「ダイブ」
クリストファのそんな宣言は、ほとんど自分自身に対してのみ、紡がれたものだった。ライト=ブリンガの全身に、特にその前面に集中して幾重にも展開されている重力波フィールドの存在は、肉眼でも確認出来る程となっている。風景が歪んで見えるほどの存在感。
「姿勢制御固定、このまま――」
レーヴァティンと直結した左腕は背面に回し、右のイージスを前面へ構えた状態で、口頭による命令が行われた。
【了解――外部温度、上昇開始】
両の奥歯がカチカチと音を立てているが、これは武者震いでも、ましてや恐怖感に依るものでは無く、大気圏に接触したことで機体内部にも発生した微振動がその原因。そんな振動を相殺することはライト=ブリンガにとり、必ずしも不可能ではないのだが、この時のクリストファは大気圏突入に伴う特殊な振動の体感を事前に要求していたのだった。
【最終アップデート更新――レヴェッカとの相互リンク開始】
いつになく、事務的なアテナの声だ。ご主人様であるクリストファの反応を待つまでもなく、現在の高度数値が一度リセットされ、半瞬の後に最新の情報が上書きされたが、これはほんの一ヶ月前に運用が開始されたばかりの軍事衛星《レヴェッカ》からの精密計測に依るものだった。エテルナ航宙自衛隊により、本星の衛星軌道に設置された軍事衛星は全部で四基の存在があり、他の三基はと言えば《ニキータ》、《マリコ》、《ジェシカ》というコードネームが付けられている。
「怖いもんだな……」
クリストファの弱音である。ほとんどオートメーションということもあり、極論すれば『することが何も無い』状態であることが大きいのだろうが、機体周囲の景色を眺めることの出来る余裕が生じている現状。全周囲がモニターとなっている得意なライト=ブリンガのコックピットにあっては、正に自分自身が『落ちている』感覚があることもある。幸い、そんな視界の中ではまだエテルナ本星は球形を保ってくれているため、高度の実感は無いに等しいが、これがあと五分もすれば。
【網膜投射を切断、そして下部モニタの投影解除を実行することも出来ますが?】
「ああ、大丈夫――微妙な気分がするだけだから。すまん」
自分の発言に対して速やかに応じてくるアテナに対し、心から詫びつつもクリスは苦笑してしまう。
【外部温度、上昇中――想定内】
観察者の存在があれば、今のライト=ブリンガは火の玉そのものに見えているのだろう。いや、玉となるのはもっと後の話だろうか。この時クリストファは、その脳裏にフォーチュンの同志達の映像を描き出したのだが、なんだかんだとこれは彼の不安感の発露だったのかも分からない。
「データの収集に手抜かりはないな?」
質問を行ってみるが、これは本当に形式上のものでしかない。
【パーフェクトです、マイロード】
簡潔な返答がアテナから返ってくるが、気分が害されるものではない。何しろ、そう教育した当の本人がパイロットなのだから。
「オーケイ、遊ぶのは次の機会としよう」
【ですね】
全く、どうしてなかなか。パイロットの薫陶の行き届いたシステムと言うべきか。クリストファは、その舌を噛まない程度に笑い声を立てた。ヘルメットに刻まれた鳳凰が、縦に揺れる。
・
・
・
枕元の個人携帯端末が激しく鳴り響いた。慌ててその上半身を起こしたラスティ・ハーヴェイ二尉は、その額をカプセルベッドの天井へと強かに打ち付けてしまった。
「はうあっ――」
二つ三つ、生まれては消える。オホシサマ。
「って、なんだってんだチクショー」
悪態を吐きつつも、枕元の端末を手繰り寄せ、そのメインディスプレイに表示された数字が《34-87》であることを確認する。
「ファーーーーーーーーーーーック!?」
姉が聞いたらグーパンチしてくるような下品な叫び声を立て、いよいよラスティはカプセルを開いた。34と言う数字は『演習』を示すもの。そして、87と言う数字が示すもの。
「ええいっ」
パンツ一丁と言うある意味正しい『オトコのパジャマ』で睡眠に着いていたラスティは跳ね起き、そのままベッド下からパイロットスーツを引き出す。常夜灯しか点灯されていない集合寝室は決して明るくなかったのだが、体の深奥に叩き込まれている規定手順に従い、ブーツからの着用。続いてスロップスを装着し、オーバージャケットを羽織る。非常に乱雑な着こなしに見えるのだが、残りの作業は人力では不可能な現実がある。最後に携帯端末を手に取って、ラスティは共同寝室入り口に備えられているスーツ固定機へ飛び込む。
「ひでえもんだ」
やはり悪態を吐いたラスティだったが、そんな間にパイロットスーツは完全な装着が実行されている。まるで安出版所でプリントされたばかりの売れない雑誌になった気分だった。だが、そんな益体(やくたい)の無いことを考えている暇は無く、自動的に保管庫より排出された自分専用のヘルメットを手に取って、ラスティは駆け出した。文字通りに。
事前に通告されてはいた。訓練の一環として、抜き打ちのスクランブル訓練を行うこともある、と。
パイロット限定の通路を全力で駆け抜け、ヘルメットを装着しながらキートン教官がそう口にした時の顔を思い出せているラスティであった。
『まあねえ、あまり精神衛生上も良くないからやりたくはないんだけど、訓練としてはやっておかんとなあ……まあ、頻繁にやったりとかは無いと思うから気にしないで』
どこからみても自衛官には全く見えないキートン氏はクリップボードを片手にそう言ったのだ。実際、本星の大学で講師をやっていた過去があると耳に挟んだことがあった。そんな彼がどういった経緯で自衛隊に、それも教導隊《サイレント・イーグル》の主任教官になったのか、全く想像も付かない。まあ、それを言ってしまうと、当の自分自身がなんでこんな泣く子も黙る――ことになると思われる――教導隊に配属されたのかも甚だ疑問なのだが。
「オッス、早いなあラスティ」
後ろから声が掛けられた。当然、この通路を駆ける資格があるのはパイロットのみ。
「いや、そうでもないよ――事実確認に時間が掛かっちゃったから」
後ろを振り向くことなく、ラスティは答えた。振り向くまでもなく、声の正体は分かっているからだ。アテナイ校で同期――当たり前だけど――だった、年齢的には二つ年上のアーサー・ホルスト一尉である。優等生ではあったが、特有の天狗鼻とは無縁であり、ラスティとしてはまず友人と呼んで良いキャラクタである。
「オイラもよう、良い夢見ていたのに……畜生、招集終わったら文句の一つも付けてやらないと気がすまん」
正直なところ、息が上がり始めているラスティとは対照的に、アーサーには余裕があった。集合寝室がラスティのそれよりも現場に近いと言うこともあるのだが。
「まあ、宮仕えってことじゃんか」
スーツ内の酸素供給量を上げる指示を手元で行いつつ、ラスティは軽口を返す。
「そうだけど――しっかし――ラスティ、すげえ格好してんのな?」
そりゃお互い様だろうが、と答えかけたラスティだったが。あれ。なんだ、俺のスーツ。っていうかあ、おかしいのはスーツの本質、それ自体じゃなくて。
「えええええええええええっ、なんだコレ!?」
あまりの事態にラスティは駆け足を止める。抜き掛けたアーサーだったが、駆け足は維持しつつもその場で停止。
「気付かなかったのか?」
「気付かないよう、なんだよコレー」
念のため、メットのバイザーを上げる動作を行いながら、ラスティ・ハーヴェイはその場に立ち尽くした。全くのオートでパイロットの視覚を保護するヘルメットが通常の艦内でフィルタを掛けることは有り得ないのだが。
「うそーーーん」
裸眼で確認しても、その色は変わらない。なんてこった。
「……まさか、ラスティ……お前……自分でそれやったんか?」
足踏みを続けるホルスト一尉は息も切らすことなく、器用にそんなツッコミを入れてくる。
「なわけねーだろ!」
全身、赤。
ところどころにオレンジのストライプが走っている。
右袖には、《FIX-02-RLM-A01》と、これまた意味不明な記号が刻まれている。
おかしい。昨日まで、自分に支給されていたスーツは皆と同じ、薄水色だった筈なのに。駆け足はそれでも再開させつつ、前方のアーサーのスーツを確認するが、それこそが本来のものであることに気付く。
『タチの悪い悪戯?』
等と考えてみるが、幾ら何でもそれは考えにくい。予想していたよりも余程にアット・ホームな雰囲気の《フォーチュン》艦内であったけれど、正規のリストに載せられた訓練項目でこんな真似を行うことは有り得ないはずだ。
「どうなってんだかなあ」
荒れる息をどうにか抑えて、ラスティ。
「俺は格好良いと思うぜ――情熱の赤」
冗談なのか本気なのか、分からない笑顔をアーサーが向けてくるにあたり、いよいよラスティは情けのない気分になってしまうのだった。
・
・
・
「壮観だな」
既に、その視界のほとんどを占めているエテルナの碧。ライト=ブリンガは盾を前面に突き出す姿勢を維持したまま、大気圏突入を行っているのだった。視界の一部が赤く染まっているのは、展開された重力波フィールドと大気が干渉することによって生まれているものの筈だ。網膜に直接投射されている画面の中から高度計並びに機体外部温度のデータに注目する。中間圏を抜け、いよいよ成層圏に足が掛かる段階であることを読み取って、クリストファは次は機体各部、特に脚部周辺のデータを呼び出した。先日、キリオとその同志達によって両の足に組み込まれたスパイク、実剣のデータ諸元に関してはまだ、数回『しか』目が通せていないのだ。差し当たって、大気圏突入に伴う作業の多くを《アテナ》に丸投げすることとし、クリスは作業完了レポートから目を通し始めた。
・
・
・
「あらあん、オヒサシブリい」
その独特の声を聞き間違えることがあるだろうか。いや。
「閣下、お久し振りです」
右踵を軸に、180度回転したマリーベル・リンス二佐は完璧な敬礼を作った。
「元気だった?」
「お陰様で」
大統領から出された右手を遠慮がちに握り返しつつ、その周囲に注意を払ってしまったのは、それ程遠くもない昔の記憶が戻ってきてしまったためか。マリベルは心の中で微苦笑。この時、大統領の警護に当たっているのはマリベルの後任であるジョーンズ一尉を含め、若干名と言うところのようだ。過剰な警護を嫌う大統領でもあるのだろうが、実際この陸の孤島然とした場所では、大袈裟な警護は必要とされない一面はあるかもしれない。エマ・ジョーンズが小さく敬礼してくるのに小さく頷くことで返答としておいて、マリベルは、離れた場所で屈み込むようにして最後のシステムチェックを確認しているリョウ・ターミナにさりげなく目を向ける。大きな背中が、こうしてみると小さく見えてしまってやはり苦笑してしまう。
「マリベル達は地上組?」
握手を解いた大統領がそんなことを唐突に言ってきた。
「ええ、空には何名かが既に上がっております。私達はここで地上管制、並びに情報収集を行います。なんせ、前代未聞なので」
決して大袈裟な物言いを行ったつもりもないのだが、声質が微妙に重くなってしまうのはどうにもしょうがないところではある。
「そうねえ――まあ、遠くから見物させてもらう。後でまた、こっちに来るからね」
時間を気にしているSPに対して目線で頷きつつ、大統領。
「はい、どうかお気を付けて」
言いながら、我ながら妙な表現だと思ったマリベルである。当初、大統領は機動力に柔軟性のあるジェット・ヘリによる視察を見当していたようなのだが、《フォーチュン》から示されたデータによれば、RLの機動によって周辺大気への干渉が行われる可能性は否定できず、ジェットヘリに始まる各種ジャイロの運用には危険性が伴うと警告を受けていたこともあり、遠方からの電子偵察機による視察へと方針が転換された、らしい。マリベルはそこまでは詳しく知らなかった。
大統領を乗せた車両が地平線の側へ走っていくのを時間が許す限り眺めつつ、マリベルは空を見上げる。先程までは雲一つも無かった空であったが、地平線から少しずつ薄い雲が流れ始めている。
歴史的瞬間に立ち合おうとしている自分自身に今更ながら気付いたマリベルは、小さく身震いした。
・
・
・
「悪くないタイムだ――続いて各専用機に搭乗、キャノピ開口より機関始動まで30以内でやってみせろ!」
教導隊主任教官であるダイチ・キートン二佐が居並ぶ六名の隊員を前に、叫ぶ。
「「「Yahhhhhhhhhh!!!」」」
各々の機体へと全員が駆け出す中、キートンはその中で文字通りの異彩を放っているパイロットスーツを呼び止めた。
「ああ、ハーヴェイ二尉、貴官はこの場で待機せよ」
その命令の不自然さに気付きはしたパイロット達もいたのだろうが、少なくとも表立って反応する者はいなかった。誰もが、自分一人のことで精一杯なのである。キャノピの開口から三十秒以内での機関始動となると、これは全く完璧な操作が要求されるからだ。
「――? りょ、了解であります」
泳ぎ掛けた上半身をどうにか留めて、怪訝そうなラスティ。無理もないな、などとキートンは思ってしまう。ザクソン一佐も人が悪いというか何というか……。物言いたげなハーヴェイ二尉の視線が自分の横顔に注がれていることは分かっていたが、あくまでもキートンは気付かないふりを装わせてもらった。実際、五名のパイロット達の挙動に注意を払っていなくてはならないこともある。
二重構造のキャノピーが跳ね上げられる音が全く同時に響き、五つの影がやはり同じタイミングでコックピットへと飛び込んだ。することが『何故か』存在しなくなってしまったラスティは、その脳裏で彼等と等しい作動過程をなぞることしかすることがない。全く、この趣味の悪い色のスーツと言い、何が起こっているんだろうか。
「よっ、お待たせ――」
いきなり、その後ろから左肩に手を置かれた。誰だ、馴れ馴れしい。その機嫌が必ずしも良好ではなかったことも手伝って、やや険の含まれた表情で振り向いたラスティ。
「おお、なかなか似合ってるじゃんかよう」
自分より頭半分、背の高い女性。いや、この人は。
「アヴァント、これより運び込まれることになります。今、第四格納庫から移動中とのことです」
手元のレポート用紙からは目を離さずに、キートン。大変な無礼に当たる行為なのだろうが、気にするフローラ・ザクソンではなかったし、勿論それを知っている上でのキートンの振る舞いで、これはあった。
「ラスティ・ハーヴェイ二尉だったな。ホレ、シャキっとせんかい!」
硬直しているままのラスティのヘルメットを、握り拳で小突きながらザクソン一佐――校長テンテー――は言うのだった。
「は、はっ――」
慌てて、敬礼を固める。何が起こっているのか、全く理解できない。《フォーチュン》に来てから、なんだかこんな目に遭ってばかりのような気がするが、そもそものケチの付き始めはアテナイ校で《イーグル》に選出されてしまったことではなかったか。
「ハーヴェイ二尉、ってのも呼び辛い。だからアタシはこれから、幕僚長がそう呼んでいたように、アンタのことをラズと呼ぶことにする。異存はない?」
「は、はぁ……」
力強く腕を組み、勝手に話を進めた校長先生であったが、ここでようやくラスティはそんな対象のスーツの異様さに気付くことができた。なんじゃそりゃ――と口に出掛かったが、勿論不可能だった。自分のそれと全く等しい配色、ドギツイ赤色、節々に流されるオレンジ色のストライプ、そしてこちらは左袖だったが――《FIX-02-RLM-A01》と見覚えのある羅列の存在が。
「ンー、ハッキリしねえ奴だなぁ――オットコノコだろうが、ゴルァ」
呆けているままのラスティのヘルメットを両手で左右から掴み、思い切りシェイクするフローラさん。体格に差があるのは事実。校長センセーは、かつての教え子ラスティよりも一回り、大きいのである。と言うより、体格で言えば小柄な部類に入るハーヴェイ二尉でもあるのだが。
「もががががっ――」
左へ右へと振り回される中、『俺が一体何をした』と叫びだしたい気持ちで一杯一杯なラスティ。
「さておいて、同じコックピットに入ったら約束して貰わないことがある――」
フラフラのラスティを解放すると、急に畏まった表情へと改めるフローラ。状況に着いて行けていない三尉は、差し当たって敬礼を作ったのだが、これはどちらかと言えば自衛官としての本能であった。
「ザクソン一佐、とか冗長な呼び方は困る。フローラと呼べ」
意味が分からない。大体、『同じコックピット』とはどういう意味なのか。ヴィクトリは複座ではなく、単座の機体であるし、教習用ヴィクトリがフォーチュンに配備されているとは聞いていない。
「申し訳ありません、話が全く見えないであります!」
どうにか、それだけを口にした。まあ、今の自分の惑乱状態をもっとも的確に示している発言ではある。
「ンム――ラスティ、アンタとアタシは今のこの時から『相棒』となる。搭乗機体は、《ライト=メンテナ》は一番機、《アヴァント・ガーダー》となる。アンタの仕事は火器管制、並びに電子戦要員としての役割も期待されているから、心しろ」
ここで、フローラは言葉を句切った。
「はぁ――?」
突然溢れだした情報量に脳が着いていかない。なんとも間抜けな相槌が漏れ出てしまった。
「……次、『ハァ?』とか言ったらブッ殺す――とにかく、アンタはこれからアタシと新型で訓練を行うことになるから、ヨロシコと、こう言っている!」
冗談抜きで殺されそうだ。ラスティはどうにか、
「ハーヴェイ二尉、拝命します! ……お手柔らかにお願いします!」
当たり障りのない返答を返すことが出来た、と思った。しかし、次の瞬間にはヘルメットを、ぽかりとやられた。
「あのなぁ、お手柔らかにやっている暇なんてねえんだ。それと、今は勘弁するけどコックピットに入ったら敬語だって禁止するからな。覚えとけ」
「で、ですが――」
ぽかり、ぽかり。
「デスガ、じゃねえっての――」
握り拳を強調したまま、フローラさんはそれはもう背面にオーラを漂わせながら睨み付けるのだった。
「すみません――」
「ま、とにかくヨロシク。背中に人を乗せるのはアタシも初めてだから、お互いに勉強していこうじゃないか」
打って変わった優しい表情に、ラスティは赤面を禁じ得なかった。
「宜しくお願いします」
フローラの側から差し出された右手を握り返したが、そんなつまらない言葉しか出てこなかった。まあ、自分が面白味を持ち合わせていないのは事実だ。
『ホント、退屈しない人生だなぁ』
ラスティ・ハーヴェイは心から思った。しかしなあ、願わくばもう少し、落ち着いた人生でも良いんじゃないかなあ、と心の片隅で思ってしまうのもまた、事実なのであった。
2662年01月01日
第II光:『光臨』 第四章 『E.S.F.S as Eterna-Self-Defense-Force』 - X
「うひっ――」
多くの女性陣を幻滅させるようなクリストファの発言であった。
『降下シークエンス実行中――機体各部異常なし――地上からの誘導波受信、オートフィル』
実際に自らの肉眼でデータ諸元を確認する。既にライト=ブリンガはエテルナの大気圏内への到達を果たしており、微妙な碧色に染まる空と白い雲が演出するコントラストがその視界で確認出来る状況となっている。
「すげえな、これって『落ちて』いるんだよなぁ――」
輝く瞳を隠しもせず、クリストファは熱の籠(こも)もった感想を述べたのだったが、これは風に乗り、滑るようにして降下を実行する従来の航宙機とはその印象が全く異なっていることと、その特殊な操縦環境の存在が織り成した率直なものであったと言えるだろう。
『スケジュール2秒遅れ――』
無感情なアテナの声を受けて、クリストファはここで自動航行を切断する手続に入った。両の腕をSAMOSの一環である操縦筒へ差し込むと、それと認識したアテナは先回りして、パイロットのスーツ固定状況の確認を開始する。
「ATHENA, I have control」
『You have――』
サブディスプレイにて、自身のスーツ固定が完了されていることを再確認し、クリストファは機体背面に回されていた左腕をゆっくりと前方に――つまりは通常の位置ということ――戻す指示を行う。レーヴァティンという長物が装着されている左腕がゆっくりと、慎重に移動するのを目視で確認し、続いて機体周囲全体に形成されている重力場フィールドがオートで変域されるのを、こちらは網膜投写を受けている右目でチェックする。エテルナ本星の大気を自然落下している今のこの状態にあっては、そのフィールドは機体両脚の先端から腰元に掛けて特に強く展開されている状態であり、アテナがそれと判断した理想的な流線が完璧に維持されている。肉眼での確認こそ行えないが、コックピットの中にいるクリストファ・アレンは特権的に、コンピュータ・グラフィクスによって構成された映像を介してその状況を捉えることができ――この時のライト=ブリンガは、さながら卵の殻に包まれているような具合だ、と感想を持つに至っている。
「すごいよな、しかし――」
この様なシステムの存在があるため、大気圏内でもライト=ブリンガの機動力が損なわれることは全くと言って良いほどに、無い。もっとも、これはシミュレーション上でのことであって、いよいよ現実、リアルの世界でどの様な結果が出てくるのかは未明ではあるのだが、現段階でどんなコンピュータよりも優秀な〔フォーチュン〕のマザー・コンピュータである〔ヤオヨロズ〕の判定が大きく崩れるとは、誰も思ってもいないのが現実だった。実際、数度に渡って行われた宇宙空間での機動試験に関しても、新規に獲得されたデータはごく僅かなものでしかなかったし、今回の大気圏突入に関しても全てが予定調和の中に、と言っても過言ではないのである。勿論、今の段階では、なのだが。
『着信を確認――航空自衛隊所属、P777からのコールです』
分厚い雲の存在に、地上の目視確認を諦め掛けていたパイロットに、そんな報告が上げられた。
「繋いでくれ」
答えながら、ヘルメットの通信機能の確認を手早く行った――問題なし。
『こちら空自所属P777。コード、デルタ・ワン――アルファ・ワン応答せよ』
事前に指定されていた通信波であることは確認するまでもない。アテナが全て、代行してくれている筈だ。
「こちらアルファ・ワン。デルタ・ワン、受信。感度良好。オーヴァ」
刻々と数値が減少していく高度計を一瞥する。レーヴァティンを突き出したことで、若干落下速度が落ちているようであるが、これは許容範囲内。
『ようこそ、エテルナへ。以後の管制は当機上、サカモト二尉が行います』
「久しいな、クローディア。元気だったか」
『無事、息災ってところですかねー』
都合、数ヶ月ぶりと言うことになるのだろうか。サカモト・クローディアを始めとした六名は、エテルナに対する技術供与、と言った名目でエテルナ本星の住人となっていたのである。彼らにとって、するべき仕事は少なくはなかったし、大変に意義のある仕事――特に非常時に際して主要都市部上空に展開されるフィールドと、そのジェネレータの設計開発・建造設置などは心から望むところであった――であったのは確かだったのだが、実はここには決して健全とは言えない事情が介在してもいるのである。
体(てい)の良い『人質』――それが、彼らのもう一つの『仕事』だった。
一つ所にまとめておいては軍閥化を招きかねない、と一部の議員が声高に喧伝した結果がこれであった。更にはエテルナ本星のみならず、各所に分散させるべきという論調に発展した結果、イザヨイ並びにリリスにやはり数名ずつが『転属』されることとなっていた。もっとも、イザヨイに関しては既にマエダ一家が居を構えていることもあって、ほんの二名が同じ研究室に転属されただけに留まっていたが。
「専制君主になるつもりはないんだがなぁ――」
そんな当時のクリストファの深刻な嘆息はだが、長くは続かなかった。事情を知ったクローディア他が、直後に自ら志願してきた為である。
「どの道、現地に赴かないとならないのは事実ですし。それで丸く収まるんだったら、喜んで降ります。そもそも、私たちに後ろ暗いことなんて何もないんだから!」
ある日、司令官室に訪れたクローディアは卓上に乗り出しながら、そう言ったのだ。
そんなクローディアが、今は航空自衛官の二尉として自分をサポートしてくれている。熱い感情が込み上げてくるのを抑えようとは思わない、クリストファである。
「予定通り、高度一万六千フィートでの誘導開始を要請する」
『アイアイサー』
ここで、クリストファはライト=ブリンガの体勢を変える。ほとんど、スカイダイビングの要領ではある。四肢を大きく広げ、頭を下に。
厚い雲に阻まれ、まだ地表は見えない。
重力に逆らった体勢のライト=ブリンガはコックピットの中で、クリストファの口元が一瞬だけ、本当に一瞬だけ綻んだ。
乗っていて楽しい――これが飾らない、身も蓋もない本音である。搭乗者である自分からすれば、これは機動兵器と言うよりも、自らの体の延長としての骨格、筋肉、肉体そのものであると思えてならない。極論すれば、大掛かりな気密服との表現も可能なのではないか。『実はRLって凄くアナログなんだよな』等とリンダが呟いたことがあったが、それは全くクリスとしても同感だった。間接部が金属で構成されていないこと、そして何よりもその操縦機構の存在が、そんな発言の根幹にあったのだろうけれど、こればかりは実際に乗った人間でないと断定は出来ないのだろうとも思う。
そんなクリストファの鎧、白銀の女神は空気抵抗によって生じる白い筋をその四肢末端より引きながら、豪速で落下していく。
・
・
・
『イーグル・スリー! 反応が鈍いぞッ!! どうしたっ』
キートン教官の怒号が右鼓膜に打ち込まれた。そんな状況は怒鳴られるまでもなく、自分で分かってはいるのだが。すっかりと遠くに流れてしまったイーグル・ツーの尻をディスプレイと目視の両方で確認し、操縦桿を引く。スロットルを強く噴かす。
しかし、それが良くなかった。
「あ、やべっ」
そう口にした瞬間、目の前が真っ暗になった。
『バカヤロー――』
キートンのそんな絶叫めいた怒号を、アーサー・ホルストは最後まで聞くことが出来なかった。
失神してしまった為。
・
・
・
「糞馬鹿野郎めっ――」
管制室にて通信ディスプレイにインカムを投げつけて収まらず、続けて卓に右拳を叩き付け、更にはその自らの頭を掻きむしったキートン二佐だったのだが、沈着冷静が『売り』となっている彼からすると、これは大変に珍しい行動であったとしか言えない。事実、その隣で管制補佐業務に従事していた女性の一曹は口を半開きにしてまでして、そんな上官を見詰めている。なお、ホルスト一尉が搭乗しているイーグル・ツーこと[ヴィクトリ]はパイロットの失神を感知し、自動的に該当宙域で機動を停止していた。ディスプレイの中では『パイロット失神』を示す警告表示が黄色く明滅されており、キートンは固く握り締めた拳を未だ、解除することもせず、苦々しく睨み付けている。
「落ち着きなって――いつものアーサーらしからないことに気付かない?」
その背後から突然掛けられた声に、キートンは少なからず驚いた。その声の主がいつの間にこの管制室に訪れていたのか、管制と指示に集中していたとは言え、全く気が付かなかったからだ。
「気持ちはわからんでもないけど、まずは落ち着きな」
付着してもいない埃を払うようにしながら、フローラはインカムを拾い上げた。
「失礼しました――しかし尚更、ですよ。体調が悪いのならブリーフィングの段階で申告しなくてはならない。こちらとしては幕僚長のご意向もあって、強制するのは避けてきたというのに、この為体(ていたらく)では」
それでも一礼して、インカムを受け取ったダイチ・キートンはすぐに次の行動に及ぶ。既に、常の彼を取り戻している様子に関しては、フローラ・ザクソンよりも補佐役の女性二曹の方が余程に安心していたのだろうが。
「イーグル・ツー、訓練は中止だ。回収艇の準備をこれより行うので、貴機は現状待機せよ」
『ツー』
単純なイーグル・ツーの返信に思えるが、これで『イーグル・ツー、了解』を示す意味となっている。そんな返信に頷きながら、直ちにキートンが回収艇の手配を開始――しようとしたが、横から伸びてきた腕にそんな手は止められた。
「アヴァントで出る。ラズにも船外活動の経験は行わせておきたい。都合が良い、と言えばアーサーには悪いけれど」
言いながら、フローラは手元のインカムを素早く装備した。教導隊訓練の視察――というか覗きと表現べきかも分からない――を行っていたら望外の状況になった、と言えば、やはりアーサーには申し訳ないが。
「ラズ! アヴァントの状況はどうだ!?」
『完璧です』
訓練の賜物(タマモノ)と言うべきか、飾るところ、一切が存在しない簡潔明瞭な[アヴァント・ガーダー]はフライト・オフィサであるラスティ・ハーヴェイ二尉の返答だった。
「よし。機関に火を入れろ。15分ほど前倒しで訓練開始だ」
『りょ、了解。……あの、機長は』
「これから向かう。オイラが着くまでに初期起動を完了させておかないとオシオキするからな」
『は、はいいいっ』
気の毒に、と口ほどに物を言う顔を構成しながらキートンは頭を振った。
「それじゃ、こちらでは一応救護班を待機させておきます」
「うん、ヨロシク。まあ、良くあることだよ。アーサーも身に染みて勉強になったことだろう」
ヘルメットを持ち上げて、フローラはキートンの右肩に手を置いた。
「それじゃ、そうゆうわけだから。後はよろしゅう――」
そう言い残すと、駆け足で管制室を後にする深紅のパイロット・スーツであった。
・
・
・
「あっ、見えたんじゃない!?」
対光防御の施されているゴーグルで天を見上げていたマリーベルがそんな声を立てた。
「む――見えるね」
全く同じ状況のリョウが呟いたその時。とてつもない轟音が、彼等を襲ってきた。リィリィ、と響く――敢えて例えるのなら鈴の音というところか。だが、そんな穏やかな音量では断じてない。
「うっへえ、高度一万フィートでこれかい」
苦笑しながら、リョウはそれまで首に掛けられるままだったヘッドレストを装着し、こちらはマイクも兼ねているマウスガードを続けて装着。同じタイミングでマリベルが続く。
『まだ豆粒みたいな大きさなのに』
実際、高性能の軍用ゴーグルでも未だに、その詳細は確認できないのだ。辛うじて、対象が四肢を広げている様子は分かる程度のもの。
『スケールが違うな、どうにも』
すっかりと自分たちの仕事が終わってしまっており、悠長に観察する暇が今の二人には存在している。これは無論、大変な特権と呼べるべきものであり、彼等の背後ではそれこそ数十単位の自衛官が右往左往していた。もっとも、これでも相当に人員数それ自体は絞り込まれているのである。デウス・エクス・マキナ、[ライト=ブリンガ]が事実上のエテルナ自衛隊は最高機密であることを示す要素の一つであると言えるかもしれない。
『あら、大統領閣下のお出ましね』
そんなマリベルの発言に、リョウは慌ててゴーグルを下ろした。目測で1キロ程の遠方だろうか――航空自衛隊所属の輸送機が滑走している映像が肉眼に飛び込んできた。つい二日前、ここのスタッフが整地した大地に凝固剤を丹念に染み込ませて建造した、即席の滑走路だ。
『文字通りの高みの見物ってわけだ――』
口にしてから、しまった、と失敗を悟ったリョウであったが、マリベルは差し当たっては何とも感じなかったらしい。
『地上じゃ追いかけきれないだろうしね。空から見るのが一番確実で、そして説得力があると思うわ』
ああ、なるほど。マリベルは、大統領に付属する『俗物』に対しての言葉と受け取ってくれたのか。リョウは、その広い胸を撫で下ろす。
『なんだかなあ。営業活動の一環だとすると笑えないね』
これはリョウの全くの本心。普通に、そして純粋にクリストファ・アレンと言う一人を尊敬――敵対している人々からは『崇拝』だの言われているが、それこそ知ったことか――していることもある。いつだったか、ヒムラ・キリオが泥酔した勢いでそんなクリストファに対し、『面倒くさいから、落ち着いたらお前、皇帝にでもなっちまえよ。銀河帝国とか作ってさ――俺は黒幕でいいからよう。で、リンダとソフィが双璧になってなぁ、それでファイナルアンサァァァァー』等ととんでもない発言を行ったことがあった。良い意味で、ドキッとした自分の感覚が未だに忘れられない。
『後世の歴史家が語るかもしれないわね――アレン王朝の始祖クリストファは、かくして営業活動に身を窶(やつ)す時期もあったのだ……ってね』
上半身を揺らすように笑ったマリベルは、そのヒムラ『トンデモ発言』の現場にいた人間でもあった。
『あれはデンジャラスな発言だったねえ、今思えば』
全く、苦笑するしかないリョウ・ターミナであった。しかし、その苦笑は長く続けられない。
『来たよ』
マリベルが、その美声の中に緊張感を混ぜたけれど。
『うを――』
リョウは、思わずその場に身を屈めた。マリベルの右腕を引くことは忘れていない――念のため。
『すっごぉぉぉぉいのねぇぇぇぇぇぇぇ』
立ち込める砂嵐の中、マリベルはそう言ったのだ。
何が?
いや、勿論。
ライト=ブリンガが晴れてエテルナの大地へ突き立ったのだ。
ただ、それだけだったのだけれど。
視界の悪い中、それでもなおライト=ブリンガの双眸、各間接は強く自己を主張している。その周辺に、尋常ではない音と、そして砂塵を派手に撒き上げながら。
多くの女性陣を幻滅させるようなクリストファの発言であった。
『降下シークエンス実行中――機体各部異常なし――地上からの誘導波受信、オートフィル』
実際に自らの肉眼でデータ諸元を確認する。既にライト=ブリンガはエテルナの大気圏内への到達を果たしており、微妙な碧色に染まる空と白い雲が演出するコントラストがその視界で確認出来る状況となっている。
「すげえな、これって『落ちて』いるんだよなぁ――」
輝く瞳を隠しもせず、クリストファは熱の籠(こも)もった感想を述べたのだったが、これは風に乗り、滑るようにして降下を実行する従来の航宙機とはその印象が全く異なっていることと、その特殊な操縦環境の存在が織り成した率直なものであったと言えるだろう。
『スケジュール2秒遅れ――』
無感情なアテナの声を受けて、クリストファはここで自動航行を切断する手続に入った。両の腕をSAMOSの一環である操縦筒へ差し込むと、それと認識したアテナは先回りして、パイロットのスーツ固定状況の確認を開始する。
「ATHENA, I have control」
『You have――』
サブディスプレイにて、自身のスーツ固定が完了されていることを再確認し、クリストファは機体背面に回されていた左腕をゆっくりと前方に――つまりは通常の位置ということ――戻す指示を行う。レーヴァティンという長物が装着されている左腕がゆっくりと、慎重に移動するのを目視で確認し、続いて機体周囲全体に形成されている重力場フィールドがオートで変域されるのを、こちらは網膜投写を受けている右目でチェックする。エテルナ本星の大気を自然落下している今のこの状態にあっては、そのフィールドは機体両脚の先端から腰元に掛けて特に強く展開されている状態であり、アテナがそれと判断した理想的な流線が完璧に維持されている。肉眼での確認こそ行えないが、コックピットの中にいるクリストファ・アレンは特権的に、コンピュータ・グラフィクスによって構成された映像を介してその状況を捉えることができ――この時のライト=ブリンガは、さながら卵の殻に包まれているような具合だ、と感想を持つに至っている。
「すごいよな、しかし――」
この様なシステムの存在があるため、大気圏内でもライト=ブリンガの機動力が損なわれることは全くと言って良いほどに、無い。もっとも、これはシミュレーション上でのことであって、いよいよ現実、リアルの世界でどの様な結果が出てくるのかは未明ではあるのだが、現段階でどんなコンピュータよりも優秀な〔フォーチュン〕のマザー・コンピュータである〔ヤオヨロズ〕の判定が大きく崩れるとは、誰も思ってもいないのが現実だった。実際、数度に渡って行われた宇宙空間での機動試験に関しても、新規に獲得されたデータはごく僅かなものでしかなかったし、今回の大気圏突入に関しても全てが予定調和の中に、と言っても過言ではないのである。勿論、今の段階では、なのだが。
『着信を確認――航空自衛隊所属、P777からのコールです』
分厚い雲の存在に、地上の目視確認を諦め掛けていたパイロットに、そんな報告が上げられた。
「繋いでくれ」
答えながら、ヘルメットの通信機能の確認を手早く行った――問題なし。
『こちら空自所属P777。コード、デルタ・ワン――アルファ・ワン応答せよ』
事前に指定されていた通信波であることは確認するまでもない。アテナが全て、代行してくれている筈だ。
「こちらアルファ・ワン。デルタ・ワン、受信。感度良好。オーヴァ」
刻々と数値が減少していく高度計を一瞥する。レーヴァティンを突き出したことで、若干落下速度が落ちているようであるが、これは許容範囲内。
『ようこそ、エテルナへ。以後の管制は当機上、サカモト二尉が行います』
「久しいな、クローディア。元気だったか」
『無事、息災ってところですかねー』
都合、数ヶ月ぶりと言うことになるのだろうか。サカモト・クローディアを始めとした六名は、エテルナに対する技術供与、と言った名目でエテルナ本星の住人となっていたのである。彼らにとって、するべき仕事は少なくはなかったし、大変に意義のある仕事――特に非常時に際して主要都市部上空に展開されるフィールドと、そのジェネレータの設計開発・建造設置などは心から望むところであった――であったのは確かだったのだが、実はここには決して健全とは言えない事情が介在してもいるのである。
体(てい)の良い『人質』――それが、彼らのもう一つの『仕事』だった。
一つ所にまとめておいては軍閥化を招きかねない、と一部の議員が声高に喧伝した結果がこれであった。更にはエテルナ本星のみならず、各所に分散させるべきという論調に発展した結果、イザヨイ並びにリリスにやはり数名ずつが『転属』されることとなっていた。もっとも、イザヨイに関しては既にマエダ一家が居を構えていることもあって、ほんの二名が同じ研究室に転属されただけに留まっていたが。
「専制君主になるつもりはないんだがなぁ――」
そんな当時のクリストファの深刻な嘆息はだが、長くは続かなかった。事情を知ったクローディア他が、直後に自ら志願してきた為である。
「どの道、現地に赴かないとならないのは事実ですし。それで丸く収まるんだったら、喜んで降ります。そもそも、私たちに後ろ暗いことなんて何もないんだから!」
ある日、司令官室に訪れたクローディアは卓上に乗り出しながら、そう言ったのだ。
そんなクローディアが、今は航空自衛官の二尉として自分をサポートしてくれている。熱い感情が込み上げてくるのを抑えようとは思わない、クリストファである。
「予定通り、高度一万六千フィートでの誘導開始を要請する」
『アイアイサー』
ここで、クリストファはライト=ブリンガの体勢を変える。ほとんど、スカイダイビングの要領ではある。四肢を大きく広げ、頭を下に。
厚い雲に阻まれ、まだ地表は見えない。
重力に逆らった体勢のライト=ブリンガはコックピットの中で、クリストファの口元が一瞬だけ、本当に一瞬だけ綻んだ。
乗っていて楽しい――これが飾らない、身も蓋もない本音である。搭乗者である自分からすれば、これは機動兵器と言うよりも、自らの体の延長としての骨格、筋肉、肉体そのものであると思えてならない。極論すれば、大掛かりな気密服との表現も可能なのではないか。『実はRLって凄くアナログなんだよな』等とリンダが呟いたことがあったが、それは全くクリスとしても同感だった。間接部が金属で構成されていないこと、そして何よりもその操縦機構の存在が、そんな発言の根幹にあったのだろうけれど、こればかりは実際に乗った人間でないと断定は出来ないのだろうとも思う。
そんなクリストファの鎧、白銀の女神は空気抵抗によって生じる白い筋をその四肢末端より引きながら、豪速で落下していく。
・
・
・
『イーグル・スリー! 反応が鈍いぞッ!! どうしたっ』
キートン教官の怒号が右鼓膜に打ち込まれた。そんな状況は怒鳴られるまでもなく、自分で分かってはいるのだが。すっかりと遠くに流れてしまったイーグル・ツーの尻をディスプレイと目視の両方で確認し、操縦桿を引く。スロットルを強く噴かす。
しかし、それが良くなかった。
「あ、やべっ」
そう口にした瞬間、目の前が真っ暗になった。
『バカヤロー――』
キートンのそんな絶叫めいた怒号を、アーサー・ホルストは最後まで聞くことが出来なかった。
失神してしまった為。
・
・
・
「糞馬鹿野郎めっ――」
管制室にて通信ディスプレイにインカムを投げつけて収まらず、続けて卓に右拳を叩き付け、更にはその自らの頭を掻きむしったキートン二佐だったのだが、沈着冷静が『売り』となっている彼からすると、これは大変に珍しい行動であったとしか言えない。事実、その隣で管制補佐業務に従事していた女性の一曹は口を半開きにしてまでして、そんな上官を見詰めている。なお、ホルスト一尉が搭乗しているイーグル・ツーこと[ヴィクトリ]はパイロットの失神を感知し、自動的に該当宙域で機動を停止していた。ディスプレイの中では『パイロット失神』を示す警告表示が黄色く明滅されており、キートンは固く握り締めた拳を未だ、解除することもせず、苦々しく睨み付けている。
「落ち着きなって――いつものアーサーらしからないことに気付かない?」
その背後から突然掛けられた声に、キートンは少なからず驚いた。その声の主がいつの間にこの管制室に訪れていたのか、管制と指示に集中していたとは言え、全く気が付かなかったからだ。
「気持ちはわからんでもないけど、まずは落ち着きな」
付着してもいない埃を払うようにしながら、フローラはインカムを拾い上げた。
「失礼しました――しかし尚更、ですよ。体調が悪いのならブリーフィングの段階で申告しなくてはならない。こちらとしては幕僚長のご意向もあって、強制するのは避けてきたというのに、この為体(ていたらく)では」
それでも一礼して、インカムを受け取ったダイチ・キートンはすぐに次の行動に及ぶ。既に、常の彼を取り戻している様子に関しては、フローラ・ザクソンよりも補佐役の女性二曹の方が余程に安心していたのだろうが。
「イーグル・ツー、訓練は中止だ。回収艇の準備をこれより行うので、貴機は現状待機せよ」
『ツー』
単純なイーグル・ツーの返信に思えるが、これで『イーグル・ツー、了解』を示す意味となっている。そんな返信に頷きながら、直ちにキートンが回収艇の手配を開始――しようとしたが、横から伸びてきた腕にそんな手は止められた。
「アヴァントで出る。ラズにも船外活動の経験は行わせておきたい。都合が良い、と言えばアーサーには悪いけれど」
言いながら、フローラは手元のインカムを素早く装備した。教導隊訓練の視察――というか覗きと表現べきかも分からない――を行っていたら望外の状況になった、と言えば、やはりアーサーには申し訳ないが。
「ラズ! アヴァントの状況はどうだ!?」
『完璧です』
訓練の賜物(タマモノ)と言うべきか、飾るところ、一切が存在しない簡潔明瞭な[アヴァント・ガーダー]はフライト・オフィサであるラスティ・ハーヴェイ二尉の返答だった。
「よし。機関に火を入れろ。15分ほど前倒しで訓練開始だ」
『りょ、了解。……あの、機長は』
「これから向かう。オイラが着くまでに初期起動を完了させておかないとオシオキするからな」
『は、はいいいっ』
気の毒に、と口ほどに物を言う顔を構成しながらキートンは頭を振った。
「それじゃ、こちらでは一応救護班を待機させておきます」
「うん、ヨロシク。まあ、良くあることだよ。アーサーも身に染みて勉強になったことだろう」
ヘルメットを持ち上げて、フローラはキートンの右肩に手を置いた。
「それじゃ、そうゆうわけだから。後はよろしゅう――」
そう言い残すと、駆け足で管制室を後にする深紅のパイロット・スーツであった。
・
・
・
「あっ、見えたんじゃない!?」
対光防御の施されているゴーグルで天を見上げていたマリーベルがそんな声を立てた。
「む――見えるね」
全く同じ状況のリョウが呟いたその時。とてつもない轟音が、彼等を襲ってきた。リィリィ、と響く――敢えて例えるのなら鈴の音というところか。だが、そんな穏やかな音量では断じてない。
「うっへえ、高度一万フィートでこれかい」
苦笑しながら、リョウはそれまで首に掛けられるままだったヘッドレストを装着し、こちらはマイクも兼ねているマウスガードを続けて装着。同じタイミングでマリベルが続く。
『まだ豆粒みたいな大きさなのに』
実際、高性能の軍用ゴーグルでも未だに、その詳細は確認できないのだ。辛うじて、対象が四肢を広げている様子は分かる程度のもの。
『スケールが違うな、どうにも』
すっかりと自分たちの仕事が終わってしまっており、悠長に観察する暇が今の二人には存在している。これは無論、大変な特権と呼べるべきものであり、彼等の背後ではそれこそ数十単位の自衛官が右往左往していた。もっとも、これでも相当に人員数それ自体は絞り込まれているのである。デウス・エクス・マキナ、[ライト=ブリンガ]が事実上のエテルナ自衛隊は最高機密であることを示す要素の一つであると言えるかもしれない。
『あら、大統領閣下のお出ましね』
そんなマリベルの発言に、リョウは慌ててゴーグルを下ろした。目測で1キロ程の遠方だろうか――航空自衛隊所属の輸送機が滑走している映像が肉眼に飛び込んできた。つい二日前、ここのスタッフが整地した大地に凝固剤を丹念に染み込ませて建造した、即席の滑走路だ。
『文字通りの高みの見物ってわけだ――』
口にしてから、しまった、と失敗を悟ったリョウであったが、マリベルは差し当たっては何とも感じなかったらしい。
『地上じゃ追いかけきれないだろうしね。空から見るのが一番確実で、そして説得力があると思うわ』
ああ、なるほど。マリベルは、大統領に付属する『俗物』に対しての言葉と受け取ってくれたのか。リョウは、その広い胸を撫で下ろす。
『なんだかなあ。営業活動の一環だとすると笑えないね』
これはリョウの全くの本心。普通に、そして純粋にクリストファ・アレンと言う一人を尊敬――敵対している人々からは『崇拝』だの言われているが、それこそ知ったことか――していることもある。いつだったか、ヒムラ・キリオが泥酔した勢いでそんなクリストファに対し、『面倒くさいから、落ち着いたらお前、皇帝にでもなっちまえよ。銀河帝国とか作ってさ――俺は黒幕でいいからよう。で、リンダとソフィが双璧になってなぁ、それでファイナルアンサァァァァー』等ととんでもない発言を行ったことがあった。良い意味で、ドキッとした自分の感覚が未だに忘れられない。
『後世の歴史家が語るかもしれないわね――アレン王朝の始祖クリストファは、かくして営業活動に身を窶(やつ)す時期もあったのだ……ってね』
上半身を揺らすように笑ったマリベルは、そのヒムラ『トンデモ発言』の現場にいた人間でもあった。
『あれはデンジャラスな発言だったねえ、今思えば』
全く、苦笑するしかないリョウ・ターミナであった。しかし、その苦笑は長く続けられない。
『来たよ』
マリベルが、その美声の中に緊張感を混ぜたけれど。
『うを――』
リョウは、思わずその場に身を屈めた。マリベルの右腕を引くことは忘れていない――念のため。
『すっごぉぉぉぉいのねぇぇぇぇぇぇぇ』
立ち込める砂嵐の中、マリベルはそう言ったのだ。
何が?
いや、勿論。
ライト=ブリンガが晴れてエテルナの大地へ突き立ったのだ。
ただ、それだけだったのだけれど。
視界の悪い中、それでもなおライト=ブリンガの双眸、各間接は強く自己を主張している。その周辺に、尋常ではない音と、そして砂塵を派手に撒き上げながら。

