漆黒の宇宙。しかし、彼女の眼前には今。
「きれいなのねえ」
一面の暗闇の中――とは言え、満天の星空とも呼べるかも――で一際に目立つ碧色をバイザー越しに眺めていると、ついそんな呟きが漏れてしまった。
『気持ちは分からんでもないが、お手手とお耳、お足をお留守にするんじゃないぞ、候補生』
無線着信を示すシグナルが一瞬だけバイザーに示され、続いて即座にそんな声が飛び込んでくる。ミランダ・ルヴァトワが収まっている59号機は事実上、そのシステムの全てがフォーチュンとワイヴァーン24号機の隷下(れいか)に置かれてはいるから、これは仕方のないところであった。勿論、この時の通信主は候補生ミランダの事実上の師匠、教官、オネエサマでもあるフローラ・ザクソン女史である。彼女はいつだってミランダを見守っている。フローラ様がみてる。
「ごめんなさい」
取りあえず謝罪は入れておいたけれど、どうしてもエテルナ本星から目が離せない。その碧の水玉は、現在の彼女の視界のほんの一割程を占めているだけの大きさでしかないのだが、その胸中においての存在感ときたら、とても一割に収まるものでは有り得ない。
『ま、気持ちは分かるけどね。実際、仕事だって『スケジュール縛り』だから楽なもんだぁ』
とても教官役が放つ言葉ではなかったのだが、独自の教育哲学を強く抱えているフローラ・ザクソンはその点に関して全く頓着しないのであった。
「システムチェックに抜かりは無いつもりです」
ミランダ、念のための報告。別に、事がここに及んで言い訳を行おうなどとは思ってもいない。
『ああ、それも良ーく分かっているよ』
そりゃあ、59号機の全権限を掌握しているザクソン教官からは全てがお見通しなのだろう。今に先立つ二十分前、彼女がクリストファ・アレンより譲り受けた58号機――改め59号機――並びに24号機はライト=ブリンガの機動試験に先立ち、フォーチュンの専用カタパルトより派手な出動を果たしていた。この出動は当然、エテルナ航宙警察所属の機動中隊との共同作業に基づいたものであり、『彼女達』の『愛馬』には通常の武装に加え、幾つかの観測機器が装備されている。通常であれば対宙ミサイル、使途に応じて或いはハイパー・バズーカ等が繋がれるべきアタッチメントにはカメラ・ポッド・ユニットの丸ごとが、それも左右に一つずつ装着されているし、通常の三割増程のアンテナが機体各所に増設を施されている。また今回、彼らに課せられる任務内容においては、高機動出力がさほどに期待されていない――というより、戦闘機動が有り得ないものでもある――という事情もあいまって、その両機においてはブースターが全くオミット(除外)されている結果となっていた。
『全くよー、まさかここに及んで強行偵察みたいな真似事をさせられるとは思ってもみなかった』
溜息を露骨にそのアルトの中に混ぜてフローラさん。一番弟子としてはここでどう答えるべきか――ミランダは密かにその頭を悩ませるのだった。
「個人的には『外で』ワイヴを飛ばす口実ができて良かったなあ、などと思いますけど」
結局、こんな優等生じみた返答しか行えなかった。このような時、気の利いた言い回しができればいいのに、とは思う。例えば、クリスやキリオのように。
『うん、その程度の気構えで良いぞ、今回はなぁ』
と、しかしここで想定していなかった言葉が返されるのだった。
「はい、ホドホドに気を抜かせて頂いちゃいます」
実は本心ではないそんな言葉が口を突いた。これは実のところ、クリストファの言い回し、そのものでもあるのだが。
『RLに接近し過ぎないようにしていれば何も問題は無いよ。フォローは可能な限り行える状態になっているし、君はとにかく――この特殊な空間に慣れておかないとならんぞよ』
フローラの発言は確かに、正しい。シミュレーションは幾度となく行ったし、処女飛行それ自体も無事に終わりはした。けれど、進路、航路が全く確定され、教官機の隙のないリード、指示に従っていれば良かった前回と今回とは大きく状況が異なっている。
『何度も言うが、焦りは禁物だ――って言えば言うほどアレかな?』
いつも通りの言葉遣いではあったが、それこそがフローラ・ザクソンの思いやりというところなのではないだろうか。
「大丈夫、大丈夫です」
半ば自分に言い聞かせるようにして、ミランダ・ルヴァトワは広くもないコックピットを見渡す。左手の操縦桿は火器管制システムも兼ねており、半透明の硬化プラスチックで覆われた外装の中に、それこそ様々なメカニズムが凝縮されている。トリガーは全部で二つ。カバーで覆われた部分に特殊兵装のコントロール・トリガ―が含まれているのはここだけの話。クリストファ・アレン戦時大尉やフローラ・ザクソン大尉は火星沖の戦闘で荷電粒子砲の実射に及んだという話は知っている。先任は実はアタシだったんだよなあ――等とフローラさんが愚痴っていたのも、やっぱりここだけの話にしておこうか。
『さあて、予定ではいよいよ、RLが動く頃だが――』
船にいる時とは微妙に異なった声色でそんなフローラさんが。
「何事もなく終わるといいですねえ」
気取り、気負った言葉であることは否定するつもりもない。ミランダは今一度、機体各所のチェックを行った。
◆ ◆ ◆
フォーチュンの補助電力の文字通りの助力を受け、ライト=ブリンガの第一心臓たる対消滅機関の一番基がいよいよ稼動した。とはいえ、その外観上の変化など特筆に値するほどのものでは無かっただろう。勿論、『この段階』での話ではあり、その双貌――その特異な全体像から誤解する人間が多いのだが実はライト=ブリンガのメインカメラはさながら眉間に備えられた部位がそれに当たり、人間に例えれば『両目』にあたるそんな部分は実のところ、サブカメラでしかない。これは、実際に改良整備全般をヒムラ・キリオ達が行ってみて、初めて判明したことではあった。物騒に響いて聞こえるが、ヒムラにして尚、RLのメカニズムに関しては理解が及ばない部分が多く残されているのが現実なのである。ましてや、『アテナ』と自称するそんな管制システムに至っては全く何も分かっていないに等しい状態、としか言い様が無い。そんなキリオが往々にして口にする「気持ち悪い」発言は、正にここに要因が求められるべきものである。
『ライト=ブリンガよりクリストファ・アレンが達する――対消滅機関、一番の起動を確認――二番、三番に対するエネルギー供給の開始を今、確認した』
いつも通り。平穏そのものの総司令官の声を、第二艦橋のスピーカーが代弁する。実際にそのエネルギー供給率をディスプレイにて確認しながら、ジャスティンは口元のインカムを持ち上げる――補助イヤホンも兼ねたそんなヘッドレストは当然、頭部に固定されていたのでこんな行動は全く無意味ではあったけれど。
「第二艦橋よりジャスティン・シューマッハ、確認。供給、全て順調なり――予定通りフォーチュンからの供給遮断を実行します」
『RL、了解した』
多少の砂嵐が混じる中、画面の中の小さな総司令官のメットが若干、下がる様子が確認できた。ジャスティン、いよいよこの期に及び、両の掌に汗を握りこむ。勿論、第二艦橋の誰もが、ではあったが。
◆ ◆ ◆
「やあれやあれ、やっと実動に漕ぎ着けられたか」
工房ブロックは臨時設営の管制室の中、スコット・ロードマンは笑ったものだ。あいにくと、その場の誰かが続くことは無かったが。
『何かとお待たせして申し訳なかったなあ、スコット』
不自由な体勢で――と言うより、そのコックピットは安穏と過ごす事が可能な仕様ではない――様々な操作を小さな画面の中で機敏に行いながら、パイロット。
『目の黒い内にこんな珍妙な機体に関わることになるとはねぇ』
やはり、人を食った返答を行いながらも手元のキー端末を叩き続けるスコットである。
「つうか『茶色目』の持ち主がそれを言ってもしょうがねぇってえもんだやなあ」
軍手で鼻をこすったスコットである。
『文学的修辞ってヤツですよ、軍曹殿』
また、クリストファ・アレンがそんなことを言う。実際のところ、クリスは火星沖においての状態で既に予備士官であったから、当のスコットにそんな呼びかけを行った経験は無かった筈である。幾年を経て、そんなロードマン軍曹も中尉にまで昇進を果たしたが――ノン・キャリアである彼にとり、その年齢からすれば奇跡的な昇進速度で、これはある――クリストファ・アレン自身は最終的に『大佐』の階級章をその軍服各所に飾っていたのものだったが。
「やれやれ、この数年間でお前さんから『軍曹殿』と呼ばれたのは初めてのことになるな」
当初から階級は上であったが、口調もその振る舞いも崩すことの無かったクリスである。当然、公式の場にあってはその限りでもなかったが。
『シャンパン、冷やしておいて』
そう答えて、画面の中のクリストファは親指を一つ立て示し、返す動作でヘルメットのバイザーを降ろす。同時に、コックピットの天井より展開されたHMD(ヘッド・マウント・ディスプレイ)が、その頭部を包み込むように。
◆ ◆ ◆
「操縦系各部、異常無し。パイロットコンディションも問題ありません」
その眼前に展開された各グラフ数値を読み取りながら、ノエル・グリーン。
「SAMOS起動にまずは、問題なしか――念のため、艦内全域に以降のアテネコ稼動が不可能であることを通達してくれ」
腕を組んだまま、正面ディスプレイを見据えた状態でジャスティンが言った。
「既に通達済みですが?」
答えながらも、艦内放送の準備を片手で器用に行っているのはシャリー。
「だから『念のため』、とこう言っている――定型で構わない」
体勢はそのまま、そして声の対象へは一瞥も行わないジャスティン・シューマッハ。
「了解っす〜」
左手で別の独立した作業を行いつつ、その右手には与えられたばかりの命令を実行させる。恐ろしい程の神業(かみわざ)ではあるが、そんなシャルロッテの器用さはその場の全員が十二分に知るところとなっている。
『こちらRL。システム、機体、人間――どれも異常無し。いつでも始められるぞ』
もはやその表情の確認が困難な状態となってしまっているパイロットの上半身がサブ・ディスプレイに表示された。目を凝らせば、唇の輪郭が見えるか見えないか――と、そんな具合でしかない。
「RL管制役のノエル・グリーンです。今回の予定起動に関する異常は現段階では検出されず。スケジュール、それ自体の影響も無いと思われます」
巻き毛のノエルが室長である筈のジャスティンの声を待つことは、ない。その特性上、RLの管制役となる人間は独自の判断を瞬時に下さなくてはならないからだ。この点に関し、いずれ人員の増員を行わなくてはならない、というのは多くの人間の間で共通の問題として認識されている。
『ようし、それでは関係各所の準備が整い次第、派手に飛び出すとしてみるか!』
「ちょっと待って下さーーーーい!!」
ライト=ブリンガのパイロットであるクリストファが操縦系統の全てを起動装備した状態で両腕を上げたものだから、ノエルとしては少なからない驚きへと至ることになる。
『まだ、サブマニュピュレートも行っていないから驚きは無用だと思うんだが』
ある意味で演技色を感じ取れないでもないけれど、どこまでが本気なのかが微妙。ノエルは第二艦橋の混合酸素の、それこそ大半を吸い込むような深呼吸。
「普通に、ノーマルに行きましょうね――」
『僕はいつだって普通だが。異常なのは僕と言う個性存在を取り巻く状況が所詮は示し、そして誘導した結果の顕現を第三者が汲み取った結果の発露、顕現でしかない。そもそも、状況それ自体の定義からしてこれは非常な困難を極めると思われ、相互の含む認識の共有如何に依っては――』
ほとんど呪文のような言葉を続け始めた彼女の総司令官兼被験者。彼に対し、ある意味での救い、救済を与えるためにノエルはマイクを手に取ったのだった。
「おだまりください!!」
ぶっちゃけ、クリストファが期待していた反応が『これ』ではあった。
◆ ◆ ◆
煩雑な手順を経て、ようやくライト=ブリンガの機動許可がフォーチュンのマザー・コンピュータ『ヤオヨロズ』より与えられた。勿論、そんな許可の有無に関して人的介在が影響するところ、決して少なくはなかったのだけれど。
「本当にやっと、ようやく、これから――ってか」
誰に呟くともなく、クリストファは一人独白する。多分、第二艦橋のノエルなりが、こんな独り言を拾っているだろうとは思うが。
「コンディション表示――標準で構わない」
『心得ました、クリス』
機体及び、自分自身のコンディション・オール・グリーン。両舷の整備クレーンのリリース(解除)は確認済み。右腕、状況フリー。左腕、レーヴァティンのイミテート(模造火器)装備。腰溜めに鞘ごとの装着が行われているムラサメもやはり、ダミー・イミテーション。本来であれば実動試験に間に合わせたかった小火器の類に至ってはそんな模造品の用意すら行われていない。もっとも、設計責任者のジャスなどが勝手に『ハルバード』などと呼称しているそんな火器はシミュレーションの段階で早くも問題が山積しており、アテナ、ヤオヨロズ、そしてヒムラ・キリオ判定も『微妙』となっていた。今の段階でそんな『ハルバード』の可能性を見出しているのはクリストファとリンダの両名だけである。そうそう『レーヴァティン』のような荷電重力波砲をブッ放すことはできないこともあり、実際のところ小火器の類は必須、必要不可欠なのである。クリストファが注目したのは、正にその『ハルバード』が有するフレキシビリティ(汎用性)の高さにあった。ワイヴァーンが搭載するバルカン、ガトリング砲をベースに独自改良を行い、各種特殊弾頭の積載を可能とする小型ミサイル発射口がサブ・マウントに備えられていることを始めとし、散弾、特殊鉄鋼弾諸々――と言うより、設定次第では弾丸の種類を選ばない――の装填を可能とするメイン・バレル。また、大型化を回避できないのが絶対条件ではあるものの、ほんの少しの『無茶』で『荷電粒子砲』とすることも可能である、とジャスティンは鼻息を荒くして、それでも期待に満ちた面持ちで熱弁を振るったものだった。
しかし、深刻に過ぎるデメリットが大きく立ちはだかることになる。
ライト=ブリンガが誇る高機動力に対して、絶対的に銃身、弾装その他の強度が耐えられないのであった。これは、勿論、実弾に関しての話であって、いかにRLがある程度の機体周囲の慣性軽減化を実現できたとしても避けられない問題ではあった。と、専門用語を並べ立てるとそのニュアンスがどうにも伝わりにくいのだが。
とどのつまり、RLの尋常でない機動性に銃器、それ自体が追従できないのである。
アテナ判定にあっては、本体それ自体は形状を保ったものの、ジャム(弾掛り)を起こして、ただの一発も発射されることはなかった。言うまでも無く、この『判定』はシミュレーション上、つまりは仮想空間で下された判定でしかないのだが、フォーチュンのマザーであるヤオヨロズが下した判定もまた、これに準ずるものであった。大きく、それはそれは大きく落胆したジャスティンだったが、クリストファはそんな彼に研究の続行を要請。従来の銃身プラス弾装の概念を超越した火器を強く、求めたのだった。レーヴァティンはあくまでも『伝家の宝刀』でなくてはならない。勿論、状況が許す限り――であるのだが。
そんな事情も手伝って、せめてイミテーション、モックアップを用意してもらえればとクリストファは思っていたのだが、ジャスティンの仕事はそんな『ハルバード』の開発だけではなかったし、露骨なプレッシャーを与えたところで得られる成果は無いに等しい筈である。差し当たって、実剣『ムラサメ』のイミテーションの各部に設けられた各種センサが取りこむであろうデータの数々を流用してもらえば良いのだろう。クリストファにしては珍しい、実に珍しいポジティブ・シンキングである。
「RLよりフォーチュン管制へ。システムが完全に整った。起動する」
自然とその声に力みが入った。
『管制、了解。RL、起動準備のクリアランスを受理。状況、フリー』
ノエルにしても事務報告に感情が入り交じるのを止められない。
「ええっと……どうやるんだっけか」
そんなRL管制官の報告を実際に画面で確認し、整備台のコントロールをRL側に移す作業を続行する。右スティックのシフトレバーを押し込んだ状態で第七トリガーを数回、引いたが求めているプログラムが見当たらない。
『B−87項目です。呼び出しますか?』
アテナの助け船。
「すまん。頼む」
『しばしお待ちを』
とは言え、待つと言う程のこともなく。新しいウィンドウで開かれたそんなプログラム画面を具(つぶさ)に確認する。バッチリだ。
「管制、ベッド(整備台)の主権獲得をこちらで確認。これより、予定通りの起動を行う」
『ラージャ(了解)。関係各所への警告、通達を開始します』
「お願いする」
はい――と彼女が簡潔に答えた後、通信が閉ざされる。事態、状況の変化をクリストファは自らの鼓膜によって知ることとなる。当然、これはライト=ブリンガが拾った音をそのヘルメット内へ反映させているものに他ならない。
『最終確認――各員、自らの気密状況の確認を再度、厳に!』
工房ブロックの至る所に設置されているアラーム灯が激しく回転し、レーザー光線さながらの赤光でその周囲の空間を派手に彩った。まずは減圧が行われる手筈となっている筈だった。聞き慣れたそんなアナウンスはノエルではなく、シャリーによるものだった。
『減圧開始――各員、大気流量の変動に留意せよ!』
ライト=ブリンガは、発生したささやかな変化を確実に捉えていた。コックピットのクリストファはメイン・ディスプレイが『CAUTION / AIR』と言う表示を明滅させていることでそれを知ることができる。工房ブロックのエアーが全て、艦本体の方へと抜かれて行っている状況だ。これは大変に手間と、そして微妙な時間が掛かってしまうため、いずれ工房ブロックそれ自体の改装も大々的に行う必要があるだろう。当然というより、自然の話だが、この工房ブロックは『珍妙で奇天烈な』人型機動兵器を収容、整備するために造られたものではなかったのだから。
ざっと、数十秒が経過し、いよいよRL発進に伴う次なる段階へと状況は移行する。
『無重力化を開始する――各員、再度担当部品の固定を確認せよ』
逆の場合――つまり、有重力化の場合に比べてそれ程に神経を払わなくてはならない局面では無いのだが。ざっと地上十数メートルの高みより、気密服を装備した人間が各部に固定されている重機諸々を手早く確認している様子をクリストファは確認出来る。今頃、第二艦橋と管制ブロックでは端末上での確認作業が急速に、けれど確実に行われている筈だった。鞍上のクリストファ・アレンはただ、待ち続けることしかすることがない。
◆ ◆ ◆
「減圧、無重力化、共に問題なし――文字通り、世は事も無し」
目前に展開されている二つのディスプレイを交互に確認して、シャリーが報告する。それぞれの画面には雑多なグラフ、行程表が並べられていたが、そのどれにも『ALL CMPL.』
の文字が一際に目立つ緑色、それも太字で飾られている。
「オーライ――」
ジャスティンはここで頷き、無駄のない所作で腕時計を一瞥する。
「――予定より二十秒程早いが、前倒しで作戦を開始する。宜しいですな、総司令官殿」
口元のインカムを慎重に構えて第二艦橋責任者。この二人はもはや、非公式の場では互いにファースト・ネームで呼び合っている間柄ではあったが。
『おう。ウズウズしている。とっとと飛び出したい』
コックピットの内部を投影している画面の中で実際に、ウズウズと身を捩(よじ)るクリストファ。シャリーやノエル、他が声を立てて笑う。
「後は、そちらでどうぞ。既に24、59は飛び出している。そして、航宙警察がこれは大隊規模でサポートに当たってくれている」
手元の進行グラフに一瞬だけ目を落としてジャスティン。24、59の数字の隣に『WP / MSSN / AR』と言う表示が確認出来る。Waiting - Period ? (on) Mission ? Area――『作戦宙域内待機』、と言うことだ。更に目を凝らしてみればそれぞれのパイロットの名前が確認出来るが、これは確認するまでもない。
『ありがたいねえ』
まるで、茶でも飲みながらの悠長なクリストファの声色であった。
「連中を驚かせてやって下さいな」
ジャスティンが似たような声色を飾るには、少々の演出を心掛ける必要があったが。
『えっ――?』
と、これまた間の抜けた返答が戻る。
「えっ、と聞かれてもマイッチングですがのー」
今一つ、どうボケたものか判断に苦しみながらもジャスティン。
『冗談じゃないよ。君達にも盛大に驚いてもらわんと――』
ここで、ライト=ブリンガのパイロットは演技的に深呼吸を行う。
『――ワリに合わねえっての』
ぷっ、と最初に吹き出したのが誰なのか、それは不明。それなりの緊張感に包まれていた筈の第二艦橋が笑い声に包まれるのに、時間は必要とされなかった。
◆ ◆ ◆
上下、それぞれの唇を丹念に舐め抜いて、深呼吸。
「さあ、オッ始めるぞアテナ。第一次起動フェーズ、開始!」
クリストファ・アレンの命令を受け、メイン・ディスプレイ中に『Phase-01 START』のキャプションが踊る。
『了解。第一次起動フェーズ、開始します』
全く同時に、アテナの返答が行われ。遅れること数秒。コックピットに伝わってくる振動が次第に大きいものとなってきた。全三基の対消滅機関が臨界へと向け、唸り声を上げているのである。減圧された工房ブロックにおいて、そんな爆音を聞くことが出来ている人間は一人だっていない。頼もしくも物々しい、この音を聞いているのは只一人、そのパイロット。
「各機関、順調に始動――フェーズ02、状況開始」
体全体を揺らす微振動の中、クリストファは昂(たか)ぶりつつある自らの精神をどうにか抑えている。さあ、いよいよ。
『02、状況開始します』
真骨頂。これ在っての、ライト=ブリンガ。デウス・エクス・マキナ。フェーズ02の開始、それが示すのはトラクター・ビームの形成である。今のRLは間接、そして一部骨格が欠落している作りかけのパペット、操り人形でしかない。ここにあって、初めて人型という形状の獲得へと至るのである。生唾を飲み込んだクリストファが見詰める先には一つのグラフが表示されており、RLの簡素な全身像がそこには反映されていた。頭部、そして胸部から腰部に掛けた部分が仄明るく明滅を繰り返している段階が、今の状態だ。これが次第に、変化を遂げ始める。頭部から両肩部に掛け、微妙な光が流れ漏れ始めた。
「ふむ」
右スティックを細かく操作し、クリストファはサブ・ディスプレイの一隅に整備クレーンに備えられた特殊カメラからの外部映像を表示させる。怪しい、紙一重の感覚を――RLのコックピットは通常の戦闘機とは全く異質のインターフェイス、レイアウトであり、落ち着かないこと、この上が無い――更に強調するような、高見からの別視点はさすがにパイロットをうんざりとさせるが、現況を確認するにあたってはこれ以上の理想点の存在は無いのが現実。そんな特殊な視覚の中、激しい光源の発生がクリストファの両網膜を灼く。
「なるほど――」
前回の、つまりはRLの初起動時のビデオ映像は幾度と無く繰り返して見たものだったが、こうして実際に現実に起こっている映像というのはそれだけで迫力が異なり、全身の肌をいやましに、強く刺激してくるほどの緊張感の存在が自覚できる。至極当然、これは当たり前の話ではあるのだが、理詰めで考えていかないとどうにもおかしくなってしまいそうなのだ。鈍い微振動が続いていることもある。窮屈なパイロット・スーツを着込み、尚かつその全身を奇っ怪な操縦システムに囲まれていると言うことも要因として列挙できる筈。これまでのシミュレーションとはとても同列におけない。それは、やはり当たり前のことだ。良く、分かっているつもりだ。
『胸部経由、両椀接続を開始――』
アテナはあくまでも冷静だ。実画面においても、首元から派生した光の奔流がゆっくりと、しかし確実にその全身へと行き渡ろうと必死になっている様子が垣間見える。人外のモノが、人の容(かたち)、或いは生への欲求、執着、渇望を具現化させているかのようなそんな状態を、しかし今のクリストファは美しいと感じられる。歴とした人間にだって、クソにも値しないファッキンな奴等は沢山いる。そう在りたい、成りたい、維持したいと努力する側の方が努力、熱意の方が一体どれだけ美しいだろうか。
「アホですか、俺は――ったく」
一人、全くの無意識下で呟いてから己(おの)が失策を悟る。アテナは元よりとして、RLの専門管制に従事してくれているノエル・グリーン嬢に『俺』と言う一人称を含めた乱暴な独り言を聞かれるのはエレガントではない――それは、分かっていた。
『ご不興を覚えられましたか、クリス?』
鋭い。アテナと言う実に優秀高性能な自律プログラムを前に、油断はならない。
「いやいや、ただ自己嫌悪に浸ってみただけっす」
大して広くもない肩を竦めて、クリストファ。しかし、戻ってきたアテナの返答は想像を絶するものだったのである。
『非建設的ですねー。こう言う時は、もっとテンションを上げないといけないです。なんでしたら音楽でも掛けましょうか。ルードビッヒ・フォン・ベートーベンは『第九』、それも『合唱つき』等は、どうでしょう』
仮にこの時のクリスがSAMOSシステムにその四肢を固定されていなかったのなら、間違いなくその場で引っ繰り返った筈だ。
「……お気遣いに感謝はするが、結構だ」
通信の向こう側から笑いを堪えているノエルの息遣いが聞こえてくる。いや、実際笑い話だ、これは。
『そうですか。もし、再度リクエストなどありましたら遠慮無く、どうぞ……』
どこか残念そうな語尾の引き摺り方まで行ってくれる。
「ふう――」
クリス、息を溜める。毒舌の一つでも放とうかと思わないでもなかったが、アテナは何しろ、デリケート。毒として受け取らない可能性も低くは無い――正直、最近の『彼女』は微妙な感じもするが。
ライト=ブリンガ。
いよいよ、その末端にまでビームが張り巡らされる。続く微振動が激しいものへと変化、コックピットをもより振るわせる。内臓、クリストファの奥歯がカチカチと音を立てているが、これは武者震いではなく、多分に機体振動に要因が求められるべきものの筈だ。
「純粋に、この状況下で機動試験が行われるというのは素晴らしいね」
アテナも、そして管制役のノエルですら、そんなクリストファ・アレンの発言に即座には反応できなかった。
事実、クリストファは心から、彼自身を取り巻く状況、環境の全てに対し。
深く。それはそれは深く、感謝していたのだ。
「嬉しいね。最高だね」
この直後に、クリストファはRLを拘束していた整備クレーンの全てに解除命令を直接、入力している。
The RLight=Bringer,
起動。
機動。
2673年01月01日
2672年01月01日
第II光:『光臨』 第三章 Ready to Fight - X
「RL、全機構問題なし――ついでに、パイロットもオッケーです」
刻々と表示を変えていく計器表示を確認しながら、ノエル。
「ようし、RL『発進』せよ!」
組み続けた腕を解除し、インカムのマイクを力強く握り締めてジャスティンが熱い叫びをあげる。額に珠のように浮かんでいる汗が、彼の精神的負担を暗に示しているのだろう。
『心得た――RL、離艦する』
クリストファ・アレンの淡々とした返答と同時に、いよいよライト=ブリンガの背面、GRDSユニットが変形を開始する。格納形態から、正に機動形態への移行。三重に折り畳まれていた本体が緩やかに展開されていく。さながらの『天使の翼』、或いは『悪魔の羽』は、実にその全てが展開された状態ではRL本体の全長を軽く凌駕する。続き、GRDS、重力波反発推進機の証明に他ならない蒼白いエギゾースト・フレア(排気炎)がまるで淡雪のようにその周囲へとゆっくりと拡散、霧散していく。人によっては或いは、持ち合わせる詩情や心情、感情諸々の演出の作用が手伝って、より秀逸、秀麗な表現を織りなすことだろう。例えば、この時。第一艦橋にコーヒーのデリバリ(配達)に赴いていたマノア・ルヴァトワ等は偶然、目にしたそんなRLの映像に対して『舞い散る天使の羽、その鱗粉』と言う表現を献上していることが記録に残されている。
『GRDS、展開完了――ハッチへの移動開始』
都合、背面に四枚の翼を展開したライト=ブリンガがゆっくりとその身を屈め込む。そんな状態を維持したまま、工房ブロック床面より数十センチの浮揚を獲得。解除展開されたばかりの工房ブロックはメイン・ハッチへと滑るような移動を開始する。
『オーライ、オーライ――』
ハッチ脇のクレーン上で指示灯を前後へ揺らしているのは、パク・ヒョンヒ。彼女を含めて、気密服を着込んだ数人も又、その中で尋常ではない汗を流している。述べるまでもなく、気密服の内部は完全な温度調節が施されているのだが。
『ご苦労!』
オールレンジの周波数帯で、クリストファが労(ねぎら)いの言葉を投げ、ほぼ同時に、ライト=ブリンガが二段階の宇宙軍式敬礼を行った。全く、それは流れるような有機的、生物的、肉感的な動作であり、機械、マシンが行っている動作としては不自然過ぎるものに感じられるが、これは、ある意味ではライト=ブリンガと言う機体の異常性、その一端を観察者へ与え示している事象にしか過ぎない。あくまでも一端でしか、これはないのだ。
『とととっと』
しかし、そんな敬礼を作った結果、RLは軸バランスを崩す。質量のある右腕を無重力条件下で振り翳したわけだから、これは当然のお話だ。揺るぎのない、厳格な宇宙の摂理はRLとは言え、容赦しない。都合、その進行軸を中心に緩やかな右回転を始めることになった。
『フン』
コックピットのクリストファは自らの右脇腹を締めるのと同時に、右スティックの第三トリガーを絞る。これを受け、アテナは――RLは腰部に備えられた姿勢制御用ノズルを噴射、慣性を相殺。
『はい、オッケーでーす。あんまり、無茶せんようにしてくださいまし』
指示灯を振る速度は変えず、ヒョンヒが笑い声が半分だけ混じったような通信を放ってきた。
『あいよー』
パイロットがそう答え、実際にハッチを潜り抜けて宇宙空間に出て行くそんな間際。
『ピース』
ライト=ブリンガの左手、細い指がVサインを構成した。
『――』
クレーンの柵にその上半身を垂(しだ)れ掛けたヒョンヒや、計器片手に工房ブロック内を漂っていた幾名かが仰け反って回転している中――厳密に言えば、肝の据わったリョウ・ターミナだけが仁王立ちの無言でVサインを戻していたが。
『ふんふふーん♪ ふふーふふんー♪ ふーふーふーふふーん♪』
鼻歌を口ずさみながら――当然、オールレンジ発信だ――RLはハッチを抜けていく。
屈められた左膝に対し、その細い右脚がゆっくりと前方に伸ばされる。さながら、ハードルを越えるような体制でライト=ブリンガが流れた、その先。
もう、そこは宇宙そのものだった。
ちなみに、この時クリストファの鼻歌の正体に気付いたのは、現場工房ブロックではリョウ一人。以下、第二艦橋では若干名。
「つうか……良いセンスしているじゃねえか」
こめかみを細かく引き攣らせながら、ジャスティンが声を絞り出す。全く、こっちがこれだけ緊張しているってのに。
「――最近、暇があれば映写室に籠もっていたみたいですからねぇ」
口を半開き、虚ろな眼差し、けれど手元は留守になっていないシャリーが続く。
そんな悪態を吐きながらも、その司令官が意図しているところは見えるし、理解している。遊び心だってそりゃあ介在しているだろうけれど、こちら側が抱えている緊張感の緩和、それが彼の望みである筈だ。
「やれやれ」
ジャスティンは人知れず、口の端を持ち上げて、シャルロッテに新たな命令を行った。
「24と59に入れる報告に追加。良いか、内容はな――」
◆ ◆ ◆
『RLの離床を確認した、とシャリーさんから報告がありました――追伸、以下のRLのコール・サインは『アバレンボーショーグン』――って、なんですかね、コレ』
24号機に跨ったフローラ・ザクソンの元へ、愛弟子からの報告が上げられた。格納庫、即ち工房ブロック内での出来事を彼等は知らないのであって、ミランダの語尾が微妙な窄(すぼ)み方となってしまったのも無理はない。
『フン、大方我等が総司令殿が何かしでかしたんだろうさ――さておいてミラン、カメラポッド射出準備』
実は的中している推理を簡潔に並べつつ、フローラの右手はワイヴァーンのスティックの操作を行っている。口頭での機体命令が、実は彼女はあまり好きではないのだが、勿論、そんな個人的な主義主張を他人に、弟子に強制するつもりも全く無い。臨時に設けられた第三ディスプレイの中では、そんなミランダが口頭で59号機へ命令を行っている様子が確認出来る。
『良いかい、予定通りにやればいい――ポッド、射出』
『イエス、メム――射出』
フローラがトリガーを引くのと、ミランダの命令は全く同時に行われた。機体内部だけに伝わる軽い破裂音を立てて、両機からカメラ・ポッドが射出された。
『フォーチュン管制――こちら24号機、並びに59号機。つい今し方、ポッドの射出を行った。以後の管制は一任する。こちらは予定通り、周囲の警戒、並びに当24号機はD.A.C.T(Different-Air-Craft-Training=異機種間戦闘訓練)の用意を行う』
フォーチュンの第二艦橋へと直接繋がる回線を淀みなく選択して、24号機――サラマンダ。
『了解しました――後詰めをお願いします』
通常の五割り増し、緊張を漂わせたシャルロッテ・グルーミングの声。
『おうよっ――それじゃ、ミラン着いといで』
フローラ、ワイヴァーンのエンジン出力をアイドルからクルーズへと持ち上げる。両の推進器、各『ラピッド・ヒーロー』が頼もしい振動を伝えてくる。この振動がフローラはたまらなく好きだ。
『ヤー』
戻ってきたミランダの声を受け、フローラはスロットルを解放する。5G加速。まあ、緩やかな機動である――彼女にとっては、と強調しておく。
「むう――」
全身にのし掛かってくるGが、微妙な快感。続くミランダの59号機『ロータス』は、こちらも負けじと5Gを達成しているらしく、両機の間隔は、ほとんど変わっていない。やるな、ミランダ――と、ちょっとばかりライバル心を抱き始めている今日この頃のフローラさんなのであった。各種射撃技能はまだまだであったが、機動技能に関しては進歩が顕著な愛弟子である。各種データを手渡しされたクリストファ・アレンが唸り、舌を巻いたほど――と言えば、より伝わりやすいかと思う。
――しかし、DACT(ダクト)とはね
未だに弛むことのないGを浴びながら、フローラはそんな言葉の意味を考えている。異機種間戦闘訓練――ワイヴァーンとライト=ブリンガは確かに、『異なった』機体同士ではあるんだが。曲がりなりにもこちらは飛行機、片やは人型ロボットときたもんだ。恐らく、こんな形でこの言葉、単語が使われる日が人類に訪れるだなんて、過去の誰もが思ってもみなかったのではなかろうか。
事実、彼女自身だって現実を目の当たりとして初めて、どうにか納得をしている状態なのである。もっとも彼女のみならず、その仲間、友人達にもこれは言えることかもしれぬ。
しかし、DACTとの言葉が採られているとはいえ、今回のフローラ、24号機が担う役割は『仮想敵機』と言うよりも『仮想目標』に近いものであった。ワイヴァーンの真髄であるブースター・ユニットをすら、装備していないことが正に、戦闘機動を行う予定がないことを証明しており、その代わりに、機体両舷にレドーム(レーダー・ドーム)と大型のカメラ・ユニットが装備されている。
『友軍機、急速に接近中』
そんな24号機の警報が、霧散していたフローラの精神をコックピット・シートへと強制的に呼び戻す。ワイヴァーンの管制コンピュータが友軍機の接近でありながらも警報を発した。理由は一つ。
「おいおい――」
立体レーダー・ディスプレイに目を向けてみれば、FIX-01-RLと言うキャプションが添えられたFRIENDLY(友軍機)を示す緑色の揮点がその中心――これは当然、24号機自身だ――へと抉り込むように突き進んで来ているのが確認出来る。
『フローラさん、凄い速度で飛んできてる』
59号機から、弾んだ声が届いた。何が、と聞く必要は無い。事前のシミュレーションでその加速性能、その他機動性の異常な高さは知るところとなっていたが――これは、異常だ。高機動ミサイル並の速度、しかしこれはまだ『彼女』の最高戦速ですら無い筈だ。
『うひー』
そんな独り言。事実、ワイヴァーンがそのご自慢のバルカン・ファランクスを雨雪崩と撃ち込んだところで、一発の命中も果たせないと言う結果がシミュレーションで弾き出されている。付け加えれば、仮に命中したところでRLを阻む無形の盾、重力波障壁を打ち破ることはかなわない。フローラ・ザクソンが空恐ろしさを覚えていた点が正に、これ。
いよいよ、それが実体験をもって証明される時が来ている。
強過ぎる力。
早過ぎる足。
硬過ぎる守り。
――キリオ、早く『アヴァント』を建造してくれ。
フローラ・ザクソンは、この期にあり、そんなことを祈っている。
頼もしさ云々。それ以前に、畏怖の念を強く認識している彼女であった。
◆ ◆ ◆
やばい。
こいつは、
本当にやばい。
四肢を拘束されている中、妙な感覚の獲得へと至っているクリストファ・アレンである。
初めてワイヴァーンに載った時。似たような感覚の存在があっただろうか?
ネガティブ。
これは全く、『異質』。
これまでの航空機、航宙機と明らかに異なった設計思想――と言うより、形態それ自体が全く異なるが――であり、運用、操縦、ありとあらゆる点で異質なものであることは当然、理解、認識していたつもりだった。が、それが所詮はシミュレーション上でのことでしかないことを半ばの強制的に思い知らされているのが、今の現実だ。獲得しているG、加速度が忠実にコックピットへと反映されていた日には、クリストファは早晩、二次元世界の住人と化していた事だろう。単体で軽く20G加速を達成する、そんなジャジャ馬が彼の愛機である『彼女』であり、今のRLight=Bringerは工房ブロックのハッチを飛び出した際にクリストファが指示した姿勢を維持したままの状態で――それこそ障害物競争だ――ワイヴァーンの巡航速度を遙かに超える高速度で突き進んでいる。風景のみならず、雑多な情報群の投写を直接、その両網膜で受けていることで、認識している情報でしか『それ』はないのだが。
ここで、視点を返す。クリストファ・アレンはそんな自機の後方へと視野を設定する。しかし、そんな特殊な動作を行うに当たって、彼は手元の操作の一切を必要としなかった。これは、それなりに積み重さねられてきたシミュレーション、訓練の成果ではあったが。
その『特殊な』彼の視野に含まれていた映像。自らの羽より、直線を描いて伸びている筋、航路?
勿論、知っている。重力波反発推進機関が、排出するエギゾースト・フレア(排気炎)であるということを、自分は知識として認識している。そこには熱量がほんの僅か。重力異常だって有りはしない。ただ、人間の肉眼ですら確認が容易な痕(あと)が残るだけ。けれど、これは――
なんだか、流血の痕みたい。
自分の末端、四肢から垂れ流される血。いや或いは引き摺られている、跡。痕。
それがクリストファの直感だ。言葉を飾る必要も、そして余裕もそこにはない。
いずれにせよ、どうやら。
自分の人生は、死期は――この機体と共にあるのだろうなぁ。
クリストファは、穏やかに。しかし深く。
そんなことを考えてしまった。
全身に光を纏い、燐光をその節々より零し。そして、光の尾を後に引きながら。
ライト=ブリンガは目的座標へ静かに、しかし豪速で向かう。
◆ ◆ ◆
ライト=ブリンガがフォーチュンを飛び出した、正に同時刻、場所はエテルナの第二衛星イザヨイ。
その玄関口であるタカマガハラ市、国立医大病院の一つ、最上階はVIPルームの控え室にて、病院着に身を包んだソフィ・ムラサメが突如として、その自らの両肩を強く寄せ締めた。その面(おもて)にはびっしりとした脂汗が浮かび上がっている。
「ソフィ、どうした?」
介添えのリンダ・フュッセルは、手にしていたバインダをほとんど投げ置くようにして、そんなソフィの隣の空間へと半ば強引に割り込んだ。
「この期に及んでさ――」
蒼白い表情。等しく血色の無い唇を、ソフィは引き剥がすように開く。
「――なんで私ったら今更、怖くなってくるんだろ」
包み込むように抱いてくれているリンダの白衣、その袖口を堅く、それは堅く握り付けながらそんなことを言ってくる。
「堕胎するわけじゃないんだろうが。罪の意識を感じる必要は無いと何回も言った」
全くの事実を、リンダはそれでも静かに説明するが、そう簡単に割り切れる問題ではないことは百も承知だ。これは今までに幾度も幾度も繰り返し行われてきた遣り取りの一つでしかなかったが、リンダとしてもこれ以上のことは言えないのが現実であった。いずれにせよ、運命――リンダはこの単語が大嫌いだったが――に立ち向かわなくてはならないのは他ならぬ本人なのだ。第三者が行えるのは、ささやかな手助けでしかない。
「なんだか、これって『何か』が変わる選択の気がしてならない――あたし、怖い」
ほとんど、涙混じりの状態で縋ってくる。艦橋に座している時の彼女とは全く、大違い。人が違っているかのように――ここ、イザヨイの総合病院は個室で斯(か)く震えているソフィ・ムラサメはただの、本当にただの、二十代女性でしかなかった。
「自分の判断を信じるんだろう!? そう言ったじゃないか」
敢えて、厳しい口調、言葉をフュッセル女史は選択した。もっともっと、根源的なところで彼女、ソフィ・ムラサメの間違い、失敗を知ってはいるし、その微妙な……『狡さ』をまで知ることとなった今にあっては、より厳しい、堅い表現の数々も脳裏に浮上したりもしたけれど、これを言葉に変換する前に飲み込むことはリンダにとっては必ずしも難しいことではなかった。彼女、ソフィ・ムラサメは大切な、それはそれは大切な友人でもある。あだや、疎かに扱える存在ではない。
「やっぱり、それでも怖い――私って最低だぁ」
そう言って、ソフィ・ムラサメは泣き崩れた。リンダ、ただ抱き締める。抱き、留める。それ以外に、彼女に出来ることはない。最後までソフィの身を案じていたキリオと別れてから半日。微妙な待ち時間の存在がまた、彼女を神経質にさせているのかもわからない。
「大丈夫大丈夫、アンタ達の子供なんだから器量は抜群に良いはずだって」
それだけは間違いなく確信しているフュッセル女史である。遺伝子検査の結果、どうやら男の子であるようだが、父と母、どちらに似てもそれは綺麗な男の子が生まれることだろう。瞳はグレー、髪の毛は多分、深宇宙を思わせるブラックになるのではないか。実に、リンダはそんなことまで考えている。
「どうだ、一つ名前だけでも先に考えておいたら」
非常な名案に思えて、リンダはソフィの背中を撫でながら。
「なまえ……」
ソフィの慟哭が少しだけ、収まる。
「そう。な・ま・え」
術式開始まで、およそ二十分と言うところ。それまで、この話題で彼女の心が少しでも楽になってくれれば良いんだが。
◆ ◆ ◆
「アバレンボーショーグン、第三次加速を達成しました」
パイロットの身体情報と並行して機体状況を確認しながら、ノエルが報告する。
「ふん――まあ、シミュ通りではあるか」
ジャスティンは第二艦橋に展開されている複数のディスプレイをそれこそ駆使して情報の確認を行っている。
「24、59宙域への到達は要20セカンド――たった今、RLの減速開始を確認」
そんなノエルのレポートを受け、ジャスティンを含むその他が、ほとんど同時に目を向けたのは、RLの全身図を示すモデル・ディスプレイであった。基本的に、RLが行った動作の全てを忠実に反映しているそんな画面にあっては、目を凝らせば各部に掛かっている慣性の表示までもが確認出来る筈だ。
「姿勢減速ではなく、通常減速であることを確認――」
ノエルの口調はあくまでも事務的だ。この彼女の発言が意味するのは一つ。減速機動において、クリストファはもっとも簡単で効率の良い反転――早い話が推進器が集中している背部面を進行方向の逆に向けること――を行わなかった、ということ。事実、モーション・ディスプレイにおいてライト=ブリンガは全くその姿勢を変えてはいない――と思われた矢先に、その両椀部、両脚部が揃った状態で前方へと流された。これまでの姿勢が障害物競走のそれであったのなら、現在の姿勢は喩えるのなら走り幅跳びの跳躍というところか。体全体を逆『く』の字として、RLはその速度を減じている。続いて、背面のGRDSユニットが本体それ自身を包み込むように変形。さすがにこのアクションを人間、人体に喩えて表現することは難しいけれど、猛禽の類が空中で制動減速を試みた際の行動に近いものがあるかもしれない。もっとも、GRDSは通常の推進器とは構造、運用も全く異なったものであるから、一概には言えないことではある。
「減速、順調なり――」
ノエル、やはり平板で報告。感情は一切が込められない。
「素晴らしい。実にエレガントだ――」
24号機と59号機によって射出されたポッドによる望遠映像に目を向けながら、ジャスティンが熱い息を漏らす。その画面の中では、光の粒子をその周囲に振り撒くようにして飛翔を続けるライト=ブリンガの姿が捉えられているのである。
「あれは雪だー、いや羽根だーって理論が割れているけど、私は『羽根』に一票を投じたいかも」
卓上のレモンティーを吸い上げ、溜息を一つ吐いた後のシャルロッテの言葉である。彼女の仕事が少しだけ暇になったこともあり、生じた余裕の現れではある。
「エギゾースト・フレア、これ自体がまだ使い道があるかも――とか空恐ろしいことを主任は言っているがね」
淡々としたジャスティンのこの言葉だったが、含まれている内容は決して軽いものではない。
「どゆこと?」
その表情を堅い物にしながら、けれど対照的な軽口で応じるシャルロッテ。第二艦橋詰め、他の人間は全身を耳にしているが作業を行う手を止めてはいない。
「少なからずの熱量が残るだろう、ただただ排気するのが勿体ないよなあ――って。もっとも、RL以前にフォーチュンのGRDS設計段階で朧気に考えてはいたらしいが」
「……なんだかんだと主任も大したモノだわね」
感慨、喜びよりも先に呆れに近い感情が自分の心を占めていくのは何故だろうか。自己分析を冷静に行ってみたいところであったが、肝心のディスプレイ上に変化が現れたため、思考は中断される。
「RL、並びに24号機の合流完了――」
シャルロッテは、端末の操作を再開する。
◆ ◆ ◆
『やあ、実物同士では初めてお目に掛かる。こんにちは、24号機』
両の腰元にそれぞれの肘を当て、両の拳を突き出しているという、さながら中国拳法の『構え』の姿勢で停止しているライト=ブリンガのパイロットから放たれた第一声がこれであった。現時点では電波攪乱、ジャミングが行われていないため、これは全く通常の通信波によるものであった。
「こちらこそ、初めまして――ライト=ブリンガ」
同じ周波数帯で応答し、そしてフローラはもう一言を付け加える。
「綺麗で素敵よ、アテナ」
全くの本心。嘘、偽り、飾るところは一切が無い。その巨体で一際に目に付くのはやはり、発光している各部位ではあるのだけれど、今の『彼女』はトラクタ・ビームのテンション(張度)出力を上げているわけではないこともあって、全身それ自体が薄ぼんやりと発光しているような状態だった。ライブラリでしか見たことはないが、ホタルイカとかそっち系のような。
『お褒め頂き、感謝の極み――』
と、これはアテナの返答であった。クリストファとフローラの笑い声が回線を埋めることとなったのは当然の展開と言えば展開であろう。
『さておいて、時間も貴重。早速、予定に入りたいが』
一頻りの笑い声を収めた後、クリスの発言。
「ああ。既に59は現場(げんじょう)でスタンバってる。ポッドも全て、放出済み」
『Excellent(素晴らしい)!』
褒めるほどのことでも、そして褒められるほどのこともなく、全てが予定通りということではあったが、珍しくハイテンションとなっている彼等の司令官はそんな快哉を上げた。
『状況、開始。移動するよ――フローラさん』
『イエッサー』
ライト=ブリンガの翼、GRDSユニットが変形を開始するのと、同時。
24号機がその推進器、ラピッド・ヒーローに火を灯す。
形の全く異なる二つの機体は、全く同一の速度で並んだまま、エテルナの宇宙を駆ける。
◆ ◆ ◆
『すんません、警部補殿。自分は、昨日の睡眠が不足しているのでしょうか?』
分かる。その気持ちは物凄く理解できるぞ、ナグモ巡査。
『ぶっちゃけ、自分もまだ夢の中にいるような気がしますなー』
バルク巡査長までもがそう思うのか。やれやれ――ここでようやくリヒャルト・ゾーンは、それら通信へと返答するため、グリップ脇の通信ジョグを捻った。
「すまないが、これは現実である――諸君」
冷静な声が出せたことに関しては心から安心しながら、エテルナ航宙警察特務071大隊の隊長であるゾーン警部補。そんな彼の愛機、シュベルトの眼前では、正に夢――在る意味では悪夢――としか思えない光景が展開されているのである。
『……アレって『ヒト』は乗っているんですかねー』
相も変わらず、心ここにあらずと言った声で即座に応じてきたのはルーキーのナグモ・イドリス巡査である。まあ、無理もないが。実際、隊長であるゾーンは、そんな彼等に叱責を飛ばす気にも至らない。至れない。
そもそも、フォーチュンから勢いよく飛び出してきたワイヴァーンの二機が、カメラポッドと思われるユニットを無数に射出した後、白い方――59と言う数字は事前に知らされてはいた――の機体が何を始めるかと思いきや、要所要所へとブイのようなものをバラ撒き始めたのが始まりだった。『前例の無い新型機』の機動試験を行うに当たり、その警護或いは監視という命令を受けはしていたので、その段階では特に、驚愕に足るようなことはなかったのだが。
果たして今、彼等の目の前では。謎の人型が縦横無尽に飛び回っているのであった。
どうやら、『上』の方は事情を察している気配があったが、現場組の自分達に与えられた情報は哀しすぎるぐらいに少なかったのである。
「やれやれ――」
『模擬交戦』の類を行っているのだろう、と言う推測は付く。ワイヴァーンの赤い機体と、それこそ組んず解れつの状態を続けたかと思いきや、互いの距離を取ってからのレーザー・シグナルの応酬等を繰り返し行っているとなれば、それ以外には考えられないだろう。
そんな二機の機体を、見守るようにして白いワイヴァーンが距離を置いているが、これは恐らく情報収集を行っているのだろう。前回に確認した二人乗りのワイヴァーンには確認出来なかったレドームの存在が目立つ物となっていることもある。
……しかしなんだ、あの巫山戯(ふざけ)た機体は。あんなに全身を光らせていたら、三秒で蜂の巣となってしまうのではないか。目立つことこの上無いし、更に付け加えれば――『人型』等という宇宙空間に於いては全く不適切な形状の所有へと至っていることに関しては、その設計者を説教してやりたい位だ。問い詰めたい。
「なんだかなあ……」
呟いてしまってから、部下達への通信が閉じられていることに気付き、胸を撫で下ろす。今一度、各種センサーカメラが記録を行っていることを確認し、いよいよリヒャルトは深く深く溜息を吐く。
◆ ◆ ◆
『お疲れ、フローラさん――RLは続いて、高機動試験に入る。休んでくれ』
近接戦闘、並びに中距離戦闘の模擬をそれぞれ四回ずつ行った。しかし、クリストファの声は全く、平素のそれであった。それ以上でも、それ以下でもない。
「――お、おう」
どうにか答えることは出来たが、24号機のパイロットの状態は半死半生もいいところだった。異常を認識しているパイロット・スーツが酸素濃度を調節してくれているが、荒い呼吸がなかなか止まらない。そして、フローラ・ザクソンは実のところ、嘔吐寸前の状態でもある。おえ。
『フォーチュンへ帰艦しても構わないですからね』
24号機の真正面で滞空しているライト=ブリンガの右腕が、フォーチュンの方角を示す。さながら目深にサングラスの着用を行っている女性とも思えるそんなRLの『顔』に、『表情』の存在を感じてしまい、苦しい状態ではあったがフローラはその口の端を緩めてしまう。これは喩えを捻るまでもなく、大きめの兜を装備した戦女神『アテナ』そのもの。ライト=ブリンガという機体に於けるオペレーティング・システムの名称でこれはあるけれど、意外と設計者はこの外観と、何よりもその顔で命名を行ったのではないか、等と想像してみる。もっとも、ケルト神話に造詣が深い私、フローラとしては戦乙女の『ヴァルキリ』も捨てがたいが。
「まあ、もうちょっとは大丈夫。RLは予定通り、残りの予定を消化してくれ――ミラン、各レーダーソナー諸々に異常はないな?」
前述の透り、24号機の機上から59号機の状況を確認することは可能だ。しかし、この発言は今のフローラにそこまでの気力体力が残されていないことを暗に示している。
『異常ありません。全て、正常に作動中です――フローラさんは少しお休みになって下さい』
「アイヨー」
愛弟子に気を遣わせてしまった点に関しては少なからず、情けなさを覚えないでもないが。お言葉に甘えて、フローラは各シートベルトに弛緩命令を行わせてもらった。シートに縛り付けられていた体が少しだけ、自由になる。
『ようし。59号機、ちゃあんと記録するように――これから、各種運動機能の実検証に移るからな』
その眼前に指を一本立てて、ライト=ブリンガは小首を傾げてくる。全く、いつもどおりのクリストファの動作、癖であり、ミランダもフローラも思わず体を竦めてしまったものだった。
◆ ◆ ◆
『うおりゃあああああああああッ!!』
その機体質量、凝縮された重力波フィールド、そして更に急加速で獲得したばかりの慣性力を一点に込め、ライト=ブリンガの左腕が突き落とされる。展開されていた二機のブイの中間地点に設定された形の無い幻影、ホログラム、それが正にその『一点』。激しい閃光がその周囲を満たす。
『……はい、オッケでーす』
慣れ親しんだシャルロッテの声を右鼓膜へ受けながら、クリストファはゆっくりと息を呑んだ。続いて、機体全体に逆速を入れさせる。実にそのインパクトの一瞬を達成するだけで、RLは該当のブイより遙か遠方にまで流れてしまっていたのである。
「ふうううううううっ」
今のアクションはさすがに厳しかった。どうやら、相殺しきれなかった慣性の存在があったらしい。目の前に薄い靄(もや)が掛かり、これがなかなか抜けてくれない。実の所、これはクリストファにとって赤面に値するものだった。肉体改造を念入りに再度、行う必要があるかもしれない。
『データ獲得、成功。続いて、妖刀ムラサメの試験に移行します』
なかなか情け容赦のない注文だが、これは正に望むところでもある。実際の戦闘となるとこんなものでは済まないだろうから。クリストファは上唇を大きく舐め、荒れる息を整える。
「了解した――ムラサメ抜刀用意!」
最後の命令は自らの機体、アテナに命じたものだ。コックピットパネルの前面に『MURASAME / Release』とのキャプションが点灯した。右脇に装着されているそんなムラサメの鞘のロックが解除されたことを示している物である。状況、フリー。
クリストファは慎重に、自分の右脇へと左手を運んでいく。オートではなく、マニュアルによる試みであった。全く同じ動きでRLの左手がやはり、右脇へと流れて行っていることは述べるまでもないだろう。しかし。
かつん。
乾いた音と、軽い振動がコックピットを揺らした。警告音に次いで、冷静なアテナの報告が続けられた。
『左マニュピュレイタ、腰部装甲板B4に接触――実害はありません』
失敗した。実剣ムラサメの柄へと辿り着く前に、その指先が機体に触れてしまったのだ。けれど、クリストファはその動きを止めることはしない。ゆっくりと、更に滑らせる。アラームが一つ、二つ。もっともこれは警告を示すものではなく、『目的地』への距離を伝えるためのものだ。次第に、そんなアラームが細かく鳴り響くようになり――やがて、途切れることがなくなった。クリストファは、そこで左手を握り込む。正面画面に【MURASAME / pre-EQUIP】。そう。これでは、ただ物理的に『握った』だけ。
『ホールド完了』
アテナが事務的に報告する。
「うし――」
いよいよ、クリストファはムラサメを抜き放った。その長い白刃が高々と掲げられる。
『ロック実行します――』
「Yes」
許可を下すと同時に、キャプションが変化。【full-EQUIP】。今や、ムラサメは完全に装備された。
「ようし、『試し斬り』を始めんぞ」
ライト=ブリンガがその頭上に掲げていた刀身をゆっくりと下ろす。正面へ向ける。手首での角度修正を二度三度と行い、今一度――今度は左肩に刀身を預ける形で振りかぶった。全く同時に、機体各所の姿勢制御ノズルが自動噴射。結果的に、ライト=ブリンガは大地を大きく踏み締め、力を溜めている体勢となった。その自由な右手はやはり大きく開かれ、その足元へ向けられている。これは、実際にクリストファがその艦内で幾度と無く、繰り返し行ってきた『型(かた)』であった。対象を、正にその直上から叩き割ると言うコンセプトが、一番彼の性(しょう)に合致していたと言う事もあり――ソフィに言わせると『やや下品』らしいが――今回のムラサメ運用においては最初からこの型で行うことを決めていたのである。専門用語ではどうやら、『兜割り』とも呼ぶらしいが、全くの素人であるクリストファには関係のないことでもあった。
『対象は先刻と同じです。情報収集に抜かりなし。お好きなタイミングで、どうぞ』
声が弾むのを隠しきれず、シャリーが言う。
「オーライ」
先のブイの座標は当然、ロックオン済み。クリストファは、愛機にその体勢を維持させたままで、一気に跳躍を行った。もっとも、宇宙空間であるから蹴り付けるべき大地、地面の存在はなかったが。たちまち、ブイが近付いてくる。いや、ほとんど素っ飛んでくる勢いだ。勿論、素っ飛んでいるのは対象ではない。
「Shaaaaaaaaaaaaaaa――」
自分でも由来の良く分からない掛け声を立て、クリストファはその左腕を振り下ろした。彼はその直前に上半身、下半身をそれぞれ捻り立てており、それを解放しながら――つまり、人間が刀を振る時と寸分違わないアクション・フローを機体に与えている。
轟。
と、大気の存在の在る地上にあっては轟き響いた筈だ。刀身の先端の速度は軽く音速を凌駕しているし、この一撃の前では『斬撃』という言葉すら色を失うであろう。勿論、ここは大気の存在が許されない無粋な宇宙空間でしかないので、音の一切は存在も、発生も無いけれど。
機体各部がこれまでになく強い光で満たされているという現実は、その全身を巡るトラクター・ビームの張度が非常に高いものとなっていることを示しているものだ。半月の弧を全く正確に描き、白刃が奔(はし)る。
文字通り、ライト=ブリンガ渾身の『一振り』。
その剣筋はやはり正確にブイの中間――何も無い空間を斬り裂いた。最高の一撃を加えた直後にクリストファは機体に下降のベクトルを加えているので、キロメートルにして数十を数えた時点まで瞬時に移動、補いきれなかった慣性を受けて機体重心を軸に、幾回転。
「Yah! これぞ『かいしんのいちげき』!!」
先程の『ライト=ブリンガ(うりゃうりゃ)パンチ』の比ではない。圧倒的、空前の破壊効率が達成できたことを確信して、クリストファが快哉を上げた。
……いやはや、実際に艦橋組が、それぞれの顔に縦線を密に引かれるぐらいの、これは数値が弾き出されたのだが。
回転を続ける機体の中で、クリストファは無邪気に。それは無邪気に、無垢に。
両の腕を突き上げて、快哉を立て続けるのだった。
同じポーズ、姿勢をライト=ブリンガが作っているのは、当然の話。
◆ ◆ ◆
「ねえスコットさん、父さんの話、聞かせて欲しいんだけど……」
航空母艦、【モデレーション】はガン・ルームで好みのバーボンを傾けていたスコット・ロードマンは、咽せる。飲酒を嗜んでいたとは言え、その後背に人の気配を全く感じることが全くなかったからだ。驚かさないでくれよ、セニョリータ。
「ごめん、驚かせるつもりは、なかったんだけど――」
淡い銀髪を踊らせるようにして、彼女、クリスティナは深々と頭を下げる。
「ごほっ……いや、こちらこそ驚くつもりはなかったんだが」
口元を拭いながら、ロードマン。実は、言い訳になっていない。
「キリオおじさんも今は此処にいないし、話を聞けるのがスコットさんしかいないんだ……」
自らの酔いが蒸発していく。そんな、感覚は久し振りのことだ。ロードマンは、自分のショット・グラスの縁を右手親指で撫でてみる。良い音。
「ティナ、幾つになったんだっけ?」
ちょっと思い返せば、その回答は自ずと出てくるはずだったけれど、スコット・ロードマンは敢えて言葉にするのだった。
「まだお酒が飲める年齢じゃないよ」
口元に手を当てて、クリスティナが婉曲な返答を寄越す。
「そんな君の親父は、十代から飲酒を行っていたがネ――」
半ば――いや、ほとんど彼の娘なのだ、彼女は。スコットは意地の悪い挑発を行って見せた。
「そうなの!?」
どん、とカウンターに腕を乗せながらクリスティナ。
「まあ、そう言う時代だったってことさね……まあ、良いさ。俺が話せる範囲の昔話だったら、話してやるよ――まあ、一杯呑んでみろ。大人の味だ」
そう言って、スコットはカウンターに備えられていたタンブラーを、一つ手に取った。ロック・アイスを詰め込み、自前のバーボンをほんの少し。そして、大量の水で割ってみる。
「――う」
ずい、と差し出された一杯を目の前にしてクリスティナは、渋面。
「そんぐらいの謀反気はあってもいいんじゃないか。俺だって、そうやってきたし……それは、クリストファも同じだ」
「そうなんだ」
そう言って、ティナはグラスをゆっくりと持ち上げ、小鳥が水を飲むようにちびちびと唇を濡らす。
「ま、最初のお酒は大切にな」
そう言って、自分は半分ほど残されていたストレートを一気に喉元へと流し込む。
「そう言う飲み方、体に良くないよ」
「るせい」
悪態を返しながらも、脂(やに)下がる顔を引き締められないスコット・ロードマン。
さてさて、娘に飲酒を強要するとは、とんだ不良親父だ。沢山の『おかーさん』に知られたら、ボコボコにされるに違いあるまい。まあ、たまにはいいだろうさ、それも。
「そうだなあ……どっから話すかなあ――」
ぎい、と座席に負担を掛けさせるような伸び。どこか、遠いところを見ているようなスコットの両目。
「父さんと、スコットさんが出逢ってから。そこからが良いな」
「……今までも大分、話したろうが」
これは、真剣にスコット。けれど。
「だって、いっつも酔い潰れて、フォーチュンの第一次リーヌ突破で話が終わっちゃうんだもん」
「ははは……そうだったか……」
手繰り寄せたバーボンの瓶を押し戻す。どうやら、今夜は酔い潰れる訳にはいかないらしい。
ライト=エンフォーサ。彼の娘、クリスティナ・ローゼンベルクの愛機がそれだ。ユキト・ムラサメのストライカ、そしてXIIIこと、ルシファ――こっちは未知数だが――が揃って、ようやく相対せるだろうか、って話。ライトニング、それ自体の数はそこそこが用意されているらしいけれど。
「まずな、お前の親父はな」
チン、とグラスの縁を弾く。
「そりゃあ、良い男だったさ――」
刻々と表示を変えていく計器表示を確認しながら、ノエル。
「ようし、RL『発進』せよ!」
組み続けた腕を解除し、インカムのマイクを力強く握り締めてジャスティンが熱い叫びをあげる。額に珠のように浮かんでいる汗が、彼の精神的負担を暗に示しているのだろう。
『心得た――RL、離艦する』
クリストファ・アレンの淡々とした返答と同時に、いよいよライト=ブリンガの背面、GRDSユニットが変形を開始する。格納形態から、正に機動形態への移行。三重に折り畳まれていた本体が緩やかに展開されていく。さながらの『天使の翼』、或いは『悪魔の羽』は、実にその全てが展開された状態ではRL本体の全長を軽く凌駕する。続き、GRDS、重力波反発推進機の証明に他ならない蒼白いエギゾースト・フレア(排気炎)がまるで淡雪のようにその周囲へとゆっくりと拡散、霧散していく。人によっては或いは、持ち合わせる詩情や心情、感情諸々の演出の作用が手伝って、より秀逸、秀麗な表現を織りなすことだろう。例えば、この時。第一艦橋にコーヒーのデリバリ(配達)に赴いていたマノア・ルヴァトワ等は偶然、目にしたそんなRLの映像に対して『舞い散る天使の羽、その鱗粉』と言う表現を献上していることが記録に残されている。
『GRDS、展開完了――ハッチへの移動開始』
都合、背面に四枚の翼を展開したライト=ブリンガがゆっくりとその身を屈め込む。そんな状態を維持したまま、工房ブロック床面より数十センチの浮揚を獲得。解除展開されたばかりの工房ブロックはメイン・ハッチへと滑るような移動を開始する。
『オーライ、オーライ――』
ハッチ脇のクレーン上で指示灯を前後へ揺らしているのは、パク・ヒョンヒ。彼女を含めて、気密服を着込んだ数人も又、その中で尋常ではない汗を流している。述べるまでもなく、気密服の内部は完全な温度調節が施されているのだが。
『ご苦労!』
オールレンジの周波数帯で、クリストファが労(ねぎら)いの言葉を投げ、ほぼ同時に、ライト=ブリンガが二段階の宇宙軍式敬礼を行った。全く、それは流れるような有機的、生物的、肉感的な動作であり、機械、マシンが行っている動作としては不自然過ぎるものに感じられるが、これは、ある意味ではライト=ブリンガと言う機体の異常性、その一端を観察者へ与え示している事象にしか過ぎない。あくまでも一端でしか、これはないのだ。
『とととっと』
しかし、そんな敬礼を作った結果、RLは軸バランスを崩す。質量のある右腕を無重力条件下で振り翳したわけだから、これは当然のお話だ。揺るぎのない、厳格な宇宙の摂理はRLとは言え、容赦しない。都合、その進行軸を中心に緩やかな右回転を始めることになった。
『フン』
コックピットのクリストファは自らの右脇腹を締めるのと同時に、右スティックの第三トリガーを絞る。これを受け、アテナは――RLは腰部に備えられた姿勢制御用ノズルを噴射、慣性を相殺。
『はい、オッケーでーす。あんまり、無茶せんようにしてくださいまし』
指示灯を振る速度は変えず、ヒョンヒが笑い声が半分だけ混じったような通信を放ってきた。
『あいよー』
パイロットがそう答え、実際にハッチを潜り抜けて宇宙空間に出て行くそんな間際。
『ピース』
ライト=ブリンガの左手、細い指がVサインを構成した。
『――』
クレーンの柵にその上半身を垂(しだ)れ掛けたヒョンヒや、計器片手に工房ブロック内を漂っていた幾名かが仰け反って回転している中――厳密に言えば、肝の据わったリョウ・ターミナだけが仁王立ちの無言でVサインを戻していたが。
『ふんふふーん♪ ふふーふふんー♪ ふーふーふーふふーん♪』
鼻歌を口ずさみながら――当然、オールレンジ発信だ――RLはハッチを抜けていく。
屈められた左膝に対し、その細い右脚がゆっくりと前方に伸ばされる。さながら、ハードルを越えるような体制でライト=ブリンガが流れた、その先。
もう、そこは宇宙そのものだった。
ちなみに、この時クリストファの鼻歌の正体に気付いたのは、現場工房ブロックではリョウ一人。以下、第二艦橋では若干名。
「つうか……良いセンスしているじゃねえか」
こめかみを細かく引き攣らせながら、ジャスティンが声を絞り出す。全く、こっちがこれだけ緊張しているってのに。
「――最近、暇があれば映写室に籠もっていたみたいですからねぇ」
口を半開き、虚ろな眼差し、けれど手元は留守になっていないシャリーが続く。
そんな悪態を吐きながらも、その司令官が意図しているところは見えるし、理解している。遊び心だってそりゃあ介在しているだろうけれど、こちら側が抱えている緊張感の緩和、それが彼の望みである筈だ。
「やれやれ」
ジャスティンは人知れず、口の端を持ち上げて、シャルロッテに新たな命令を行った。
「24と59に入れる報告に追加。良いか、内容はな――」
◆ ◆ ◆
『RLの離床を確認した、とシャリーさんから報告がありました――追伸、以下のRLのコール・サインは『アバレンボーショーグン』――って、なんですかね、コレ』
24号機に跨ったフローラ・ザクソンの元へ、愛弟子からの報告が上げられた。格納庫、即ち工房ブロック内での出来事を彼等は知らないのであって、ミランダの語尾が微妙な窄(すぼ)み方となってしまったのも無理はない。
『フン、大方我等が総司令殿が何かしでかしたんだろうさ――さておいてミラン、カメラポッド射出準備』
実は的中している推理を簡潔に並べつつ、フローラの右手はワイヴァーンのスティックの操作を行っている。口頭での機体命令が、実は彼女はあまり好きではないのだが、勿論、そんな個人的な主義主張を他人に、弟子に強制するつもりも全く無い。臨時に設けられた第三ディスプレイの中では、そんなミランダが口頭で59号機へ命令を行っている様子が確認出来る。
『良いかい、予定通りにやればいい――ポッド、射出』
『イエス、メム――射出』
フローラがトリガーを引くのと、ミランダの命令は全く同時に行われた。機体内部だけに伝わる軽い破裂音を立てて、両機からカメラ・ポッドが射出された。
『フォーチュン管制――こちら24号機、並びに59号機。つい今し方、ポッドの射出を行った。以後の管制は一任する。こちらは予定通り、周囲の警戒、並びに当24号機はD.A.C.T(Different-Air-Craft-Training=異機種間戦闘訓練)の用意を行う』
フォーチュンの第二艦橋へと直接繋がる回線を淀みなく選択して、24号機――サラマンダ。
『了解しました――後詰めをお願いします』
通常の五割り増し、緊張を漂わせたシャルロッテ・グルーミングの声。
『おうよっ――それじゃ、ミラン着いといで』
フローラ、ワイヴァーンのエンジン出力をアイドルからクルーズへと持ち上げる。両の推進器、各『ラピッド・ヒーロー』が頼もしい振動を伝えてくる。この振動がフローラはたまらなく好きだ。
『ヤー』
戻ってきたミランダの声を受け、フローラはスロットルを解放する。5G加速。まあ、緩やかな機動である――彼女にとっては、と強調しておく。
「むう――」
全身にのし掛かってくるGが、微妙な快感。続くミランダの59号機『ロータス』は、こちらも負けじと5Gを達成しているらしく、両機の間隔は、ほとんど変わっていない。やるな、ミランダ――と、ちょっとばかりライバル心を抱き始めている今日この頃のフローラさんなのであった。各種射撃技能はまだまだであったが、機動技能に関しては進歩が顕著な愛弟子である。各種データを手渡しされたクリストファ・アレンが唸り、舌を巻いたほど――と言えば、より伝わりやすいかと思う。
――しかし、DACT(ダクト)とはね
未だに弛むことのないGを浴びながら、フローラはそんな言葉の意味を考えている。異機種間戦闘訓練――ワイヴァーンとライト=ブリンガは確かに、『異なった』機体同士ではあるんだが。曲がりなりにもこちらは飛行機、片やは人型ロボットときたもんだ。恐らく、こんな形でこの言葉、単語が使われる日が人類に訪れるだなんて、過去の誰もが思ってもみなかったのではなかろうか。
事実、彼女自身だって現実を目の当たりとして初めて、どうにか納得をしている状態なのである。もっとも彼女のみならず、その仲間、友人達にもこれは言えることかもしれぬ。
しかし、DACTとの言葉が採られているとはいえ、今回のフローラ、24号機が担う役割は『仮想敵機』と言うよりも『仮想目標』に近いものであった。ワイヴァーンの真髄であるブースター・ユニットをすら、装備していないことが正に、戦闘機動を行う予定がないことを証明しており、その代わりに、機体両舷にレドーム(レーダー・ドーム)と大型のカメラ・ユニットが装備されている。
『友軍機、急速に接近中』
そんな24号機の警報が、霧散していたフローラの精神をコックピット・シートへと強制的に呼び戻す。ワイヴァーンの管制コンピュータが友軍機の接近でありながらも警報を発した。理由は一つ。
「おいおい――」
立体レーダー・ディスプレイに目を向けてみれば、FIX-01-RLと言うキャプションが添えられたFRIENDLY(友軍機)を示す緑色の揮点がその中心――これは当然、24号機自身だ――へと抉り込むように突き進んで来ているのが確認出来る。
『フローラさん、凄い速度で飛んできてる』
59号機から、弾んだ声が届いた。何が、と聞く必要は無い。事前のシミュレーションでその加速性能、その他機動性の異常な高さは知るところとなっていたが――これは、異常だ。高機動ミサイル並の速度、しかしこれはまだ『彼女』の最高戦速ですら無い筈だ。
『うひー』
そんな独り言。事実、ワイヴァーンがそのご自慢のバルカン・ファランクスを雨雪崩と撃ち込んだところで、一発の命中も果たせないと言う結果がシミュレーションで弾き出されている。付け加えれば、仮に命中したところでRLを阻む無形の盾、重力波障壁を打ち破ることはかなわない。フローラ・ザクソンが空恐ろしさを覚えていた点が正に、これ。
いよいよ、それが実体験をもって証明される時が来ている。
強過ぎる力。
早過ぎる足。
硬過ぎる守り。
――キリオ、早く『アヴァント』を建造してくれ。
フローラ・ザクソンは、この期にあり、そんなことを祈っている。
頼もしさ云々。それ以前に、畏怖の念を強く認識している彼女であった。
◆ ◆ ◆
やばい。
こいつは、
本当にやばい。
四肢を拘束されている中、妙な感覚の獲得へと至っているクリストファ・アレンである。
初めてワイヴァーンに載った時。似たような感覚の存在があっただろうか?
ネガティブ。
これは全く、『異質』。
これまでの航空機、航宙機と明らかに異なった設計思想――と言うより、形態それ自体が全く異なるが――であり、運用、操縦、ありとあらゆる点で異質なものであることは当然、理解、認識していたつもりだった。が、それが所詮はシミュレーション上でのことでしかないことを半ばの強制的に思い知らされているのが、今の現実だ。獲得しているG、加速度が忠実にコックピットへと反映されていた日には、クリストファは早晩、二次元世界の住人と化していた事だろう。単体で軽く20G加速を達成する、そんなジャジャ馬が彼の愛機である『彼女』であり、今のRLight=Bringerは工房ブロックのハッチを飛び出した際にクリストファが指示した姿勢を維持したままの状態で――それこそ障害物競争だ――ワイヴァーンの巡航速度を遙かに超える高速度で突き進んでいる。風景のみならず、雑多な情報群の投写を直接、その両網膜で受けていることで、認識している情報でしか『それ』はないのだが。
ここで、視点を返す。クリストファ・アレンはそんな自機の後方へと視野を設定する。しかし、そんな特殊な動作を行うに当たって、彼は手元の操作の一切を必要としなかった。これは、それなりに積み重さねられてきたシミュレーション、訓練の成果ではあったが。
その『特殊な』彼の視野に含まれていた映像。自らの羽より、直線を描いて伸びている筋、航路?
勿論、知っている。重力波反発推進機関が、排出するエギゾースト・フレア(排気炎)であるということを、自分は知識として認識している。そこには熱量がほんの僅か。重力異常だって有りはしない。ただ、人間の肉眼ですら確認が容易な痕(あと)が残るだけ。けれど、これは――
なんだか、流血の痕みたい。
自分の末端、四肢から垂れ流される血。いや或いは引き摺られている、跡。痕。
それがクリストファの直感だ。言葉を飾る必要も、そして余裕もそこにはない。
いずれにせよ、どうやら。
自分の人生は、死期は――この機体と共にあるのだろうなぁ。
クリストファは、穏やかに。しかし深く。
そんなことを考えてしまった。
全身に光を纏い、燐光をその節々より零し。そして、光の尾を後に引きながら。
ライト=ブリンガは目的座標へ静かに、しかし豪速で向かう。
◆ ◆ ◆
ライト=ブリンガがフォーチュンを飛び出した、正に同時刻、場所はエテルナの第二衛星イザヨイ。
その玄関口であるタカマガハラ市、国立医大病院の一つ、最上階はVIPルームの控え室にて、病院着に身を包んだソフィ・ムラサメが突如として、その自らの両肩を強く寄せ締めた。その面(おもて)にはびっしりとした脂汗が浮かび上がっている。
「ソフィ、どうした?」
介添えのリンダ・フュッセルは、手にしていたバインダをほとんど投げ置くようにして、そんなソフィの隣の空間へと半ば強引に割り込んだ。
「この期に及んでさ――」
蒼白い表情。等しく血色の無い唇を、ソフィは引き剥がすように開く。
「――なんで私ったら今更、怖くなってくるんだろ」
包み込むように抱いてくれているリンダの白衣、その袖口を堅く、それは堅く握り付けながらそんなことを言ってくる。
「堕胎するわけじゃないんだろうが。罪の意識を感じる必要は無いと何回も言った」
全くの事実を、リンダはそれでも静かに説明するが、そう簡単に割り切れる問題ではないことは百も承知だ。これは今までに幾度も幾度も繰り返し行われてきた遣り取りの一つでしかなかったが、リンダとしてもこれ以上のことは言えないのが現実であった。いずれにせよ、運命――リンダはこの単語が大嫌いだったが――に立ち向かわなくてはならないのは他ならぬ本人なのだ。第三者が行えるのは、ささやかな手助けでしかない。
「なんだか、これって『何か』が変わる選択の気がしてならない――あたし、怖い」
ほとんど、涙混じりの状態で縋ってくる。艦橋に座している時の彼女とは全く、大違い。人が違っているかのように――ここ、イザヨイの総合病院は個室で斯(か)く震えているソフィ・ムラサメはただの、本当にただの、二十代女性でしかなかった。
「自分の判断を信じるんだろう!? そう言ったじゃないか」
敢えて、厳しい口調、言葉をフュッセル女史は選択した。もっともっと、根源的なところで彼女、ソフィ・ムラサメの間違い、失敗を知ってはいるし、その微妙な……『狡さ』をまで知ることとなった今にあっては、より厳しい、堅い表現の数々も脳裏に浮上したりもしたけれど、これを言葉に変換する前に飲み込むことはリンダにとっては必ずしも難しいことではなかった。彼女、ソフィ・ムラサメは大切な、それはそれは大切な友人でもある。あだや、疎かに扱える存在ではない。
「やっぱり、それでも怖い――私って最低だぁ」
そう言って、ソフィ・ムラサメは泣き崩れた。リンダ、ただ抱き締める。抱き、留める。それ以外に、彼女に出来ることはない。最後までソフィの身を案じていたキリオと別れてから半日。微妙な待ち時間の存在がまた、彼女を神経質にさせているのかもわからない。
「大丈夫大丈夫、アンタ達の子供なんだから器量は抜群に良いはずだって」
それだけは間違いなく確信しているフュッセル女史である。遺伝子検査の結果、どうやら男の子であるようだが、父と母、どちらに似てもそれは綺麗な男の子が生まれることだろう。瞳はグレー、髪の毛は多分、深宇宙を思わせるブラックになるのではないか。実に、リンダはそんなことまで考えている。
「どうだ、一つ名前だけでも先に考えておいたら」
非常な名案に思えて、リンダはソフィの背中を撫でながら。
「なまえ……」
ソフィの慟哭が少しだけ、収まる。
「そう。な・ま・え」
術式開始まで、およそ二十分と言うところ。それまで、この話題で彼女の心が少しでも楽になってくれれば良いんだが。
◆ ◆ ◆
「アバレンボーショーグン、第三次加速を達成しました」
パイロットの身体情報と並行して機体状況を確認しながら、ノエルが報告する。
「ふん――まあ、シミュ通りではあるか」
ジャスティンは第二艦橋に展開されている複数のディスプレイをそれこそ駆使して情報の確認を行っている。
「24、59宙域への到達は要20セカンド――たった今、RLの減速開始を確認」
そんなノエルのレポートを受け、ジャスティンを含むその他が、ほとんど同時に目を向けたのは、RLの全身図を示すモデル・ディスプレイであった。基本的に、RLが行った動作の全てを忠実に反映しているそんな画面にあっては、目を凝らせば各部に掛かっている慣性の表示までもが確認出来る筈だ。
「姿勢減速ではなく、通常減速であることを確認――」
ノエルの口調はあくまでも事務的だ。この彼女の発言が意味するのは一つ。減速機動において、クリストファはもっとも簡単で効率の良い反転――早い話が推進器が集中している背部面を進行方向の逆に向けること――を行わなかった、ということ。事実、モーション・ディスプレイにおいてライト=ブリンガは全くその姿勢を変えてはいない――と思われた矢先に、その両椀部、両脚部が揃った状態で前方へと流された。これまでの姿勢が障害物競走のそれであったのなら、現在の姿勢は喩えるのなら走り幅跳びの跳躍というところか。体全体を逆『く』の字として、RLはその速度を減じている。続いて、背面のGRDSユニットが本体それ自身を包み込むように変形。さすがにこのアクションを人間、人体に喩えて表現することは難しいけれど、猛禽の類が空中で制動減速を試みた際の行動に近いものがあるかもしれない。もっとも、GRDSは通常の推進器とは構造、運用も全く異なったものであるから、一概には言えないことではある。
「減速、順調なり――」
ノエル、やはり平板で報告。感情は一切が込められない。
「素晴らしい。実にエレガントだ――」
24号機と59号機によって射出されたポッドによる望遠映像に目を向けながら、ジャスティンが熱い息を漏らす。その画面の中では、光の粒子をその周囲に振り撒くようにして飛翔を続けるライト=ブリンガの姿が捉えられているのである。
「あれは雪だー、いや羽根だーって理論が割れているけど、私は『羽根』に一票を投じたいかも」
卓上のレモンティーを吸い上げ、溜息を一つ吐いた後のシャルロッテの言葉である。彼女の仕事が少しだけ暇になったこともあり、生じた余裕の現れではある。
「エギゾースト・フレア、これ自体がまだ使い道があるかも――とか空恐ろしいことを主任は言っているがね」
淡々としたジャスティンのこの言葉だったが、含まれている内容は決して軽いものではない。
「どゆこと?」
その表情を堅い物にしながら、けれど対照的な軽口で応じるシャルロッテ。第二艦橋詰め、他の人間は全身を耳にしているが作業を行う手を止めてはいない。
「少なからずの熱量が残るだろう、ただただ排気するのが勿体ないよなあ――って。もっとも、RL以前にフォーチュンのGRDS設計段階で朧気に考えてはいたらしいが」
「……なんだかんだと主任も大したモノだわね」
感慨、喜びよりも先に呆れに近い感情が自分の心を占めていくのは何故だろうか。自己分析を冷静に行ってみたいところであったが、肝心のディスプレイ上に変化が現れたため、思考は中断される。
「RL、並びに24号機の合流完了――」
シャルロッテは、端末の操作を再開する。
◆ ◆ ◆
『やあ、実物同士では初めてお目に掛かる。こんにちは、24号機』
両の腰元にそれぞれの肘を当て、両の拳を突き出しているという、さながら中国拳法の『構え』の姿勢で停止しているライト=ブリンガのパイロットから放たれた第一声がこれであった。現時点では電波攪乱、ジャミングが行われていないため、これは全く通常の通信波によるものであった。
「こちらこそ、初めまして――ライト=ブリンガ」
同じ周波数帯で応答し、そしてフローラはもう一言を付け加える。
「綺麗で素敵よ、アテナ」
全くの本心。嘘、偽り、飾るところは一切が無い。その巨体で一際に目に付くのはやはり、発光している各部位ではあるのだけれど、今の『彼女』はトラクタ・ビームのテンション(張度)出力を上げているわけではないこともあって、全身それ自体が薄ぼんやりと発光しているような状態だった。ライブラリでしか見たことはないが、ホタルイカとかそっち系のような。
『お褒め頂き、感謝の極み――』
と、これはアテナの返答であった。クリストファとフローラの笑い声が回線を埋めることとなったのは当然の展開と言えば展開であろう。
『さておいて、時間も貴重。早速、予定に入りたいが』
一頻りの笑い声を収めた後、クリスの発言。
「ああ。既に59は現場(げんじょう)でスタンバってる。ポッドも全て、放出済み」
『Excellent(素晴らしい)!』
褒めるほどのことでも、そして褒められるほどのこともなく、全てが予定通りということではあったが、珍しくハイテンションとなっている彼等の司令官はそんな快哉を上げた。
『状況、開始。移動するよ――フローラさん』
『イエッサー』
ライト=ブリンガの翼、GRDSユニットが変形を開始するのと、同時。
24号機がその推進器、ラピッド・ヒーローに火を灯す。
形の全く異なる二つの機体は、全く同一の速度で並んだまま、エテルナの宇宙を駆ける。
◆ ◆ ◆
『すんません、警部補殿。自分は、昨日の睡眠が不足しているのでしょうか?』
分かる。その気持ちは物凄く理解できるぞ、ナグモ巡査。
『ぶっちゃけ、自分もまだ夢の中にいるような気がしますなー』
バルク巡査長までもがそう思うのか。やれやれ――ここでようやくリヒャルト・ゾーンは、それら通信へと返答するため、グリップ脇の通信ジョグを捻った。
「すまないが、これは現実である――諸君」
冷静な声が出せたことに関しては心から安心しながら、エテルナ航宙警察特務071大隊の隊長であるゾーン警部補。そんな彼の愛機、シュベルトの眼前では、正に夢――在る意味では悪夢――としか思えない光景が展開されているのである。
『……アレって『ヒト』は乗っているんですかねー』
相も変わらず、心ここにあらずと言った声で即座に応じてきたのはルーキーのナグモ・イドリス巡査である。まあ、無理もないが。実際、隊長であるゾーンは、そんな彼等に叱責を飛ばす気にも至らない。至れない。
そもそも、フォーチュンから勢いよく飛び出してきたワイヴァーンの二機が、カメラポッドと思われるユニットを無数に射出した後、白い方――59と言う数字は事前に知らされてはいた――の機体が何を始めるかと思いきや、要所要所へとブイのようなものをバラ撒き始めたのが始まりだった。『前例の無い新型機』の機動試験を行うに当たり、その警護或いは監視という命令を受けはしていたので、その段階では特に、驚愕に足るようなことはなかったのだが。
果たして今、彼等の目の前では。謎の人型が縦横無尽に飛び回っているのであった。
どうやら、『上』の方は事情を察している気配があったが、現場組の自分達に与えられた情報は哀しすぎるぐらいに少なかったのである。
「やれやれ――」
『模擬交戦』の類を行っているのだろう、と言う推測は付く。ワイヴァーンの赤い機体と、それこそ組んず解れつの状態を続けたかと思いきや、互いの距離を取ってからのレーザー・シグナルの応酬等を繰り返し行っているとなれば、それ以外には考えられないだろう。
そんな二機の機体を、見守るようにして白いワイヴァーンが距離を置いているが、これは恐らく情報収集を行っているのだろう。前回に確認した二人乗りのワイヴァーンには確認出来なかったレドームの存在が目立つ物となっていることもある。
……しかしなんだ、あの巫山戯(ふざけ)た機体は。あんなに全身を光らせていたら、三秒で蜂の巣となってしまうのではないか。目立つことこの上無いし、更に付け加えれば――『人型』等という宇宙空間に於いては全く不適切な形状の所有へと至っていることに関しては、その設計者を説教してやりたい位だ。問い詰めたい。
「なんだかなあ……」
呟いてしまってから、部下達への通信が閉じられていることに気付き、胸を撫で下ろす。今一度、各種センサーカメラが記録を行っていることを確認し、いよいよリヒャルトは深く深く溜息を吐く。
◆ ◆ ◆
『お疲れ、フローラさん――RLは続いて、高機動試験に入る。休んでくれ』
近接戦闘、並びに中距離戦闘の模擬をそれぞれ四回ずつ行った。しかし、クリストファの声は全く、平素のそれであった。それ以上でも、それ以下でもない。
「――お、おう」
どうにか答えることは出来たが、24号機のパイロットの状態は半死半生もいいところだった。異常を認識しているパイロット・スーツが酸素濃度を調節してくれているが、荒い呼吸がなかなか止まらない。そして、フローラ・ザクソンは実のところ、嘔吐寸前の状態でもある。おえ。
『フォーチュンへ帰艦しても構わないですからね』
24号機の真正面で滞空しているライト=ブリンガの右腕が、フォーチュンの方角を示す。さながら目深にサングラスの着用を行っている女性とも思えるそんなRLの『顔』に、『表情』の存在を感じてしまい、苦しい状態ではあったがフローラはその口の端を緩めてしまう。これは喩えを捻るまでもなく、大きめの兜を装備した戦女神『アテナ』そのもの。ライト=ブリンガという機体に於けるオペレーティング・システムの名称でこれはあるけれど、意外と設計者はこの外観と、何よりもその顔で命名を行ったのではないか、等と想像してみる。もっとも、ケルト神話に造詣が深い私、フローラとしては戦乙女の『ヴァルキリ』も捨てがたいが。
「まあ、もうちょっとは大丈夫。RLは予定通り、残りの予定を消化してくれ――ミラン、各レーダーソナー諸々に異常はないな?」
前述の透り、24号機の機上から59号機の状況を確認することは可能だ。しかし、この発言は今のフローラにそこまでの気力体力が残されていないことを暗に示している。
『異常ありません。全て、正常に作動中です――フローラさんは少しお休みになって下さい』
「アイヨー」
愛弟子に気を遣わせてしまった点に関しては少なからず、情けなさを覚えないでもないが。お言葉に甘えて、フローラは各シートベルトに弛緩命令を行わせてもらった。シートに縛り付けられていた体が少しだけ、自由になる。
『ようし。59号機、ちゃあんと記録するように――これから、各種運動機能の実検証に移るからな』
その眼前に指を一本立てて、ライト=ブリンガは小首を傾げてくる。全く、いつもどおりのクリストファの動作、癖であり、ミランダもフローラも思わず体を竦めてしまったものだった。
◆ ◆ ◆
『うおりゃあああああああああッ!!』
その機体質量、凝縮された重力波フィールド、そして更に急加速で獲得したばかりの慣性力を一点に込め、ライト=ブリンガの左腕が突き落とされる。展開されていた二機のブイの中間地点に設定された形の無い幻影、ホログラム、それが正にその『一点』。激しい閃光がその周囲を満たす。
『……はい、オッケでーす』
慣れ親しんだシャルロッテの声を右鼓膜へ受けながら、クリストファはゆっくりと息を呑んだ。続いて、機体全体に逆速を入れさせる。実にそのインパクトの一瞬を達成するだけで、RLは該当のブイより遙か遠方にまで流れてしまっていたのである。
「ふうううううううっ」
今のアクションはさすがに厳しかった。どうやら、相殺しきれなかった慣性の存在があったらしい。目の前に薄い靄(もや)が掛かり、これがなかなか抜けてくれない。実の所、これはクリストファにとって赤面に値するものだった。肉体改造を念入りに再度、行う必要があるかもしれない。
『データ獲得、成功。続いて、妖刀ムラサメの試験に移行します』
なかなか情け容赦のない注文だが、これは正に望むところでもある。実際の戦闘となるとこんなものでは済まないだろうから。クリストファは上唇を大きく舐め、荒れる息を整える。
「了解した――ムラサメ抜刀用意!」
最後の命令は自らの機体、アテナに命じたものだ。コックピットパネルの前面に『MURASAME / Release』とのキャプションが点灯した。右脇に装着されているそんなムラサメの鞘のロックが解除されたことを示している物である。状況、フリー。
クリストファは慎重に、自分の右脇へと左手を運んでいく。オートではなく、マニュアルによる試みであった。全く同じ動きでRLの左手がやはり、右脇へと流れて行っていることは述べるまでもないだろう。しかし。
かつん。
乾いた音と、軽い振動がコックピットを揺らした。警告音に次いで、冷静なアテナの報告が続けられた。
『左マニュピュレイタ、腰部装甲板B4に接触――実害はありません』
失敗した。実剣ムラサメの柄へと辿り着く前に、その指先が機体に触れてしまったのだ。けれど、クリストファはその動きを止めることはしない。ゆっくりと、更に滑らせる。アラームが一つ、二つ。もっともこれは警告を示すものではなく、『目的地』への距離を伝えるためのものだ。次第に、そんなアラームが細かく鳴り響くようになり――やがて、途切れることがなくなった。クリストファは、そこで左手を握り込む。正面画面に【MURASAME / pre-EQUIP】。そう。これでは、ただ物理的に『握った』だけ。
『ホールド完了』
アテナが事務的に報告する。
「うし――」
いよいよ、クリストファはムラサメを抜き放った。その長い白刃が高々と掲げられる。
『ロック実行します――』
「Yes」
許可を下すと同時に、キャプションが変化。【full-EQUIP】。今や、ムラサメは完全に装備された。
「ようし、『試し斬り』を始めんぞ」
ライト=ブリンガがその頭上に掲げていた刀身をゆっくりと下ろす。正面へ向ける。手首での角度修正を二度三度と行い、今一度――今度は左肩に刀身を預ける形で振りかぶった。全く同時に、機体各所の姿勢制御ノズルが自動噴射。結果的に、ライト=ブリンガは大地を大きく踏み締め、力を溜めている体勢となった。その自由な右手はやはり大きく開かれ、その足元へ向けられている。これは、実際にクリストファがその艦内で幾度と無く、繰り返し行ってきた『型(かた)』であった。対象を、正にその直上から叩き割ると言うコンセプトが、一番彼の性(しょう)に合致していたと言う事もあり――ソフィに言わせると『やや下品』らしいが――今回のムラサメ運用においては最初からこの型で行うことを決めていたのである。専門用語ではどうやら、『兜割り』とも呼ぶらしいが、全くの素人であるクリストファには関係のないことでもあった。
『対象は先刻と同じです。情報収集に抜かりなし。お好きなタイミングで、どうぞ』
声が弾むのを隠しきれず、シャリーが言う。
「オーライ」
先のブイの座標は当然、ロックオン済み。クリストファは、愛機にその体勢を維持させたままで、一気に跳躍を行った。もっとも、宇宙空間であるから蹴り付けるべき大地、地面の存在はなかったが。たちまち、ブイが近付いてくる。いや、ほとんど素っ飛んでくる勢いだ。勿論、素っ飛んでいるのは対象ではない。
「Shaaaaaaaaaaaaaaa――」
自分でも由来の良く分からない掛け声を立て、クリストファはその左腕を振り下ろした。彼はその直前に上半身、下半身をそれぞれ捻り立てており、それを解放しながら――つまり、人間が刀を振る時と寸分違わないアクション・フローを機体に与えている。
轟。
と、大気の存在の在る地上にあっては轟き響いた筈だ。刀身の先端の速度は軽く音速を凌駕しているし、この一撃の前では『斬撃』という言葉すら色を失うであろう。勿論、ここは大気の存在が許されない無粋な宇宙空間でしかないので、音の一切は存在も、発生も無いけれど。
機体各部がこれまでになく強い光で満たされているという現実は、その全身を巡るトラクター・ビームの張度が非常に高いものとなっていることを示しているものだ。半月の弧を全く正確に描き、白刃が奔(はし)る。
文字通り、ライト=ブリンガ渾身の『一振り』。
その剣筋はやはり正確にブイの中間――何も無い空間を斬り裂いた。最高の一撃を加えた直後にクリストファは機体に下降のベクトルを加えているので、キロメートルにして数十を数えた時点まで瞬時に移動、補いきれなかった慣性を受けて機体重心を軸に、幾回転。
「Yah! これぞ『かいしんのいちげき』!!」
先程の『ライト=ブリンガ(うりゃうりゃ)パンチ』の比ではない。圧倒的、空前の破壊効率が達成できたことを確信して、クリストファが快哉を上げた。
……いやはや、実際に艦橋組が、それぞれの顔に縦線を密に引かれるぐらいの、これは数値が弾き出されたのだが。
回転を続ける機体の中で、クリストファは無邪気に。それは無邪気に、無垢に。
両の腕を突き上げて、快哉を立て続けるのだった。
同じポーズ、姿勢をライト=ブリンガが作っているのは、当然の話。
◆ ◆ ◆
「ねえスコットさん、父さんの話、聞かせて欲しいんだけど……」
航空母艦、【モデレーション】はガン・ルームで好みのバーボンを傾けていたスコット・ロードマンは、咽せる。飲酒を嗜んでいたとは言え、その後背に人の気配を全く感じることが全くなかったからだ。驚かさないでくれよ、セニョリータ。
「ごめん、驚かせるつもりは、なかったんだけど――」
淡い銀髪を踊らせるようにして、彼女、クリスティナは深々と頭を下げる。
「ごほっ……いや、こちらこそ驚くつもりはなかったんだが」
口元を拭いながら、ロードマン。実は、言い訳になっていない。
「キリオおじさんも今は此処にいないし、話を聞けるのがスコットさんしかいないんだ……」
自らの酔いが蒸発していく。そんな、感覚は久し振りのことだ。ロードマンは、自分のショット・グラスの縁を右手親指で撫でてみる。良い音。
「ティナ、幾つになったんだっけ?」
ちょっと思い返せば、その回答は自ずと出てくるはずだったけれど、スコット・ロードマンは敢えて言葉にするのだった。
「まだお酒が飲める年齢じゃないよ」
口元に手を当てて、クリスティナが婉曲な返答を寄越す。
「そんな君の親父は、十代から飲酒を行っていたがネ――」
半ば――いや、ほとんど彼の娘なのだ、彼女は。スコットは意地の悪い挑発を行って見せた。
「そうなの!?」
どん、とカウンターに腕を乗せながらクリスティナ。
「まあ、そう言う時代だったってことさね……まあ、良いさ。俺が話せる範囲の昔話だったら、話してやるよ――まあ、一杯呑んでみろ。大人の味だ」
そう言って、スコットはカウンターに備えられていたタンブラーを、一つ手に取った。ロック・アイスを詰め込み、自前のバーボンをほんの少し。そして、大量の水で割ってみる。
「――う」
ずい、と差し出された一杯を目の前にしてクリスティナは、渋面。
「そんぐらいの謀反気はあってもいいんじゃないか。俺だって、そうやってきたし……それは、クリストファも同じだ」
「そうなんだ」
そう言って、ティナはグラスをゆっくりと持ち上げ、小鳥が水を飲むようにちびちびと唇を濡らす。
「ま、最初のお酒は大切にな」
そう言って、自分は半分ほど残されていたストレートを一気に喉元へと流し込む。
「そう言う飲み方、体に良くないよ」
「るせい」
悪態を返しながらも、脂(やに)下がる顔を引き締められないスコット・ロードマン。
さてさて、娘に飲酒を強要するとは、とんだ不良親父だ。沢山の『おかーさん』に知られたら、ボコボコにされるに違いあるまい。まあ、たまにはいいだろうさ、それも。
「そうだなあ……どっから話すかなあ――」
ぎい、と座席に負担を掛けさせるような伸び。どこか、遠いところを見ているようなスコットの両目。
「父さんと、スコットさんが出逢ってから。そこからが良いな」
「……今までも大分、話したろうが」
これは、真剣にスコット。けれど。
「だって、いっつも酔い潰れて、フォーチュンの第一次リーヌ突破で話が終わっちゃうんだもん」
「ははは……そうだったか……」
手繰り寄せたバーボンの瓶を押し戻す。どうやら、今夜は酔い潰れる訳にはいかないらしい。
ライト=エンフォーサ。彼の娘、クリスティナ・ローゼンベルクの愛機がそれだ。ユキト・ムラサメのストライカ、そしてXIIIこと、ルシファ――こっちは未知数だが――が揃って、ようやく相対せるだろうか、って話。ライトニング、それ自体の数はそこそこが用意されているらしいけれど。
「まずな、お前の親父はな」
チン、とグラスの縁を弾く。
「そりゃあ、良い男だったさ――」

