ご先祖様達の努力には頭が上がりません」
 そんなアムロの声に、それまで沈黙を続けてきていた夫人、ユキノが声を上げる。
「ひょっとして、アムロさんはここの出身?」
 質問を受け、アムロは少なからず驚いた。それは全く図星だったのだが。
「ええ……良くお分かりになりました。私は確かにここの出身なんです」
 浅黒い肌に映える白い歯を少しだけ見せてアムロは、はにかんだ。
「やっぱりねえ。『ご先祖様』って言葉に只ならぬ響きが込められているなあ、って思ったのよ」
 えへん、とユキノは半ば胸を張るようにした。
「特に込めたつもりはなかったのですが、参っちゃうなあ」
 ハンドルを片手に、やはり微苦笑を禁じ得ないアムロ・レイコさんであった。そんな和やかな雰囲気を耳に挟みつつ、キリオはさりげなく手元の携帯電話を覗き込んでいる。サイレントに設定していたこともあり、着信があったことに車内の誰もが気付いていない。そこにはメール形式で転送を行われてきた着信が、二つ。一つはつい先刻、港入り口で別れたばかりのリンダ・フュッセルから、『問題なし。予定通り』と、簡潔な内容。二つ目は、これはフォーチュンからのものであった。

『女神、状況開始』

 恐ろしくシンプルなそんな中身だったがその意味はこれ以上になく、伝わってくる。そんな『晴れの舞台』に居合わせられない自らを歯噛みするところ、決して小とは言えなかったが、今の自分には自分の仕事があることも事実である。リンダは元よりとして、ソフィ・ムラサメ女史の状態は無視できるものではなかったし、マエダ一家の新天地となる場所を視察し、クリストファ・アレンに報告するのは自分の役割だ。それに比べれば、一大事とは言え、数度と無くシミュレーションを行ってきたライト=ブリンガの初機動等は幾分、プライオリティが低いものではなかったか。

 さて、実際にこの目で『彼女』が飛び舞う姿を見ることが叶うのはいつのことやら。

 軽く、溜息を吐く。誰にとも、気付かれないように。


   ◆ ◆ ◆


 慣れない艦長席上。ベアトリイチェはただ、静かに予定時刻を待ち続けてきた――とは言え、それも残り三十秒程だ。それまでは半透過状態で正面ディスプレイの片隅に、ごくごく控え目に表示されていたカウンターが、白文字に転じ、ほとんど同時にチャイム音が一つ、艦橋に鳴った。
「状況、三十秒前――全艦内にチャイム、MODE-03から04、入れます」
 第二艦橋へと移動しているシャリーに代わり、メイン・オペレータを勤めているのはナナ・マネーシー。その横で、サブを勤めているのはノエル・グリーンという配置。第一艦橋は現在、この三名のみで構成されている。
「お願いね」
 ナナの背中にそんな返事を向けておきながら、ベアトリイチェは耳元に装着されている通信端末のマイク部分を自らの口元へと引き延ばす。深呼吸を一つ、行ってみればそれで残り時間は十を切っている。
「カウント、スタート。5… 4… 3… 2… 1…」
 ナナの読み上げに続き、ノエルが端末を忙しく操作、艦長代理へと親指を立て示す。艦長席に備え付けられた専用端末に点灯した『艦内放送』を示すキャプションを最後に確認し、ベアトリイチェは立ち上がった。

「艦長代理、ノイマンより各員に達する――現時刻より『God's in his heaven, all right's with the world』、発令。総員、指定の配置に就くように」

 事前に定められていたとは言え、なんとも冗長で、かつ微妙な作戦名である。『God's in his heaven, all right's with the world』――神は天にいまし、世は全て事も無し――モンゴメリは『赤毛のアン』の締め括りとして自分、ベアトリイチェは認識していたけれど、これはどうやら他に原典が求められるとか求められないとか、フォーチュンの誰かが言っていた。まあ、ささいなものであり、どうでもいい話。その素晴らしすぎる読後感が変わることはない――しかし赤毛のアンと言えば、初めてまともに読んだ本だったかなあ。また読みたくなって来ちゃったな。

 ほんの刹那、艦長代理がそんなことを考えている間に正面ディスプレイの構成に変化が訪れている。ディスプレイ下部左に工房ブロックのライブ映像が、そして右面には第二艦橋の映像が割り込んできたのである。
『あいよー、第二艦橋スタンバイオケー!! サポート開始するッ!!』
 そんな第二艦橋のカメラ映像に、ジャスティン・シューマッハが両の親指を立てて元気良く飛び込んできた。いかにもハイ・テンションな彼であったが、第二艦橋――つまり、今回のRL初機動に関するサポート、バックアップ、そして情報処理諸々を行うチームの代表格でもあるのだ、これが。そして、続いて。
『こちらは工房ブロック管制班――スタンバイ、同じくオケー!』
 室内映像の存在こそ無かったものの、工房ブロックに備えられた管制室からの通信であることは確認するまでもなかった。こちらの現場班長はスコット・ロードマンが当たっている。
「各々、了解しました――こちらは通常の体勢に戻ります。何か、あれば速やかに連絡を入れてくださいね」
 共用回線で、両者に対してベアトリイチェ。実際、自分達の総力、全てを機動試験だけに向ける訳にもいかない。艦内の各種生命維持、並びに内外を問わない――この場合、『内』はほとんど論外とも言えるが――警備、哨戒活動を怠るわけにはいかないのだ。実際、つい先日にも未確認機の異常接近があり、肝を大いに冷やすこととなっていたのではなかったか。クリストファ・アレンはあわや撃墜命令を行おうとすらしたし、同乗していたマリーベル・リンスもまた、それを認めざるを得ない程の状況だった筈だ。結果的に、先走った一部マスコミの勇み足であることが判明し、そして最善のスクランブル(緊急出動)を実行してくれたエテルナ航宙警察隊のお歴々の尽力によって、寸でのところで破局、悲劇は免れることが出来たのだが。
『ああ、こっちは任せてくれ。後はヨロシク、艦長代理っ』
 さすがに先のハイ・テンション振りは引き摺らず、それでも常の軽口で応じてきたジャスティンである。
「はい、こちらこそ頼みますよー」
 くすくすと忍び笑いを作っているナナとノエルを意識して、似たような返答を戻してみる。戦闘態勢に入るわけでもなし、確かにこれ位だったら許される筈だ。

 そう、思った。


   ・
   ・
   ・

 クリストファ・アレンがライト=ブリンガのコックピットに入ったのは作戦スタートに先立つ、五分前というところであった。お世辞にも広いとは言えないそんなコックピットの中で、まず最初に彼が行ったのは、持ち込んだ写真を貼り付けても問題のない箇所を探すことだったのだが、元より当たりをつけていた操縦系ユニットの正面部にあっさりと収まることが判明し、人知れず微笑みを浮かべたものだった。
「――っしょ」
 表面に特殊加工が施されたそんな写真を貼り付ける。整備マニュアル等を固定する際のマグネット使用によるものだったが、これを確認したアテナからは意外な意見が帰ってくることになった。
『失礼――機動を行うに当たり、マグネットでは万が一の場合、脱落する可能性が考えられますから、お勧めできかねます』
 そんな彼女の発言が意味する内容には直ぐに気付くことができた。
「……あっ、そうか」
 クリストファ・アレンがそのキャラクタ性からして考え難い、俗に言う『うっかりミス』に踏み込んでしまったことには理由がある。例えばこれが、ワイヴァーンのコックピットであれば、こんなミスは有り得ないことであった筈だ。
『はい、本機は確かに従来の航宙戦闘機とは異なっておりますが、万が一に備えられるのがクリスのモットーであると思っていましたので』
 色々な意味で情け容赦のない女神の、アテナの声。
「悪い……確かに返す言葉もないや」
 実際、反論を行う余地が無いのである。重力はともかくとして、とかく慣性とは無縁にいられない航宙戦闘の中にあっては浮遊物体、若しくは脱落する可能性のある物体の質量は軽重を問わず、危険要因として認められる。ライト=ブリンガは、その特殊過ぎる構造上、有る程度の慣性の軽減――無力化では無い――を可能としているため、ほとんど問題は無いのだろうが、そこが今回の場合は仇(あだ)となった。

 アテナは、正にその点を指摘したのである。

 当然、これは『ありとあらゆる可能性に留意するべきだ』と普段から口煩(くちうるさ)く言っている、彼女のご主人様の薫陶が厚かった結果であろう。

『以後は直接にプリントされるなり、直接の加工を施すなりが良策かと考えますが』
 アテナのこの答えはしかし、パイロットの苦笑を買う結果に。
「そうか、じゃあ取り敢えず今回が終わったらそれをスコットにでも頼むかね」
『はい、それがよろしいかと』
 何だかんだと、写真の存在それ自体は否定も拒絶もしない彼女であった。ちなみに、この写真はと言えば、つい数日前にこの場所、工房ブロックにて艦内の全員で撮影した集合写真であったりする。その背後に固定状態のライト=ブリンガを演出し、クリストファ自身が中央で『The Fortune’s AD2810.04.11』と刻まれたボードを抱え、その周囲を一重二重とスタッフ達が各々で身勝手なポーズやらエモノやらを取りつ、持ちつつ囲んでいるものである。撮影は幾枚にも渡って行われ、全員が揃った『おすまし』な写真(撮影直後、全員で大爆笑)の存在もあるにはあったのだが、こちらの方がいかにも自分達らしく思えてならない。金槌を構えたキリオ、スパナ片手のスコット、力コブを逞しく見せているフローラ、しゃもじとお玉を掲げているマノア、完璧なメイド服着用のマリーベル、アテネコ・ブルーを持ち上げているマックス……等々。挙げていればキリが無い。
「今回はじゃあ、文字通りの胸にしまっておこう」
 言いながら、クリスはスーツ右胸のポケットを開いた。各種薬物、注射器が詰められている左胸とは異なって、右側は純粋な空ポケットになっている。写真、それ自体は映像データを独自にプリントしたものだったからさほどに重要なものではなかったが、それでもクリスは丁寧に仕舞い込んだ。疎かに扱えるものではないのだ、これは。
『さておいて、いよいよのようですねえ』
 全く他人事(ひとごと)のように、アテナが言った。
「あかん、何だか微妙に緊張してきた」
 ポケットのジッパーを閉じつつ、クリストファはその上唇を舐める。緊張しているのは全くの事実であり、口の中をアドレナリンの味が満たしているような気が。
『過度の緊張は逆効果だぜえ――と、ブラックなら言うでしょうが』
「ぶっ――」
 思わず、吹き出してしまった。確かに、ややもすると失念することが多いのだが、ある意味ではフォーチュンの『真の支配者』たるアテネコ・ファイブは彼女、アテナの分身だったのだ。
「ま、アテネコ・ファイブに笑われない仕事をするしかないねぇ」
 言い刺して、サブ・ディスプレイに表示されているカウント・モニタに視線を注ぐ。残すところ、あと90秒と弱。

 ヘルメットのバイザーを閉じ、指定席にのし掛かるようにして腰を預ける。混合酸素を大きく、二度三度とゆっくり吸い込んだ。両手両足の筋を軽く伸ばし、ストレッチ。この珍妙な機体の操縦を行っている中にあっては、ストレッチ一つ行うのも手間が掛かってしまうから。

『作戦開始、十秒前』

 アテナの美声が、両鼓膜を優しく刺激する。

 ここで、ふと気付いた。

 誰かが、見ている?

 いや、そりゃそうだ――このコックピットにもカメラは備えられているし。

 違うな。

 もっとこう、何と言うか……。

 まさか?

 ――シオン・ヴィンテル、貴女(あなた)なのか?



   ・
   ・
   ・

「作戦、スタート――」
 初っ端のテンションが何処へ行く空、ジャスティン・シューマッハは真顔で、そして真剣さの彫刻、そのものの声を絞る。その宣言と同時に、アラーム音が鳴り響いた。事前に段取りが完璧に取り決められていたのにも関わらず、関係者はそのことごとくが緊張感の発生を否定できないでいる。何しろ、前代未聞――デウス・エクス・マキナ。
「クリストファ・アレン、準備万端!!」
 端末を忙しく弾きながら答えたのはシャルロッテ・グルーミング嬢。
「アテナよりのシグナル、異常を伝えるものは一切が、無し」
 第二艦橋の責任者ジャスティンのそれを更に上回る冷静さで、これはエリザ・ヤマナカが。
「スーツ、状況――オール・グリーン」
 アイシャ・ロシュフォルが専用端末で表示されたモデル・グラフィックを確認しながら、頷きを加えた。実に、足の小指一本の動きまでトレースする機構にあっては彼女の役回りが一番、デリケートで尚かつ神経を磨り減らすものであったかもしれない。そんなアイシャの額には早くも、玉の様な汗が浮かび上がっている。
『目視確認、問題なぁぁぁぁぁぁぁし』
 そしてある意味においては最も緊張している人間、スコット・ロードマンの発言がこれ。ちなみに、第二艦橋ではなく工房ブロックが管制室からの応答であり、そんなロードマン元軍曹はブロック側のリーダーと言う位置付けだ。しかしながら、そんなスコットが今回の作戦における事実上の総責任者であることは皆が皆、窺い知っていることでもあるのだが。
「工房ブロック、無圧の開始を実行する――各セクション、人員待避確認を厳にぃ!」
 目前に展開された数々のディスプレイ、グラフを確認しつつ、ジャスティンは腕組みを――勿論、ハッタリだ――行った状態で命令を行う。
『ブロック側、総員応対完了済みッ』
 実に数秒と置かずにスコットの声が飛び込み、ほぼ同時に、フォーチュンのメイン・コンピュータである『ヤオヨロズ』が、【ALL GREEN】の表示を第二艦橋サブ・ディスプレイに大きく点灯させた。
「よぉぉぉし――PHASE01、スタート」
 ジャスティンは自分の指定座席は肘掛けのサイド・ボタンを押し込んだ。肘掛けの一部が開放され、収納されていたパネルが縦に露出する。暗証番号の入力に続き、01と記されたスイッチを物理的に捻る。
「GHRL(God's in his heaven, all right's with the world)のヤオヨロズ承認、確保」
 エリザが止めどなく変化を続けるモニタから読み取り、報告。
「総司令、作戦スタート――応答願います」
 通信端末のマイク部分を少しだけ気にしてから、シャリーがパイロットへと通信を入れた。
『聞こえている――現状に問題無し――予定通りの進行で問題はないか?』
 右耳に装着されているスピーカ・フォンが伝えてくる彼のそんな声が曇(くぐも)った響きとなっているのは、ヘルメットを既に完全に装着しているためなのだろう。緊急を要するものでも、また影響を及ぼすほどの問題があるわけでも無いが、後に課題としておくべきものかもしれない――シャリーはさりげなく、専用端末の『スーツ欄』へ自身のチェック・マークを加えた。
「一切問題ありません、全ては予定のままに」
 ほんの少しだけの虚構を織り交ぜて、いつもの声調子で返事を行った。

『心得た――それでは、状況を開始する』

 そんなクリストファ・アレンの宣言と同時に、第二艦橋メイン・ディスプレイにはライト=ブリンガのコックピット内映像が表示された。専用のスーツに身を包んだクリストファが、組んでいた腕をゆっくりと解いて。

『ライト=ブリンガ、起動準備――』

 その宣言を受けて、ライト=ブリンガの双眸に光が灯される。

 フォーチュンの電力支援を受け、三基ある内の一基の対消滅機関が重厚なノイズと共に起ち上がる!
posted by 光橋祐希 at 00:00| 第三章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする