敵艦隊の露出を確認。ベアトリイチェは、全く迷わなかった。先手を打つ!
それが、あたし達に課せられた命令なんだっ――躊躇せず、戦端を開く!!
「主砲斉射!! ってーーーー!!」
第一艦隊所属、その全艦艇へと向けられているこのベアトリイチェの命令を受け、『エターナル』の両翼に構えられた『ヘヴンズ・ソード』が凶悪な火炎を吐き出した。コンマ数秒の差で、旗下の『さみだれ』『ゆきかぜ』『いかづち』の主砲がこれに続き、そして距離を置いて展開されていた第一艦隊の攻撃部隊が等しくその火力を解放した。『剣士』を初めとした専門部署が慌ただしく報告を交わし合っている中で、艦長席のベアトリイチェは無意識の内にその肘掛けを全力で握り付けている。どこか、サポートに徹していれば良かった『艦載機戦闘』とは、その緊張度合いが全く違う。比較すべきものでないのは勿論、分かってはいるが。
体感の速度と時間、これが長いのか短いのかは分からない。だが、艦橋の全員が自分達の放った光の奔流へと視線を集めていたのは事実だった。未だ、敵艦種の特定までは及んでいなかったが、その質量規模からすると『アルティマ級』では無い、と『エターナル』のマザーコンピュータ『ラグネル』は断定しているようだ。この段階で既に、ベアトリイチェは艦種特定が進まない、その理由の幾つかを絞り込めている。まあいずれ、直ぐに分かることだ。
「着弾確認!」
オペレータの報告に、艦橋が湧いた。が、その盛り上がりを遮らなくてはならないのが今のベアトリイチェの立場でもある。
「反撃が来るぞ! フィールド展開、各攻撃部隊は指定の防御艦の影に入れ!」
そう、これがこの時代の艦隊戦の本質だ。重力波フィールドは人類が所有する最強の盾ではあるが、その展開、特に完全展開となるとこれは若干の時間を必要とする現実が。『フォーチュン』や『エターナル』を始め、防御能力に重点を置かれて建造された『ヘスティア級』、『クロノス級』には無防備に近い『アキレス級』、他を守護しなくてはならない役回りが課せられることとなっている。他の何よりも、まずは『アルティマ級』との戦闘を前提としての編成――それがエテルナ航宙自衛隊。『打撃破壊力』『機動力』『防御力』、そして敢えて付け加えるのであれば『艦載機運用能力』――それぞれに特化した艦種の建造には、元より逃れられないエテルナの船舶建造事情と言った側面もありはしたが、ある程度の数的規模と実用性、汎用性を考慮すればこれが最善の――或いは『最低限』の選択であったことを疑っている人間は少なくとも、自衛隊にはいない。軍事に、戦術略に疎い人間であれば『何故、艦種を全て統一しないのか』『フォーチュン級の数が一つでも多い方が良いのでは』と考えるところでもあり、実際にこの双方の発言は大統領自身から幕僚長本人に突き付けられた質問でもあった。
『ホームランバッターだけで野球は勝てませんよ』
『塁を稼ぐ、早足で小技の効く打者。投手のリードを最善の戦略で行なう捕手。難しいゴロを的確に捌(さば)く内野手、肩の強い外野手――ピッチャー、まあ、ホームランバッターの必要性は言ってしまえば余録ってところですか。ランナーの貯まっていないホームランでは一点しか入りませんからねえ。だったら自分は細かく、地味でも『繋げられる』方を選びます、それだけの話でしてね』
『戦艦だけで勝てる程、海戦は甘くなかった。海ですらそうだった。駆逐艦が、巡洋艦が、そして実は一番重要な兵站部隊――それから戦艦、空母――時代を見誤ったら、その代償を払うのにどれだけの年月が必要なことか』
ああ、なんと分かり易く、そして説得力のあるクリストファ・アレンの発言であったことか。付け加えると、クリストファは艦構造に致命的欠陥があった際の危険性にも言及していたが、既にこの段階で大統領並びにエテルナ政府首脳陣は精神的に完全な白旗を上げていた。そんな非公式の会議が終わった中、喫煙室で一服を付けながらヒムラ・キリオが言ったとか言わないとか。
「……なんかお前さんの言葉のマジックって、いっつもすげえよな」
褒め言葉と受け取っておくよ、と肩を竦めたクリストファだったか、そうでもなかったのか。いずれにせよ、史実には記されていないけれど。
「――敵対象、消滅――ダミー判定」
まあ、だろうな――半ばの予測通りの結果は結果。艦種の特定が出来なかったことから、予測はしていたが。ベアトリイチェは、それでもフィールドの解除並びに再攻撃の指示は放たない。繰り返すが、防衛戦の利点はここにある。さあ、手の内を見せてご覧よ――親指の爪を噛みかけている自身に気付いた『エターナル』副長は、その指揮杖で床面を突くことで代価とした。指揮訓練中に、クリストファ・アレンに口を酸っぱくして注意されていた癖ではあり、自分では既に克服したものだと思っていたが、なかなかどうして出てくるものなのね。
『癖は全て、洗っておくこと。指揮官と言うのは、取り敢えずドッシリムッチリその席で構えておればいーわけ。先人は言いました――『苦しい時こそ「ニヤリ」と笑え』――ってね。まあ、なかなか本番ではそうもいかんだろうけれど、意識しているのといないのでは全然、これが違うからね。って偉そうなこと言っているけれど、僕だってどうたったことやらねえ――フヒヒ』
同時に、その闊達奔放な(※ちなみにこの時のクリストファの笑顔は爽やかなものでは無かったかもわからんが)笑顔が脳裏にて展開され――こう言う時に、やはり人は人を頼りたくなるのだな、等と、安い哲学を考えたりもした。
そうだ。
困った時に、あの人は絶対に助けてくれるんだ。
今までもそうだったし、これからも、ずっと、ずっと。
◆ ◆ ◆
「大したものだ――誤差もほとんどが無いようだが」
レスター、その半ばの独り言にオペレーターが実際の数字を提示して見せた。案の定、ピンポイント、ピンショットと呼んでも良い程に精密な『敵艦隊』の艦砲射撃。やれやれ、それも『艦隊』と来たものだ――レスターは、唸らずにはいられない。練度の高さが垣間見える攻撃密度、集中能力を持った『敵』。これが既に『軍隊』として十全に機能していることの証左以外の何物だと言うのか。しかも、宣戦布告すら行なっていないこの状況下で、何の躊躇もなく発砲を実行してくる、それから類推される『組織運用能力』と、何よりも『意志』の強さ!
「……よくもまあ、半年間で」
呟いた副官の声は、全くレスターの含むところを代弁している。射線のカウント、種別の調査をどうにか実行させた結果、『トール級』と思しき荷電重力波、そして荷電粒子と呼ぶには強力すぎる火砲の数々がこれはほぼ、確定された。『フォート・リー』のマザー・コンピュータは敵艦隊の総数を15〜18隻であると推定。
「『トール級』――まあ、これが本来の『ネームシップ』でもある『アルティマ』であることに疑いは無いな」
前代未聞の不祥事により、『アルティマ』という名前も、そして艦種どころか艦籍も抹消済み。事実上の二番艦である『トール』が正式な『ネームシップ』となっている連合帝國の現実。
「『彼等』にとり、余裕の無さは、しかし見えてきます――」
幾らか、自信を回復させるような物言いで副官。レスターが特に窘(たしな)めなかったので、言葉はもう少し続けられることとなった。
「虎の子であることに疑いもない、その『アルティマ』の手の内をこうも易々と見せてくれるというのは、実に助かります」
その副官が『別の可能性』を全く想定していないことに対し、気掛かりは気掛かりなレスターではあったが、自分自身もその『可能性』に関しては懐疑的でもあり、注意言及までには至らなかったことも確か。まさかな、と。それにしても気掛かりなのは、先の『EFもどき』が出てこないことだが――こちらのEFが不安定なように、向こうにも向こうの都合があると言うことか、どうなのか。そうであってくれないと帳尻は合わないと言うものだが、この場合の希望的観測は禁物なのかどうなのか。いずれにせよ、素性正体が見えない以上は手持ちのカードで臨機応変に対処するしかない。『敵』だってEFに関しては、動揺著しいことに変わりは無い筈であり、これは楽観的希望的な予測判断では無い筈だ。事態の悲観への傾倒は、場合によっては最悪の展開を迎え入れることにもなる――それは身に染みて知っている。そして、何よりも『切り札』は、取っておくものなのだ。
「――いずれにせよ、数は揃えたようだが驚異に値するものではあるまいて。こちらが『ジョーカー』の数で上回っていることに疑いは無い――さあ、諸君、やるぞ」
司令室の、その場の全員が一斉に息を呑んだ。
「出撃可能な全ての艦艇を動員するぞ。電子戦機は、この展開を最優先――ドッグファイトは固く禁じる。各艦載機は『有人』を優先に、待機状態へ――ただしこれは、あくまでも電子戦機の護衛に限定。『トール級』はフィールド完全展開の状態での出撃を厳命」
ここで、ちらと隣のベネットへ視線を向けた。察した博士は、無言でその顔を振る。
「『EF』は現段階では戦力外。既存戦力で、やれる筈だ。作戦上、指示が流動的なものとなる可能性が高い。各自、命令の聞き漏らしのないように」
最後に、ハインリッヒ・レスターは付け加えることを忘れなかった。
「正義は、我等にあり。今後の太陽系並びにアポロン星系の平和維持を恒久安定のそれとする為、諸君等の力を貸して欲しい。全ては、太陽系のみならぬ、全人類の未来の為に」
自らが全く信じてもいないことを口にするのは、苦行でしか無い。
自分は、何の為にここに居るのか。いや、その答えと覚悟は、とうに決しているのだが。
◆ ◆ ◆
「ダミーねえ。まあ、こっちの手の内を読んだつもりなんだろうが――」
第二艦隊は旗艦、『フォーチュン』の第一艦橋でヒムラ・キリオは不貞不貞(ふてぶて)しく笑って見せた。演技はあるが、あながち演技とも言えない、本心のそれ。
「素晴らしいな。相手の指揮官が、『常人』であればこれに勝るものはないがね」
第一艦隊の体勢が『攻』から『守』へと切り替わり、そして今また『攻』へと変貌しつつある状態をディスプレイで確認して、キリオは呟く。そんな彼の周囲に、発言の意図を理解できない人間は一人だっていなかったが。敢えて、野暮を含めて口にするとその場の総意は、以下のようになるだろう。
『残念ながら、自衛隊の有するSS(フォーチュン級=旧アルティマ級)は一隻ではないし、艦隊、それ自体だって二個規模のそれがあるのだ』
と。
「いいね。疑心暗鬼の網に嵌(は)め込んでやる。どうかな、艦長?」
ニヤリと笑ったキリオの視線の先に、あくまでも超然とした涼しげなソフィ・ムラサメは、
「主砲用ーーーーーーー意」
と、実に簡潔な言葉をもってキリオに対する返事とさせる。
「現場に及ばずとも、疑念の種を撒くことはできるんだぜ」
その脳裏に第二艦隊の集合状況が過ぎったが、ともかく、として。
「この距離であれば、当たれば『儲け』ってレベルですが」
苦笑を交えたソフィの、やはり苦笑い。
「――反対かい??」
「いいえ、やってみましょう――『キャリバーン』にもやらせますよ。これは、文字通り『明後日(あさって)に撃たせようと思いますが。面白いことになるかも分かりませんよ』
キリオ、思わず握り拳。
「素晴らしい、艦長! 言われなければ、言うところだったなあ」
「師匠を同じくする、弟子ですからね、それは」
実際にくつくつと笑ってソフィ。が、その数瞬後には、戦闘指揮官としての表情に戻ったことは、記すまでも無い。『フォーチュン』は主砲、『ヘヴンズ・ソード』のオペレートを担当する『剣士』の一画が最も忙しくなる、この瞬間。もっとも、超長距離射撃とは言え、戦闘態勢に代わりはなかったから、その喧噪と怒号、他は取り立てて目立つものでも無かったが。動体目標に対し、荷電粒子や荷電重力波を完全制御して狙撃する――言葉上では簡単な響きがあるが、これは実は大変に難しい。先の『エターナル』による狙撃という行為、一つを取っても実際に及ぶまでにどれだけの労力と、あの場合は射撃手の覚悟、責任が必要とされたことか。
「さあ、どう転ぶかな」
キリオは、心の底からの笑顔を浮かべた。その半分はクリストファの分を意識して、これは。
・
・
・
「一体全体、何だと言うの……」
エリーゼ・リンは、今や安らかな寝息を立てているミランダの額に手を当てながら、呟いた。
「一時(いっとき)、いや一瞬と言うべきかな――40度を超えていたのですが、今は7度台で安定しています」
看護士の報告に偽りは全くない。自分が到着するまで、この患者は高熱は疎か、酷く魘(うな)されていたと聞くが、今やその片鱗すらも無い。汗にまみれた着衣とシーツを交換された対象は、これ以上になく健康的に眠っている。
「なんだか頻(しき)りに『あなた誰』と呟いていましたが――他にも一言、二言、でもこれは聞き取れなくて……」
エリーゼは看護士であるマキーナを責めようとは全く思わない。自分自身も、何が起こっているのか見当も付かないからだ。
「まあ、意味のない呟き、寝言ってのは往々にしてあるものだからなあ」
実は重要な、ミランダのそんな呻き声にこの段階で着目することの出来る人間が存在出来る筈も無い。
「まあ、酷い被弾もあったようだし、しかも空間を漂っていたとも聞く――から、精神的なものもあるのかもしれないが」
この論法が半ば、自分自身を納得させる為のものになっていることはエリーゼにだって分かっているが。
「……九死に一生、だったそうですしね」
マキも続かざるを得ない。目の当たりにしていて尚、状況が全く掴めないことを情けなくも思うが、実のところ即席栽培と言っても過言ではない看護士としてのマキーナ・ローゼンベルクと言うちっぽけな存在としては、確固たる自信や経験はこれは未だ無縁のものでもあって。
「ともあれ、しばらく見ておいてやってくれ。それと、先は長いから、アンタもあまり気張りすぎないようにな――私は少し、仮眠を摂らせて貰う」
肩を自ら揉みながら、エリーゼ。休める時に休んでおく、これは鉄則ではあるが、その余裕を羨ましく感じるマキーナでもある。自分には、力の抜き加減なんて全く分からない。もっとも、エリーゼにしたところで医者としてのキャリアはあっても軍医――隊医としての履歴なんて無いようなものだったから、これは純粋に年の功と言ったところなのか、どうなのか。
「はい、お任せを」
「何かあったら呼んでくれな」
白衣のポケットに手を突っ込みながら、リン一尉は欠伸(あくび)を一つ挟んだ。
「なるべく、そうならないことを祈っています」
心からの言葉だった。大切な上官にはこの機会にどうにか少しでも休息を摂っておいて貰いたい。
「アリガト」
最後にもう一度だけミランダの顔を覗き込み、エリーゼは退室した。
◆ ◆ ◆
――状況は想定していたものよりも深刻ね
――さて、どうしたものかしら
――最悪、あの『選択肢』を選び取るしかないが
――それは出来れば避けたい選択ね
――でも『こちらの』負担は減りつつあるのも事実であり、これは歓迎するべき?
――わからない。しかし、幅が出来たことは確か。悲観することもないかと
――いずれにせよ、あとは『彼』と『彼女』次第となるか
――別の『彼女』はどうか
――『彼女』には別の道を歩いて貰わないとならない
――気の毒なこと
――ええ、気の毒なこと
――でも、これしかないの
――哀しいわ
――『ヨクト・モジュール』
――その完成形の為に
――どうか力を貸して下さい
――穏やかな世界を
――光のある世界を
――お兄様には、申し訳のないことになるわ
――でも、お兄様だったら、きっと
◆ ◆ ◆
デイリー・アルタミラの事件記者であるマリーカ・フランシスが、その眼前に展開された立体映像から終(つい)ぞ目を反らすことが出来なくなって、実に数十分が経過している。繰り返しリピートされ続けるそんな動画映像の内容はと言えば、正に『ライト=ブリンガ』の出撃時の映像のそれであった。もっとも、彼女が持っているのは出撃時の限定的された映像のみであり、録画時間は十分間にも満たないものでしかなかったが、今の彼女に取り、このデータは何にも代え難い程に貴重な代物となっている。その機体の詳細、情報に関してのデータはまだ自衛隊広報室からは知らされていないし、最上級の報道規制を厳しく言い渡されているだけの状況だったが、それでも、こうしてしぶとく観察していれば見えてくること、分かってくることもある。この半年間、伊達に志願して『幕僚長番』を務めてきたわけではなく、兵器や艦艇に関する知識の獲得は自賛に値しても良いものだった筈だ。事実、多くの報道陣が『エテルナ』の名を冠し、第一艦隊のフラグシップとなった『エターナル』の方に興味も関心も、そして話題も寄せ詰めていた中、頑ななまでに『フォーチュン』へと齧り付き残った自分達は、確かにどこか意固地になっていたのかも分からない。工房ブロックを有し――『エターナル』はそう言った外部増設ブロックを備えていない――その便利さから、戦闘艦と言うよりも寧ろ半ばの補給施設や慰安施設、時には学校とも揶揄(やゆ)されることすらもあった『フォーチュン』はしかし、基本的に幕僚長クリストファ・アレンが滞在する船であり、多くの高級自衛官が行き交う貴重な取材源である筈なのにも関わらず、その重要性よりも話題性の方を優先して恥じることのない同業者の存在は、マリーカには今となっても信じられないものではあった。多くの、と言うより、ほとんどの――いや、全ての同業他社が、そんな『フォーチュン』関連のニュース記事をこのデイリー・アルタミラ『フォーチュン報道室』、つまりは室長兼記者兼編集を務めている自分から『買っている』という状況を本社は喜んでいても、自分としては何の喜びも感じられない。
「しかし、こいつは――」
数十回目の繰り返しとなった動画を細かく一時停止させ、時には拡大を行なっている内に、時間もどんどんと過ぎていく。唯一の部下と言っても良いカメラマンのマイケルが仮眠を摂っている中、自分も少しは精神とそして何よりも肉眼を休ませておいた方が良い――そりゃ、理屈では分かっているけれどさ。
それでも、マリーカの精神は疲労を覚えるどころか、この期にあって寧ろ一段の高揚へと至りつつある。
魅入られ、魅了された――言葉で言うのは陳腐は陳腐だが。
人間に例えれば『痩身の女騎士』とでもなろうか。正に人間のそれを思わせる、その玲瓏な眼差しと、しなやかな全身。全長を優に超える騎兵銃を持ち、やはりその全身に及び掛ける程、それは巨大な盾を装着した『戦乙女』、バルキリー、ワルキューレ――ってどっちが北欧神話だっけか――まあどうでも宜しいが。
そんな白銀、『戦乙女』の全身、至る所にエテルナ国旗が飾られ踊っていることに、深く、しかし熱い感動、感慨が湧き上がってくるのを否定できない。一部の人間は『愛国的で危険な感動の仕方だ』と言うだろうが、知ったことか。自国を憂い或いは思うのに他人の都合意見など関係あるかボケ。
何度目ともなく、そんなマリーカの両眼が注がれる場所は、しかし。
数字『58』が意味するもの、
そして、AD.Chricetopher=Allenが示すもの。
機体名、『RLight=Bringer』。
権利、正当を示す『Right』と、光明、燦めきを示す『Light』が組み合わせられた、稚気ある、けれどどこか気持ちの良い造語であることを容易に推測できたのは、実機を目の当たりとしていたからなのだろうか。一度、関係者――特に幕僚長には、その由来を直接に詳しく聞いておきたいところだが。
本当に、歴史が変わるのかもしれない――そう信じてマリーカは疑わなかった。
そして、その場所に時系列に、存在できている自分自身と言う現実感に酔いつつある、その感覚は悪いものではない。
それでもどうかどうか、世の中が少しでも良い方向に変わりますように。
そう、願うのが精一杯は精一杯ではあったけれど。
少し、口にしてみようかしら?
数瞬の躊躇いの後、彼女は実行した。
『The RLight=Bringer――』
創作意欲が、突然刺激されて、彼女はもう一つ、付け加えを行なった。ほとんど、本能と言えるそれ。
『Let bring us the RLights――』
2635年01月01日
2634年01月01日
第II光:『光臨』 第六章 戦乙女たち - VI
「着弾、来ますっ!!」
オペレーターの悲鳴が終わるのを待つ暇もなく、『エターナル』が艦橋、メインディスプレイは白一色に染め上げられた。減光フィルタはこれでも機能している筈だったが。
「総員、耐ショック――」
やはり、最後までは言い切れない。続き、艦全体を震わせる程の微振動がどこからともなく伝わってきた。ベアトリイチェは悲鳴が所々で上がる艦橋の中、自らの指揮卓上のサブ・ディスプレイに視線を固定、数値の幾つかを手早く確認した。大丈夫、フィールドは完璧だ――演習と同じ。十秒間程の微振動を経て、メイン・ディスプレイが次第に本来の背景色を戻し始めるが、これを眺め続けている余裕は事実上の艦長には無い。しかし、ご丁寧にきっちりと撃ち返してくれたものだ、『敵さん』も!
「旗下艦艇の状況しらせっ」
「全艦健在! 第二群、第三群も砲撃を受けましたが、一切の被害無し!」
用意していたかのように早いオペレータの状況報告だった。全く、持つべきは有能な部下というものだ。さて、これからしかしどうしたものか――と、そのタイミングで着信。発、ブレンハルト一佐。これまた、計ったような。
『副長、第一艦隊は予定通りこのまま進撃を実行する。本艦及び旗下の指揮は改めて君に一任する』
「了解であります――本艦及び旗下は予定通りの作戦行動へと移行」
妙だな、とベアトリイチェが違和感を感じ取ったその理由は、ブレンハルトの口調にあった。何かトラブルでも起きたのだろうか。
『完全に承認する――と、こちらでも問題があってな。手が回らない事情がある。すまない』
「お気になさらず。では――」
自分の勘の良さにささやかな満足感を得つつ、ベアトリイチェはそのまま前進を指示。フィールドは完全展開を常時可能とするレベルへと引き下げ、少しずつ相手との距離を詰める――作戦の基本内容に変更はない。問題、トラブルの存在は気になったが、ブレンハルトが伝えてこないと言うことは、自分に処理出来る類のそれでは無いと言うことなのだろう。
「フォーメーションを乱すなよ。粛々と、前進する。艦載機各自、鋭意を養っておくように――貴官らの出番は遠くはないっ!!」
・
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「出力が上がらないとはどういうことだ!!」
第二艦隊所属『クロノス級』六番艦、『デュオニューソス』の艦長であるアルフォンソ・マティス三佐の怒号が落雷さながらに艦橋を響き渡った。
『原因は究明中であります――が、物理的修理やデータ補正でどうにかなる状況ではありません、これは残念ながら確実かと!』
整備士達の言葉と、何よりもその技量を疑うつもりは全く無い。報告は全くの事実なのだろう、それも分かっている。分かっている、が。
「とにかく、万全を尽くしてくれ――」
艦橋要員達が、力無く艦長席に座り込んだマティス艦長を心配げに見遣ってきていたが、気の利いた言葉の一つも紡げない。それ程に『状況』は深刻だった。脂染みた嫌な汗が額を伝い、顎にまで垂れてくる。
『肝心のフィールドが張れないで何の為の『クロノス級』か!!』
進宙浅く、生まれたて――実際のところエテルナ自衛隊の所有艦艇はそのほとんどが赤ん坊だったが――と言っても等しいこの『デュオニューソス』に、それでも自分達は今日まで可能な限り愛情を注ぎ、事細かに手を入れてきたのでは無かったか。問題がシステムそれ自体にあるのか、或いは突貫で行なわれた建造作業であるとか、それとも他に原因由来を追求するべきなのか。今更、そんなことを考えても全く栓が無いが。
「『フォーチュン』に緊急通信。最上級のコードで送れ――」
言葉と奥歯を等しく噛み締めながら、マティスはオペレータに命令した。
・
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・
じわじわと、それでも確実に前進を開始している全艦隊の立体状況図を自端末で確認していたブレンハルトの表情がいよいよ曇りを帯びるのと同時に、第一艦隊は参謀室に静かなざわめきが発生した。イレギュラーを示す項目が点灯した為で、これは『第二艦隊』に関するものだったから。
「司令、第二艦隊のヒムラ上級一佐より秘匿通信が入っております」
相手側も電子戦を開始しているこの時にあって良くも音声通信が、と思わないでもなかった。まあ、互いの位置は徹底してレーザーロックを施していたし、監視偵察を兼ねた人工衛星の数々を経由すればどうとでもなるか。チクチクとマスコミや政治屋達、果てはプロ市民から嫌味小言を刺されながらもそんな衛星群を徹底配備したエテルナ自衛隊、その首脳部が、ささやかに報われる瞬間と言うべきかどうなのか。もっとも、こんな形で報われるも糞もないが。
「繋げ――」
耳元のインカムを指で示しながら、アレックス・ブレンハルトは自席の遮音力場を密かに展開させた。ただ事でないことを悟ったオペレータが無言で頷き、回線が果たして開かれる。
「ブレンハルトだ」
微妙なタイムラグがあることは元より承知している。返信を待つ。
『音声は良好のようですな。ヒムラです――単刀直入に――本艦隊に問題が発生した――』
「そのようだな――続けてくれ」
『――後方、その中核として編成していた『デュオニューソス』が機能不全を起こしている。フィールドの展開が及ばない。非常に困ったことになりました』
ファック、その呟きはしかしどうにか押さえ込むことが出来た。『デュオニューソス』は『クロノス級』の六番艦であり、進宙からこっち一ヶ月と経っていない船だった、ブレンハルトはそこまで思い返すことが出来る。フィールド形成に不備があるとなると、当然前線には立たせられるものではない。一億歩譲って『デュオニューソス』一隻の話であればまだ問題は軽いものとなったかもしれないが、その盾、重力波障壁を必要とする各種艦艇の数は果たして、両手両足の指で足りるかどうか。補給艇や作業艇を始めとする特殊艦艇は疎か、その抱える艦載機の数となるとこれは考えたくもない話だ。そもそもが、半包囲陣を敷くことが目的の作戦行動であったが。
「フォーメーションの変更でどうにかならないか」
無理を承知で言うだけは言ってみる。
『厳しい。今、ありとあらゆる方策を取るべくコンピュータと人間が格闘を行なっているが』
「こちらでも検討する。差し当り善処されたし、としか言えないことが心苦しいが」
『やれるだけやってみます』
通信切断。溜息。遮音力場を解除して、ブレンハルトは艦長席へと足を向けた。全く、想定外のことは起こるものなのだな。
「攻撃待機、前進は継続」
まずはそれだけを伝えた。頷いたベアトリィチェ・ノイマンが同じ命令を各部署、旗下艦艇に伝え行く中、ブレンハルトの頭脳はそれは目まぐるしく、そして涙ぐましい活動を強制されている。一段落が付いて、簡単な経緯説明をノイマン副長に行ないながら、やはり嫌な汗が背中を伝い掛けていることにブレンハルトは気付かざるを得ない。どうにか、表情に出すことだけは避けられているが――これも時間の問題かもしれん。神が存在するとしたら、どれだけの悪意の持ち主なのだろうか。罵倒の言葉を幾つか真剣に推敲し掛けている自身に気付き、アレックス・ブレンハルトは小さく自嘲した。
・
・
・
この日、何度目とも付かない修羅場と化している『フォーチュン』艦橋。一艦の繰艦に携わる人員のみならず、第二艦隊の艦隊司令室も兼ねているこの空間の、その空気は正に怒号と悲鳴の荒れ狂う渦、その中心となっていた。
「参った――こればかりは参った」
そんな渦の中心で、ヒムラ・キリオは虚ろに呟いた。第二艦隊後方の取りまとめ、中核として移動させていた『デュオニューソス』の不具合――ってレベルじゃねー――の発生、その一報を耳にした時には思わず嘔吐、失禁しそうになったものだった。第一艦隊を正面から向かわせ、第二艦隊の先遣である『自分達』が回り込みの横槍を突き――そしてその後方から一群を叩き込む、つまりは『時間差を置いた半包囲攻撃』を演出、アレンジする予定がこれは大きく狂うことになる。
『こりゃあかんわ』
と軽々しく口に出来る問題ではない。そして、同時に一つだけ、問題を解決出来得る可能性に思い当たった――が、それは土台が不可能な話でもある。何しろ、クリストファ・アレンは投薬を受けて眠っているし、そもそもが機体も、そして何より『人間』だって便利屋の如く使って良い存在では断じて無い。
「副司令、ご指示を――」
口だけでなく、目でも訴えてくる部下達に罪は無い、それは分かっている。分かっているよ。でもそんな目で俺を見ないでくれ。代案を示してくれ。頼む。
「現状維持の上、攻撃はこれは待機」
そんなことしか口に出来なかったが、罵声を飲み込んだだけでも良しとしておきたい。思考がまとまらず、感情だけが昂ぶっていく――これはいけない傾向だ。
「ヒムラさん」
艦長席で立ち上がっているソフィが手招きしてきた。心無しか救われた思いで、それでも重い両足をどうにか引き摺らずに向かうことができた。
「――クリストファを起こして、その判断を仰ぐべきでは」
小声、囁くようにしてソフィは言ってきた。
「正直、考えないでもなかったが、それは駄目だ」
嘘偽り無く、キリオは口にした。
「――ですが、後になって知ってからの方が『あの人』は怒りますよ、きっと」
ぬう、と呻いてしまった。いや、別に『クリストファの怒り』が怖いわけでは無論、無い。そもそも、怒られた事なんて一度だってないし――まあ嫌味とか皮肉はそりゃあ、あったが。
「奴(やっこ)さんが怒る怒らないの問題でなく、過剰に依存しすぎている気がしてならないんだがね――と言うか、あの男は休ませておかないと逆に危ないと思う」
「それは同感ですが……」
ソフィとて、名案とは思い至っていないのだろう。常になく、歯切れが悪い。
刻々と時間が経っていく中、キリオ達が深刻に悩んでいる――しかしその時、少し離れた、別の場所で。
◆ ◆ ◆
極めて深刻な状況
どうしましょう
前倒しするしかないのかしら
時間的余裕はもう無いわ
気付き始めている人もいる
無茶
でも
今を乗り切らないと
未来は無い
◆ ◆ ◆
『ミランダ、起きているよね?』
入室時の独特の気配は察していたが、その『対象』が忍び声で話しかけてくることは想定外だった。それまで自分に張り付き、何かと世話を行なってくれていた看護士が退室して、ほんの数分のことだったか。珍しい来客には違いない。来客と呼ぶには、語弊があるかも分からないが。
「――なあに、アテナ??」
『ええとね――』
「気にしないで。タダ事じゃないことぐらい、あたしにだって分かるよ」
その目は閉じたまま、ミランダ。目が覚めてからこの方、全身を隈無く律儀に押さえ潰してくる様な、そんな奇妙な疲労感の原因が何なのか分からない。とにかく、気怠い、これに尽きる。差し当り、妙な発汗は止まっていたから快方は快方へと向かっているのだろうけれど。
『これを着用して、ある場所に向かって欲しいんだ。疲れているのは、分かっているんだけれど』
ここでミランダは初めて、その目を開いた。薄く。
「『これ』って――」
目を見開き、絶句した。何故ならば、アテネコ・ブラックがその短い前脚で示した自走卓の上に乗せられていた『もの』。
「どうやって――って貴女に聞くだけ無駄か」
喉元まで上がり掛けた質問を飲み込んで、ミランダは息を吐く。自走卓の上に乗せられていたもの――それはなんと、『パイロット・スーツ』であった。『ただ』の、ではない。アイボリ・ホワイトを基調とし、所々に走らされたインディ・ブルー。胸部、背面、両の膝に強く刻まれた数字『58』。誰のスーツであるのか、説明する必要は全く無いだろう。
「なんでかな……それ程に驚かない自分がいるの。不思議だね?」
何を言っているのか、自分でも分からない。だが、ほとんどの無意識下で口にしたこの言葉の意味が決して軽いものではないことに、ここでミランダはようやく気付いた。
『ミラン――ここまでやっちゃって、どうかとも思うけれど、一応聞いておくよ。と言うか、聞いておかないとならないんだ――』
ミランダが自力でその上半身を起こすのを確認して、アテネコはその口調をいよいよ改めた。
『――私の示す未来図に貴女が『乗る』のを拒否する、最初で最後の機会が、今のこの時なの』
ああ、そうか。もう本当にアテネコではなくて、アテナなんだね。当たり前の話なんだけど。
「最初にデメリットから聞いておこうかな。私は、何を代価として払えばいいの? こんな私に大した価値があるとも思えないけれど……」
自虐ではなく、これは全くの本心だった。各種艦載機の操縦技量ではクリストファ・アレンやフローラ・ザクソン、アムロ・レイコ達に及ばないのは事実であったし――まあこれを聞けば多くの人間が『ンなバケモノ』共と渡り合おうとするその志がそもそも良し! と言ってくれるだろうが――何かをじっくりと考えることは昔程ではないが、今でも苦手だ。基本的に、『頭』は良くない――そう思っている。偶然に試験機も試験機、プロトタイプもプロトタイプでついでに存在自体が非公式だった『ロータス』に乗せて貰うことは出来たけれど、その愛機もいきなり最初の実戦で大破させてしまった。どれだけ、自分は役立たずなんだろうか。騙し討ちみたいな形でクリストファの唇を奪ってしまったことも、今となっては自己嫌悪の念をじわじわと醸成させてきてくれてしまっていた。勢いでやってしまったこととは言え、ソフィには酷いことをしてしまった……。
「うっ……」
図らずも、涙が溢れ出てシーツの数箇所を浸食した。だが、今はそんな気分に陥っている場合ではない。
『ミラン……』
「ごめん、アテナ、前言を撤回。『メリット』から聞くことにするよ――続けて」
シーツを、ぎゅと握り付けた。
『クリストファが――みんなが圧倒的に『楽』になるよ。言い方は悪いけれど、君にはクリストファ・アレンの『予備』になってもらうことになる』
「――なるよ」
即答だった。
『……え』
さすがのアテナも、これには絶句した。
「喜んでクリスの『予備』になるよ!」
自分でも驚く程、強い声が出た。
『ミランダ、ありがとう――でね、やっぱり言っておかないといけない。貴女は、普通の人間としての一生は送れないかもしれない。人として、当たり前の幸せだとか、歓びであるとか――そう言うものとは無縁の一生に、なるかも――いえ、きっとなる……と思う。今日のこの選択を、そして何よりも私のことを深刻に憎む、その時が絶対に――来る』
慎重に言葉を拾い上げてくるアテネコだった。人間で言えば懊悩とでもなろうか、そんな雰囲気を量れないミランダでは、もうない。
「それ『デメリット』なの?」
自分でも間の抜けた声になったと思う。だが実際、それのどこがデメリットなのか。
『ん……でも』
右前脚を宙に泳がせながらアテネコ。
「クリスの、皆の力になれるんだったら、そんなの全然『デメリット』じゃないよ」
言いながら、ミランダはその両足をベッドから降ろした。事情の詳しいところは分からないが、時間は有限ではないし――そして、本当に不思議なことだったけれど、ミランダはこの状況を『普通』に、ごく『当たり前』に受け容れることが出来ている。病室にはアテネコ以外の人間も不在であったから、生まれたままの姿になるのになんの躊躇いも抱かず、ミランダはアンダー・ウェアの装着から始めた。疲労感は依然として根深く残ってはいたが、深刻なものではないと考えられるのは、やはり不思議だ。
「大体どうなの? その『人として当たり前の幸せを失う可能性』ってのはクリストファも背負っているんじゃないの?」
実は、一番気になっている点はここだったのかも。
『……そうかも』
その簡潔な、しかし微妙で曖昧なアテナの返事に込められた意味。ミランダは、一つ息を深く吐いた。
「ま、だとしたら余計に『デメリット』なんかじゃないわ。私、少しでも力になりたいもの」
意識はしていない。だが、これは実に強い意志の表明だ。
『ありがとう、と言うべきか――ごめんなさい、と言うべきか』
その無機質な瞳で床を見詰めながら、アテネコ。
「謝罪の言葉なんて聞きたくないわ――それより、まず何をするのかを教えて」
アンダーの装備を終えて、いよいよミランダはパイロット・スーツのズボンに足を通す。
「まあ、このスーツを貴女が持ってきたことでなんとなく、想像も付くけど――ってお尻きつい……」
当然、男性用の、それもクリストファ・アレンという痩身専用のスーツなのだから、これは当然の話だった。身長差はほとんど無いようなものだったが、さすがにヒップは厳しい。付け加えると、ミランダは充分に人目――特に男性陣――を惹く3サイズの所有者でもあった。
『コックピットに入るまで、我慢して欲しい――人目が無くなったらミラン、君のサイズにアジャストさせるから』
スーツ・ジャケットに袖を通し掛けるミランダの動きが止まった。
「……そう――やはり『乗る』のね――あたしが」
ジャケットを胸部前で固定するに当たり、息が大きく詰まる。ヒップだけでなく、バストもそれはそれは厳しい。気を遣ってくれてか、アテネコが用意してくれていたフィット・ブラジャーを装着して尚、ファスナーは上がってくれない。一時(いっとき)の我慢と言い聞かせ、半ば強引に両の乳房をそれぞれの脇の方へと潰し除けるようにして、ようやく上半身が落ち着くことになった。
……ウェストに関しては問題がなかったことが、微妙に複雑な。それはミランダ・ルヴァトワは、乙女なのだった。
『サポートは万全にする。それは信用して欲しいし、基本的に座っていてくれれば良い』
ヘルメット――当然、スーツと同様にクリストファのスペアであり、RL用に特化されたものだ――の装着を終えたミランダが、そのバイザーを下ろすのを確認して、アテネコは言った。
「って言うかさ――これ、途中で誰かに見付かったりしたら誤魔化せる自信無いなあ」
三層からなるバイザーの全てを下ろすことで、その外側からパイロットの顔、表情を確認する術は全く無くなることとなる。文字通りの『影』、『Double』としてのミランダの初仕事が、これから始まろうとしている。先立ってキリオが接触した『もの』の素性、正体を現時点でのミランダは何も知らなかったが。
『極力、人払いは行なってみる。ただ、最後、実際にコックピットに張り付く時は、君の演技力を必要とするかもしれないが』
「余程、自信ないよ――」
『クリスがやっているようにやればいいの。大丈夫、癖のある整備士は何らかの理由を付けて引っ張っておくようにするから』
この船の真の支配者が誰であるのか、改めて考えざるを得ないミランダであった。しかし、アテナという存在を完全に信用していること、これは全く揺るぎようもない現実だ。何かと謎の多い人工知性体――本当にそうなのかどうかも実際は分からない――ではあるけれど、『彼女』の導きが自分達にとって不利益なものとなることは金輪際、有り得ない。大体、『デメリット』と言うけれど、クリストファが既に背負っているものであれば、どうしてそれを自分が回避する必要があると言うのか。
「デメリットなものですか――」
ヘルメット内に流れ込んでくるエアーを大きく吸った。唇を湿らせ、スーツの完全密閉を実行する。
「やるのよ、ミランダ――」
それは、ミランダ・ルヴァトワの真なる意味での『宣戦布告』であった。
オペレーターの悲鳴が終わるのを待つ暇もなく、『エターナル』が艦橋、メインディスプレイは白一色に染め上げられた。減光フィルタはこれでも機能している筈だったが。
「総員、耐ショック――」
やはり、最後までは言い切れない。続き、艦全体を震わせる程の微振動がどこからともなく伝わってきた。ベアトリイチェは悲鳴が所々で上がる艦橋の中、自らの指揮卓上のサブ・ディスプレイに視線を固定、数値の幾つかを手早く確認した。大丈夫、フィールドは完璧だ――演習と同じ。十秒間程の微振動を経て、メイン・ディスプレイが次第に本来の背景色を戻し始めるが、これを眺め続けている余裕は事実上の艦長には無い。しかし、ご丁寧にきっちりと撃ち返してくれたものだ、『敵さん』も!
「旗下艦艇の状況しらせっ」
「全艦健在! 第二群、第三群も砲撃を受けましたが、一切の被害無し!」
用意していたかのように早いオペレータの状況報告だった。全く、持つべきは有能な部下というものだ。さて、これからしかしどうしたものか――と、そのタイミングで着信。発、ブレンハルト一佐。これまた、計ったような。
『副長、第一艦隊は予定通りこのまま進撃を実行する。本艦及び旗下の指揮は改めて君に一任する』
「了解であります――本艦及び旗下は予定通りの作戦行動へと移行」
妙だな、とベアトリイチェが違和感を感じ取ったその理由は、ブレンハルトの口調にあった。何かトラブルでも起きたのだろうか。
『完全に承認する――と、こちらでも問題があってな。手が回らない事情がある。すまない』
「お気になさらず。では――」
自分の勘の良さにささやかな満足感を得つつ、ベアトリイチェはそのまま前進を指示。フィールドは完全展開を常時可能とするレベルへと引き下げ、少しずつ相手との距離を詰める――作戦の基本内容に変更はない。問題、トラブルの存在は気になったが、ブレンハルトが伝えてこないと言うことは、自分に処理出来る類のそれでは無いと言うことなのだろう。
「フォーメーションを乱すなよ。粛々と、前進する。艦載機各自、鋭意を養っておくように――貴官らの出番は遠くはないっ!!」
・
・
・
「出力が上がらないとはどういうことだ!!」
第二艦隊所属『クロノス級』六番艦、『デュオニューソス』の艦長であるアルフォンソ・マティス三佐の怒号が落雷さながらに艦橋を響き渡った。
『原因は究明中であります――が、物理的修理やデータ補正でどうにかなる状況ではありません、これは残念ながら確実かと!』
整備士達の言葉と、何よりもその技量を疑うつもりは全く無い。報告は全くの事実なのだろう、それも分かっている。分かっている、が。
「とにかく、万全を尽くしてくれ――」
艦橋要員達が、力無く艦長席に座り込んだマティス艦長を心配げに見遣ってきていたが、気の利いた言葉の一つも紡げない。それ程に『状況』は深刻だった。脂染みた嫌な汗が額を伝い、顎にまで垂れてくる。
『肝心のフィールドが張れないで何の為の『クロノス級』か!!』
進宙浅く、生まれたて――実際のところエテルナ自衛隊の所有艦艇はそのほとんどが赤ん坊だったが――と言っても等しいこの『デュオニューソス』に、それでも自分達は今日まで可能な限り愛情を注ぎ、事細かに手を入れてきたのでは無かったか。問題がシステムそれ自体にあるのか、或いは突貫で行なわれた建造作業であるとか、それとも他に原因由来を追求するべきなのか。今更、そんなことを考えても全く栓が無いが。
「『フォーチュン』に緊急通信。最上級のコードで送れ――」
言葉と奥歯を等しく噛み締めながら、マティスはオペレータに命令した。
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じわじわと、それでも確実に前進を開始している全艦隊の立体状況図を自端末で確認していたブレンハルトの表情がいよいよ曇りを帯びるのと同時に、第一艦隊は参謀室に静かなざわめきが発生した。イレギュラーを示す項目が点灯した為で、これは『第二艦隊』に関するものだったから。
「司令、第二艦隊のヒムラ上級一佐より秘匿通信が入っております」
相手側も電子戦を開始しているこの時にあって良くも音声通信が、と思わないでもなかった。まあ、互いの位置は徹底してレーザーロックを施していたし、監視偵察を兼ねた人工衛星の数々を経由すればどうとでもなるか。チクチクとマスコミや政治屋達、果てはプロ市民から嫌味小言を刺されながらもそんな衛星群を徹底配備したエテルナ自衛隊、その首脳部が、ささやかに報われる瞬間と言うべきかどうなのか。もっとも、こんな形で報われるも糞もないが。
「繋げ――」
耳元のインカムを指で示しながら、アレックス・ブレンハルトは自席の遮音力場を密かに展開させた。ただ事でないことを悟ったオペレータが無言で頷き、回線が果たして開かれる。
「ブレンハルトだ」
微妙なタイムラグがあることは元より承知している。返信を待つ。
『音声は良好のようですな。ヒムラです――単刀直入に――本艦隊に問題が発生した――』
「そのようだな――続けてくれ」
『――後方、その中核として編成していた『デュオニューソス』が機能不全を起こしている。フィールドの展開が及ばない。非常に困ったことになりました』
ファック、その呟きはしかしどうにか押さえ込むことが出来た。『デュオニューソス』は『クロノス級』の六番艦であり、進宙からこっち一ヶ月と経っていない船だった、ブレンハルトはそこまで思い返すことが出来る。フィールド形成に不備があるとなると、当然前線には立たせられるものではない。一億歩譲って『デュオニューソス』一隻の話であればまだ問題は軽いものとなったかもしれないが、その盾、重力波障壁を必要とする各種艦艇の数は果たして、両手両足の指で足りるかどうか。補給艇や作業艇を始めとする特殊艦艇は疎か、その抱える艦載機の数となるとこれは考えたくもない話だ。そもそもが、半包囲陣を敷くことが目的の作戦行動であったが。
「フォーメーションの変更でどうにかならないか」
無理を承知で言うだけは言ってみる。
『厳しい。今、ありとあらゆる方策を取るべくコンピュータと人間が格闘を行なっているが』
「こちらでも検討する。差し当り善処されたし、としか言えないことが心苦しいが」
『やれるだけやってみます』
通信切断。溜息。遮音力場を解除して、ブレンハルトは艦長席へと足を向けた。全く、想定外のことは起こるものなのだな。
「攻撃待機、前進は継続」
まずはそれだけを伝えた。頷いたベアトリィチェ・ノイマンが同じ命令を各部署、旗下艦艇に伝え行く中、ブレンハルトの頭脳はそれは目まぐるしく、そして涙ぐましい活動を強制されている。一段落が付いて、簡単な経緯説明をノイマン副長に行ないながら、やはり嫌な汗が背中を伝い掛けていることにブレンハルトは気付かざるを得ない。どうにか、表情に出すことだけは避けられているが――これも時間の問題かもしれん。神が存在するとしたら、どれだけの悪意の持ち主なのだろうか。罵倒の言葉を幾つか真剣に推敲し掛けている自身に気付き、アレックス・ブレンハルトは小さく自嘲した。
・
・
・
この日、何度目とも付かない修羅場と化している『フォーチュン』艦橋。一艦の繰艦に携わる人員のみならず、第二艦隊の艦隊司令室も兼ねているこの空間の、その空気は正に怒号と悲鳴の荒れ狂う渦、その中心となっていた。
「参った――こればかりは参った」
そんな渦の中心で、ヒムラ・キリオは虚ろに呟いた。第二艦隊後方の取りまとめ、中核として移動させていた『デュオニューソス』の不具合――ってレベルじゃねー――の発生、その一報を耳にした時には思わず嘔吐、失禁しそうになったものだった。第一艦隊を正面から向かわせ、第二艦隊の先遣である『自分達』が回り込みの横槍を突き――そしてその後方から一群を叩き込む、つまりは『時間差を置いた半包囲攻撃』を演出、アレンジする予定がこれは大きく狂うことになる。
『こりゃあかんわ』
と軽々しく口に出来る問題ではない。そして、同時に一つだけ、問題を解決出来得る可能性に思い当たった――が、それは土台が不可能な話でもある。何しろ、クリストファ・アレンは投薬を受けて眠っているし、そもそもが機体も、そして何より『人間』だって便利屋の如く使って良い存在では断じて無い。
「副司令、ご指示を――」
口だけでなく、目でも訴えてくる部下達に罪は無い、それは分かっている。分かっているよ。でもそんな目で俺を見ないでくれ。代案を示してくれ。頼む。
「現状維持の上、攻撃はこれは待機」
そんなことしか口に出来なかったが、罵声を飲み込んだだけでも良しとしておきたい。思考がまとまらず、感情だけが昂ぶっていく――これはいけない傾向だ。
「ヒムラさん」
艦長席で立ち上がっているソフィが手招きしてきた。心無しか救われた思いで、それでも重い両足をどうにか引き摺らずに向かうことができた。
「――クリストファを起こして、その判断を仰ぐべきでは」
小声、囁くようにしてソフィは言ってきた。
「正直、考えないでもなかったが、それは駄目だ」
嘘偽り無く、キリオは口にした。
「――ですが、後になって知ってからの方が『あの人』は怒りますよ、きっと」
ぬう、と呻いてしまった。いや、別に『クリストファの怒り』が怖いわけでは無論、無い。そもそも、怒られた事なんて一度だってないし――まあ嫌味とか皮肉はそりゃあ、あったが。
「奴(やっこ)さんが怒る怒らないの問題でなく、過剰に依存しすぎている気がしてならないんだがね――と言うか、あの男は休ませておかないと逆に危ないと思う」
「それは同感ですが……」
ソフィとて、名案とは思い至っていないのだろう。常になく、歯切れが悪い。
刻々と時間が経っていく中、キリオ達が深刻に悩んでいる――しかしその時、少し離れた、別の場所で。
◆ ◆ ◆
極めて深刻な状況
どうしましょう
前倒しするしかないのかしら
時間的余裕はもう無いわ
気付き始めている人もいる
無茶
でも
今を乗り切らないと
未来は無い
◆ ◆ ◆
『ミランダ、起きているよね?』
入室時の独特の気配は察していたが、その『対象』が忍び声で話しかけてくることは想定外だった。それまで自分に張り付き、何かと世話を行なってくれていた看護士が退室して、ほんの数分のことだったか。珍しい来客には違いない。来客と呼ぶには、語弊があるかも分からないが。
「――なあに、アテナ??」
『ええとね――』
「気にしないで。タダ事じゃないことぐらい、あたしにだって分かるよ」
その目は閉じたまま、ミランダ。目が覚めてからこの方、全身を隈無く律儀に押さえ潰してくる様な、そんな奇妙な疲労感の原因が何なのか分からない。とにかく、気怠い、これに尽きる。差し当り、妙な発汗は止まっていたから快方は快方へと向かっているのだろうけれど。
『これを着用して、ある場所に向かって欲しいんだ。疲れているのは、分かっているんだけれど』
ここでミランダは初めて、その目を開いた。薄く。
「『これ』って――」
目を見開き、絶句した。何故ならば、アテネコ・ブラックがその短い前脚で示した自走卓の上に乗せられていた『もの』。
「どうやって――って貴女に聞くだけ無駄か」
喉元まで上がり掛けた質問を飲み込んで、ミランダは息を吐く。自走卓の上に乗せられていたもの――それはなんと、『パイロット・スーツ』であった。『ただ』の、ではない。アイボリ・ホワイトを基調とし、所々に走らされたインディ・ブルー。胸部、背面、両の膝に強く刻まれた数字『58』。誰のスーツであるのか、説明する必要は全く無いだろう。
「なんでかな……それ程に驚かない自分がいるの。不思議だね?」
何を言っているのか、自分でも分からない。だが、ほとんどの無意識下で口にしたこの言葉の意味が決して軽いものではないことに、ここでミランダはようやく気付いた。
『ミラン――ここまでやっちゃって、どうかとも思うけれど、一応聞いておくよ。と言うか、聞いておかないとならないんだ――』
ミランダが自力でその上半身を起こすのを確認して、アテネコはその口調をいよいよ改めた。
『――私の示す未来図に貴女が『乗る』のを拒否する、最初で最後の機会が、今のこの時なの』
ああ、そうか。もう本当にアテネコではなくて、アテナなんだね。当たり前の話なんだけど。
「最初にデメリットから聞いておこうかな。私は、何を代価として払えばいいの? こんな私に大した価値があるとも思えないけれど……」
自虐ではなく、これは全くの本心だった。各種艦載機の操縦技量ではクリストファ・アレンやフローラ・ザクソン、アムロ・レイコ達に及ばないのは事実であったし――まあこれを聞けば多くの人間が『ンなバケモノ』共と渡り合おうとするその志がそもそも良し! と言ってくれるだろうが――何かをじっくりと考えることは昔程ではないが、今でも苦手だ。基本的に、『頭』は良くない――そう思っている。偶然に試験機も試験機、プロトタイプもプロトタイプでついでに存在自体が非公式だった『ロータス』に乗せて貰うことは出来たけれど、その愛機もいきなり最初の実戦で大破させてしまった。どれだけ、自分は役立たずなんだろうか。騙し討ちみたいな形でクリストファの唇を奪ってしまったことも、今となっては自己嫌悪の念をじわじわと醸成させてきてくれてしまっていた。勢いでやってしまったこととは言え、ソフィには酷いことをしてしまった……。
「うっ……」
図らずも、涙が溢れ出てシーツの数箇所を浸食した。だが、今はそんな気分に陥っている場合ではない。
『ミラン……』
「ごめん、アテナ、前言を撤回。『メリット』から聞くことにするよ――続けて」
シーツを、ぎゅと握り付けた。
『クリストファが――みんなが圧倒的に『楽』になるよ。言い方は悪いけれど、君にはクリストファ・アレンの『予備』になってもらうことになる』
「――なるよ」
即答だった。
『……え』
さすがのアテナも、これには絶句した。
「喜んでクリスの『予備』になるよ!」
自分でも驚く程、強い声が出た。
『ミランダ、ありがとう――でね、やっぱり言っておかないといけない。貴女は、普通の人間としての一生は送れないかもしれない。人として、当たり前の幸せだとか、歓びであるとか――そう言うものとは無縁の一生に、なるかも――いえ、きっとなる……と思う。今日のこの選択を、そして何よりも私のことを深刻に憎む、その時が絶対に――来る』
慎重に言葉を拾い上げてくるアテネコだった。人間で言えば懊悩とでもなろうか、そんな雰囲気を量れないミランダでは、もうない。
「それ『デメリット』なの?」
自分でも間の抜けた声になったと思う。だが実際、それのどこがデメリットなのか。
『ん……でも』
右前脚を宙に泳がせながらアテネコ。
「クリスの、皆の力になれるんだったら、そんなの全然『デメリット』じゃないよ」
言いながら、ミランダはその両足をベッドから降ろした。事情の詳しいところは分からないが、時間は有限ではないし――そして、本当に不思議なことだったけれど、ミランダはこの状況を『普通』に、ごく『当たり前』に受け容れることが出来ている。病室にはアテネコ以外の人間も不在であったから、生まれたままの姿になるのになんの躊躇いも抱かず、ミランダはアンダー・ウェアの装着から始めた。疲労感は依然として根深く残ってはいたが、深刻なものではないと考えられるのは、やはり不思議だ。
「大体どうなの? その『人として当たり前の幸せを失う可能性』ってのはクリストファも背負っているんじゃないの?」
実は、一番気になっている点はここだったのかも。
『……そうかも』
その簡潔な、しかし微妙で曖昧なアテナの返事に込められた意味。ミランダは、一つ息を深く吐いた。
「ま、だとしたら余計に『デメリット』なんかじゃないわ。私、少しでも力になりたいもの」
意識はしていない。だが、これは実に強い意志の表明だ。
『ありがとう、と言うべきか――ごめんなさい、と言うべきか』
その無機質な瞳で床を見詰めながら、アテネコ。
「謝罪の言葉なんて聞きたくないわ――それより、まず何をするのかを教えて」
アンダーの装備を終えて、いよいよミランダはパイロット・スーツのズボンに足を通す。
「まあ、このスーツを貴女が持ってきたことでなんとなく、想像も付くけど――ってお尻きつい……」
当然、男性用の、それもクリストファ・アレンという痩身専用のスーツなのだから、これは当然の話だった。身長差はほとんど無いようなものだったが、さすがにヒップは厳しい。付け加えると、ミランダは充分に人目――特に男性陣――を惹く3サイズの所有者でもあった。
『コックピットに入るまで、我慢して欲しい――人目が無くなったらミラン、君のサイズにアジャストさせるから』
スーツ・ジャケットに袖を通し掛けるミランダの動きが止まった。
「……そう――やはり『乗る』のね――あたしが」
ジャケットを胸部前で固定するに当たり、息が大きく詰まる。ヒップだけでなく、バストもそれはそれは厳しい。気を遣ってくれてか、アテネコが用意してくれていたフィット・ブラジャーを装着して尚、ファスナーは上がってくれない。一時(いっとき)の我慢と言い聞かせ、半ば強引に両の乳房をそれぞれの脇の方へと潰し除けるようにして、ようやく上半身が落ち着くことになった。
……ウェストに関しては問題がなかったことが、微妙に複雑な。それはミランダ・ルヴァトワは、乙女なのだった。
『サポートは万全にする。それは信用して欲しいし、基本的に座っていてくれれば良い』
ヘルメット――当然、スーツと同様にクリストファのスペアであり、RL用に特化されたものだ――の装着を終えたミランダが、そのバイザーを下ろすのを確認して、アテネコは言った。
「って言うかさ――これ、途中で誰かに見付かったりしたら誤魔化せる自信無いなあ」
三層からなるバイザーの全てを下ろすことで、その外側からパイロットの顔、表情を確認する術は全く無くなることとなる。文字通りの『影』、『Double』としてのミランダの初仕事が、これから始まろうとしている。先立ってキリオが接触した『もの』の素性、正体を現時点でのミランダは何も知らなかったが。
『極力、人払いは行なってみる。ただ、最後、実際にコックピットに張り付く時は、君の演技力を必要とするかもしれないが』
「余程、自信ないよ――」
『クリスがやっているようにやればいいの。大丈夫、癖のある整備士は何らかの理由を付けて引っ張っておくようにするから』
この船の真の支配者が誰であるのか、改めて考えざるを得ないミランダであった。しかし、アテナという存在を完全に信用していること、これは全く揺るぎようもない現実だ。何かと謎の多い人工知性体――本当にそうなのかどうかも実際は分からない――ではあるけれど、『彼女』の導きが自分達にとって不利益なものとなることは金輪際、有り得ない。大体、『デメリット』と言うけれど、クリストファが既に背負っているものであれば、どうしてそれを自分が回避する必要があると言うのか。
「デメリットなものですか――」
ヘルメット内に流れ込んでくるエアーを大きく吸った。唇を湿らせ、スーツの完全密閉を実行する。
「やるのよ、ミランダ――」
それは、ミランダ・ルヴァトワの真なる意味での『宣戦布告』であった。

