『――応答しなさい、ミランダ。こちら、ノイマン』
ううっ――どうしたものか。しかし、『姉さん』が相手では。数秒程の逡巡は挟んだが、それでもミランダは通信機能の回復を実行している。
「……こちら『ロータス』――ルヴァトワ二尉」
『おお、通信機は直っているようね、それは良かった』
「……はい……」
いつも通りのベアトリイチェの言葉は、それ故に怖い。
『怒るつもりはないの。手短に確認する。アンタ、なんと『レヴァティン』握ってるね?』
「はい……拾いました……」
隠し通せるわけもない。こちらの兵器装備状況は全てお見通しとなっているに決まっている。
『オーケー、怒るつもりはないんだ。今の状況を逆に使う。取り敢えず、アンタは今の針路を維持しなさい』
拾った、と言うミランダの言い訳が全くの事実であることを知ってはいるが、思わず苦笑してしまうベアトリイチェである。拾った、ってのも凄い言葉だ。
「アイメム――」
『とは言え、最初の命令違反は重罪。帰ってきたらそれなりの処罰は覚悟して貰うからね』
言外に励ましが含まれている、それはミランダにも分かった。
「了解、無事に帰艦します」
どこか、胸がスッとした。
『時間がないから、良く聞いて、ミラン。手短に作戦を説明する』
・
・
・
「――駄目だ、このままでは」
エミリナは絶望の淵へと立っていた。こちらへ向かってくる雑魚――敵艦載機群にすら、今の状況では攻撃もできない。逃走を計りたいが、『静』がこの有様ではそれも難しい。
『うあああ――なにかが、なにかが、むかってくる……くる……』
まともとは言い難いものの、取り敢えずは意味を含んだ発言だった。
「『静』、聞こえてるっ!?」
期待を込めて、呼び掛けてみる。『静』が自我を取り戻すこと、それが今の最優先事項だった。
『きこえてる……きこえてた……ああう』
口頭によるコミュニケーションが完全とは言えないが、成立しつある。深刻な副作用をもたらす連続の薬物投与を無しに正常域へと戻ってくれれば、言うことは何もない。
「静、戦うか逃げるか、どっちか決めないと」
『たたかう……にげる……』
エミリナの結論。
「一度、逃げよう!」
味方の援護だって来るし、実際にこの『義経』の状態は芳しくない。
『にげない』
その発言に、妙な凄みがあった。いや、なんで自分が怯えなくてはならないのだ、エミリナ・ロードス。
『めんどうだから――ぜんぶこわす』
・
・
・
「『義経』に近付けるな!!」
「『RL』に近付けるな!」
それぞれの固有名詞が異なるだけで、その実、内容は変わらない。連合帝國軍と自衛隊の艦載機群は交戦を開始――いや再開――した。
気付けば、乱戦。
互いの『切り札』が無効となった『その時』、『その場所』の必然であった。
『義経』を護る為の艦載機群、そして『ライト=ブリンガ』を護る為の艦載機群が、この時、この空間で相打つ。都合、二回目という計算になるが、一回目と異なり、エテルナ自衛隊の側には凶悪な二機の存在があったことが、連合帝國軍にとっては軽からぬ悲劇の始まりとなった。
言うまでも無く、アヴァントガーダー、『サラマンデル』と『蒼鷹』の二機の存在だ。
そう。重爆撃機ともDMとも付かない、中途半端な存在だった筈のアヴァントが。
結果的には『全く実用的』な存在となったそんな『アヴァント・ガーダー』は、リンダ・フュッセル女史の極めて現実的な防衛本能に基づいて建造されたものだ。その生涯の伴侶と勝手に定めたヒムラ氏が――彼女の名誉の為に言っておけば、これは相思相愛なのだが――どちらかと言えば実験的で前衛的な新型を作り上げることを知っていた、それ故のフュッセル女史の現実感の具現であった。今や、その有効性が示される時。
『おらおらおら!! 目の前にいると、ブッ飛ばすぞ!!』
全兵装解除。アムロは、自機『蒼鷹(おおたか)』と『イレギュラー』の間に立ち塞がった数機の敵機に対し、ミサイルの雨を降らせた。その雨の中に紛れ込ませるように荷電粒子を連射し、バルカンファランクスを更にその後方へと情け容赦なく叩き込む。
「すんげっ」
サカイは思わず呟いてしまった。それ程の圧倒的な大火力。これらアヴァントには、単機にしてヴィクトリやストライクの一中隊を超える戦闘力があることを、実例を以て知った。基本的には同型機である一号機、『サラマンデル』はこの交戦直前に、迎撃に上がってきた敵艦載機群の第一波をその遠距離から一瞬にして打ち砕いていたが、これは今は事実上の機能不全となってしまっている『ライト=ブリンガ』の元へと急行中だ。
『やれやれ、出る幕が無いわね――』
二号機『蒼鷹』の織り成す激しい飽和攻撃に、ジェニーが呆れとも感嘆とも付かない声を上げてきたが、これはサカイの感想と全く同一のものでもある。何という火力、攻撃密度。電子戦に関しては、圧倒的と言っても良い優位性は自分達、エテルナ自衛隊の側にありはしたが、それにしてもミサイルの命中率が秀逸に過ぎる。実のところ、相手側は通信を行なうのも一苦労なのでは無かろうか、等と妙な同情が芽生え掛けなくもない。
『第二波から六波、来るぞ!! こっちはリロードに時間が掛かる!! ミサイルが有効なのは見ての通り。距離を置いて、慎重に戦え!! 勝てるぞ!!』
再度、アムロ・レイコからの命令。見れば、実際に『蒼鷹』の節々が細かく変形している様子が確認できた。そんな最中でもバルカンを放ち続けているのはさすがと言うべきか。
『『『『アスッ!!』』』』
臨時部隊総員の唱和が続く。サカイは、殊更に強くグリップを握り込んだ。
・
・
・
『フォーチュン』との情報連結を凍結。
怪しまれるに決まっているが、今のこの窮地を切り抜ける方策。
より手っ取り早い方法もあるが『まだ時期尚早』かしら。
クリストファ。
ごめんなさい。
でもいずれにせよ――遅かれ早かれ貴男は。
ごめんなさい。
・
・
・
「情報連結停止?」
RLの管制担当、ナナ・マネーシーは涙に曇り、占領され掛けている自らの両目を、更に信用できなくなった。
「――主任っ」
言ってはならない言葉が口を突いたが、気付かなかった。そして実際、当の相手は真っ先に反応を戻してくる。
「何がどうしたっ」
やはり有り得ない、仮にも場を預かる最高指揮官が全力で駆け付けるなど。
「Disconnected――(切断)」
それだけを口にして、画面を指差すことしか出来なかった。通常であればRLの機体状況だけでなく、パイロットであるクリストファ・アレンの生体情報までもが表示されている筈の画面だ。
「敵さんからの電波妨害の可能性――機器の一部故障――」
実際に口にしながら、端末の操作を続けた『主任』、キリオはしかし、諦めの呻きと共に、その拳を管制卓へと打ち下ろした。
「――何を考えているっ、『アテナ』!」
小さかった、しかし絶望感に支配され尽くしているこの時のヒムラ・キリオのその言葉は、ナナ・マネーシーにしか聞き拾うことが出来なかった。
・
・
・
『うろちょろと、じゃまなんだよおっ!』
距離を置いてコンスタントに攻撃してくる敵艦載機群。何がどうあったのかは分からないが、味方の艦載機群が基本的に『当て』にならないことはエミリナにも分かっている。そして、実は今の『義経』にはそんな『ちくちく』とした攻撃だって防ぐのが精一杯という情けない状況。敵のECMが万全に機能している中で、レーダーが砂嵐と貸していることもある。早い内に、こちらも電子戦機を投入してくれないと困るのだが。
「『静』、目標はあくまでも『ビッチ』だよ!」
敵艦載機群に関心を寄せつつある『静』をさりげなく牽制しながらも、エミリナのその背中には冷たい汗が滝のように伝っていた。自我を取り戻しつつあるとは言え、機体の損壊状況は深刻に過ぎる。つまらないバルカンや荷電粒子を必死で防いでいるというその状況自体が実はEFにとっては大変な屈辱であったし、増援もこれはなかなか見込めないとなれば。
「静、『ビッチ』を叩いておこう! トドメ!!」
敵艦載機群に、敗北することは無いとエミリナは判断した。勿論、勝てることもないだろうが。
『ビッチ――ああ、あいつ……まだのびているみたい……』
「だからこそ、だっ!!」
エミリナは、迷わなかった。
『でもこいつら、うざいから、そのあとかな……』
・
・
・
『がああああああああっ――』
何か、致命的な『もの』が裂け切れたような音と共に、クリストファは覚醒を強制された。
『がはっ、うぶっ――』
目覚めたばかりの肉体は込み上げてくる嘔吐感に耐えることが出来ない。堪える間もなくクリストファは盛大に嘔吐したが、その吐瀉物はヘルメットに内蔵されている吸引機に吸い込まれていく。咳込み、噎(む)せ返りを幾度も繰り返す。
『おぶっ――いったい、なにが』
呟いてはみたが、言葉にならない。その脳髄の内奥では、大量の針で突かれるような激痛が走り続けているし、指先から爪先まで、感覚の一切が無い。鼓膜がビリビリと震えている気配があるが、聴覚の類は一切が失われている。目は辛うじて見えるようだが、その景色全体が霞(かすみ)掛かっているのはどういうことか。
『そうだ、敵は――!!』
戦士として、そしてパイロットとしての本能が、身体の違和感と精神的な疲労を一時的に忘れさせる。RLは、自分は敵の戦棍に殴り飛ばされた――瞬時に、そこまでの状況を思い出すことは出来た。
『アテナ、アテナッ――状況知らせっ』
ここで、気付いた。声が出ない。いや、音の一切が拾えないと言うことに。それだけじゃない。激しく嘔吐した筈だが、嗅覚も味覚も一切が機能していない!?
『なんだ、何がどうなっている』
その精神が錯乱に及び掛けていることをクリスは自覚したが、どうにもならない。何しろ、体の自由が一切利かない。
『アテナ、アテナ、アテナ! 何がどうなっている!!』
返事は戻ってこない。いや、そもそも自分の呼び掛け、それ自体が『意味』を為しているのかすら。
悪い夢でも見ているのだろうか――そう考え掛けた時。
判然としなかった視界が、少しずつ晴れてきて。
『ロータスだと――ミランダ!? なぜ――!!』
いよいよどころではなく、その視覚映像は精密さを増してくる。その中、クリストファは信じられない光景を知ることになる。
『なぜ『レーヴァティン』を!!』
絶叫した、つもりだった。加速を緩やかに減じている中、そんな『ロータス』が『レーヴァティン』を構えるに至ると、これはもう平静ではいられない。いっそ、悪夢の続きであればとも思ってしまうが、その視覚、映像の細部にまで至る精緻(せいち)さを見ていれば、とてもそうは楽観的になれなかった。
『やめろミランダ、お前の敵(かな)う相手じゃない!!』
・
・
・
「チャンスは一度だけ――」
跳ね上がりそうになっている心臓を繰り返した深呼吸でどうにか落ち着けながら、ミランダはゆっくりと、しかし確実に『レーヴァティン』を構えた。『エターナル』からの精密誘導には全く問題がなかったし、電子戦状況下の優位性はこちら側にあった。自機『ロータス』が敵『イレギュラー』のレーダー網に掛かっていないことを、祈りながら、ここまで接近することが出来た。危険は危険だけれど、『レーヴァティン』を撃てるのは自分しかいないのだ。
『いい、ミランダ。始めるよ――』
ベアトリイチェの声は、どこか震えて響いてくる気がした。
「ア、アイメム――」
もっと震えてしまった自分の声を恥ずかしく思ったが、取り敢えずその点に関するベアトリイチェからの言及は無い。思えば、彼女にもそんな余裕は無いのだろう。
『カウント10から始めるよッ――』
・
・
・
『ほんと、うざい――』
ミサイルや実弾はこれはフィールドで弾きつつ、無視できない出力規模の荷電粒子の類に対しては器用な回避を『義経』は続けている。万全の状態であればそんな荷電粒子など回避する必要も無かったのだが。
「やるからには味方の援護も忘れないで! あの『デカブツ』を狙って!!」
敵性体『EFもどき』の『ビッチ』が気掛かりなエミリナであったが、『静』の現状を考えれば強引に我(が)を押し通すのは得策ではない、と判断することにした。ベネットからの介入――良く言えば『作戦変更要請』も無かったし、この路線で行くしかない。ストレスの発生とその溜め込みが今の『静』にとっては一番の敵であることは確実であったし、他の敵艦載機群は味方のそれの迎撃に応じるのが精一杯なのか、こちらに対して戦闘行動を取ってくるものはいなくなったこともある。しかし、唯一。
『うん、あれがいちばん、じゃま』
謎の重爆撃機が現時点での最優先目標として固定され、『義経』の左腕が閃光を放つ。特別に装備された重ガトリング砲が『目標』に対して夥(おびただ)しい量の弾丸をバラ散らしている中、『メーンユニット』にて新たに生成されたばかりの『得物』が右手に掴まれていた。
「うん、良い選択よ『静』!」
モードが『トマホーク』と言う単語を示していることに満足し、エミリナは胸を撫で下ろす。『静』は今や、完全に機能回復を果たしている、そんな確信を覚えたからだ。
『おおきい、おもいはずなのに――やる』
敵重爆撃機は全く、見惚れる程の機動でガトリングを回避している。いや、それどころか間隙を縫って的確な反撃まで行なってきている。素直に感心するエミリナ、そして『静』であった。
『けど、これはむりでしょ?』
『義経』の右腕が真空の宇宙空間を裂いた。恐ろしい速度と、しかし高度に計算された回転を維持しながら、『トマホーク』が目標に向けて突き進んでいく。
・
・
・
『カウント3――』
ベアトリイチェが唾を飲み込む音が聞こえてきた。そうだ。みんな、緊張しているんだ。
『2』
意識を研ぎ澄ませ。獣になるんだ――
『1』
この段階で、戦闘に参加している全ての艦載機に『退避命令』が出されている。蒼鷹を始め、ランス大隊が――厳密には混成部隊だったが――一斉に後退する様子がレーダーで確認された。いよいよだっ。
・
・
・
『ORDER-SHELTER(退避命令)』
文字列を確認したその瞬間、アムロは操縦桿を半ばの無意識の内に引き寄せていたが、よもやこの行為が彼女の『人生』を大きく変えるものになるとは夢想だにしていなかった。いや、大きく変えるどころではなくて。
「えっ――」
質量と速度とを伴った危険物体に対する接近警報が鳴ったその瞬間に、彼女の『蒼鷹』の機首、眼前をとんでもないものが掠(かす)めていったのだ。
「――な、なになに??」
混乱はしたが、パイロットしての冷静さは失われていない。『エターナル』の前代未聞の対機射撃の巻き添えとなるのは洒落にならない。が。退避命令が一秒でも、いやコンマ数秒でも遅れていたら自分は確実に死んでいたという現実。接近警報が遅れた理由は未明だったが、全くの自発的意志に依らない機動を行なわなかったら……。
クリストファ・アレンは言った。
「幸運を引き寄せるのも、パイロットの腕の一つなんだよ」
その意味を身を以て知った時には、アムロは失禁していた。無理もないことだったが。
ともかく、撤退だ――予想される『イレギュラー』の反撃に怯えながら、アムロはスロットルを全開で絞った。
・
・
・
『SHOOT――!!』
ベアトリイチェの裏返った声。打ち合わせ通り、その天頂面に『ロータス』は瞬間的に加速移動した。通常のそれよりは細く絞られた光の奔流が、先までの自機航跡を辿るようにして、のたうち迸る。出来れば、これが当たって欲しい。『エターナル』の『ヘヴンズ・ソード』に比べれば、自分が撃てる『レーヴァティン(もどき)』の威力なんて、高(たか)が知れている。
「当たって!!」
照準は『イレギュラー』へと定め、しかし自分はまだ『レーヴァティン』を構えたまま。保険は保険であるし、そのギリギリの直前まで射点は『ロータス』によって隠せていたのだから、自分の覚悟と心配が無用のものになれば良い!
必死に祈りを上げていたミランダに、気付く余裕はなかった。
ハリネコが何の反応も見せていないことに。
・
・
・
『あいつ、よけた! うそだ!? ありえない!!』
再びパニックに陥り掛ける『静』であったが、それはエミリナも同じだった。必殺の一撃だったのでは無かったか。
「二度、続けて――くそっ」
一度目は『ビッチ』に器用に撃破され、そして二度目は見事に回避された。その回避が偶然なのか、否かは定かではないが、あれだけの速度を伴った質量の回避は不可能だった筈だ。よもや、あの重爆撃機もEFに近い構造となっているのではないか。そんな予感と同時に、報告にあった赤い同型機の存在が気になる。
『にげる――ちくしょうっ』
興奮を隠しきれない『静』の言動はこの場合は危険。
「追わないで、『静』! 何か妙だ――」
最後まで、エミリナは言えなかった。
『あ――』
高熱源体、急速接近。そんな警告が表示されたが、されるまでもなく、両者の視界は白一色に染め上げられている。
――よけてっ
やはり、声にならない声。
迂闊だった。艦砲の存在があることを――
・
・
・
「やった!?」
激しい閃光の中でミランダは快哉を上げたが、しかし『イレギュラー』の反応は消滅していなかったし、その後方へと抜け行った荷電重力波は、期待していた程の減衰効果を示してもいない。失敗、いや、少なくとも成功とは言えない。
「駄目だ――もう一撃を」
『撃ちなさい、ミランッ!!』
擦り切れたベアトリイチェの声。
「はい!!」
照準が拡大され、幾重にもフィルター処理が施されている中で『イレギュラー』の上半身を確認。全く迷わず、トリガー。
ファイナル・ガーダー『ロータス』、初の『レーヴァティン』射撃。
『ライト=ブリンガ』のそれには遠く及ばない、しかし無視するには余りにも強力な荷電重力波が渦となって目標へと突き刺さる。
『ナイス、ミランダ!!』
喜びを隠しきれないベアトリイチェの声に、『エターナル』艦橋要員の歓喜の声が続いた。自機のシステム、そして『エターナル』のどちらからも『命中判定』と言う結果が出されており、ミランダとしても胸を撫で下ろし掛けたところだったが。
「えっ?」
軽い衝撃に続いて、それから警告信号が幾つか表示された。この順番って何よ?
「――えーっと」
警告信号が尚も上がり続ける中、今度は比較にもならない程の激しい衝撃がミランダの全身をシェイクする。
『ががががが――』
状況が全く分からない。対消滅機関が停止しているって??
気付けば、目の前が大きく開けている。前髪が大きく靡(なび)いて、コックピットに満たされていたエアーが一斉に抜けていくのが分かった。危機的状況を認識したヘルメットのバイザーが瞬時に下ろされたが、ミランダはそもそも自機がどんな状況に置かれているのか、全く理解が及んでいない。ヘルメットに内蔵されているスピーカーから、誰のものとも付かない悲鳴が飛び込み続けていたけれど、体が動かない。コックピット損傷を示す警告音を他人事のように耳にし、このコックピットの風通しをすっかり良くしてくれた損壊部から、バイザーを一枚隔てただけの状況で宇宙空間の星々を眺めた。
『ああ、やられているんだ――いや、やられたってこと?』
続いて、リズム良く三回の衝撃。
がん、がん、がん。
自動脱出装置故障、そしてハッチ損壊。いつの間にか、満身創痍となってしまっている『ロータス』はそれでも懸命にその主へと『自力脱出』を推奨してくれていたが、ハッチがこの通り開かないのだからどうしようもない。せめて、自分が死ぬ前に、何があったのかを知りたいと思ったが。思ったが。
ハッチ面に縦に大きく入った亀裂。その向こう側、つまり『宇宙空間』の彼方から、何かが飛んでくるのを肉視確認。物凄い、それは凄い早さで迫ってくるのは槍みたいなものか。目標は、自分の眉間??
呆気ない。
こんなものなんだね。
その瞬間を最後に、ミランダの意識は完全に消失した。
・
・
・
最初の一撃は、どうにか回避できた。これも非常に奇跡的な回避だった。それでも、右脚部とメーンユニットの一部を失うことになったし、フィールドは全て持って行かれてしまった。
『うわああああん!!』
動揺しているのは『静』だけではなく、エミリナも同じ。
「でも、良く避けたわ!」
もう投薬の実行には迷わなかった。ここで落ち着けないといけない、それが大前提。端末に素早く指を走らせていたエミリナだったが。
『また、きた――』
「なんですって」
第二波にしては早過ぎる――そう、考えることすら出来なかった。
振動と爆発――中枢骨格の一部中破、メーンユニット、レフト全て崩壊損失、左腕トラクタ・ビーム機能停止。幸運にもこの二発目は出力がまだ低かったから、この『義経』は存在できていた。が、とても『健在』とは呼べない状況だ。
『あああ――うわあああああん』
『静』はそれでも、どうにか機体の保持と維持、不要部の廃棄に余力を注いでいたが、ここでテイマーの反応が無いことに気付いてしまった。
『おねえちゃん? エミリナねえちゃん??』
返事がない。項垂れたままのエミリナは、完全に白目を剥いて沈黙していた。
『――おねえちゃん……』
大事な大事な、大切な大切な『おねえちゃん』が。『静』は即座に、『二発目』の狙撃手を探った。レーダーは相変わらずの砂嵐だったが、射点から大凡(おおよそ)の座標は推測が付く。その該当座標へ向けて『目』を凝らすと、確かに妙な『EFもどき』が機体全長程のライフルをこちらに構えている様子が確認できた。あいつか。
『ころしてやる』
エミリナの、『おねえちゃん』のパイロット・スーツに異常のないことを確認。その四肢をシートに固定させて、首周りと腰回りには対G衝撃ゲルを注入させた。殺意に溢れている『静』はそれでも、エミリナのことを最優先に考えている。自分はこれから『壊れる』かもしれないけれど、『おねえちゃん』には無事でいて欲しい。
『ころしてやる』
再度、エミリナの状態を確認して、『静』は、『義経』は跳ねた。ただ一点へと向けて、全ての推進力を動員する。四肢の一部のみならず、もはや役目を果たしていない装甲、その他を躊躇(ためら)わずに捨てた。
『トマホーク』
現状で許される最大の加速を実行している中で、形成された『トマホーク』を投擲した。こんな加速状態で、そして遠距離で投擲を行なうのは初めてのことだったが、『静』は全く動じていない。
『ジャベリン』
メーンユニットの今の状況では、新たな『トマホーク』の形成は難しかったことが故の武装選択だ。形成されたばかりの『ジャベリン』をその傍から投擲した。その数、三。『トマホーク』で動きを止め、『ジャベリン』で縫い付ける。それでも機体が奇跡的に保(も)っているようだったら、嬲(なぶ)り殺しにしてあげる。最後に形成された『ジャベリン』、これを投げるのは命中を確認した後で良いだろう。
『ころしてやる』
『静』はその名前に違わず、『静かに』決意した。
・
・
・
「何がどうなっている!?」
クソッタレが。この短時間で、どれだけトラブルが立て続けばいいんだ。唾棄する思いでキリオは叫んだ。
「『ロータス』、被害甚大――主管制は『エターナル』にありますが、現状不明は同じのようです」
シャルロッテはあくまでも淡々と。
「『サラマンデル』、酷な命令になるが『ロータス』の援護を優先してくれ――」
『アイサア――』
時間的に間に合うのか、そもそも『サラマンデル』でどれだけの援護になるのか、疑問は尽きない。クリストファがどうなっているかも分からないが、取り敢えず今の段階で最も死に瀕しているのはミランダと『ロータス』だ。恐るべき速度で、敵『イレギュラー』は『ロータス』に向かいつつある。それを阻めるものの存在は、絶無――RLが健在であればどうにかなったろうが。それにしても、『手負いの獣』とでも言うべきか、あれだけの損傷を受けていながら尚もこれだけの物理的脅威をこちらに与えてくるとは、『イレギュラー』並びに『太陽系』恐るべし、だ。しかし、ミランダ。ミランダよ……。
――やはり乗せるのではなかったか
これが、度し難いエゴイズムであることを無論、キリオは知っている。それでも、思わずにはいられなかった。
「クリス、ミラン――」
唯一無二のDMを失いつつあり、そして彼の最高傑作である『ロータス』はこうも呆気なく。いや、機体はどうあろうと、二人には生きていて欲しい――切なる願いだった。しかし、現実としてRLとの情報結合は切断されたままであったし、『ロータス』からも一切の反応が戻ってこない。既に情報衛星群の統括指揮権は偵察部隊『コブラ』に委譲されていたから、その点での問題は無かったが。そんなもの、屁の突っ張りにもならん。
あれ――と、誰かが呟いた。混乱を極め、怒号が飛び交うこの艦橋にあって何故、キリオがそんな呟きを拾えたのかは分からない。いや、その人間の声を、心のどこかで強く求め、期待していたからでは無かったか。
「RL、健在っ――パイロットの生存、システム各種の起動を確認!!」
中腰で、ガッツポーズを取りながらナナは叫んだ。そう、これは叫ばなくてはならなかった。
どわああああっ、と歓声が上がる中、思わず腰が抜けそうになるキリオだったが、勿論そんな暇など無い。抜かすのは、全てが終わってからのことに。
「――繰り返します――幕僚長、応答願います」
艦橋全体の空気が良好なものへと転じている中、しかしナナは中腰を維持したままの状態で呼び掛けを続けている。その横顔に余裕が見られないことに気付いたキリオは、ゆっくりと近付いた。
「……呼び掛けに応じてくれません」
キリオの接近に気付いたナナは、意識して小さな声で報告を。
「通信回路が故障しているのかもしれんよ――いずれにせよ――」
半ば自分自身に対する励ましだったが、言い終えることは出来なかった。ディスプレイに齧(かじ)り付くようにしていたナナ・マネーシーが絶叫した為だ。
「ライト=ブリンガ、『イレギュラー』と『ロータス』の間に割って入りますっ!」
・
・
・
『あ、ああああ――ミランダ!!!!』
身動きの取れないクリストファは、飛来した『斧』状のものによって『ロータス』の一次装甲がスイカのように叩き割られるのを、ただ見詰めていた。いや、一次装甲どころじゃない、もしかしたら。しかもあの位置はコックピットだろう!
『なぜ動かない!! 答えろ、アテナ――動けRL!!』
叫んだつもりだが、声になっていない。唯一機能している視覚にしても、正常とはとても言い難いものだった。しかし、この身体の自由が全く利かない中、それでも強制されているこの視覚は一体、何なのか。何かがおかしい。自らの思考、感情をそれでも順序立て、論理的に或いは哲学的に落ち着かせる努力を行なっているクリストファのその両目に、しかし続けて流された映像は、そんな努力を一瞬にして奪い去るのには充分過ぎるものだった。最初の一撃で、ほとんど機能を停止している『ロータス』に対し、『槍』が三本、新たに打ち込まれたのだ。
『うわああああああああああああああああ!!』
そんな生き地獄の中、遂に四本目の槍がロータスのコックピットに突き立った。小爆発を起こし始めている『ロータス』のコックピット・ハッチの一部が爆圧で吹き飛ばされる中、破片類の多くに混じって頼りなく飛ばされているもの、その一つの正体がパイロット・スーツであることをクリストファは確認しなければならなかった。
『ミランダーーーーーーーーーーーッ!!』
音もない、感覚が視覚以外は存在しない、そんな静か過ぎる世界の中で、クリストファは自らの発狂を悟りつつあった。
しかし、何かが動き始めた。例えるのなら、動力を受けた歯車が、小さいものから少しずつ、動き始めたような。
――かちかち
――からから
――きりきり
――ちきちき
『何か』が来る、その心で身構えたその時。
自らを中心にして、『世界』が爆発的に広がった。
視界は一気に開き、情報の大波が溢れ出す。自機『ライト=ブリンガ』の損傷状況だけではなく、味方を含む敵機、艦隊――情報の全てを求めれば、得られるような万能感。
――そういうことか
この段階で、瞬間的に『事情』の多くを理解、把握してしまったこともあり、狂乱へと陥り掛けていた筈の精神は、今や全く落ち着いたものとなっている。相棒『アテナ』の、見えなかった『努力』が、果たしてどれだけのものであったのか。感謝は、堪えない。
――ありがとう、アテナ
クリスは、自らの左手を確認した。細長く、曇り一点も無い美しい指だ。手首を返して、二度、三度と握り込んだ。全く、不自由はない。動く。完璧に。
問題は、その左手が『ライト=ブリンガ』の『それ』であったこと『ぐらい』。
右手を確認してみれば、手首から先が無くなっているし、左足も膝から先が無い。しかし、右腕は問題なく動くし、左腿も問題なく稼働する。どうやら『イレギュラー』に一部を食われはしたが、本体に致命的な問題は無いようだ。胸部内部の加速器が幾つか損傷している気配があるが、現時点で問題は無し。
自らを構成する理性の一部が、その精神の片隅で膝を抱えて怯え震えている気もしたが、いずれにせよ、クリストファはこの異様な状況をそれでも、自然と受け容れることに成功している。
『ミランダ!』
危険な、そして『悪意』に溢れる敵性体が、尚も『ロータス』に向かい続けることを知った。いや、『分かった』。
GRDS、最大展開。同時に、許される最高出力での加速。
操作も何も、必要はない。望めば、結果が得られることをクリスは知っている。
ライト=ブリンガは静止状態から、脱兎の如く飛び出した。
・
・
・
『しぶとい』
憎らしい対象は機能を停止しているようだが、爆圧を利用して肝心の『中身』を機外へ脱出させるとは、味なことをしてくれる。でも、これ以上は駄目だよ。『あんた』の目の前で、食ってあげるよ。どこか、私と同じ臭いのする『あんた』、その大切な『人』を。
最優先目標『敵パイロット・スーツ』。
精神的な舌舐めずりを行なって、対人兵器としての『ニードル』を組み上げた。魔女は串刺しがお似合い。
『しね』
目標に対して五本の針が飛ばされた、その時。
ずん。
『あ』
そんな『ニードル』を塵(ちり)と消滅させた正体は、なんと『ビッチ』の胸部装甲とフィールド、そのものだった。『義経』の目の前に何の躊躇も前触れもなく出てきた、そんな『ビッチ』――いや、さっきまでの『ビッチ』とは違う?
『なんでこいつ――』
考え終わる暇もなく、『義経』は要斬(ようざん)されていた。各部装甲が、血潮さながらに粉と舞い散っていく中で、『静』の意識はいよいよ薄らいでいく。所有者を失った下半身とメーン・ユニットが爆発の連鎖を起こす。
『おねえちゃん、ごめんね』
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最後、一振の『ムラサメ』。一撃で決めないとこちらにも余裕は無い――失敗は許されない。細く、長く。呼吸を意識して、クリスは敢えて敵の真正面に対峙した。下らない対人兵器が何本か吹き飛んだようだが、それも狙いの通りだ。仮にも脱出したパイロットに対する行為としては下の下、卑劣極まる許されない行為。
一閃。
呆気なく、『ムラサメ』の刃が通った。
素晴らしい。今までの切れ味とは比べものにもならない『通り方』だ。真なる意味での自らの四肢の延長。
返す刃でもう一太刀を加えて止(とど)めとしたいのが本音であったが、この肉体、RLにも限界が来ている。強引な加速が原因なのは明白で、対消滅機関の一部に不具合が発生しており、間接ユニットを中心に、機体の保持を行なうのにも危険なレベルとなってしまっている。付け加えれば、燃料も心許(こころもと)がない。要斬、真っ二つとすることには成功したのだし、これを以て成果とすべきだろう。
『運が良ければ助かるだろうよ――』
最後に足蹴にでもしてやろうかと思ったが、『これから』を考えると、それすらも許されない。情けないことだったが、機体各部のビームリンクを弱め、不要部はワイヤー結合を行なうことで節約を図らなくてはならない。既に、クリストファの中では流れていくそんな『イレギュラー』に対して向けられる関心は残っていない。
『ちょっと待ってろよ』
流されたミランダの座標は織り込み済み。とにかく早く助けてやらねばなるまい――スーツに穴が一つでも空いていれば事態は深刻なものとなる。しかし、機体をその座標に向けようと意識したその時、刹那、クリストファは今の自らを取り巻く『世界』の閉塞が迫っていることを悟る。
『おい、まだ――』
黒い帳(とばり)が一斉に落ちて、抗う間もなくクリスはその意識を失った。
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「もう何がどうなっているのか考えるのも止めてしまいたい……」
ぺたん、と力無く自席に腰を下ろしながらキリオは言った。
「リンク喪失、復帰、『イレギュラー』と交戦、無力化、でもって再喪失――でも、RLは移動中……」
現在の状況をこれ以上なく簡潔に、リンダ・フュッセル。
「……とにかく、『どうにか』はなったわけだな、ブレンハルトさんや――」
司令官卓に立体投影されているブレンハルトの顔色も芳しくない。
『ですな。被害は算出させておりますが……まあ、どうにか』
「一度、仕切り直そう――敵さんもそうそうは動けないだろう」
随分も前に配られ、すっかりと温くなったコーヒーを含みながらキリオ。
『賛成します。初めての戦闘を終えて、誰もが疲労しておりますし』
そう口にしたブレンハルトが、誰よりも疲れているように見えたが、敢えてキリオは口にはしなかった。
「そういうこと。とにかく、拾えるものは全部拾って、合流しましょう」
『幕僚長――RLはどうなさいますか?』
「こっちで責任持つよ――まあ、どうにかなるんじゃね? ああ見えて、あの男は悪運が強いからね、心配しないで結構ですよ」
『分かりました。しかし、より現場に近いのは我々ですから、『エターナル』を手足のように使ってやって下さい』
彼なりに気を遣ってくれているのだろう。それは全くありがたいことだった。
「ありがとう、ブレンハルトさん。合流果たせたら一杯オゴリます」
『楽しみにしてるよ』
そう言って敬礼を残し、ブレンハルトの立体映像は消えた。
「『サラマンデル』と『蒼鷹』に連絡を入れろ。『イージス』と『ロータス本体』、その牽引回収を最優先。後方からの敵追撃並びに奇襲の可能性は、まず無いと考えられるが、充分に注意しろ、と」
シャリーが頷いて、全く同じ言葉を発信させている中で、キリオはナナの方を一瞥した。
「で、RLはどうなっている」
「呼び掛けには応じません――どうやら、半ばのオートで動いているようですが、これは『エターナル』にも『フォーチュン』にも合流を実行できる軌道ではありませんし……」
元より期待はしていなかったので、殊更に気落ちしたりはしなかった。
「ふうん。ミランダでも捜しているのかね……」
自然と口を突いて出たそんな、言葉だった。ミランダが、取り敢えずは脱出できたことを自分達は知っている。デブリに依る空間汚染も深刻なものではなかったし、スーツに異常が無いことも分かってはいるので、実はキリオはそれほどに心配していない――つもりだった。
「それ、ありうるんじゃね?」
リンダが割って入ってきた。
「救難艇を幾つか出しているだろう――ビーコンが働いていれば間違いなく回収される筈だ」
口にしながらも、確かに違和感を感じる。RLが向かっている先は、ミランダが流されていると推定される座標、以外のなにものでも無かったからだ。
「しかし、正に鬼神の様な戦いっぷりだったけれど、クリスが応答しない、そっちの方がアタシは気になるけど」
リンダの言葉は、今のキリオには重い。
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ずく、ずく――疼く――痛い、痛い――
「ぬうううああああああああああ!! 痛っ、痛いっ!!」
全身を走る激痛の中、クリストファ・アレンは覚醒した。全く、もうちょっとマシな目覚め方だって幾らでもあろうに。ほら、例えば微睡(まどろ)みの中でマリベルがホット・チョコレートを静かに運んでくるとかさあ!!
『お目覚めですか、ロード――』
涼しいアテナの声だったが、それどころじゃない。
「お目覚めも何もってナニコレ――いったああああああああああああああああああい!!」
叫ぶつもりも無いが、自然に悲鳴が漏れてしまう。ゆっくりと呼吸を整えて、クリスは自らの体を念入りにチェック。アバラの数本にヒビ、或いは骨折。内臓に深刻なダメージ――脾臓だろうか――右肩が脱臼しているようだが、このレベルだったら自分で戻せる――幸い、他の骨格には問題がない――が。
『あまり動かない方が宜しいかと』
普段と変わらない、アテナだが。
「これってやっぱり『さっきの』急加速なんだよな」
意識して、抽象的に言ってみた。
『――だとしたら』
「恨むつもりはないよ――ただ、真実が知りたい――ごわっ、いてえええええ――」
それが本音だ。忘れるつもりもないし、忘れられない。
『実は、私にもわからない――気付いたら貴男は『ああなって』いました』
噎(む)せ返り、言葉を続けようとした時に鼻血が盛大に噴出した。もしかしたら、頭脳部にも何らかの深刻なダメージを受けているのかも知れない。帰ったら精密検査――リンダ以外を希望。
「今は、頭も働かないから保留。後でミッチリ聞くよ――それより、ミランダ――って、僕は『あの状態』から何分気を失っていたのだ?」
フリースペースから取り出したウェットティッシュで鼻先を拭いながらクリス。込み上げてくる嘔吐感を、どうにか堪えている。
『二秒です』
「はあ?」
『二秒です』
「……」
んなわけねーだろ――口に仕掛けて、実際にRLの移動航続距離が伸びていないことをクリスは知った。
「……何というか、非常に長い二秒に感じられたけどね……ってことはだ、『あの状態』になる前の意識喪失も、もしかしたら?」
『いや、これは秒単位の話なんかでは無くて、長かったですよ。心停止と言う状況下で、どうやってサルベージしようかと。結果的には電気刺激で蘇生作業を強行させて貰いました』
「ありがとよ……」
電気刺激による蘇生作業の細かいところを突っ込むのは野暮というものだろう。そして、今後の健康と精神的な安息の為にも、知る必要も無い気がしてきた。
「う」
止まらない吐き気に、いよいよクリスは耐えられなくなってきた。
「おええええ――」
刺激臭が鼻先を掠める。当たり前だが、それが妙に嬉しくはあった。ただ。
『吐瀉物の中に血が含まれているようです。帰艦後の精密検査をお願いします』
女神様はお見通し。いや、これは胃潰瘍の典型的な症状のような気もするが。心当たりは有り過ぎるが、『鉄の胃袋』としては赤面に値しないでもない。
「長生きしたいからな、そうするよ」
『ですよー』
軽いアテナのその反応に、軽い違和感を覚えたが、そんな場合でもない。
「ところでこれって、『フォーチュン』に繋がってんの?」
『いえ、一部回路に不具合があった結果、通信不良が――』
「どうした」
『――いえ、通信不良は改善されているようです。おかしい……一体、何が』
気味が悪いな。口にはしなかったが、何か――大きな『何か』の道具になりかけているのだろうか。自分も、そして恐らくはアテナも。
「今は頭が回らない。とにかく、回線を復帰させろ……彼奴等(あいつら)こそ、発狂寸前になっていると思うよ、安心させてやりたい」
改めて取り出したティッシュで口元と、吸引機を拭いながらクリスは言った。
『アイ、マイロード』
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『アロー、こちら『ライト=ブリンガ』、クリストファ・アレンからの通信だ。聞こえるか『フォーチュン』?』
その声に、『フォーチュン』の第一艦橋は騒然となった。
「聞こえます、クリス――あなた、無事なんですね?」
そんな主管制、ナナ・マネーシーの口調を咎(とが)められるものの存在が他にあるだろうか。否。実際にキリオはそんなナナのインカムを引っ手繰りそうになる、その衝動と懸命に戦っていた。艦長であるソフィ・ムラサメは、その艦長席で威厳も減ったくれも無くヘナヘナとなっており、ステラにその背中を擦(さす)られている。
『ああ、どうにか息災だあ。状況、どうなっているかな? 一番早いんだったら俺がミランダ拾うけど? あと、『ロータス』も拾った方がいいんじゃね?』
「ああ、『ロータス』、『イージス』並びに『レーヴァ』の回収の目処は立っています。『サラマンデル』及び他がその任務に――」
我慢できず、キリオは遂にナナのインカムを奪い取った。
「とっとと帰ってこい、このボケー!!」
『やあキリオ――元気かい』
「ンなわけあるかこのアホー!!」
ボケだのアホだの――そんな『フォーチュン』は元よりとして、第二艦隊それ自体の高級指揮官の口から零れる言葉としては全く、相応しく無い。艦橋の節々から堪えきれなくなった自衛官達の苦笑が上がる。
『で、冗談はさておいて君達は『ミランダ』の正確な座標を算出できているのか』
一転したクリストファの声。
「……いや、大凡(おおよそ)だ」
全く、正直にキリオ。
『分かった。ミランダは僕が回収する。ロータス本体とその他は任せて良いか? 燃料それ自体も結構カツカツでね』
「とにかく帰ってこい、と言うだけ無駄だな――ミランを頼むよ、あれは俺にとってどうしようもなく可愛い頑固娘なんだ」
『心得た。戻ったら説教してやってくれよな、通信終わり』
無言で戻されたインカムを受け取る際に、ナナは信じられないものを見ることになった。キリオが、ヒムラ・キリオが、その唇の端を食い切っていたのである。流れ出た血が、その軍服の胸元に新鮮な真紅を落とし染めている。何よりも、『ぎん』と引き絞られたその両目に、ナナは尋常でない戦慄を覚えた。
――主任
とても、今の会話、遣り取りを交わしていた表情、雰囲気はそこには欠片も無かった。
「さあ諸君――バックアップは健全にね!」
唯一気付いていないその本人は、一転させた満面の笑みと声で艦橋全域に響きわたるように。
ナナ・マネーシーは、その背中が震え上がるのを、どうしても止められなかった。
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「みいつけた――」
推測座標、そして爆圧の影響角度を類推した、その結果。ライト=ブリンガは頼りなく漂い続ける『ミランダ』のささやかな鎧、パイロット・スーツを発見した。
「アテナ、意識が朦朧(もうろう)としてきた――任せて良いか」
もう、戻す何ものも胃袋に存在は無いのにも関わらず、嘔吐感は止まらない。やっぱり俺って長生き出来ないのかな。
『はい、お任せを』
「頼むよ」
SAMOS(Semi-Automatic-Motional-Operating-System(準自動追従式操縦機構)をカットした。事、ここに及び、必要も無いのに何故このシステムを使い続けていたのか、と疑問が過ぎった。考えれば、右肩の脱臼を強引に直してまで固執する必要はなかったのに。しかし、論理的に物事を考えられる状態でもない。発熱は自覚していたし、その内臓部に深刻な負担損傷が掛かっているのを、実はクリスは確信している。
『ミランダ・ルヴァトワ、呼吸停止中――』
簡潔なアテナの報告。気付けば、『ロータスカラー』、つまりは純白のパイロットスーツがRLの左手の中、だらりと横たわっていた。
「なんだと――」
実際に、データを精査してみた。呼吸停止から六秒。ちょっと待て、なんでそんな細かいデータが――思うより早く、そのスーツの影から這い出てきた存在が、一つ。
「ハリネコ――か」
その全身は、黒く焼け爛れていたし、前足と顔面の一部を損失していた。
『――すまん、俺はここまで――アテナ、バックアップを』
ここで得心が言った。恐らく、爆発寸前のコックピットから強引にミランダの体を押し出したのは『彼』だったのだろう。
『ハリネコ、お疲れ様。休みなさい』
『最後まで、嬢ちゃんの面倒を見られないのが残念だ――クリス、後は頼む』
がくん、とその首をもたげてハリネコは活動を休止した。
「任せろ」
全く、機械が良くやってくれる。ありがとよ。
「アテナ、ハッチ開口。コックピットに収容するが構わないな、アテナ?」
イージスが手元にあれば、救難パックを展開することが出来たのだが――ともかく一秒を急がないとならない。少々の無理があったとは言え、RLでの救出を行なわなかったら本当に危なかったな――クリストファは自らの判断の正しさに満足した。
『勿論です』
三回にわたるスーツの気密チェックを素早く終わり、ハッチが開口された。
「いたたた――といやっ」
激痛の走る全身でそれでも素早くミランダを回収する。その回収に当たってはアテナの助けもあったから、実のところハッチから全身を出す必要は無かったが。
「こんな小さな、細い体でミランダ、君は――」
左腕で首元を引っ掛けるようにして、どうにかコックピット内に運び込んだ。体中が軋みを上げていたが、こんなもの。
『ハッチ閉口、続き酸素入れます』
「頼む」
ただでさえ狭いコックピットに、それも二人と一匹。どうにかミランダを横たえ、息絶えたハリネコをフリー・スペースに取り敢えず放り込む。ミランダの華奢な体をバンジーテープで床面に固定した頃には、ピット内の酸素濃度が問題の無いものになっていた。ミランダのヘルメットを手早く外し、スーツの胸部ユニットを解除。二重になっているジッパーを一気に引き下ろして、その上半身を露出させた。
「アテナ、『フォーチュン』に連絡を。回収は成功、これから蘇生作業に移る、とね」
自らのメットとグローブを外し、ミランダの両頬をやや強めに打ち付けた。反応は無い。
「ごめんよ」
全く迷わず、クリストファは人工呼吸を実行した。全く、鼻血と吐瀉物にまみれたこのご面相で申し訳がない、と思いながらも。
「いたたた、ふー、ふー」
自分が息を吸い込み、その息をミランダの両肺へと吹き入れる――その普段であれば何てこともない一連の作業は、しかしアバラに爆弾を抱えている今のクリスには大変な負担となっている。二度、三度とその辛い作業を続けながら、ふと思い出すことがあった。何年前だったか自分でも記憶は定かではないが、ともかく惑星連合宇宙軍時代に、同じようなことがあった。あの時は民間人の少女だったかな。
「ミラン、戻れ、戻れ!」
再度、両頬を叩き、今一度の人工呼吸を行なう。
「ふーっ、ふーっ――」
れろっ
何かが、自分の舌に巻き付いてきた。何かって何?
――なんですと????
れろっるちゅっ
慌てて、ミランダの両肩を掴んで引き剥がした。舌、舌、舌???
「ななななななな――」
声を震わせるクリスに対し、力無くも悪戯っぽい笑みを浮かべているミランダ。
「ミラン――起きていたのか!?」
「えへへっ、とっくに」
体中の力が抜けて行くのが良く分かった。無重力でなければ、そのまま背面から卒倒していたかもしれない。
「冗談が過ぎるぞ!」
叱ったつもりだったが、どれだけ言葉に力が籠(こも)っていたことか。
「えへへっ――二度目のキスだよ、クリス」
少しずつ赤みがかっていく顔に、はにかみの色を重ねながらミランダは言う。
「はい??」
何のことだ。彼女が何を言いたいのか全く分からない。
「――思い出したの。あの時も、こうして私を助けてくれたのは、クリスだったんだね」
んしょ、とテープを自ら剥がしながら上半身を起こし、クリスの胸元にその顔を乗せてきた。
「……何を言っている?」
「だって、覚えているよ。あの航宙事故の時、やっぱりクリスはこうしてくれたの」
「な、なんと――」
2807年、6月14日。日付も込みで、思い出された。確かに、自分はあの時に一人の少女を救出していたし、蘇生作業も行なった記憶がある!
「運命……ってヤツじゃない?」
声にやはり、力は入っていない。それでも、嬉しそうにミランダは言う。
「――その言葉は嫌いなんだ」
それは全くの事実だった。『運命』等という柵(しがらみ)に自分自身の未来を定められてたまるか。
「そお? 私は好きよ。でもって――」
突然、ミランダはその両腕を広げてクリスの上半身へと抱きついてきた。
「ちょっ――」
「クリス、大好き!!」
「いた、いたたたたっ――痛いって――」
無邪気は無邪気だが、アバラは遠慮無く痛い。
「どっか悪いの?」
珍しいクリスの狼狽と悲鳴に、ミランダは純粋に驚いたようだった。
「ちょっと――多分、無茶な加速でアバラが――」
脂汗を噴出させているクリスの表情に演技などない。
「ごめんね、でも隣にいて良い?」
「ああ、まあね――それ位なら」
答えながら、クリスはパイロットシートへと体を落ち着けた。
「アテナ、操縦モード変更、ACCI(Astro-Craft-Control-Interface=航宙機操縦連結規格)に設定、ワイヴァーン準拠」
『了解。帰艦ともなればオートでも問題はありません。ゆっくりして下さい』
全くありがたいことだ。
「ありがとう。差し当ってミランダ、テープで体を固定して。完了次第、『フォーチュン』に帰投する。宜しく頼む、アテナ」
『お任せを』
「帰ろう、『フォーチュン』に――我が家に」
呟いたクリスの、その右足に寄り添うようにしてミランダが一つ、大きく頷いた。
◆ ◆ ◆
そんな幕開けで御座います。そう、幕開けだったのです。
この時、この場所で『誰か』の未来図は大凡(おおよそ)の完成形を見ることとなり――
未来に繋がる系譜は、これが実は、ほぼ確定しております。
さあさ皆さん、ご覧あれ。
数多、多くの人間の過去と未来を大いに彩る舞台、伝説の真なる意味での始まりでござあい。
それはですね、昔の歌にあるように。
苦しいこともあるだろさ
かなしいこともあるだろさ
だけど僕らはくじけない
泣くのはいやだ笑っちゃお
かつて、シェークスピアは言い、ミランダ・ルヴァトワが諳(そら)んじました。
『この世の中は舞台、人は皆、役者』と。
満場の喝采の中、皆様とカーテンコールにてお会い出来る日を楽しみにしております。
それは、遠い日でしょうか。いや、遠いも近いも、そんなもの無いのかも分かりませんが。
おっと、自己紹介が最後になってしまいました。
我が名は『フェイク』。
登場はもう少し先のことになりますか。
登場の暁(あかつき)には、是非ご贔屓のほどを。
我が名は『フェイク』。
『時の魔女』であるミランダ・ルヴァトワ・アレンの、ほんの『ちっぽけ』な道具にて御座います。
第二光 第五章 『アッティカの戦い』
――了

